どらやき60個下さい。









 運動部の三年生は、大体夏で引退だ。去年の和己や慎吾がそうだったし、今年もやはりそうである。つまり、今年は準太や毅彦の番なのだ。
 夏まで思い切り野球をして、これっぽっちも進路のことなど考えていなかった準太は、夏休みを控えていきなり現実に放り出された。それまで適当に記入してきた進路希望書を真面目に書き、自分の学力と真剣に向き合った結果、必死の学力向上を否応無しに求められることになった。
 それでもそうした状況に陥っているのは準太だけではなく、大体の引退した面々がそうなっていた。
「あー、無理、これ以上単語もイディオムも入んねぇー・・・」
 開いたままの英語の問題集に突っ伏して、準太が呻く。
 休日、部員の中でも特に仲良くしてきた毅彦の部屋で勉強会なるものを開いてみたのだが、午前中は誘惑に負けて先日行なわれた野球部の練習試合のビデオを観てしまった。
 自分達が引退した後の、それまでは可愛いだけだった後輩達の試合というのは、見ていて何やら感傷的にさせられる。自分たちのステージはもうあそこには無いんだと思うと、何だか自分が一気に年を取った気すらした。
「お前、午前中の分取り戻さねぇと、まずいんじゃねぇのか」
 しかし現実はそんな感傷に浸っている場合でもなく、準太は毅彦の言葉にノロノロと顔を上げた。
「わあってんよー・・あーでも駄目だ、やる気出ねえぇえええ」
 大きな溜息も同時に吐き出しながら、準太はわしゃわしゃと髪を掻き上げる。
 今まで、成績は補習が課せられない程度にこなしていれば良かった。なので、赤点ギリギリという教科も少なくなくて、進学を目差している身としては少々遅れを取っている。
「まぁ、身体はなまるよなぁ」
 毅彦も同じ様に溜息を吐きながら、苦笑した。朝から晩まで野球漬けだった身体に、今度は朝から晩まで勉強を叩き込まなくてはいけない。じっとしている時間が授業時間くらいだったことからすれば、これは中々に辛いことだった。
「だろー?あー、野球してぇ、投げてぇ、打ちてぇなぁ」
 ついそんなことを零してしまうと、準太ほどではなくてもやはり煮詰まり気味だった毅彦も、そうだよなぁと相槌を打つ。
「ビデオなんか観たせいだよなぁ」
 そう言いつつ、そのビデオをわざわざ後輩から借り受けてきたのは毅彦だ。
「そういや、お前利央と遊んだりしてねぇの?ビデオ借りに行った時、準サンは元気ですかって聞かれたぞ」
 現役の頃は部活以外でも何かとつるんでいた利央と準太だが、準太が引退した途端に二人は殆ど顔を合わせていない様子に、毅彦は少々驚かされた。
「あー・・・会ってねぇな。あのバカ、二言目にはキャッチしよーとか言いやがるから、勉強の邪魔」
 この煮詰まった状態でそんな誘いをかけられれば、本当に暗くなるまで利央に付き合って遊んでしまいそうで怖い。何より、それを理由に勉強ができなかったと言うのは、格好悪い。
「はは、利央はマジで野球バカだかんなぁ。あいつこそ、来年の今頃死んでんじゃねぇのか」
 洒落にならない予想を立てて笑いながら、結局勉強の手は止まってしまっている二人の元へ、その時チャイムの音が響き渡った。
「誰だろ?」
 首を傾げながら立ち上がる毅彦だったが、玄関へ向かう前にその来訪者の正体は知れた。
「うおーい、タケー準太ー、いるんだろー?」
 開け放した窓から聞こえてきたその声は、去年まではグラウンドでよく耳にしていた声。
「慎吾サン!?」
 驚いた毅彦が慌てて玄関に向かい、準太も思わず腰を浮かせて目を見開いた。
 去年引退した先輩、今は大学へ通っている筈。それこそ滅多に会わなくなったが、試合や合宿の時にはたまに顔を覗かせることもあった。ただ、自分達が受験生になってしまってからは、それこそ顔を合わせる機会はなくなっていた。
「よーう、久しぶりだな、灰色の受験生」
「頑張ってんなぁ、準太」
 毅彦の後に続いて入ってきたのは案の定慎吾だったが、その背後にもう一人見知った顔があった。
「和サン!」
 利央の前に準太がバッテリーを組んでいた捕手、誰よりも準太が尊敬している相手。
 別々の大学へ進学した筈の二人が、卒業しても尚連れ立っていることに少々驚きはしたが、それがまた懐かしい光景でもあり準太の声は自然と弾んだ。
「どうしたんすか、こんなトコに!」
「こんなトコで悪かったな、おい」
 急に目を輝かせた準太に呆れながらも、毅彦は飲み物持ってきますと部屋を出て行こうとしたが、それを慎吾が止めた。
「あーいい、いい、持参だから。つか、差し入れな」
 適当に床に腰を下ろす二人の手にはビニール袋が提げられていて、そこから飲み物のペットボトルや菓子類が顔を覗かせている。
「え、マジすか。すんません」
 頭を下げながらそれを受け取る毅彦に、和己が変わらない笑顔で気にするなと告げる。
 あぁ、この人のこの笑顔はやっぱり人を安心させるなぁと準太は胸が温まるのを感じる。
「やべ、でもコップないっすね。取ってきます」
 そう言って結局立ち上がった毅彦を見送った慎吾は、不意に振り返ってにんまりと笑った。
 あぁ、この人の笑顔も相変らず人を警戒させるなぁと準太は表情を引き締めた。
「いやだなぁ、準太。オレと目が合った瞬間に、険しい顔すんなって」
 そう言いながらじりじりと四つん這いで近付いてきた慎吾は、警戒心剥き出しで後退ろうとする準太を手招きして自分の携帯を取り出した。
「・・・なんすか」
 物凄く嫌な予感はするのだが、そこは染み付いた運動部の上下関係。露骨に眉をしかめながらも、準太は結局慎吾に従って彼の携帯を覗き込む。
「お前にはトクベツな差し入れをな」
 そう言いながら慎吾は携帯を操作して、写メのフォルダを開く。そして、開かれたフォルダには・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・何してんすか、あんた」
 思わず準太の声が低くなった。和己の前で準太がそんな声を出すのは珍しいが、彼は気にした様子も無くただ笑って二人の様子を見守っている。
「いや、こないだちょっとチャンスがあったもんだからよ」
「チャンスって・・?」
 どんどん冷えていく準太の声音に、慎吾は怖い怖いと完全に面白がっている口調で肩をすくめる。
「んな怖い顔すんなって、つーか、んな顔すんなら会いに行けば良いじゃネェか。あいつ、全然構ってくれないっつってたぞ。でも受験だから、自分から我侭は言わないようにしてるって。健気だねぇ」
 その言葉に、準太は苦虫を噛み潰したような顔をした。我侭言いたい放題、甘えたい放題に見える彼が、実はそういった気遣いが出来る人間だということは準太も知っていた。それを知っていて、わざと連絡しなかったのは自分の方である。
 彼とは勿論、慎吾の携帯に無防備極まりない寝顔を晒していた、利央のことである。
「慎吾サンには、関係ないじゃないっすか」
 すると慎吾は開いていた携帯をパクンと閉じて、和己を振り返って口元に油断のならない笑みを浮かべる。
「お前、女房なら旦那の躾くらい、しっかりしておけよなー」
 すると和己はちゃっかり元毅彦の場所に座り、彼が使っていた参考書をぺらぺらと捲っていた。懐かしいなぁと感慨深げに呟きながら、慎吾の言葉に顔を上げてあははと笑う。
「だから今は、しっかりしてんだろ?」
 そう言って意味ありげに笑う和巳に、慎吾が怯む。何だか卒業前よりも親しくなっているような二人の空気に、準太は一瞬怯む。慎吾と和己は卒業してもこんな風に親しげだけれど、それは二人が同じ学年だからだろうか。自分と利央は、どうなるだろう。
 それを考えると、準太はいつも利央への連絡を取りそびれる。
「何でお前はそういう・・・まぁ今はその話は置いておいて。準太、メールだけでも良いから連絡してやれよ。あいつだって、無理に会いたいとか何とか言わねぇだろ?」
 それは分かっている、分かっているけれど、自分が駄目だという自覚があるのだ。
 勉強に身が入らないことを、利央のせいにはしたくない。けれどきっと彼に会えば、とりあえずは勉強のことなど頭から抜けてしまいそうだ。
 だからなるべく、連絡を取らないようにしてきた。卒業してしまえば、これが当然の生活になるのだと言い聞かせながら、利央の気配のしない生活に慣れようとしてきた。
「なあ準太、続けようと思えばいくらでも続くし、駄目だと思ったらそこで終わりだぞ」
 無意識に唇を噛み締め俯いてしまった準太に、和己の優しい声が届く。
「お前一人の話じゃないんだから、ちゃんと話さないと駄目だ。バッテリーがコミニュケーション不足じゃ、話にならないだろ?」
「・・・・・・・・・・・はい」
 利央とのバッテリーはとっくに卒業しているけれど、和己や慎吾にとっては二人はいつまでも息の合うコンビでいて欲しいのが本音だ。だから、陣中見舞いを兼ねてこうして準太の顔を見に来た。
「いつまでもほっておくと、今度はキスマークばっちり付いた画像、送っちまうぞ」
 揶揄した慎吾の言葉に、準太は目元を険しくして慎吾を睨み付ける。
「つか、大体何で慎吾サンがあいつの寝顔なんて撮ってんすか」
 昔撮ったものではなかったことは、先ほど見たときに利央が私服だったことからも明白だ。恐らく利央か慎吾の部屋で、彼が転寝をした時に写した物だろう。
「んな怖い顔すんなって、こないだ久しぶりに遊びに行ったんだよ。そしたら散々準サンが構ってくれないって愚痴った挙句、寝ちまったんだって。何もしてねぇぞ、その時は」
 最後まで余計な一言を忘れない慎吾を和己がその辺にしておけと、諌める。
 慎吾はへーいと気の抜けた返事をして、もう一度携帯を取り出した。
「とりあえず、この画像はお前の携帯に送ってやるから。後は自分でコレクションしとけ」
 そう言って慎吾が携帯を操作した直後、鞄にしまってある準太の携帯がメールの着信を知らせた。
 それを聞きながらぼんやりと、そう言えば利央専用にしてある着信音を本当にしばらく聞いてないな、と準太は思った。
 仕方が無い、慎吾に踊らされたようで癪だけれど、今日の夜は久しぶりにメールでもしてみるか。きっと直後に驚愕しながらも喜んでいるという器用な真似をした利央から、電話がかかってくるだろうと思うと、それもまぁ、たまには悪くは無いかと思うのだった。

end.










 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?毅彦はどこへ?(爆笑。多分コップを持ってドアの外で待ってるんだよ、キスマークとか聞こえてきちゃったから、入るには入れないんだ(可哀相。
 受験体制に入って、いきなり距離のとり方が分からなくなる準利。中等部から高等部には、試験はあったけどそんなに厳しいものじゃなかった(と思われる)ので、大学受験に入って、どの位距離を取ったら良いのか分からなくなって、結局音信不通状態。
 見かねた先輩二人、仕方が無いので助け船。手の掛かる子たちだこと!!ていうのが書きたかったのですが、何か、不完全燃焼気味ですいません・・・。
 タイトルは単に、以前こう言いながら差し入れを買いに来たお客さんがいたので、そこから貰っただけ。つまりは「差し入れ」という意味ですね。はい、ひねりもなにもありませんね。