シゲ&水野魔法使いパラレル 2(後) 郭はしんと静まり返った廊下を進みながら、柔らかな深緑の絨毯を踏みしめる歩が荒くなるのを抑えられない。 (全く、嫌な予感はしたんだよね) あの日、水野が佐藤に極上の笑みで笑いかけた時から、そんな予感はしていたのだ。 いくつかの廊下を曲がり、壁にいきなり現れる階段を駆け上がりそしてすぐに続く下り階段は一段飛ばしで降り、踏み出す足元だけが淡く銀に光る真っ暗な廊下を過ぎてまた元の廊下に出る。しかしそれは元の道ではなく、並ぶ扉の色は郭たちの部屋の黒い扉とは違って濃い紅だ。 「水野、入るよ」 ここは選ばれた生徒のみに与えられる個室群棟であり、学年主席と学年代表男女一人ずつ、六学年計17人が現在この個室群棟に暮らしている。個室群の内、唯一入ったことのあるノブに捻りリボンの巻かれている扉を軽くノックすると同時に郭は返事も待たずに室内に脚を踏み入れた。 「郭?こんな時間にどうしたんだ?」 部屋の広さはさして変わらないが、そこを一人で使えるというのは大分広く感じられるものだ。水野は室内を照らす役割を果たす蛍光鳥の籠に既にカバーを掛けており、机の上に小さく油を燃やしたランプだけを置いて何やら本を読んでいたようだった。 「随分暗くしてるね、目ぇ悪くするよ」 後ろ手に静かに扉を閉め、郭は水野の背中越しに見える分厚い本を見やって目を眇める。 「あぁ、まぁ・・・。それよりどうかしたのか?」 水野は郭の目から本を隠すように背中でかばい、椅子を回転させて誤魔化すように笑った。郭は扉に背をもたせ掛けたまま、腹の底から沸き上がってくる溜息を抑えようともせずに大きく吐き出した。 「どこかで誰かさんが、惚れ薬の作り方なんて迷信ものを調べてないかと心配になってね」 ガタン。 「何のことだ?」 水野はくるりと椅子を反転させて机に向き直ってみせたが、その際に机の角に脚をぶつけたらしい音は掻き消せるものではなく、郭は心なしか強張った背中に向けて淡々と告げた。 「佐藤成樹、ああいうの水野の好みでしょ?ちょっと悪そうで、でも実力はある奴」 これまで水野が惚れてきた相手を思い出しながらその事実を突きつけてやると、水野は無闇やたらとページを捲っていた指を止めて恐る恐るといった様子で振り返ってきた。淡いランプの灯りに浮かび上がった水野の茶色い瞳は不安げに揺れていて、普段から彼に傾倒している生徒なら卒倒するなと郭は冷静に評価を下す。 「加えて、面食い」 その言葉に、水野は観念した様にまぶたを閉じて、すぐに開いた。そして口元には苦笑が浮かんでいる。 「さすが、四年の付き合いだな郭」 一学年で出会って、その後クラスが離れることはあったが変わらず話の合う友人と付き合ってきただけあって、郭はこれまでの水野の恋愛遍歴を見事に把握していた。 「今回は、学校ではともかく寮では避けてるみたいだから仲良くなるのは嫌なのかって本気で思いかけたけど、照れてるだけだろうなーとも思ったし」 校内では最低限の優等生を心がけているから佐藤に笑いかけもできるけれど、それが剥がれ落ちる寮に戻れば、それが不可能になる位のレベルにまで達してしまっているらしい水野は、見事に言い当てられて口元から笑みを引っ込めて机に向き直る。 その背後から窺える耳たぶが、僅かな光源でも赤く染まっていることが見て取れて、郭は再度大きく嘆息しながら水野の肩越しに本を覗き込む。 「それにしたって水野、惚れ薬なんて迷信だって知ってるでしょ?それとも、服従の呪文でも研究する気?」 古い呪文文字で書かれた書物はどうやら高等魔法の専門書らしく、開かれた項が”従”の項だったので郭が大方の予想を付けて尋ねてみると、水野は決まり悪げに静かに分厚い本を閉じた。 机の上の消しゴムのカスが本から吹いた風に舞って、水野はそのゴミを指でかき集めた。 「そんなに好きなら、普通に仲良くすればいいんじゃないの。今までだってそうしたじゃない」 「それで、結局掻っ攫われた」 過去水野が好きだった人物たちに現在の恋人ができたのは、水野が彼らを好きだった時期だと記憶している郭は、あくまでも友人として彼らを祝福しなければならなかった当時の水野の痛々しい笑顔を思い出して軽く舌打ちした。 「あれは、水野がいつまでもお友達でウロウロしてたからでしょ?」 仲良くなって二人きりでも遊ぶようになるまで行ったのに、郭がいくら炊き付けても結局水野は彼らに告白はせずに結果として失恋する羽目になったのだ。 「だって、怖かったんだ。友達ならずっと変わらないと思った、それは今でも証明されてる。二人とも友達だ。最初友達になっちゃったら、それを崩すのが怖いんだよ」 「だから今回はいきなり恋人になろうと思ったわけ?それでどうして魔法頼みなのさ」 革表紙に置かれた水野の長い指先に付いた形の良い爪が、微かに革を引っ掻く。壁に長く伸びる水野の影が郭に迫って来る獣の陰の様でいて、まるですぐに破れる薄い紙の様にも感じた。 「どうしようもないじゃないか、顔を見るだけで緊張するんだぞ。笑う時なんて、常に引きつらない様に精一杯努力してる。話す時も、声が震えないかとか赤面しないかとか、必死なんだよそれだけで」 そんな自分がまともに告白なんて出来るはずが無いだろうっと、水野はそれだけはやけに自信たっぷりに言い切った。 「あのねぇ・・・」 ほとほと呆れて声も出ないというのが郭の抱いた感想であったが、見下ろした水野の肩は闇が周りを囲むせいなのかやけに頼りなげで、郭は嘆息しながらもその肩に手を掛けて軽く揺すってやる。 「この間なんて、風呂に誘われて死ぬかと思った・・・」 独り言のように呟いた水野のその言葉に、そりゃ顔を見ただけで緊張する人間が相手の裸なんて見た日には色んな意味で死ぬ思いだろうと、返事もせずに逃げ出したという水野の態度に納得でざるを得なかった。 佐藤は不本意だろうが、彼が誤解している数々の水野のそっけない態度は、水野が彼を嫌っているからではなく寧ろそこまで惚れてしまっているのだという何よりの証拠であるわけだ。 「だからって、服従させてどうするの。また協力してあげるから、それは止めておきなよ」 甚だ気が進まないがこのまま水野を暴走させるわけにも行かないと判断した郭は、揺すってやった肩を今度は励ますようにポンポンと叩いた。 すると、水野は郭を仰ぎ見て嬉しそうに破顔した。 それはまるで青かった花の蕾が一気にその花弁を開いたような笑みで、郭は四年前この少年と出会ってしまった自分を思わず呪った。 こんな、笑み一つで他人の胸中を暖めることの出来る人間を、他には知らない。真田も結人も確かに大事な友人だし、できることは全て協力してやりたいと思うが、気も進まないのに協力してやりたくなる人間は、水野以外には知らなかった。 「マジで!?ずっと協力してもらってたのに、結局いつも駄目になるから今回こそはって思って言わずに居たんだけど、やっぱり頼りになるな」 乏しい光源しか無いような場所でさえ、水野の笑顔はこんなにも人を惹き付ける。こんな人間がどうしていつも失恋してしまうのか、郭には全く理解できない。だからこそ、今回はどうか上手くまとまってくれと思いながら、郭は消灯の時間を告げる太陽と月の衝突音を聞いた。 さて、水野が失恋してきた人物は誰でしょう?当たった方には豪華リクエスト権をプレゼント!(嘘です) 郭が被害者になってます、迷惑です、乙女水野のお守りかよ。水野君、思い余って佐藤君に服従の呪文を使う気でした、危ないですね。・・・水野キャラ違うし(汗。 今後どうするかんて、決めてないですってば(威張るな。 (初出2005,1,22/再録2005,5,21) |