未来の話をしましょう。









 春が近いとはいえまだ冷たい風に、ベランダに立った新八の髪先がサラリと揺れる。襟足で一括りにした相変らず黒々と美しい髪を目で追って、顎を手の平で支えて横向きに寝転んでいた銀時は、こちらも変わらずふわふわと奔放に跳ねている銀髪を掻き上げる。
「新八ぃ」
「なんですか」
 洗濯物を抱えて、新八は振り返らずに応える。銀時はそのまま暫く無言で、彼が洗濯物を次々と取り上げてはパンッと小気味の良い音を立てて広げ干す、という動作を眺めていた。
「銀さん」
「んあ?」
「なんですか」
 少し色あせた銀時の着流しを物干し竿に掛けながら、新八は肩越しに振り返る。その表情は逆光でよく窺えないが、声は穏やかだ。
「いや、伸びたなぁと思ってよ」
「僕の身長ですか?羨ましいとか?そりゃ銀さんはもう伸びませんけど大丈夫、これからは横に伸びる日々ですよ」
「おいおいおい、さらっと人をオッサン扱いしてね?新八君」
「昼日中からゴロゴロ寝転んでジャンプを読み漁って糖分食い漁って、その上何もせずにスタイル保てるほど若くないって現実見たほうが良いですよ、アンタ」
 新八は相変らず穏やかな口調のままで、銀時の下着を干す。暖かい日差しと風で翻るそれは、何とも平和の象徴のように思えた。
「こないだの大雨で流された行きつけの屋台の修繕、汗だくになってやったの、昨日の話だぞ。修繕っつうか、もう一から作ったようなもんだよ、ついでだからケーキも焼けるようなオーブンもつけといたら殴られたよコンチクショー。そんなわけで傷心だから、今日くらいぐうたらさせてくれや。て、違う違う、その話じゃねぇよ、ばか」
「一人で脱線しといてなんで僕がばかとか言われなきゃいけないんですか、天然パー」
「マ、まで言えよこのやろー」
 空になった洗濯籠を抱えてベランダから戻った新八は、網戸だけを閉めて銀時の脇へぺたんと腰を下ろす。
「髪の毛の話だよ」
 肩からさらりと零れた一房を、銀時の乾いた指先がすくう。節と小さな傷が目立つその指先に目を細めて、新八はその話ですかと微笑んだ。
「五年も伸ばしてれば、そりゃね」
 顎から柔らかな肉が削げ落ちても、新八の笑みは丸くて暖かい。
銀時はそのまま指先を新八の首筋へ滑らせて、冷えた指先の暖を取る。新八は冷たいと言いながら、くすぐったそうに目を細める。
「よくそんだけ伸ばしてんな、切らねぇの?」
 かつて、指先が頬に触れただけで真赤になって照れた少年はもういなくて、その事がたまに惜しいなぁと思いもするけれど、冷たい指先にごく自然に落とされる唇の熱は、心地良い。
「桂さんに憧れてるので」
 懐へ潜り込もうとする銀時の手をピシャリと叩いて、新八は自分の髪を一つ摘む。
「ぶっ」
 銀時は顎を支えていた手の平から滑り落ちて、その様を新八に笑われた。
「冗談ですよ、何焦ってるんですか」
「うるせーよ・・・」
 そのまま腹這いになって視線を逸らした銀時に、新八は大人っていうかオッサンですけどねとまた笑う。
「願掛けしてるんですよ」
 その言葉に、銀時は視線を上げて新八に問う。しかし新八はその目が尋ねていることには答えずに、反対に質問で返した。
「五年経ったんですよ、銀さん。覚えてますか?」
 途端に、銀時は苦虫を噛み潰した様な表情になってついと視線を逸らした。機嫌を損ねたかに見えるこの態度が、実は照れ隠しなのだという事は既に承知の新八は、怯まず銀時の顔を覗き込んで繰り返した。
 銀時は視線を左右に彷徨わせた後であーとかうーとか不明瞭な呻き声を立てた後で短く、知らね、と投げるように言って仰向けに寝返って目を閉じてしまった。
「・・・・あ、そうですか」
 その態度が癇に障った新八は、同じ様に言い捨てて立ち上がる。
「じゃあ、本当に桂さんに憧れて伸ばしてたことにしますよ。銀さん、良いんですか?僕は、やると言った事はやりますよ、この五年で色々と身に染みてご存知なんじゃないですか?それでも、良いんですね?」
 和室の戸口で立ち止まり、新八は銀時を振り返る。刺さる様な視線を遮って目を閉じていた銀時だが、新八の言うとおり彼が一度口にした事は必ず実行する性格だということは、短くない付き合いの中で分かりきっている。
「銀さん?」
 銀時は数秒の間眉間に皺を寄せて葛藤していたが、新八の冷えた呼びかけに半ば自棄になって懐からある物を取り出して彼に投げつけた。
「るっせぇなぁ!わーったよ!これでも取っとけバカヤロー!」
「うわっ!なにすんですか!アンタねぇ・・て、何ですか、コレ」
 突然投げつけられた物に驚きはしつつも、それを取り落とさずしっかりと受け取った新八は、銀時に向かって怒りの言葉を吐き出そうとしたが、投げられた物をじっと見て言葉を飲み込んだ。
 それは、濃い紺色のビロードで出来た四角い小さな箱。
 よくドラマの中でイケメン俳優なんかが、ヒロインとクリスマスイブか彼女の誕生日に高級な夜景の見えるレストランとかでシャンパンで乾杯をした後におもむろに取り出してヒロインに差し出したりして、彼女が震える指先でその蓋を開けると彼の給料三か月分相当の光物が入ってて、ヒロインは涙目になりながら言葉を失ったりしそうな。
 とどのつまり、婚約指輪でも入っていそうな。
 新八は暫く手の平に収まった小さな箱を見つめて、そして呟いた。
「銀さん、これ・・・・・を質屋にでも売って桂さんに弟子入りする資金源にでもしろって事ですか?」
「だあああぁぁああ!お前、この流れでそうなの!?そんなこと言うわけか!?ホンットに可愛気無くなったな、この眼鏡!俺がそれを手に入れるのにどんだけの労働意欲と羞恥をねじ伏せる気力をひねり出して、その上見たことも無いくれぇゼロがいっぱい並んでるものを買っちゃう根性を出したと思ってんだぁ!受け取る時ァ、マジで手が震えたんだぞコノヤロオオォォオオ!」
 腹筋だけでガバリと起き上がり、こちらを指差して怒鳴る銀時を冷静に見返しながら、日がな一日ゴロゴロしているだけなのによく腹筋が落ちないなぁとおかしな事に感心した新八だが、今の言葉だけでも銀時が五年の約束を覚えていてくれた事を確信して、胸中にはとても暖かな気持ちが溢れてきた。
「そんなに色々ポジティブな力を振り絞ったんなら、ちゃんと言って下さいよ。これ、なんですか?」
 顔の横で箱を軽く揺する新八に、銀時は小さくこの野郎ともう一度呟いて、そして胡坐で座り直してから、ボソリと告げた。
「五年経っても、お前がしつこく粘っこくまだ俺の側にいて俺に惚れてるとか抜かせるってんなら、俺だって腹括ってやらぁ」
 それは五年前、自分がまだ銀時の背中に庇われるだけの非力さだった頃、それでも彼の側にいたくて、彼の背中を思い切り抱き締めたくて、真っ直ぐさしか無かった自分が、その想いを告げた時の彼の言葉だった。
 殆ど正確に覚えていてくれた銀時に、新八は嬉しくなる。
「はい。僕はまだまだ弱いけど、でもしつこさだけなら負けません。嵌ったら一直線のオタク気質舐めんなよ、コラァ。五年後覚悟して、今から婚約指輪の貯蓄でもしておけこのマダオ」
 そして新八は、確かそんなような事を返したはず。
「って、銀さん。本当に貯金してたんですか?いつの間に?」
 この五年間、何度も何度も給料を滞納され家賃を取立てられ、それでも治らない銀時のパチンコや酒への浪費癖にどれだけ説教した事か。なのにちゃっかり指輪―なのだろう、銀時の態度からすると―の資金を貯めているなんて、本当に変な計画性だけはある人だ。
「水飴を舐めたい気持ちをぐっと堪えて砂糖水を啜った俺の努力の賜物よ、ありがたがれ」
「何か怨念篭もってそうっスね・・・」
 銀時の糖に対する執着は衰えることを知らず、絶えず攻防を繰り広げてきた身としては、ありがたいというよりは寧ろ怖い。
「嵌めたら最後、外れネェ代物だぜ?」
 先ほどまでの照れはどこへやったのか、口角を上げてにやと笑う銀時に、新八は上等ですと箱を開けた。
 現れたのは、銀色のシンプルな指輪。ダイヤも他の宝石も付いてない、素っ気無いとも言える位のデザインだったが、取り出して掲げて見ると、内側にイニシャルが二つ彫られていた。
【StoG】
「あれ?これ、逆じゃないですか?」
 これでは自分からアンタへって意味になってしまうと首を傾げた新八に、銀時は間違ってねぇよと欠伸交じりに言いながらだらりと立ち上がった。
 新八の身長が伸びてもまだ僅かに届かない銀時が、怪訝そうに眉を寄せる新八の前に立つ。そして、懐からもう一つ箱を取り出した。
「お前のは、こっち」
「は?」
 訳が分からないという顔の新八を置いてきぼりにして、銀時は己の手に持った箱から同じデザインの指輪をもう一つ取り出して、その手を顔の横に掲げた。
 そして。
「志村新八、汝は病める時も健やかなる時もっていうかとりあえずは365日24時間、銀さんを崇め奉り惜しみなく糖を与え、ついでに料理洗濯掃除もこなし夜の生活も十二分に付き合っていくことを誓いますか?」
 なかなかグダグダな台詞を吐いてくださった。
「何か、承諾できない条件ばっかなんですけど・・・」
 常に崇め奉りたくなるほど立派な人間になってから言えってなもんだし、惜しみない糖なんて与えてたら早死にさせるようなもんだし、だからって生命保険なんて入って無いから死なれ損になっちゃうし、その後の諸々も何か腹立たしい言い回しだし。
 新八がぶつぶつと不平を零すと、銀時はしゃあねぇなぁと空いている手で頭を掻き回し、仕切り直しと一つ咳をした。
「じゃあ、五年と言わず十年二十年、俺らの周りの奴らがどんなんに変わっても、お前と俺もどんな風に変わっても、それでもここにいる事を誓え」
「え、命令形なの?」
 何でこう、素直な言い方ができないのかなぁと内心苦笑しながら、天邪鬼が服を着たような銀時がここまで言っているだけでも奇蹟だと、新八は崩れる相好を抑え切れない。
「誓いますよ、銀さんが禿げたら育毛に付き合いますし太ったら鍛えてあげます。そんでもって足腰が立たなくなったら負ぶって散歩にでも行きますよ」
 素直じゃないのはお互い様だ、縁起でもねぇことをと拗ねた顔をする銀時に、新八も同じ様に手にした指輪を掲げてお返しですと口を開く。
「坂田銀時、貴方はどれだけベロベロに酔っ払ってもボロボロにパチンコでスっても、うっかり朝知らない女の子とベッドで目が覚めちゃっても、僕の手で締められる為に帰ってくる事を誓いますか?」
「いやいやいや、この時点で不倫の予定ありなの?俺」
 ていうか、どんだけ全く駄目な夫、略してマダオ予定なのよ俺、と唇を曲げる銀時に、人生グダグダですからねアンタ、と朗らかに笑ってから新八も咳を一つ。
「じゃあ、僕の知らない所で何か辛いことや悲しい目にあっても、言わなくても良いからここに帰って来る事を、誓ってください」
 銀時は、何も言わなかった。ただ、少し困ったように眉を下げて笑った。
 昔は、自分の知らない所で彼が傷付いたりするのが、嫌だった。知らない事が悔しくて、教えてくれない事が恨めしくて、責めたり切れたりしことも一度や二度じゃない。でも、それが彼なりの愛情だと今は分かるから。自分の傷付いた事で同じ様に相手が悲しんでくれる事を、喜べない人だから。だから、知ることの出来ない歯痒さは飲み込んで、ただその傷に手を当てて撫でてあげたい。そうする事くらい、許して欲しい。
 今も、十年も、二十年も、もっと、もっと未来まで。
「誓う」
 短く答えた銀時は、そのまま新八の空いた左手を取って、持っていた指輪をその薬指に嵌めた。
 ヒヤリと冷たい銀の感触に、新八はじわりと涙腺が熱くなる。滲みそうになる視界を堪えて、自分も銀時の手を取って、持っていた指輪を嵌めた。男らしい長い指に、それはピタリと収まる。銀時の、銀色。
「おし、これでお前は一生俺のモン」
 その言葉が彼らしくなくて、先々の約束をする事が得手ではない彼がそんな事を言うのが意外で、新八は濡れている瞳を見られる事も構わず顔を上げた。
 銀時は、今まで新八が見たことの無い顔をしていた。照れているようなくすぐったさを堪えているような泣きそうな、そんな顔。
 彼は今幸せなのだと、深く笑みを模った唇から覗く犬歯が伝えてきた。
 あぁ、泣きそうだ。
「新八」
 呼ばれてハイと答えれば、関白宣言だからと言われて唇を啄ばまれた。カカア天下目標で、と下唇に噛み付いたら、そのまま呼吸ごと食べられそうなキスをされた。


 空が茜色に染まる頃、新八が夕食の買い物へ行かなければと言い出した。銀時は珍しくすぐに腰を上げて原付の鍵を手に取ってくれた。
 そんな些細な事だけでも弾んでしまうのが恥かしくて、新八は手の平で頬を擦る。そして、左頬に当たる指輪の存在に、少し迷った。
「ねえ、銀さん。コレ、何かチェーンとか無いですかね?」
 嵌められて数時間の指輪を指して新八が困った顔で、既に玄関でブーツに足を通している銀時に声をかけると、彼は首を倒して傾げるという辛そうな体制を取った。
「あ?何で?」
「だって、嵌めたまま外出たら、やっぱり問題ないですか?だから、普段は首に掛けるとか、そういう・・」
「新八」
 銀時の声の硬さに、新八は思わず肩をすくめた。銀時は玄関に立ったまま、来い来いと手首を揺らす。おずおずと近付くと、思い切り頭を抱え込まれてつむじをかじられた。
「いっ!」
「ぶわぁか、お前五年でそんな覚悟もできてねぇの。俺は明日、姉ちゃんにも言いに行くからな」
「えっ姉上って、姉上ですか?」
「お前には何人も姉ちゃんがいるんですか」
 ブンブンと首を振る新八に、銀時は静かに、俺は腹括るっつったぞ、とだけ言った。
 そして噛み付いた場所に音を立ててキスをすると、行くぞと左手を差し出す。そこに確かに光る銀色の輝きに、新八は今度こそ誤魔化しようも無く洟をすすった。
 握りこんだ手の平に感じる、銀時の指輪。
「とりあえずは、先に夜に神楽に報告だな」
 アイツは大して驚きゃしねぇだろと言う銀時に、そうですねと新八も笑った。








 銀新ぷろぽおず話・・・・・・・・五年後捏造新八長髪ですいません。マイ希望では銀時さんは現在28なので、五年後だと丁度私好みの年齢です(聞いてねぇよ。
 銀時が買った指輪は婚約指輪をすっ飛ばして結婚指輪なので、シンプルに。婚約指輪よりは安そうだけど、銀時にとってはとてもでかい買い物だったんだよ、家賃以外でゼロが四つ以上の買い物ってしなさそうだし!
 きっと神楽は、遅ぇんだよお前らはヨー、とか言いそう。そして、弟か妹が欲しいとか真顔で言う。銀時も真顔で、そういうのはお母さんにお願いしなさいとか答えるよ。新八一人で真赤。あれ、全然今までと変わらないよ、はっは。
 きっと周りも、指輪を生温い目で見つつも何も言わない。今更じゃね?て皆思ってるよ、でもとりあえずはお妙に四分の三殺しの目に合うのは通過儀礼。