月下点 スン、と軽く鼻を鳴らして利央が慎吾の肩口に額を擦り付ける。犬かこいつと思いながらも、慎吾はその頭を軽く叩いてやる。 「慎吾サンて、兄貴みたいっすよねぇ」 家では弟なんだけどなと言うと、驚いた様な表情で利央は顔を上げる。 「えー、意外」 目の縁を赤くして、それでも笑いが漏れた利央に今日はもう大丈夫だなと慎吾は熱の篭もった頬を指先で擦ってやる。 「従兄弟に幼稚園児がいるからなあ」 子供の扱いは慣れてんだと笑う慎吾に、幼稚園児と同列かよと利央が頬を膨らませる。そうだ、彼はそんな風に感情を素直に出しているのが似合う。 「泣きべそかいてたくせに」 「慎吾サンが、泣かせたんでしょー」 ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜてくる手を払いのけながら、利央はまだ潤んだ目で笑う。 「かわいくねぇなぁ、このガキ」 軽口を叩き合いながら、慰めもお礼も必要としないこの関係は利央にとって救いだった。和己と準太と、この野球部の仲間とする野球は楽しい。けれど、準太に対する個人的な想いはそんな感情とはまた別で、それは彼と野球をするにはいささか邪魔になる感情だった。 だから利央は野球を選んだ。だけど捨てきれない感情が利央を圧迫して、あのままだったらいつか自分は準太に気持ちを喚き散らしていたかもしれない。 「止めてよ、慎吾サン」 慎吾の存在は、ありがたかった。醜く歪みそうになる準太への想いを、涙で流させてくれる。彼の体温が、今利央には必要だった。 首に絡んでくる腕も背中に圧し掛かる体温も、暖かい。 「うるせ、生意気言いやがって」 そうやってじゃれ合うようにベンチの上で揉み合っていると、外から人の話し声と足音が聞こえてきて、二人はその体勢のまま誰だろうと顔を見合わせた。 「何やってんだ、おまえら」 入ってきたのは和己と準太で、背中に慎吾を張り付かせたまま利央は一瞬固まった。先にさっさと帰ってしまったはずの準太が、何故ここに和己といるのか分からない。 「準サン、帰ったんじゃなかったの?忘れ物?」 けれど、単純に準太がまだいたことが嬉しい利央は、ぱっと顔を明るくして準太を見上げる。 「るっせ、てめぇと一緒にすんな」 しかし準太は何か面白くないことでもあったのか、いつもより低い声で短く答えるだけだ。 「鍵閉めるから、お前ら早く出ろよー」 和己はマイペースにロッカーから荷物を取り出し、三人に声をかける。慎吾は利央の背中に張り付いたまま準太を見上げ、思いの外険しいその目と視線が絡んで内心驚いた。 (へぇ、こりゃぁ、もしかして) そっと利央の背中から離れると幾分その険しさは和らいだものの、試しにふてぶてしいと評判の笑みを浮かべてみると彼の眉間に深い皺が寄った。 (おやまぁ) 近所のおばさんの様な感嘆を胸中で上げながら、慎吾は思わず利央の髪をかき回す。 「ちょ、なにぃ!?」 「利央」 想像以上に硬い声が喉から零れて、準太自身が一番戸惑った。僅かに怯えたような目を向けてくる利央を見下ろして、その目の縁が赤いことに気付く。 (泣いたのか) 慎吾の前で。二人きりで。別に二人の関係がどうこうと、馬鹿馬鹿しいことを考えたりはしない。ただ、自分ではなく慎吾に泣きついた、その事実が腹立たしい。 「帰るぞ」 自分を置いて先に帰ったのは準太の方なのに、いきなり宣言されて腕を引かれ利央は戸惑う。けれど準太はそのままおざなりに慎吾に挨拶をして、さっさと部室を出ようとする。戸惑いながらも転ばないように荷物を慌てて取り上げ、利央は引きずられるようにして部室を出る。 「え、あ、和サンまた明日。慎吾サン、ありがとーございましたー」 その最後の一言が、また準太の眉間に皺を増やしたことにも気付かない利央は、ただ諦めていた準太との下校が叶ってただ嬉しそうに引きずられていった。 「さて、慎吾、お前も帰るんだろ?」 マイペースに利央を笑って見送った和己に促されて、慎吾も立ち上がる。彼が鍵を閉めるのを待ちながら、慎吾はさりげなさ装って尋ねてみた。 「なあ、オレ準太に睨まれた?」 すると和己は可笑しくてたまらないと言うように喉を鳴らして、手元で鍵を弄んだ。 「あんまり利央に構うなよ、準太が拗ねるからな」 後輩には絶対見せないんだろうなと思わせるような笑みと言葉に、慎吾はこれをあの二人が見たら泣き出すのではないかと想像する。 「あいつ、利央の側に一番近いのは自分じゃないと気がすまないからな」 更に続けられた言葉に、こんな台詞準太自身が聞いたら卒倒するなと同情する。悪い人間ではないが、河合和己という人間は人が悪いとは言えるだろう。 「んなもん、利央に彼女ができたらどうすんだっつーの」 「邪魔するんじゃないか?」 あっさりと空恐ろしいことを言い放った和己だが、もしそうならば利央の想いにも望みとやらはあるのではないかと慎吾は空を見上げる。 「だからな慎吾、下手に利央に手を出そうとするなよ?・・・大事なバッテリー候補なんだからな」 最後にまるで付け足しの様に続けられた理由に、慎吾は視線を下ろして前を歩く親友の背中を眺めた。何だか、いつも以上に大きく見える。 「出したら、どうなるんだろうなぁ」 じっとその背中を見つめたままぽつりと吐き出すと、和己は肩越しに振り返って白い歯を見せて笑った。 「そりゃ、馬に蹴られるだろうよ」 やっぱりこの男は人が悪いと、慎吾は再び空を見上げた。 end. . 月下点(げっかてん)、月が頂点に見える地点。 結局準太→←利央の模様。和サンはきっとどちらの気持ちも察してる、けどあえて何もせずに見守ってみた、ていうか、面白がってる気がする(爆。 準太が自覚しないと、どうしようもないからなぁとか言いながら見てるんだ。利央が辛そうだったけどそれは慎吾が何とかしてくれたみたいだから、まぁ大丈夫かとか思ってるんだ。 人が悪い、マジで人が悪くなったよこの和サン!でもこの位が好き(爆。 最初は慎吾の方が人が悪かったんだけど、最近逆転してきた・・何でだろう。 |