愛してると言ってくれ







 
「俺のこと愛してますか」
 と問われたら、
「豆腐の角に頭ぶつけて死ね」
 と返す自信がある。
 実際に、
「俺のこと好きですか」
 と聞かれて、
「和サンは好きだけど」
 そう答えたことがある。
 そん時だってかなり凹んでたくせに、それでもお前はまた繰り返すんだ。


   朝練が終わって制服に着替えて、また放課後までボールに触れないのかと重い鞄を肩に掛けたところで、やや日本人離れしたはっきりした顔立ちの後輩が背後から追ってきた。
 そして快活に笑って、まるで挨拶のように告げられる次の台詞をオレは覚えてしまっている。
「オレ、準サンのこと好きっスよ」
 耳にタコができるなんて言葉が真実だとしたら、きっとオレの耳はとうにタコに埋もれて聞こえなくなっている。それでも現実にはタコはできずに、オレの耳は今日も明瞭にこいつの声を拾い上げる。
 何かを期待するような目を向けてくる中等部からの付き合いであるその後輩に、オレは一瞥も与えずに言い返す。
「オレは和サン好きだけど」
 それを聞いた後輩の反応は、見事なくらい予想通り。悔しそうに唇を噛んだお前は、それでも今日は頑張った。
「準サン、オレと和サン差別しすぎ。和サンだけでなくて、他の人にも優しいのに。何かオレにだけ冷たくない?」
 よく分かったな、そうそう間抜けでもなかったか。とは言っても、あれだけ露骨に差を付けてて気付かない方がどうかしてるけれど。
 いつもより食い下がったその根性に免じて、オレはにっこり笑ってやる。
「愛があるからさ」
 それは紛れも無く本心で、それをどう解釈しようと奴の勝手だ。
「・・・・ひっでえ」
 本当に悔しそうに傷ついたように瞳を揺らしたお前が、この後向かう先なんて予想済み。
 きっとお前曰く、恋敵の和サンのとこ。ライバル(らしい)に泣きついてどうすんだろ、馬鹿だよな。
 本当に、馬鹿な利央。
 っした、と俯いて追い抜いていくいつの間にか広くなった背中を見送って、オレはゆっくりと教室に足を向ける。
 今日も、いい天気だ。


 桐青学園高等部野球部主将である和己は、困っていた。早朝に母が作ってくれた弁当を平らげ、それでも足りずに購買でパンを購入して、さあ第二ラウンドだと心なしか足取りも軽く教室に戻ってみれば、自分の席では見慣れた後輩が器用に椅子の上で体育座りをして膝に顎を埋めて待ち構えていた。
「和サーン」
 その情けない声音に、あぁまた準太が何かやったなと思い、その「何か」にも大方予測が付いている自分に、胸中で嘆息した。
「どうした、利央。飯は」
 朝あれだけ練習して放課後にまた練習するのだから、昼はきちんと食べろよと主将と言うよりは父親のように諭す和己に、利央は食べましたと小さく返す。そして和己の椅子から降りた彼は所在無さ気に机の横に立って、ブレザーの裾をぎゅ、と握った。
 中等部の頃に比べれば格段に背も伸びて男らしくなったと思うのに、こういう仕草が少しも違和感無く、まるで柴か何かの子犬に見えてしまうのは何故なんだろうなとどうでもいいことを思いながら、和己は買ってきたパンを机に広げてその内の一つに手を伸ばす。
「で?また何かあったのか?」
 一口頬張ってそう切り出してやると、利央はブレザーの裾を握っていた手を離してダンッと勢い良く机を叩いた。
 ガサッとパン袋が互いに揺れて音を立てたのに、周囲のクラスメイトの数名が驚いたようにこちらを見やったが、利央も和己もそちらを気にする様子は微塵も無い。
 特に利央は、ここが誰の教室なのかも失念しているのか、まるで和己に掴みかからんばかりにまくしたてる。
「あの人、酷くないっスか!?前はあそこまでじゃなかったっスよ!?オレが何度好きだっつっても、何回酷いっつっても、あの人二言目には”和サンなら好きだけど”ですよ!?だったら何で、オレと付きあってんだって話でしょ!?」
 付き合ってたのか、と問い返したくなった和己だったが、ここでそれを聞いては何だか利央が泣き出しそうな気がして止めておいた。
「そりゃ、告白したのもオレだし、先に惚れたのもオレっすけど!でも、少しくらいちゃんと応えてくれたっていいと思いません!?あの人、一度だって言ってくれたこと無いんすよ!?」
 利央が相手の個人名を出さないのはまだ理性が残っている証ではあろうが、それがいつ飛ぶかも分からないくらいの興奮ぶりに、和己はただ片手で彼を抑える仕草をするしかない。
「今日なんて、何て言ったと思います!?和サンとオレとの扱いが違いすぎるって言ったら、愛があるからなって言ったんスよ!?何々スか、もう!!」
 それとも、まさか実は付き合ってるんですか、と胡乱気な目を向けられて和己は慌てて否定した。
 そんな恐ろしい誤解で、後輩から嫌われては堪らない。彼とは確かにバッテリーだし、時には”夫婦”と称されることもありはするが、あくまでも私生活では親友なのだ。
「大丈夫だって。あいつはそもそも好きじゃなければ、付き合うなんてことすらしない。分かってるだろ?そういう奴だって」
 二袋目のパンに手を伸ばして宥めるような声音で微笑むと、利央は少し落ち着いたのか肩で息をしながら、和己をじっと見つめた。
「そう、思ってました。でも、最近分かりません」
 いつも元気な彼の、沈んだ声を聞くのは辛かった。しかし、こういうものは当人同士の問題で、当人同士が心を決めなければ周囲が何を言っても無駄だということも分かっている。
「ただの後輩にしか思えないなら、振ってくれた方が良かった。下手な同情で、付き合ってくれてても嬉しくない」
 軽く唇を噛んで俯いている彼のくせっ毛に手を伸ばしかけて、立っている彼のそれには届かないと気付いて和己は彼を手招きする。
 軽く首を傾げながらも素直に従って上体を倒してくる利央に、和己は笑ってその頭を掻き混ぜた。
「そう悲観的になるなって。大丈夫、あいつはちゃんとお前が好きだよ」
 それは単なる慰めでは無くて、準太の人となりをある程度知っているバッテリーが自信を持って言えることだった。
「オレが言うんだ、信じなさい」
 利央は上体を倒して頭を撫でられている体勢でじっと和己のことを見つめ、そして暫しの沈黙の後こくんと頷いた。
「和サンが言うから信じるとか、悔しいけど。でも、やっぱ和サンが言うなら、信じます」
 そう言ってくしゃりと笑った後輩に、純粋にあぁ可愛いなぁと思う。中等部から準太や和己に懐いていた後輩は、どれだけ身長が伸びようとも彼にとっては可愛い存在だった。
 それは、準太にとっても同じだと思うのだけれど。
「ありがとうございましたっ。じゃ、お邪魔しました」
 少し元気が出たらしい利央を、また放課後でと手を振って見送る。
 教室の扉でもぺこりと頭を下げる彼は、何気に三年のお姉さま方にも人気だ。去り際に黄色い声で名前を呼ばれて、照れたように破顔する様子が、でかい外見とはギャップがあってそれがいいのかなと和己はぼんやりと思った。
 三つ目のパンに手を出しながら、利央が言った言葉を思い出していた。
『和サンとオレとの扱いが違いすぎるって言ったら、愛があるからなって言ったんスよ!?』
 そしてその台詞を吐いた後輩を思い浮かべて、和己は深い溜息を漏らした。

「ありあとざいやしたーー!!」
 部活の最後にグラウンドに向かって部員全員で頭を下げて、部活は解散になる。
 以前これを聞いていたクラスの奴が、何て言ってんのと聞いてきたことがあったなと利央は思い出した。
 何のことは無く、ただグラウンドにお礼をという意味で”ありがとうございました”と言っているだけなのだが、大分簡略して大勢で言うので聞き取りにくいらしい。
 そんな下らないことを思いながら一年の仕事である片付け及びグラウンド整備に加わろうとした利央は、視界の端に準太と和己を見つけて思わずそちらに走り寄った。
「準サン!」
 今朝、あれだけ酷いことを言われて落ち込んで和己の元にまで行ったというのに、やはり自分はこの人が好きだなぁと、振り返った準太を見てしみじみと感じる。
「帰り、どっか寄りましょうよ」
 屈託無く笑うその顔を見て、準太は思わず噴出した。彼の頭と尻に、犬の耳と尻尾が見えた気がしたからだ。
「何スか」
 噴出したのが気に障ったらしく、途端に膨れ面になる彼がまたおかしくて、準太は片頬を上げる。
「別に。でもなー、お前と放課後デートなぁー、どうすっかなぁ。和サンいるならまだなぁ」
 その言葉に、利央は自分の顔が強張るのを感じた。また、和己か。どうして。
 そこまで自分と居るのが嫌なのならば、付き合ってくれなくてもいい。好きだけれど、好きだから、こういう返され方は酷く辛かった。
 そんな利央の表情を察したのか、次に口を開いたのは和己だった。
「準太、いい加減にしとけよ」
 その言葉に準太はばつが悪そうに口を歪め、和己に向かって何かを言いかけてそして止めて、利央に向き直る。
「分かったよ、行くよ」
 途端に頬が緩む自分は、大概単純だとは分かっているがそれでも嬉しいと思う気持ちは止まらなかった。
「マジっすか!?マジですよね!先帰んないで下さいよ!そしたらオレ、泣きますからね!」
「うっせぇな、早く行けよ。待ってる時間が長引くだろうが」
「ッス!」
 垂れていた耳と尻尾が元気を取り戻し、尻尾がブンブンと振られている幻覚を見た気がして、準太の隣で和己は声を殺して笑った。
「いや、凄いな利央は。マジでお前が好きなんだなぁ」
 息子の成長を喜ぶ父親の様な声を上げた和己に、準太は何だか責められている気分になって彼を一瞥する。
 すると和己は苦笑して、準太の肩をポンポンとリズミカルに叩いた。
「あんまいじめてやんなよ。いくら愛があるからってな」
 それに答えられずに慌てて視線を逸らした準太に、彼は豪快に笑って、知ってるよ、と言った。
「お前がどんな意味で言ったかなんて位、分かるって。夫婦だからな」
「・・・ッス」
 被っていた帽子を更に目深に被り直して、準太は素早く踵を返した。
 その背中を微笑ましく思いながらそれに続く和己は、利央の苦労がまだまだ続きそうなことに心の中で合掌した。


 夕飯が待ってることは分かってるけれど、部活後の胃には夕食以外にラーメン一杯位は余裕で入る。
 利央とラーメン店からぶらぶらと帰りながら、オレは利央の視線を感じて振り返る。
「何だよ」
 いつもなら利央はオレの隣を歩いて、いつの間にかできた憎らしい身長差をまざまざと感じさせてくれるというのに、今日は何だか数歩後を歩いている。
「準サン。オレのこと好き?」
 オレは前にも告げた答えを吐きかけて、ついさっき和サンに言われたことを思い出して口を噤んだ。
 別に、こいつが何を思ってまた和サンに泣きつこうとオレには関係ないけれど、でも、和サンに言われた言葉と目の前の利央の表情に、何だかそれを言うのは躊躇われた。
 だから代わりに、
「お前は、オレのこと好きか?」
「好きっスよ」
 間髪入れずに利央の答え。あまりの馬鹿さ加減にオレは何だか笑いたくなった。
 馬鹿な利央。あれだけ軽くあしらわれて酷いこと言われて、何でそれでもそう答えられるんだろう。
 いつまで、そう答えられるんだろう。
「馬鹿な奴」
 利央の問にそのまま答えず、オレは踵を返す。
 背後で慌てた利央が付いてくる気配を感じたけれど、振り返りはしなかった。
 空を見上げて見ると、珍しくいつもより多めに星が見える気がした。
『準サン、オレ、あんたのこと』
 初めて告白してきた時の利央の真っ赤な顔を思い出して、空を見上げて1人で笑った。
「準サン」
 呼ぶその声が心地良いなんて、きっとずっと教えてやれない。
 オレは、駄犬を一頭飼っている。どんなに虐げられてもオレが好きだと繰り返す、馬鹿な犬だ。









 えー・・・と、ごめんなさい(まず謝ってみる。
 準さんは歪んでるんだっという主張を、同居人に送りつけた結果です。そして実は、これが初めて書いた準利だったりします。この位の準サンのテンションが理想なのですが、どうも最近は準サンが甘すぎる・・!!初心に帰ろう。