4 照れ笑い / マサツバ 「見つけた」


 黒川柾輝少尉という人物は、余り表情に動きが無い。それは以前からの副官である郭英士少佐にしても等しく言える事だけれど、あの厳しくも冷静な締まった表情と違い、黒川のその表情はやる気の窺え無い飄々としたものだ。
 その表情と職務の際の張り詰めた気配のギャップが気に入って今では副官その二に加えたのだけれど、でもやっぱりいつも同じ表情ばかりでは詰まらない。
 毎日毎日同じ顔ぶればかり職場で眺めるのだから、表情すらレパートリーが少ないのでは飽きる。
「というわけで黒川少尉。笑え」
 机に頬杖を付いて片手にサイン途中で止めたペンを握り、椎名は少し離れた己の机で書類仕事をしていた黒川ににっこり笑いかける。
「・・・突然何言い出すんスか・・・・・」
 笑顔とは程遠い渋面を作り、黒川は低く呻くようにして呟く。黒川よりは椎名の奇行に慣れているはずの周りの部下たちも、仕事の手を止めきょとんとする。椎名の側でサインの終えた書類をチェックしていた郭でさえ、怪訝そうな表情をしてその手を止めた。
「椎名大佐?」
 女性と見紛うばかりの整った造作の顔ににっこりと効果音の聞こえてきそうな笑みを浮かべて、椎名は同じ台詞を繰り返す。
「笑え、黒川少尉」
 今度の台詞も、黒川の表情を明るいものにはしなかった。
「・・・・・・・何も無いのに、笑えるわけないでしょーが・・」
 黒川は盛大に溜息を吐き、椎名ではなくて郭に視線を寄越す。何とかしてくれと言外に語るその視線に、郭は書類を一度膝の上で揃えてから椎名に尋ねる。
「書類仕事に飽きたんですね」
「うん」
 間髪入れずに肯定され、郭はこめかみを軽く押さえ、黒川はその場に脱力した。
 本来なら司令部にふんぞり返って現場にあーだこーだと口出しをしてればいいような(実際そういう輩は多い)大佐と言う位置に有りながら、椎名大佐は現場に出たがる傾向が有る。見かけは可憐な少女・・とまでいかなくても軍人の中ではかなり華奢な部類でその容姿からも頼りなさ気にすら見えるのに、彼の戦闘能力は肉弾戦においても異常に高い。
 本人もそれを自覚しているからこそ机にばかり向かっていては面白くないのだろうが、だからといってせっせと仕事に励む部下に絡むような真似は止めてくれと、黒川は本気で椎名の部下になった己の行動を軽率だったかと少々後悔した。
「まあ、大佐の午前の仕事は粗方終わりましたけど、だからってまだ就業中の部下に絡むのは止めてください」
 軽く溜息を吐いて、休憩でもしてらしたらいかがです、と提案する郭に、椎名はサイン途中だったペンを最後まで走らせてから、重厚な佐官用の椅子から立ち上がる。
「このまま昼休みに入らせてもらう。構わないな?」
 明らかに周囲の部下がほっとした息を漏らすのが聞こえるが、椎名はあえて無視してやる。また上司の気紛れな発言が続くのかと、彼らは内心焦っていただろう。それが手に取るように分かって、その事実に自覚はあるが面白くも無かったので、頷く郭に後を頼んで個人の執務室に続く扉に手をかけながらこれ以上ない位に無害そうな笑みを浮かべて振り返ってやった。
「あぁ、黒川少尉。昼休みに入ったら、来い」
 その一言に見事に頬を引きつらせた黒川と、同情の視線を投げかけた他の部下の様子に椎名はいたく満足して執務室の扉の向こうに身を滑り込ませた。

     軽いノックの音が響いて、椎名は呼んでいた書物から視線を上げた。
「入れ」
「黒川少尉です」
 時刻を確認すると、丁度昼休み。トレイを片手に室内に入ってきた黒川の様子に、椎名は人知れず安堵する。上官命令は絶対の軍隊において、黒川がそうではないことを既に知っているからだ。それが気に入って部下にしたけれど、自分に命令にも従わなかったらそれはそれで問題だと思っていたからだ。
 命令と言うには、随分下らない部類に入る事柄だったとは自覚しているが。
「それは何だ?」
 机から数歩離れた位置に立つ黒川の片手には、トレイが乗っている。黒川はそれを丁寧に椎名の机の上に置いて、また数歩下がった。
「郭少佐からです。昼飯でしょ」
 トレイの上には、食堂のものではないベーグルサンドと湯気を立てるコーヒー。近所の人気パン屋の昼食時のメニューだ。
「ふぅん」
 さすがに黒川よりも長く椎名の副官をしているだけあって、椎名の好みをよく分かっている郭である。コーヒーにも砂糖は付いてなくて、ミルクだけが乗っている。
「お前の分は?」
 椎名が尋ねると、黒川は方を軽くすくめて答える。
「後でやっすい食堂にでも行きます。それで、何の御用ですかね」
「そこの椅子を持って来て、座れ」
 椎名は壁際に寄せてある一脚の椅子を指示す。応接室に通すまでも無い気の置けない友人などが着た時に使う、木の椅子だった。
 黒川は一瞬怪訝そうに眉根を寄せたが、無言でそれに従い腰を下ろす。椎名はその間に机からペーパーナイフを取り出して、サンドを半分に切った。
「あんた、それ、手紙の封とか切るもんでしょう」
 椎名の手元を見て呆れたような声を上げる黒川に、椎名は視線を上げずに言い返した。
「いざとなれば、泥だらけの食料でも食べなきゃならない軍人が、何繊細なこと言ってんだ」
 そして少々いびつに切られた半分のサンドを、片方黒川の方へ差し出す。黒川はきょとんとして椅子から動こうとしないので、椎名は苛付いて、食え、と一言だけ言った。
「はあ」
 黒川は気の抜けた声を発し、椅子から立ち上がり数歩歩いて机の前まで来てそれを受け取りまた戻る。その距離が無性に椎名の癇に障った。
 暫く互いに無言でサンドを食べ、先に食べつくした椎名は食後のコーヒーに目をやって、ふと思いついて最後の一口を放り込んだ黒川を呼ぶ。
「黒川少尉」
 呼ぶと、黒川はサンドを頬張ったままくぐもった声で応えた。
「コーヒーを淹れて来い」
「あんたのそれは、何ですか」
 すぐ手元にあるコーヒーを指摘してくる黒川に、椎名はいいから行って来いとにっこり笑いかける。その表情を黒川がどう取ったのかは分からないが、すぐに諦めたように嘆息して椅子を立った。
「砂糖はなし、ミルクだけだ」
 その言葉にもおざなりに返しながら、黒川は一度部屋を出た。
 戻って来た黒川の手にはちゃんとコーヒーが一つ存在して、椎名はそれに満足した。味はまだまだだったが、それを伝えると、だったら初めから手元のもので我慢してくださいよと言われた。
 そしてその元からあったコーヒーは、冷めてしまった後で黒川の胃に納まり、黒川はこれがしたくて淹れに行かせたんじゃないかと被害妄想じみたことを考えた。
「覚えたか?」
 黒川が苦いコーヒーを飲み干したのを見計らったかのように、椎名が声をかけてくる。
「は?」
 今日は間の抜けた声ばかり出してるなと思いながら問い返せば、椎名は妙に機嫌が良さそうだった。
「次からは教えないからな。常に好みのコーヒーを出せよ」
 あんた、今味がまだまだって言ったじゃねぇかよ、なのにまた淹れさせるのかと思いながら、まだ言葉が続くらしい椎名を黒川はじっと見詰める。
「パン屋の場所も今度誰かに聞いておけ。買いに行って十分で戻って来なかったら減俸もありえるぞ」
 どんな横暴だよ、それ。つーか、次元低いなおい。そんな思いも、黒川は飲み下す。
「それから、これが最重要事項だ」
 言うと、椎名はちょいちょいと指で黒川を呼んだ。黒川が首を傾げながら立ち上がると、椎名は自分の右側を指で指す。そこに来いという事だろうと判断し、黒川は椎名の右斜め後ろの位置に立った。それは、いつも郭少佐が立っている位置とは対照的なところで。
「そう、そこだ」
 何がだと座ったままの上司を見下ろせば、椎名は頬杖を付いてまるで挑発するかの様な視線で見上げてきた。
「そこが、俺の護衛官としてこれからお前が居るべき場所だ」
 黒川は目を丸くした。
「護衛官・・って、あんたまだ俺の働きなんて何一つ見てないでしょうに」
 まだどこかの派閥のスパイかどうかも分からないのに、命を預けるような位置に置いておこうなんて軽率極まりない。それなのに、椎名はそんなことには全く頓着していないかのような口調で笑った。
「俺は自分の直感は信じてる方でね。だから、お前のことも信じてるさ」
 ”氷の女王様”と呼ばれるだけあって、その笑みは綺麗で鋭かった。そして何より、魅惑的だと不覚にも思ってしまった。
「コーヒーもパンも、お前なら毒見なんてせずに食べてやれるぞ、俺は。お前は毒を入れたりしないと信じてるからな。光栄に思え?」
 何て尊大な信用だ。黒川はそう思ったが、それでも腹立たしさなんてものは一切感じなかった。寧ろ、怒りでない熱が沸いてくる。
「お前は軍より先に俺に従え。・・・・おい、不満か?」
 余りにも無言で凝視してくる黒川の態度に、椎名の中でにわかに不安が頭をもたげてくる。元々縦社会に馴染まないような男だ。それでも自分なら、と思ったのは見当はずれだっただろうか。
 表情には出さず、冗談じゃないなんて言われたらどうしようと構えていると、黒川の表情にやっと変化が起こった。
 眉が困ったように寄せられ、それでも見下ろしてくる目元は優しく、そして口元には緩く笑みが浮かんだ。それは、椎名の望んだ以上の笑みだった。  柔らかくて温かみに満ちたその視線で、黒川は静かに答えた。
「光栄です、Sir」
 配属されて日も浅く、その間デスクワークしかやっていないような自分の何が気に入って突然護衛官などと言われたのかは分からないが、配属されて日々”あの上司は綺麗で冷たい、手の届かない女王様”と聞かされていた人物が、楽しそうに自分を信頼してると言ってくれた。
「それでいい」
 そして今、酷く満足げに目を細めて笑う。
 あぁ綺麗だ、と黒川は心底思い、そしてまたくすぐったいような感情が腹の底から沸いてくる気がした。










 長っ。マサツバは長っ(笑)。最近どこもかしこも軍隊物ですねぇ(他人事か。
 マサツバは精神的には常に翼×柾輝だと思います(断言。そんで偶に、手を噛まれてびっくりする翼。犬には牙も爪もあるってのを偶に思い知らされて、また惚れ直すんですよ!!(え。
 これはマサツバで軍隊でオフィスラブです!!(オフィ・・?
 ちなみにお持ち帰り不可です。