各学年が分け隔てなく仲が良いのは、良い事だと慎吾は思う。勿論ある程度のけじめは必要だが、先輩だからというだけで後輩に大きな顔をしたりするのは、彼個人的に好きではない。 その点桐青学園の野球部は、実力があれば学年に関係なくレギュラーに採用するので、上級生を差し置いてレギュラーに選抜される下級生への妬みなどがあるかと言えば、そうでもない。上級生も下級生も混じったレギュラーメンバーだけではなく、ベンチ入りしていない面子も含めて割と学年に関係無く仲が良い。 そういう雰囲気を作ることができるのはさすがだなと、慎吾は自分の部活ながら自画自賛してしまう。 その中でも特に、学年の差など関係無く仲が良い三人がいる。 「準サン、準サン、ネクタイやってー」 一人は控え捕手の利央。スタメンで試合に出ることは皆無と言っても良いが、それだからといって実力が無い訳ではない、一年でベンチ入りしていること自体異例だ。 外国の血が混じっていると言うだけあって色素が全体的に薄く、顔の彫が深い。黙っていればそこそこに見られる容姿だが、その口調はいつも間延びしていてやる気が無さそうで、言動も行動も一年らしくまだ幼い。 「あぁ?てめえ、まだできねえのかよ。こないだ教えただろうがよ」 そんな利央に纏わり付かれているのは、二年エースの準太。下級生は大きな数字を身につけるという桐青の伝統に乗っ取って、背番号は一番ではないが名実共に桐青のエースだ。 試合の最中には無表情で口数も少なくなる故に、外部からは「クール」などという呼び名を頂いているが、実際は結構笑い上戸だったり怒鳴り声を上げたりとごく一般的な高校生だったりもする。 「なんだ、準太はやっぱり高等部に上がっても利央係か」 そう言いながら豪快に笑うのは、野球部を引っ張る主将でもあり正捕手でもある和己だ。部員の人望を一身に集める人格者で、利央が未だ越えられそうに無い優秀な選手。高校三年にしては落ち着いた雰囲気と物言いをする為、慎吾は個人的に”野球部の父”と呼んでいる。ちなみに彼は時には”野球部の母”の役割をも担うという、万能な男でもある。 「だって、自分でやったら歪むんだもん」 「だからって、何で毎度毎度部活が終わる度にオレが結んでやらなきゃなんねぇんだよ」 「はは、相変わらずだなお前ら」 この朗らかに会話を交わす三人が、学年を超えて仲の良い最たる面子だ。中等部からの付き合いだというから、中々年季が入っている。 「でもよお利央、ずっと準太にやらせてたんなら、去年とかはどうしてたんだ?」 背中に纏わり付いている利央を鬱陶しそうに剥がしにかかっている準太と、そうはさせまいと強請る利央との攻防戦に割って入るようにして、慎吾は声をかけた。 「えー?クラスの奴に頼んでたよー。でも準サンに結んでもらうのが、一番しっくりくるんだよねぇ」 おんぶお化けのように準太の背中に張り付きながら、利央は間延びした口調で答えてくる。今一敬語という物が苦手なのか、彼の口調はいつも”ですます”が抜けることが多い。しかしそれは彼のキャラクターのお陰なのか、特に気に障ることは無い。 「うるせぇよ、そんな微妙なことで誉められても嬉しくねぇよ。大体お前、体育の後にわざわざクラスまで来るんじゃねぇ」 「おいおい利央、そんなことまでしてるのか?」 さすがに呆れた声を上げた和己に、慎吾もつられるように目を丸くする。 一年が二年の階でウロウロするだけでも目立つだろうが、その上教室まで行ってネクタイを結んでくれと強請るなど、太い神経をしていなければ中々できることではない。さすが、二年を差し置いて控え捕手になっただけはあるなと、変なところで感心してしまう。 「だって、結局準サン結んでくれんじゃん。ねー、結んでってばー、準サン準サン準サーン」 そう言いながら、利央は何度も準太の肩を揺する。その後ろでは同じく一年でベンチ入りしている迅が、心配そうな顔で佇んでいる。ベンチ入りしているだけではなくスタメンでも試合に出ている彼が、利央を止めようかどうしようかと悩んでいる素振りを見せている内に、先に準太が切れた。 「あーっ、うぜえ!やめろ馬鹿!!」 ガクガクと前後に揺れる視界に気分が悪くなった準太が、力任せに利央を引き剥がす。そして盛大に眉間に皺を寄せたまま、利央の首から垂れ下がっているネクタイに手をかけた。 「オレはてめぇの母親じゃねぇっつーの」 かなり乱暴な手つきでネクタイ毎利央の首を締め上げながら、それでも準太は利央の望みを叶えてやっている。 「苦しいって、準サン・・・」 そして締まる首に苦しそうに喘ぎながらも、利央も利央で嬉しそうだ。 (仲が良いってのは、良いねー) 今日もこの部活は平和だなと、慎吾は和己と顔を合わせて苦笑した。 数日後、グラウンド整備で遅くなる一年が軒並み帰宅した後も、利央はユニフォームのまま慎吾の手元を覗き込んでいた。 「慎吾サン、帰んないのぉ?あ、ちょっとまだ読んでない」 ベンチに座って雑誌を開く慎吾はとっくに着替え終えていて、横から覗き込む利央を邪魔そうに見やる。 「持って帰んのが面倒だから、読んで帰んだよ。つか、お前こそさっさと着替えて帰れよ、準太とカズ待ってんのか?」 正バッテリーの二人は、部活後自主練習の為まだ部室に戻って来てはいない。 「んー、別に約束もしてないんだけどさぁ」 大抵、利央は準太と和己と帰宅している。中等部からそうしているせいか特に約束はしていないが、自然とそういう形になっていると以前和己が話していた。時にはその中に慎吾が混じることもあるが、それだってその場の成り行きで特に今日は一緒に帰ろうなどと言い合っているわけではない。 「どうでもいいけど、とりあえず着替えろよ。オレの制服が汚れるだろうが」 汗臭さは今更大して気にもならないが、ブレザーに土が付くことはさすがに勘弁して欲しい。雑誌を閉じかけて慎吾が嫌そうに眉をしかめると、利央は自分の汚れたユニフォームを見下ろしてから、緩慢な動作で腰を上げた。 「へーい」 そしてロッカーに突っ込んである制服を取り出しながら、やや背を丸めながらユニフォームのボタンを外していく。 「準サンたち、熱心だよねー」 ぱらぱらと雑誌に目を落としていた慎吾は、その独り言の様な呟きにチラリと視線だけを上げる。背は高くともまだ薄い印象の方が勝つ身体を丸めるようにして、利央が溜息ともただの呼吸ともつかない息を吐き出した。 「そりゃ、期待のバッテリーだかんなぁ」 去年の甲子園出場、その前年の一回戦負け。去年の実績がまぐれだなんて言わせない為のプレッシャーは、きっと準太の肩に重く圧し掛かっている。それ以上に、和己の高校最後の夏を、半端なところで終わらせたくは無いのだろう、準太は最近、よく自主練習を和己に頼んでいる。 「そうだね」 答える利央の声は平坦で、二人しかいない空間に硬く響いた。 「・・・・・・・・・お前も早くカズを追い抜かせるくらい、頑張れよー」 一瞬、利央が鋭く息を吸い込む音がして、少し後に彼は意外にも静かに応えた。 「そのつもりだし」 和己に叶わない事を妬むことも無く、学年差を理由にする事無く、ただ上を目差す後輩のその背中が慎吾は好ましいと思う。 頑張れよーと胸中で激励しながら、慎吾は違和感を覚えて雑誌へ移しかけた視線を利央へ戻す。 彼は、手馴れた様子でネクタイを結んでいた。 「おい、利央」 慎吾は雑誌を伏せて腰を上げると、おもむろに利央の背後に近付いた。準太と大して変わらない身長の慎吾が、利央の背後に影を落とすことは無かったけれど、気配は感じたのだろう利央は怪訝そうに振り返った。 「何・・っ?」 その利央の襟元に素早く手を伸ばした慎吾は、歪みなど少しも無いネクタイの結び目をしっかり目撃した。 「綺麗に結べてんじゃねぇか、利央?」 いきなりの慎吾の行動に驚愕の声を上げた利央は、続いた慎吾の言葉にしまったという顔をした。 「誰が、自分で結んだら歪むって?」 数日前、利央はそう言って準太にネクタイを結んでくれと強請っていたはずだ。それなのに今、利央は自分で綺麗にネクタイを結べている。この数日で、利央が練習したとは思えない。彼は準太に結んでもらうことを、あんなに嬉しそうにしていたのだから。 すると利央は一瞬ばつの悪そうな表情をした後、一転して口元に笑みを浮かべて慎吾を真っ直ぐ見返してきた。慎吾は、後輩のそんな表情は見たことが無かった。 「嫌だなぁ、慎吾サンてば。いくらオレでも、一年あれば結び方位覚えると思わない?」 まるで、悪だくみをしているかのような、その表情。 「お前・・・」 利央はネクタイを取られたままの格好で、肩をすくめて見せる。 「準サン以外に、結んで欲しいなんて思う人いないし」 だったら自分で覚えるでしょーと、利央は軽く笑う。 今まで慎吾が見てきた、準太に纏わり付いてはどつかれ、和己に泣き付いては苦笑されていた幼い後輩は、そこにはもういなかった。無邪気に野球に勤しむ、幼い表情もそこには無い。 「この、くそガキ」 思わず口をついて出た慎吾の言葉に、利央は僅かに瞠目してから苦笑した。 「だって、準サンオレのことまるっきり弟扱いなんだもん」 それは確かに普段の様子からも窺えることだが、利央もそれを望んでいるのだと思っていた慎吾はその言葉に再度驚かされた。 「準サンて、弟いるんだよね。だから、後輩の面倒割とよく見るでしょ?だけど、オレそんなの嫌なんだ。ただの後輩で一括りにされたく無いんだ」 確かに準太は、口で何だかんだと言う割には利央の面倒も結局よく見ている。他の後輩に関しても、通りすがりにアドバイスをしてやったり、結構良い先輩だ。 「準サンてね、一度懐に入れた相手には結構甘いし、独占欲強いよ。だから、オレは準サンにしかネクタイ頼まないし、準サンにだけ纏わり付くし我侭も言うよ。準サンにオレが特別手がかかるんだって思ってもらうしか、今のところ方法無いみたいだから」 何の為の方法だとは、慎吾は聞かなかった。何となく、利央の言おうとしていることに察しは付いたが、それをはっきりと聞きたくは無かった。 「でさぁ、慎吾サン。そろそろ苦しいんだけどぉ」 掴んだネクタイに思わず力を込めていた慎吾は、茶色い瞳の利央の瞳を覗き込んだ。そこには、困惑した表情の自分がいる。 「それとも、キスでもされるのぉ?オレ」 間延びした口調はいつもの利央のそれなのに、内容がその無邪気な口調に合っていない。 「野郎にキスする趣味はネェよ」 瞳の中に映った自分に舌打ちをして、慎吾はいつもの自分のスタイルである少々皮肉気な口調を取り繕う。 「そりゃそうだよねぇ。ところでさ、慎吾サン」 利央は女子生徒に天使の様だと称される笑顔以上の、どこか作り物めいた笑みを浮かべた。元が整っているせいかそういう意識して作った笑顔を浮かべると、利央の雰囲気にはどこか凄みが増す。そして秘密を囁く様に、彼は慎吾に顔を近付けてきた。 「今日のコレ、慎吾サンが結んでくれたってことにしてくれない?」 準サンにばれたらもう結んでくれなくなりそうだから、と続けた利央に、慎吾はよっぽどそうなってしまえと言い返してやりたかった。 いや、実際そこで準太と和己が自主練習から戻って来なかったなら、そう言っていただろう。 「おー、お前らまだいたのかー・・・て、何してるんだ?」 端から見れば、慎吾が利央の襟を掴み上げている様にも見える体勢に、慎吾が何かを言うより先に利央がお帰りーと笑った。 「慎吾サンに、ネクタイ結んでもらってた」 その表情はもういつもの後輩利央で、先ほどまでの利央はもうそこにはいない。 「あぁ?てめぇ慎吾サンにまで迷惑かけてんのか」 帽子を脱いで汗を拭う準太の声は、低く不機嫌そうだ。そして慎吾は、その準太の口調にいつもならば考えなかったことに気付いてしまう。 準太は、何だかんだと言いながら他の人間には利央の面倒を見させないなと。利央が纏わり付くのが準太だけということもあるのだろうが、それでも本気で鬱陶しがっているのなら突き放すことはできる。和サンにやってもらえ、慎吾サンのところへ行けと、言うことだって出来るはずだ。 準太は一度懐に入れた相手には甘く、独占欲が強い。 今しがた聞いたばかりの利央の言葉が、耳に蘇る。 「だって準サン、遅いんだもん」 「何でオレが、てめぇの都合で練習時間決めなきゃならねぇんだ」 そう言いながらも、準太は利央が待っていたこと自体については何も言わない。まるで利央がそうすることが当たり前のように、利央が自分を待っていることに何も違和感を持たず、着替え始める。 「明日の朝練の後は、準サンが結んでねぇ」 準太と和己が着替えるのを待ちながら、利央はベンチに腰を下ろしながら身体を揺らす。 「いい加減てめぇでできるようになりやがれ」 利央に背を向けたままそう答える準太の背中を見ながら、慎吾は彼も和己もさっきまでの利央の顔など見たことは無いのだろうなと思った。 仲の良い先輩に懐く後輩、利央のそんな顔以外を見たことがあるのはきっと野球部にはいない。今不可抗力から見てしまった、自分以外には。 幼い子供だ、と思っていた後輩が、実は一番性質の悪い存在だったのではないだろうかと、慎吾は何だか眩暈がする気持ちだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・なんだコレ(爆。 いや、なんていうか、利央の無邪気さはある意味狙ってるんだよとかいうオチだったら面白いかなぁと思ったんですが、予定より遥かに利央がヤバイ(爆笑。 利央はとっくに準太への気持ちを自覚していて、でも準太はまだまだ利央は単なる後輩という意識から脱してなくて(端から見れば結構な独占欲だとしても)、だから利央は無邪気な後輩を演じるしかないのよーっていう話しだったんですが、慎吾サンがとばっちり。 これ、このまま行ったら利準ですかね。まぁそれでも良いんですけど(え。私としては、この後利央は襲い受けになれば良いと思いますが(良くない。 |