主よ、彼らの上に祝福を。







 


 単なる新学期を迎えた時と変わらないテンションと、新しい環境への緊張感がない交ぜになっている一年生の教室が並ぶ廊下を歩きながら、準太は胸中で舌打ちした。
(どこに行ってんだ?あの馬鹿)
 休みという話は聞いていない。今朝、煩いくらいに部活の開始時間の確認メールが送られてきていたのだから、あれから直後に体調を崩したということも無いだろう。
「準サン」
 後ろから呼びかけられて振り返ると、そこには利央と同じく中等部からの後輩の姿があった。
「迅、利央知らねぇ?」
 すると彼も困ったように眉を寄せながら、それが、と零す。
「入学式自体に出てなかったんスよね、あいつ。今日から早速部活できるって張り切ってたのに」
 やはり、式の最中に彼を見かけなかったのは見落としたわけではなかったらしい。
 一体どこに行ったんだと首を捻る後輩に、準太も眉間に深く皺を寄せる。わざわざ迎えに来てやる義理は無かったが、ほんの少し、高校生になった利央を見てみたかったというのが本音。制服のデザインは変わらないしネクタイの色が変わるだけだが、なんとなく、中学生から高校生になった彼を見てみたかった。
 だからわざわざ足を運んでやったのに、と不機嫌そうに嘆息した準太の耳に、階段の方から騒がしい声が聞こえた。
「マジだって、礼拝堂にさ」
「そんなに可愛いの?」
「超可愛い!写メ必須だよー。」
 その言葉に、何か引っかかるものを感じて迅が準太を見やると、彼もまたそちらの方に首を巡らせていた。
「なに、礼拝堂になんかあんの?」
「利央君が寝てんの!」
「マジ!?うわー、見に行こう!」
「え、誰?」
「中等部からの子でね、可愛いんだよ!男子なんだけどさ!」
 迅と準太はその会話を一通り聞いた後、バタバタと駈けて行く彼女らの後姿を見送った後で大きくため息を吐いた。
「あの、馬鹿・・・っ」
 迅に、先に昼飯を食っていろと言い残して、準太は先に行った女子達を追いかけるようにして階段を下っていった。

 礼拝堂は、高等部の敷地内にある。中等部の頃から通いなれた道を歩いていくと、礼拝堂の脇の方から人の声が聞こえてくる。
「うわ、マジ寝てる」
「かーわいいーー」
「あー、でも中暗いから写メ映りにくいなー」
 男子も女子も関係なく、十人少しがそこに集まっていた。準太は小さく舌打ちをして、人だかりの背後に近付いていく。放っておけば、まだ増えるかもしれない。
「ちょ、悪い」
 嫌そうに眉をひそめる女子を押し退けて窓に近付き目を凝らすと、窓に一番近い椅子に寝そべっている人物が見えた。
(あー、アホ面・・・)
 色素が薄くふわふわとした髪、同じ色をした瞳は今は閉ざされていて、綺麗に生え揃った睫毛が頬に陰を作っている。半開きなった厚い唇は無防備に呼吸を繰り返し、白い肌の上に天井近くのステンドグラスが様々な色彩を落としている。
 こうして見れば、確かに整った彫りの深い顔をしているのだなとつくづく思う。普段は大口を開けて欠伸をしたりギャンギャンと目に涙を溜めて喚いたりしているので、容貌についてどうとは思わない。まあ、嬉しそうに笑う顔を可愛いなとは思ったり、その柔らかい髪の触り心地が癖になったりはすると思うけれど。
「あー、近くで見たいっ」
「入ってみよっか?」
 ジャラジャラと携帯にストラップを付けた女子同士が、まるで可愛いマスコットを見付けたようなテンションで話しているのが耳に入り、準太は大股で窓辺を離れる。
 入り口の方に回って、重い扉を押し開ける。真っ直ぐに真ん中の通路を歩き、先ほど覗いていた窓の一番近い椅子、つまりは利央が寝ている場所にたどり着く。
 天使のよう、とはよく言ったものだ。礼拝堂に彼の若干日本人離れした姿はあまりにも嵌りすぎていて、準太が来るまで誰も入って行けなかったらしい。
 窓から注がれる視線を感じながら、準太は暫しその寝顔を観察した後で思い切り椅子の下から蹴り上げた。
「起きろ、この阿呆!!」
 ガンッと大きな音が天井の高い礼拝堂に響き、利央は目を見開いて飛び起きた。
「何!?・・・・あれぇ、準サン?」
 ぱか、と開かれた大きな瞳は、きょとんと準太を見上げてくる。それだけで何やら神々しさすら漂っていた雰囲気は相殺され、利央はただのちょっと顔の可愛い高校一年生になる。
「あれぇじゃねぇよ、入学式にも出ねぇで何してる」
 探させやがって、とは言わずに準太は椅子に足を投げ出したままの利央の頭を殴った。
「って!え、嘘、今何時!?」
 ようやく利央は自分が寝過ごしたらしいことを悟ったのか、慌ててズボンのポケットから携帯を取り出そうとするが携帯は床に落ちていて、無い、と騒ぐ彼に準太が拾って渡してやる。
「もう昼だっての」
「うっそ!あ、ありがと」
「ホント」
 携帯のディスプレイで時間を確認して、利央はうわーと間の抜けた声を出す。そして呆れ顔で見下ろす準太に、ごまかし笑を浮かべながら説明した。
「今朝、早く来すぎてさぁ・・。今日から朝練みたいな気で起きちゃって。んで、時間あったから寝てたんだけどネェ・・・」
 びっくり、と笑う利央に、準太は渋い顔で本当に阿呆だこいつという思いを込めて溜め息を吐く。それを察したのか、利央は唇を尖らせながら椅子の上で背中を伸ばした。
「いいじゃん、部活には出られるんだしサァ。オレ、その為に来たんだし。中等部からの持ち上がりなんて、新学期と別に変わらないもん、入学式なんて」
 それはそうだが、と言い掛けて、準太は利央のネクタイが臙脂から青に変わっていることに気付いた。
 じわりと、こいつも高等部に来たんだなという実感が沸いてくる。自分と同じ、高等部に、ようやく。
 頬が緩みそうになって思わず視線を上げると、窓辺にまだ張り付いている面々と目が合う。互いに慌てて逸らしてから、どうかしたのかと見上げてくる利央を促して立たせる。
「寝るなら場所選べ」
 準太は極力窓の方を見ないように努めつつ、利央の乱れたブレザーの襟とネクタイを整えてやる。
「なんで?だって今年からここ、入り放題じゃん。嬉しくてサァ」
 礼拝堂へは高等部の生徒は大体出入り自由になることが、生粋のクリスチャンである利央には嬉しいらしい。
 それは全く構わないが、しかしこういう事態が起こる可能性があるから困るんだというように、準太は窓の方を顎で指した。
「目立つんだよ、お前」
「え?うわぁっ、何この人たち!!」
 その時になってようやく気付いたらしい利央の台詞を置いて、準太はさっさと踵を返す。とっととこの場から立ち去りたいと思いつつ足を進めた準太だったが、背後で突如悲鳴が上がって足を止められた。
「何だよ!」
 勢い良く振り返った先では、利央が困惑気に肩を強張らせていた。
「何か、手ぇ振り返したら叫ばれた・・・・」
 どうしようと片手を上げたままで固まる利央につかつかと歩み寄り、準太はその右手を下ろさせて強引に腕を引いた。
「振り返すな!置いてくぞ!」
「何なの、あの人たちィ・・・」
 本気で怯えたように呟く利央に、また暫く煩い噂が立つんだろうなと思うと準太はげんなりした。
 中等部からの持ち上がりが多いとはいえ、高等部からの入学者も多い。きっとまた、”天使のように可愛い一年生”という噂が立つだろう。
「お前の見てくれに騙されてる、可哀相な人たちだろ」
「え、何そのオレが悪いみたいな言い方。オレの方が被害者じゃないの?」
 外見だけで判断されて迷惑だと不満げに漏らす利央に適当に相槌を打ちながら、掴んだままの腕の感触に懐かしさを覚えつつも、準太は疲労を感じた。
(またオレが、こいつの面倒を見るんだろうなぁ・・)
 全く進歩無しに阿呆なままな後輩に軽い眩暈を覚えながらも、準太はその腕を放す気にならなかった。
 ステンドグラス越しに差し込む様々な色の光が、彼ら2人の背中を明るく照らしていた。









 利央、入学式ボイコット(笑。中等部のネクタイが臙脂で高等部は青というのは、桐青のモデル校を参考にしています。
 実際にはどうなんだろう・・・。
 何だかんだで面倒見のいい準太が好きです。