野球部だけではないが、部活動をしていれば休日は大抵それに費やされる。丸一日休日という存在は奇跡に近く、逆に何をして時間を潰せば良いのか迷うほどだ。 それでも本分が高校生である以上、試験の前には強制的に部活は休みになる。その度に、学校は球児というものを分かっていないと部員達はぼやく。バットを振らない、球を追いかけない、そんな非日常的な行動は、逆に勉強への意欲を削いでしまうのだというのが彼らの言い分だが、もし試験期間中も部活動を許可したら、それこそ彼らは勉強への意欲どころか試験の存在も忘れるだろうというのが、おそらく学校側の意見だろう。 「準サーン、勉強するんじゃねえのぉ?」 勉強への意欲は沸かなくとも、追試になどなろうものなら部活へ参加できなくなってしまうという理由で、部活動に入部している多くの生徒達と同じ様に利央はだらけた様子で机に向かっている。教科書もノートも開かれてはいるが、その手にシャープペンは握られていない。 「あー?」 利央のベッドに我が物顔で腰掛けている準太の手には、彼が入手し損ねたという雑誌がある。鞄は足元に一度も開かれること無く転がっていて、利央以上に彼のやる気が低いことは明白だ。生返事を返すだけで一向に雑誌から顔を上げようとしない準太に、焦れて利央はその膝ににじり寄る。 「ねー、勉強しないならキャッチしよー」 部活は禁止されていても、野球道具を没収されているわけではない。勉強を見てやるとの理由で上がりこんだ準太が真っ先に雑誌に手を伸ばしたのだから、自分だけが真面目に机に縛り付けられるのは理不尽である、と利央は唇を尖らせる。 「お前は勉強してろ、アホ。こないだの数学の点数、忘れたのか」 学年も違う彼が、何故隠しておいた数学の小テストの点数を知っていたのかは今もって謎であるが、確かに利央は先日のテストで、四分の一以下の点数を取った。勿論、百点満点のテストである。 「忘れてねえけど、数学は二日目だもん」 だから一日目の後に一夜漬けすれば大丈夫と胸を張る利央の腰を、準太は雑誌から顔を上げずに無造作に蹴り付ける。 「てめえのその台詞は聞き飽きた。一夜漬けでも赤ギリっつーのは、お前の頭がいかにお粗末かって話だよな」 容赦なく脇腹にめり込んだ爪先に悶絶しながら、利央は涙目で準太を睨み付ける。 「準サンだって、毎回一夜漬けじゃんか!」 「俺はそれで八割はいってる」 そう返されてしまうと、利央には言葉が無くなる。確かに準太は理数系が得意で、その上毎度慎吾など先輩から上手くヤマを張って貰っている。以前それを知った利央が同じ様に慎吾に頼もうとしたら、お前はそれ以上楽して甘えるなと準太に怒られた。 「なあんか、準サンばっかズルイよねぇ」 椅子の背もたれを抱えるようにして座りなおした利央が、ぶつぶつと文句を言いながらくるくると回り始めると、準太はそれを横目で見やり嘆息する。 「お前なぁ、マジで勉強してろって・・・」 言ってるだろと持ち上げられた足はそのまま利央に届く前に、窓の外より聞こえてきたエンジン音に過敏に反応した利央に避けられた。 「あ!」 勢い良く窓の方を振り返り立ち上がった利央は、机によじ登り窓を開く。何事だと準太が眼を見開く前で彼は窓から身を乗り出し、外に向かって叫んだ。 「やっぱり兄ちゃんだ!」 「呂佳さん?」 年の離れた利央の兄は、既に家を出てはいるがさほど実家から離れた所に暮らしているわけではない。それで時折実家に顔を出すので、しばしば準太も顔を合わせたことはある。 どちらかといえば線の細い容貌をしている利央とは違い、呂佳は精悍な顔立ちで身体もしっかり出来上がっている。パッと見は似ていない兄弟から、そっくりな生活を送る様になったという方が正しいかもしれない。その位、利央は兄に良く懐き、彼らは仲の良い兄弟だった。 「兄ちゃん!」 ベッドに腰掛けたまま利央の背中を見ている準太にお構い無しに、利央は嬉しそうな声を上げると机から飛び降りた。そしてそのまま、部屋を飛び出して行く。 「利央」 バタンと派手な音を立ててドアを開け、利央はそのままドタドタと階段を駆け下りていく。程なくして外にまで兄を迎えに出たらしい利央の声が、開けっ放しで放置された窓から聞こえてきた。 「お帰り兄ちゃん!どしたの、帰ってくるなんてさぁ」 「おー、何だお前、こんな時間にいるなんて珍しいなぁ」 準太からは姿の見えない呂佳の声が、涼しくなってきた外気と共にカーテンを揺らして部屋に飛び込んでくる。準太は窓に寄って外を窺う気にもならず、ただ無言で雑誌に目を戻した。しかしその眉間には、深い皺が刻まれている。 「テスト前だから、部活休み。兄ちゃん、泊まってくんだろ?」 弾んだ利央の声が一旦玄関の開閉音に遮られ、次に家内から呂佳の声が応えた。 「あぁ、明日の昼までいるつもりだ・・て、誰か来てんのか?」 見慣れない準太の靴を目に留めたらしい呂佳の声が聞こえて、準太は溜息と共に雑誌を閉じる。何度か顔を合わせたことのある野球の先輩に、挨拶無しでは失礼だろうと仕方無しに腰を上げる。 「うん、準サンが勉強見に来てくれてんの」 その利央の言葉と同時に部屋を出た準太は玄関が見える階段の上で、軽く頭を下げた。 「ッス、お邪魔してます」 「おー、久しぶりだなエース。調子はどうよ?」 家中に響くような大きな声の呂佳に、準太はお蔭様でと無愛想に応える。試合以外ではそう感情が乏しくは無い準太だが、何故だか以前より呂佳の前では愛想が抜け落ちることがある。 「相変わらず無愛想な奴だなぁ」 しかし呂佳はそんな準太の態度も気にした様子は無く、無造作に靴を脱ぎ捨て大きな鞄を肩に掛け直す。 「ねえねえ兄ちゃん、明日までいるんだったらさ、飯の後キャッチしよ」 ちょろちょろと背中にまといつく利央の頭をやや乱暴に掻き回しながら、呂佳は準太のいる階段の上まで上ってくる。 「お前テスト勉強は良いのか?脳みそ豆粒の癖に」 壁に背中を貼り付けて道を空けた準太の頭も擦れ違いざまに掻き上げ、彼は利央の部屋の隣にそのまま残されている自室に入っていく。 「豆粒ってなんだ!」 それに続いて利央も呂佳の部屋に入って行き、扉越しになった二人の笑い声に準太は盛大に眉をしかめる。 普段は離れて暮らしている兄が思いがけず帰ってきて、嬉しいのは分かる。しかしだからといって一応客である自分をほったらかしにするというのは何事だ。 それまで自分が全く利央に構わず雑誌を読み耽っていたことは棚上げして、準太は舌打をしながら利央の部屋に放置していた己の鞄を開いて、読みかけだった雑誌を利央には無断で突っ込んだ。 「お前、準太ほったらかしてんじゃねぇよ。勉強してんだろ?」 壁越しに諌める呂佳の声が聞こえてきて、準太の眉間の皺はますます深くなる。何かモヤモヤした感情が胸を競り上がって来そうになって、それを誤魔化すように準太は勢いを付けて鞄を持ち上げた。 「え、準サン、帰んの?」 準太が利央の部屋を出ようとしたのと同時に、廊下側から扉が開かれ利央がきょとんと目を丸くしていた。 「お前勉強する気ねえんだろ?俺だって試験なんだよ、いつまでもお前に付き合ってられっか」 吐き捨てるようにそう言うと、利央は慌てた様子で準太の鞄の紐を掴んできた。 「嘘、ごめんなさい、真面目に勉強します!帰んないでよ!!」 「知るか」 「準サン、見捨てないでよ!」 がっちりと紐を掴む利央をそのまま引きずるようにして玄関に向かう準太に、利央はぎゃあぎゃあとすがり付いてくる。それに離せだのウザイだのと暴言を浴びせながら廊下を進む準太とそれをさせまいと粘る利央が攻防戦を繰り広げている間に、玄関の鍵が開けられる音がして高い声が家に響いた。 「ただいまー、ちょっと呂佳帰ってるのー?車出してくれなーい?トイレットペーパー買うの忘れてきたのよー」 玄関前に停めてある車で息子の帰宅を知った母親が、玄関に荷物を置くなり階上に向けてそう叫んだ。 「へーいへい。ったく、偶に帰って来りゃ、便利な足とか思ってねぇんだから・・・」 溜息混じりにそう応える声がして、すぐに車の鍵を掌で弄びながら呂佳が廊下に出てくる。縋りつく利央とそれを振り払おうとする準太の脇を通り過ぎざま、彼は準太の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜて口端を上げて笑った。 「馬鹿な弟で悪いけどな、見捨てないでやってくれよな」 そして軽快に階段を下りていく呂佳の背中を見送り、準太は大きな溜息と共に肩を落とした。同時に準太の身体から力が抜け、利央は彼が帰宅を思いとどまってくれたらしいと表情を明るくする。 「真面目にやるからさ、夕飯も食って行きなよ準サン」 屈託無く笑う利央にもう一度溜息を吐いて、準太は腰に回っている利央の手を思い切り抓り上げた。 さすがに準太ももう雑誌を開くことは無く、ベッドに腰掛けてはいるが自分用の参考書を開いている。利央も分からない分からないと呻きながらも、一応練習問題に取り組んでいた。呂佳と母親が出かけた後の家は再び静けさを取り戻し、室内には利央の呻き声とシャープペンの走る音だけが響いている。 「ねー、準サーン。これどの公式使えばいいのー?」 利央の半泣きの声に顔を上げた準太は参考書をベッドの上に伏せて、利央の背後に立つ。彼の手元を覗き込み問題を読んで、準太は軽く利央の頭を叩きながら数ページ前に載っている公式を指差してやる。 「これをXにしてこっちをYで考えりゃ、この公式そのまんまだろーが」 少し形が変わったからって焦るんじゃねぇよともう一度後頭部に打撃を加えると、痛いと文句を言いながらも利央は律儀にありがとうと返してきた。 俯いて机に向かう利央の後頭部を見下ろして、準太は無造作にその首に指を伸ばした。 「ぅひゃあっ!なっ、何!?」 掠めるように触れた準太の指先に肩を跳ねさせて利央は振り返る。じっと見上げる色素の薄い瞳は無防備で、準太はその目尻を撫でて耳朶を指で挟む。 「準サン?」 そのまま顎に指を滑らせると、利央は驚いた表情を浮かべながらも大人しく瞼を下ろす。準太は腰を屈めて、どれだけ身体を鍛えてもそこだけは変わらず柔らかいままの唇に自分のそれを重ねた。 二度三度啄ばむだけのキスを繰り返すと、焦れたように利央が首だけでなく身体ごと椅子を回して準太に向き直ってくる。そして足りないとでも言うように準太の肘を掴んできた。 「ん・・っふ」 利央自ら開いた唇の間に舌を滑り込ませ、利央のそれを絡め取り吸い上げる様に愛撫してやると、利央の指がぎゅっと準太のワイシャツを掴む。直接肘に力を込めてこないのは、準太が投手だからだ。少しの違和感でも残してはならないと、利央はいつも準太の肘や肩は力を込めて握らない。 「あ、準サ・・ぁ」 上顎や歯列裏を嘗め回しながら薄目を開けると、目尻を赤く染めた利央の顔が見える。完全に身体ごと後ろを向いて、握っていたシャープペンも床に落ちている。 「利央」 唇を離して耳元に口を寄せて囁くと、利央は準太の首に腕を回して抱きついてくる。それをやんわりと外して互いの顔が見える位置まで離れると、準太は満足気な笑みを浮かべた。 「準サン・・・?」 紅潮した目尻、涙を浮かべて潤んだ瞳、乱れた息を吐き出す唇。何もかもが準太を誘って、準太を欲している。 当然だが、利央が兄である呂佳にこんな表情を向けることは無い。それを思うと、準太は利央の首筋に唇を落とした。 「・・・っつ!」 襟から見えるかどうかのギリギリのラインに鬱血の跡を残し、そこを撫でる。いつもならば部活や体育の着替えの時に人目に付いたら面倒だと跡を残さない準太が、嬉しそうにそれを撫で上げる様子に利央は困惑する。 「準サン・・・?どうしたのさ・・」 突然おかしくなったのかと首を傾げる利央に、何でもねーよと返しながら準太は密かに壁を振り返る。そこは今は不在の、呂佳の部屋。 一瞬でも利央に準太の存在を忘れさせた、利央が大好きな呂佳の部屋。 「お前は」 その後に続いた言葉を、利央は自分の耳で聞くことはできなかった。準太が口角を上げて、噛み付くように再度唇を重ねてきたからだ。 (俺のもの) ただその言葉は聞こえなくとも、その時の利央の頭の中には呂佳のことは微塵も浮かんでいなかった。 準太、呂佳さんに嫉妬するの巻。そして利央はきっと、まだ見ぬ準太の弟に嫉妬するんだ。そういうもう、何ていうかどうしようもないバカップルでいい。それがいい。 久しぶりすぎて文章の書き方を忘れてるわ、そもそもキャラを忘れてるわで(爆)、色々大変でした・・。何事もやらないと下手になりますよね・・・あぁ・・・・。 |