何だかよく分からないが笑い声が上がっているバラエティ番組の傍らで、神楽が舟を漕いでいることに新八は気付いた。 「神楽ちゃん?そろそろ寝たら?」 時刻は子の刻、今で言う夜の十一時過ぎだ。いつも思い切り外で遊びまわっている彼女は、夜は早く朝は遅い。寝る子は育つと言うのだからそれでもまぁ悪くは無いだろうと、同じ様に朝遅い上司に対する厳しい態度とは真逆に新八は彼女に寛容だ。 「んー、でも銀ちゃんまだ帰ってないアル」 眠そうに目をこする神楽に、その背後に控える巨大犬定春もつられたように大きく欠伸をした。 「もしかしたら、今日も午前様かもしれないよ。僕が待ってるから、神楽ちゃんはいいから寝なよ。夜更かしはお肌にも悪いよ」 今日は久しぶりに依頼のあった日で、しかし一人で事足りると言われたのでまたもや熾烈な戦いがここ万屋では繰り広げられた。結果として負けたのは一応ここの社長というか所長である銀時で、新八と神楽は高笑いと共に彼を見送った。 「・・・分かったアル、乙女の肌は一日にしてならずアル。連絡も無しに午前様なんて銀ちゃん調子に乗ってるネ、新八、しっかりふんどし締め上げるヨロシ」 「やだよ、そんなもの締め上げるの」 もう半分瞼が下がってしまっている彼女を苦笑しながら寝床である押入れへ送り込み、新八はもしかしたら彼女は、手綱を締めろと言いたかったのだろうかと思い当たる。 「うわ、ツッコめなかったよ」 微妙に間違えた言葉を覚えてくる神楽の台詞は、時折解読に時間がかかる。それでも大分瞬時にツッコミ、もとい訂正することができるようになったのだが、まだまだ修行が足りないらしい。 (ていうか、どこで覚えてくるんだろう、ああいう言葉) どんな遊びをしているのかと苦笑しながら、新八はもう煩いだけになっているテレビのスイッチを切った。そして冷めてしまったお茶を飲み干し、新しく淹れる為に腰を上げた。と、同時に階段を上がってくる足音が新八の耳に届いた。 「あ、帰って来た」 間違えようも無く、その千鳥足は銀時の足音だ。上っては下り、上っては下りを繰り返して中々二階にあるこの事務所兼自宅に辿り着かないらしい。 「あーんだよ、コノヤロー、主人の帰りを妨害ですかってんだ、バーロー」 呂律の回っていない意味不明な言葉を吐きながら銀時は玄関に何とか辿り着き、そして開いていると疑いもせずに玄関を開ける。 居間から漏れる光が見えているのだろうから、新八が残っていることは明白だったが、例え彼が先に寝てしまうことがあっても、銀時はきっと玄関が開いていることを疑わないだろう。その位には、銀時は新八と神楽のいる生活に慣れてしまっていた。 「お帰りなさい、うっわー今日もまた酒臭っ。ていうか、奈良漬ですかアンタ」 銀時がフラフラと階段を行き来している間に新しいお茶を淹れ終えて、ついでに銀時の分まで淹れてしまってから新八は玄関へ迎えに出る。 「おー、たでぇまぁ」 午前様になる時ほど酔ってはいないようだが、もう既に立派な酔っ払いである。座り込んでブーツを脱ごうとするももたついて、上手くできない。そのことにまた暴言を吐きながら、銀時は首を後ろに倒して逆様に見える新八ににへっと笑った。 「奢りだったから、銀さん身銭一銭も切って無いから」 「当たり前でしょう。僕らの給料踏み倒しておいて、自分ひとりで飲んだくれてきたらそれこそ出るとこ出ますからね」 ブーツを脱いだはいいが腰が抜けたように立ち上がらない銀時に溜息を吐きながら新八は手を貸し、自分よりも遥かに重い男を支えて居間に向かう。 「ホント酒臭い、アンタ先に風呂入って下さい。ていうか、風呂なんてとっくに冷めてると思うんで、シャワー浴びてきてください。この状態で寝たら、明日の朝篭もった匂いだけで貰い酔いしそうだよ」 どさりと投げ出すようにソファに腰を下ろした銀時を見下ろして、新八はすっかり知り尽くした銀時の私室である和室の襖を開く。 「新八ー、いいから水ー。水くれよ、先にーー」 「お茶があるでしょう、目の前に。それ飲んでて下さいよ、年寄りは夏でも熱いお茶が良いんですよ」 「てっめ、銀さんまだまだ現役よ?ぴちぴちだっての、このやろー」 「はいはい、腹がぴちぴちになる前に、酒もほどほどにしなさいよこのやろー」 和室の箪笥から洗い立ての銀時の夜着を出してきて、新八はばたばたと風呂場へ向かう。間違えて彼が浴槽に浸からないように、冷えてしまったお湯を抜いて念の為蓋もする。 「誰がビールっ腹だぁ。俺の素晴らしい腹筋を見てから言えや新八ぃ」 居間ではまだ銀時が何やら管を巻いているが、そんな酔っ払いの戯言に一々構っている暇は無い。夜着を脱衣所に用意してから居間に取って返し、ちびちびと酒を呑むかのような仕草で湯飲みを傾けている銀時に、さっさと風呂へ入れと指示する。 「えー、めんどいー」 もういいじゃん、眠いのよ、寝かせてよと駄々を捏ね始める駄目な上司に、新八はにっこり笑ってその柔らかな髪質の頭を掴んだ。 「い・い・か・ら。その駄目な大人代表の匂いを落として来いっつってんだ、この駄目上司。そんな匂いぷんぷんさせてたら、明日の朝神楽ちゃんに奈良漬と間違えられておかずにされるぞ」 何よりも白米と漬物を愛する少女の鉄の胃袋と見境の無い食欲を想像し、もしかしたら本当に噛み付かれるかもしれないと銀時は酔った頭でぼんやりと思った。 「わーたよー・・入ればいいんだろ、入ればー。ったく、お前ここの主人は誰だと思ってんだ、ちくしょー。減俸すっぞマジで」 「そう言う台詞は、一度でもまともに給料払ってから言いやがれよ、くされ上司。あんた家賃と給料どれだけ溜めてるのか言ってやろうか、おい。酔いも醒めるでしょうからね」 いや、折角いい気分だから止めて、と肩を落として呟いた銀時は、それでも何やら口の中でもごもごと呟きながら風呂場へ向かっていった。 「全く・・・一仕事だよなぁもう・・・」 これも仕事のうちなんだろうか、ていうかこれはもう助手の仕事の範疇を超えてるよね、と新八は空になった湯飲みを下げながら思う。 銀時が飲みに出てしまうと、夜新八が帰った後神楽が独りになる。それも可哀相だし、何よりあの男は鍵を持って出かける習慣が無い。今まで彼一人だったのならばそれで良かったかもしれないが、今は違う。 神楽が鍵を閉めて寝てしまえば彼女は余程のことが無い限り起きてこないし、かといって開けたまま寝れば無用心だ。それについて銀時に文句を言ったことは何度と無くあるのだけれど、その度にこの家には盗られる様なものは何も無いし、神楽が女だと言っても並みの輩にどうこうできるわけがないだろうとやり返されてしまった。 それはそうだろうけれど、悲しいことに前者も後者も事実だけれど、気持ちの問題ですと新八が食い下がると、だったら自分が呑みに出る時はお前が留守番していれば良いだろうということに、いつの間にかなってしまっていた。 そうなると、元々細かいことに目が行ってしまう性分、ただ帰りを待って銀時が帰って来れば入れ違いにハイお疲れ様、とはいかないのだ。 「あー、また脱ぎ散らかしてるしー・・・」 酔って自室まで辿り着けない様子を見れば、肩だって貸してしまうし、水が欲しいと言われれば汲んできて飲ませてやる。そんなことが重なって、遂にはこうして着替えの支度だとか脱いだ物をまとめるだとか、そんなことまでしてしまっている。 「僕はアンタの母ちゃんじゃねぇぞコノヤロー」 風呂場から外れた調子の鼻歌が聞こえてきて、新八は眼鏡を押し上げながら銀時の着ていたものを洗濯機に放り込んだ。 シャワーを浴びていくらかすっきりした顔をした銀時が髪から水滴を垂らしたまま、居間に戻ってきた。そして開口一番、 「新八ー。ビール」 「死ね、糖尿アンド中年予備軍」 「おまっ、なんてこと言うの!?銀さん糖尿じゃねぇから、中年でもねぇよ!まだ二十代だよ!」 「だから予備軍て言ったでしょうが、つーか一々年齢主張する時点で充分おっさんなんですよ、知ってました?」 「うっそ、マジでか。いやいやいや、銀さんは違うもんね、銀さんはいつでもハートはセブンチーンだもんね」 「チーンとか言うなよ、親父臭い。良いからもう、床濡らさないで下さいよ。ほら、こっち来て」 外で飲んできてまだ飲むなんてことは絶対に許さない、とばかりに新八が銀時を床に座らせる。そして自分はソファに座ったまま、読んでいたらしい文庫本を伏せて銀時の肩から下がっているタオルを手に取った。 「何か話しがずれてっけど、ビールは?新ちゃん、そんなんではぐらかそうなんて甘いよ、そんなんだからお前は眼鏡なんだよ」 一回りも違う子供に床に座らされている事実を全く気にかけず、銀時は俯いて頭にタオルが被せられるながら呟いた。 「うっさいですよ、眼鏡ってとりあえず言やぁ落ちると思うなよ。ついでに我が家にビールなんてあると思うなよ。発泡酒すらねぇよ、料理酒だってあんたがこないだ飲んだんだからな」 いつもは安い酒をせめて買っておくのだがだが、金欠のためそれもままならず酒が暫く呑めなかった時期、自棄を起こした銀時は料理酒を飲み干して新八にしばき倒された。 「あー、あれねぇ、まずかった」 「なら呑むな!あーあ、もう・・・そりゃ僕だってできることなら家で呑んで欲しいですけどね?神楽ちゃん、銀さんが帰ってくるの待ってたんですよ。今日はあんただけ仕事してたから、肩でも揉んでやるかとか言ってたのに」 新八は風呂上りの時だけ大人しい銀時の癖毛の水分を拭き取りながら、新八は残念そうに言う。 「そらありがてーけど、気持ちだけでいーわ。あのガキ、手加減しらねぇんだもん。銀さんの肩砕け散るよあいつに揉まれたら」 あながち否定もできないその言葉に、新八は苦笑を返す。でもほら、折角の厚意ですしと言えば、そんなデッドオアアライブな厚意はいらねーと銀時が応える。 わしゃわしゃと髪を拭かれながら、銀時はこの穏か時間に思わず笑みを漏らした。 「何笑ってんですか、気持ち悪い」 「笑うだけで気持ち悪いんですか、俺は!何だお前、思春期か、お父さんとは口も利きたくない思春期の娘か!」 グアッと目を見開いて新八を見上げれば、彼は可笑しくて仕方無いと言ったように目元を緩ませてバカなこと言って、と銀時の額を叩いた。 「誰が娘ですか、父親ぶるなら髪の毛くらい自分で拭いてきて下さい」 それを言われると、わざと髪を濡れたままにしている身としては言い返す言葉も無く、銀時は瞼を下ろしてアーと呟いた。 新八の、手が好きだ。まだ柔らかい少年の手は、優しくて気持ちが良い。新八の、声も気に入っている。厳しいことを言う割には、暖かい。 それに気付いてからは、銀時は風呂上りに髪は拭かないことにした。そうすれば、何気に世話焼き気質の新八が、仕方がないと言いながら拭いてくれるから。 「全く、アンタがそんなずぼらだから、神楽ちゃんまで真似するんですよ」 そう、今までは銀時専用だった新八の髪拭きが、最近神楽まで真似をするようになって正直銀時は面白くない。それを彼は銀時の不精を彼女が真似てしまったのだと文句を言うが、それは違う。彼女も気付いたのだろう、新八の手の心地良さ、近くなる声の穏かさに。 「ち・・っしかたねぇな、自分で乾かすように、ドライヤーでも買うか?」 そうすれば、珍しい物好きの彼女のこと、自分がやる自分がやると、暫くは夢中になってくれるだろう。 「どこにそんな金があるんですか、電気代だってかかるんですよ」 「お前ね、発言がもう十六歳の少年じゃねぇよ。三十六歳の主婦だよ、ホント」 「誰がそうしてるんだ、テメーこの穀潰し」 「おっま!それはないんじゃない?それはないんじゃないのォ!?銀さん今日働いてきたよ、一人で労働して稼いで来たんだよ!ほら、懐に金があったでしょうが!」 「それはありがたく頂きましたけど、そんなんでこれまでの分がどうにかなると思ってんですか」 「労りが無い、労りが無いよ新八君・・・」 がっくりと項垂れてしまった銀時に、さすがに言いすぎたかなと新八がばつの悪そうな顔をする。確かに今日働いたのは銀時一人であるし、お金を作ってきてくれたのも彼だ。つい売り言葉に買い言葉が癖になっているけれど、どんなに親しくなっても礼儀は忘れてはいけないと、新八は軽く咳払いをする。 「そうですね、すみません、つい癖で。今日はお疲れ様でした。今日のお給料で必要なもの買って、余った分で買えたらドライヤー買いましょうか」 「え、いいの」 いいの、ていうか元々は自分が管理して使い道を決定できる金なのに、それを何の疑問も持たず新八に了承を得てくる銀時がおかしかった。 「これから寒くなったら、神楽ちゃんの長さだと中々乾かなくて風邪引いたりしそうですし。それにね、銀さん。天パーでも、ちゃんとドライヤーで整えながら乾かせば、翌日そんなに広がったりしないんですよ」 うっそ、と新八の言葉に目を見開いた銀時の目は、普段の死んだ魚の目ではなくキラキラと心なしか煌いている。 「マジで、マジで俺は毎朝無秩序に俺を苦しめるこの傍若無人な腕白坊主達から解放されんのか!?」 いや、そこまで大袈裟な解決になるかどうかは分かりませんけどね、と新八はあまりの銀時の迫力にやや引き気味になる。 「バカヤロー、天パの苦しみは、天パにしか分からねぇんだよ。マジ辛いんだぞ、朝起きてどこまでもボンバってたら、仕事の依頼があってもウッフンアハンな姉ちゃんが誘いに来ても外出る気にならねぇ」 「仕事なら出ろよ、良い大人が」 そう言いながらも、まぁここまで嬉しそうならば、本当に安いのでも一つ買ってもいいかなと新八はついほだされた気分になる。 「買えたら、ですからね。米だとかティッシュだとか、料理酒だとか、必要なものは結構あるんですから」 「うん、明日電気屋も寄ろうな」 (あ、原チャリ出してくれる気なんだ) 銀時の子どもの様な頷き方とその言葉に、新八は嬉しそうに笑いながら殆ど乾いてきた彼の頭からタオルを取り去った。 「じゃあ、明日は買い物の日ですね。依頼、ありましたっけ」 「今日あったんだからねぇだろ」 そんな切ない確信はいらないなぁと思いながらも、新八は今回ばかりはその確信が外れないと良いなと思う。 「よし、銀さん湯冷めする前に寝てくださいね。本当にウチには酒ありませんから、呑み直しとか考えないように。明日、僕が来る頃には起きておいて下さいよ・・って、うわぁ」 言いながらタオルを洗濯機まで持って行き、さて帰るかと新八が振り返ると、そこに何の気配も無く銀時が立っていて新八は間の抜けた声を上げてしまった。 「帰んの?」 心なしか唇を尖らせた銀時に、新八は、ハァマァとこれまた間の抜けた返し方をする。 銀時が午前様の時にはさすがにそこから家に帰るのは面倒なので泊まらせてもらったりするが、まだ日付が変わってそんなに経っていない。朝の遅いこの事務所の事を考えれば、今から帰っても普通に眠れるだろう。 「いいじゃん、泊まってけば。お前だって風呂入ったんだろ?なのにまたわざわざ外出て、埃に塗れること無いじゃん」 確かに言われてみればその通りなのだが、新八は神楽と違ってここで生活しているわけではない。殆どの時間をここで過ごすと言っても、あくまでも新八の家は志村家なのだ。 「えー、と。良いんですか?」 時折泊まることはあっても、それは全てそうしなければ不便な時だ。こんな風に、泊まる為だけに留まる、みたいなことはしたことがなかった。 「別に、今更何遠慮してンの」 どうせソファしかねぇけどな、と続ける銀時に、まぁそれもそうかと新八は思う。同じ釜の飯を食って、同じ風呂を使って、食料の買出しにまで一緒に行って、今更遠慮も可笑しな話かと。 「じゃあ、泊まっていきます」 「おう」 新八がそう答えると、銀時は少し嬉しそうな顔をした。しかし新八には気付かれないようにこっそりと、 (その内布団も一組買うか) そう思ったのは秘密である。 |