8 振り向いて / シゲ水 「正しい職場関係のススメ」 佐藤少尉が水野中佐の様子がおかしい事に気付いたのは、彼の帰宅時に運転手として呼び出されなくなってから一週間ほど経ってからのことだ。 それまではたとえ佐藤が業務終了時間でなくても呼び出され、車の運転をして上司を送り届けてからまた司令部に戻るなんてこともざらだったし、朝迎えに行くついでに家に上がりこんで、寝起きはいいが脳みそだけは眠り続ける上司に朝食を作って食べさせたり、たまに洗濯もさせられていたというのに。 ここ一週間送迎の呼び出しはおろか、家事の呼び出しも受けていない。 (万々歳やんか、俺) 佐藤の器用さがよほど気に入ったのか、水野はあれが食べたいそこを掃除してくれ何時に起こしてくれワイシャツにアイロンをかけてくれと、それこそ佐藤のプライベートや時には仕事の時間まで潰すようなことを言ってきていたのだから、ここ一週間仕事の話のため以外には顔すらろくに合わせていない状態は、好ましいものの筈なのだ。 それなのに、今佐藤の眉間には深くしわが刻まれている。 (あれかて立派な大人やしな、一応・・) これで一週間連続昼食時に水野が司令官室にいないという出来事に遭遇しながら、佐藤は彼だって一人で食事くらいして当たり前なのだと一人で深く頷く。 今までが異常だったのだ。あれをしてくれこれをしてくれと強請る水野は、それこそ偶に本気で階級を確認したくなるほどの稚気の残る上司だった。 「佐藤少尉?」 「おわ」 突然背後から声をかけられ、佐藤はかなり本気でびびって振り返る。 「何をしている?」 そこには佐藤より少し低い位置から見上げてくる佐藤直属の上司の姿があった。 「中佐、お昼やったんですか?」 佐藤は一般的なことを普通に聞いたつもりだったがその声には僅かに険が含まれていて、自分でも驚いてしまう。 「あぁ。お前は?何か用事だったのか?」 水野が司令官室に入るために道を開け、その後に続いて扉を静かに閉めながら佐藤は手にしていた書類を掲げて見せた。 「はい、サインください」 持って来ておいてよかったと内心安堵しながら水野に手渡すと、水野は書類の内容を一通り一瞥してからサインのためにペンに手を伸ばした。 「ほら」 「どうも」 サラサラと流れるように記された水野のサインを見つめながら書類を受け取り、ペンを挟んだ水野の指先を目で追って、佐藤の口からは思いもかけない言葉が出た。 「最近は、一人で生活できてるんですね」 「え?」 机の上に乗せられた午前からの残りの書類に手を伸ばしかけた水野は、突然の佐藤の言葉にきょろんと目を大きくして見上げてきた。 (まず・・っ) 下手したら上官侮辱罪だとも言われかねない言葉を口にしたと佐藤は気付き、慌てて取ってつけた様に続けた。 「ほら、最近呼び出されてへんなーて、思うもんですから・・」 これはこれで、まるで呼び出されたがってるかのようではないかと、普段の口八丁の調子が今一出ない自分に内心舌打ちしていると、水野が顔をぱっと輝かせた。 (ん?) 『子ども扱いするな』と渋面を作るだろうと予想としていた表情とは全く正反対の表情をされ、佐藤はあくまでも内心で首を傾げた。 「そうなんだ。助かってるだろ?」 更にはそんなことを言われ、佐藤は本気で困惑する。 「は?」 水野が一人で生活できると何故自分が助かるのか・・いや、自分の時間は元に戻ってきてるのだけれど。 上司の真意が分からなくて思わずポーカーフェイスの崩れた部下の反応は、どうやら水野のお気に召さなかったようだ。途端にむっとした顔になる。 「お前が言うから、呼び出すのも頼むのも止めたんだぞ」 拗ねた響きを持ってそう言われても、佐藤はこの上司に何か文句を言った覚えはこれっぽっちもない。それなのにどうしてこの上司は、まるで自分のために一人で生活を送れるようにしたのだと言うのだろう? 「あの、水野中佐?申し訳ありませんが、何のことだかさっぱり分からへんのですが・・。俺、何か言いましたか?」 その言葉に、水野の表情はますます険しくなる。しかしそれは恐ろしさを含む類のものではなく、単に拗ねていると言った方が良い様な種類のものだったが。 「言ってただろう、休憩室で。自分の仕事は中佐のお守りじゃないと」 「・・・・・・・っあ!」 佐藤の脳裏に、丁度一週間ほど前に同僚たちと交わした他愛も無い会話を思い出す。 『もー、中佐のお守りするために軍隊入ったわけやないんやけど、俺』 確かに自分はそう言った筈だ。その日は運悪く残業の日で、それなのに水野に帰りの車の運転を言い渡されていて。元来デスクワークを好まない性分のため、折角一度仕事場から出られるのにわざわざ残された仕事のためにもう一度戻ってくるのが本当に面倒で、しかも水野はそのまま自宅で休むことができるのだから自分ばかりが損だと、確かに同僚相手に愚痴を言った記憶がある。 「聞いてたんですか?」 じっと見上げてくる水野の茶色い瞳を真っ直ぐに見返せなくて、佐藤は居心地が悪そう視線を逸らした。 「偶々だけどな。お前、そういう文句は直接言えばいいじゃないか。何も俺はお前の仕事時間まで削ろうなんて思ってないんだぞ」 (嘘吐けよ) 咄嗟に佐藤はそう思ったが、それが顔にもうっかり出てしまったらしい。水野の声が重くなる。 「お前がいつでも笑って受けてくれるから、甘えてたんだ。俺はお前が気に入ってるから。だけど、それがお前の邪魔になってるなら、俺は上司として失格だ。だから・・・」 だからなるべくお前に仕事を頼まないようにしたんだと言われ、佐藤は思わず頬がゆるみそうになった。 この上司は、自分のことを気に入ってるから何時も何時も自分を指名してきたのだと言う。それに自分が笑って応えてきたから、まさか迷惑になってるなんて思わなかったと心底すまなそうにして言う。 「あー、と。中佐、あれは仕事疲れした部下の戯言だと思っといて下さい。疲れた部下に愚痴のネタにされるのが、上司の運命だと思って」 そうだ、自分は本気でこの上司の頼みごとを嫌がっていたわけではない。何故なら、何時も何時もこの上司は「命令」ではなく「お願い」してきてくれていたからだ。 送ってくれないか迎えに来てくれないか、アイロンが苦手なんだが頼めるか夕飯に食べたいものがあるんだが作ってくれないか・・・。 決して上司としての立場で「命令」してきていたのではなく、今の様に少しこちらを窺うような視線を投げかけながらそう依頼してくる上司が、佐藤は実は結構気に入っているのだ。 「でも、そういうネタがあるから、いざという時に出てくるものだろ?」 だったらやっぱり俺が悪い、と言う水野に、佐藤は破顔してわざとらしく敬礼の姿勢をとる。 「中佐、少々お伺いしてもよろしでしょうか?」 「うん?」 突然佐藤が敬礼などしたので少々困惑しながら、水野は頷く。 「ワタクシに何か至らない点があって、中佐はワタクシを呼び出されなくなったというこではないのですね?」 「当たり前だ。お前のお陰でちゃんと飯も食うようになって、顔色が良くなったと小島大尉に褒められてるんだぞ」 何を言い出すんだと首を傾げる水野に、佐藤はそのままの姿勢で続けて尋ねる。 「では、今、中佐の家は快適な状態に保たれているのでしょうか?」 佐藤がその台詞を口にすると、水野の目線が軽く泳いだ。 その様子を見て、そりゃ食事は自発的に摂れても家事能力がいきなり上がるわけは無いなと内心苦笑しながら、佐藤は敬礼していた腕を下げて背筋を正した。 「ご迷惑でなければ、ワタクシが中佐の家事を承りたいと思うのですが、いかがでしょうか?」 その言葉に、水野はぱっと視線を佐藤に向ける。その無防備な仕草がどうにも上官らしくなくて、どうかここ一週間の送迎の奴にこんな顔を見られていませんようにと切に願う。 「いいのか?」 ああ、やっぱり家は結構な有様なんだろうなと思いながら、苦労が予想されているのにも関わらず佐藤はにっこりと笑う。 「はい。どうやら俺、中佐の生活がちゃんとなってるかどうか気になってしゃあないみたいですわ。せやから、これからも世話焼かせてもらってええですか?」 「え、でも、お前・・・」 「同僚相手の愚痴は忘れてください。そら、めっさ忙しい時に用事言いつけられたら腹も立ちますけどね、けど、後で愚痴になるの分かってても、それでも俺が中佐の側に居ないと落ち着かないんですわ」 佐藤のその言葉に水野は一瞬笑みを零したが、すぐに何かに気付いたように眉根を寄せた。 「後で愚痴を言うなら、いい」 「まぁまぁ、その辺は置いといてください。惚気みたいなもんですから」 事実、一週間前に愚痴った相手の同僚にも『てめぇ、それは頼りにされてるんだっていう惚気だろ?』と笑われたばかりだ。 「愚痴のどこが惚気なんだ」 しかも何を惚気ることがあるんだ、と憮然とする上司に佐藤は苦笑する。 あぁもう、どうか本当にこの表情を一週間の間に他の奴らに見せたりしてませんように。心の底からそう願いながら、 「今日、お送りするついでに部屋の掃除しても宜しいですか?」 そう尋ねると、水野は深く満足げに頷いた。 「勿論だ」 どこが正しい職場関係だとお思いの方!軍隊シゲ水の場合はこれで正しいんです!!(爆。 軍隊の水野は、可能な限りボケで行きたいです。サイトの中で一番可愛いといわれるくらいに!・・でもこれは、ただの阿保だね・・。 ちなみに振り向いて欲しがってるのはシゲかな。水野中佐の外堀を埋め途中でございます。早く気付いて水野!狙われてるよ!! これはお持ち帰り不可でございます。 |