「カーット!オッケー利央、オッケーだ」
監督の野太い声に、準太は台本から顔を上げた。視線の先では、プールから這い上がりぶるぶると首を振る利央の姿。
(犬か)
この真冬にプールに飛び込むという演技をした利央の唇は遠目から見ても真っ青で、元々白い肌はそれを通り越して青い。それでもタオルを持って駆け寄ってくるスタッフに笑顔でお礼を言う利央は、悔しいがさすがプロだと思った。
「次、準太、シーン45を先に撮ろう」
「はい」
呼ばれて台本を閉じた準太は、立ち上がる。己の立ち居地であるプールサイドに向かう途中で、鼻を啜る利央と擦れ違った。
「頑張ってね、準サン」
そう言って屈託無く笑う利央を横目で一瞥しただけで、何も答えない準太に代わって、背後で慎吾がお疲れさーんと叫んでいる。
準太は今読んでいた台本を頭中に思い浮かべ、一つ大きく息を吸った。

高瀬準太と島崎慎吾が組むアイドルユニット「ノーブル」にとって、これは初のドラマの仕事だった。準太のデビューは一応十二の時だが、ようやく定期的に仕事が来るようになったのは、十七になったつい最近のこと。理由はいくつかあるが、大きくは準太の扱い辛い性格にある。
気分の高低が激しく、プライドが高くて完ぺき主義。芸能人としては珍しくは無いだろうが、芸能界というのは世間が思うよりずっと礼儀に気を使う。準太は、相手の立場に合わせた礼儀の使い分けが、上手くない。その上、誰と組んでもその内相手が「準太にはついていけない」と言い出す始末。
正直、芸能関係の少年たちが多く集まる高校に入ったとはいえ、これ以上売れないようなら芸能界を引退しないかと事務所からも言われていたくらいだったのだ。
それが、今年に入って同じ高校に通う島崎慎吾と組んでから流れが変わった。彼は準太よりも一つ年上だが、ずっと大人だ。今年スカウトされたばかりだというが、準太よりよっぽど世慣れていて世渡り上手。準太のフォローもしてくれて、その気難しさも余裕でかわしてくれる。
おかげで、「ノーブル」は多くのメディアに出るチャンスが与えられ、準太にもファンが付くようになった。
そして今回、更に「ノーブル」の人気を上げようと立ち上がったのが、このドラマ。
話はよくある、青春物。主人公はボクシングに打ち込む高校生で、ライバルがいて仲間がいて、友達以上恋人未満になる予定のヒロインがいる。
出演者は殆どがアイドルだったりモデルだったり、演技よりも見目で勝負!という感じの作りだが、その中で一際飛びぬけて目立つのが、主人公準太のライバル役に抜擢された利央の存在だった。

仲沢利央。本業は役者だが、その姿はファッション誌でもよく目にする。
七歳の時子役でブラウン管に映ってから、その日本人離れした顔立ちと身体で、不動の人気を培ってきた。勿論、ここまで十年生き残ってきたのは見た目のおかげだけではない。彼は、確かな演技力を見に着けて育ってきたのだ。 名前と顔だけなら、準太だって知っていた。
そして今回こうして一緒に仕事をして、その存在にどうにも刺激を受けている。
年は準太より一個しただが、芸能界の人間としては大先輩。だというのに、利央は準太に対しても慎吾に対しても、砕けてはいるが無礼ではなかった。そしてその実力も。利央の役はかなり高飛車で自信家で、鼻持ちなら無い役だった。顔合わせをしたときには、人懐こくて見た目の割りに無邪気な利央に「こんな嫌な性格の奴、演じられるのか」とすら思ってしまった準太だったが、初めて一緒のシーンを撮った時、カメラの中と外との余りのギャップに彼の演技力を実感した。本業が役者なのだから当たり前、なんて言葉では表せない、衝撃だったのだ。
そして、その時から準太は利央の事を意識しすぎて、一緒の撮りの時には上手く喋れない。
本当は、演技について聞きたいこともあるのだが、照れ臭いと言うかプライドが邪魔をするというかで、ろくに口も利けない。
だから、今だって利央が折角共演者としてのコミニュケーションを取ろうとしてくれたのに、無視してしまった。

「俺、嫌われてンのかなぁ」
準太のシーンを見つめながら溜め息を吐く利央に、慎吾はそんな事ねぇよーと苦笑する。
実際、準太はこの仕事が始まってからやたらと利央が出演しているドラマや映画のDVDを借りてきて慎吾につき合わせて鑑賞しているのだ。
そんなにあいつの演技が気に入ったんなら、仲良くすればいいのにと思うのだが、そこは元来プライドの高い王子様気質の相方のこと、そんな素直にお友達になりましょうなんて、言えるはずも無い。
だからといって、慎吾が利央に準太がどれだけその演技を気に入ったのかをばらしてしまえば、おそらくユニット解散の危機に陥るくらいの事態にはなるだろう。冗談抜きで。
だからこそ、今の慎吾にできるのは、可能な限りの範囲で利央に向かって、準太はお前を嫌ってるわけじゃないとフォローすることだけだった。