ゆたんぽ










 そろそろ朝晩吐く息も白くなろうかという時期、新八は押入れを覗き込んで難しい顔をして眉を顰めた。
「何してるネ、新八。乙女の寝所を覗くなんて変態アル、お前私のストーカーかヨ」
 そこは本来の用途を全く無視して、ここ万事屋に住み着いている神楽の寝床になっている。上下二段に分かれている内の、上の段に神楽の布団を敷いてあるのだが、そこに収まっている掛け布団は夏物だ。それが今、新八を唸らせた原因でもある。
「変な疑いかけないでよ、ていうか一緒の仕事場でストーカーも何も無いよね、四六時中顔合わせてるよね。わざわざ付け回す意味が分かんないよ。どっかの警察と一緒にしないでよ」
 振り返るといつもの様に酢昆布を噛み締めた神楽がいて、新八は溜息を吐きながら眼鏡を押し上げる。
「同僚だからこそ、見えないこともあるネ。仕事を離れて何をしてるのか、気になって仕方無いのがストーカー心ネ。それにあのゴリラ、お前の未来の義兄かもしれないヨ」
「無い!それは無いから!!それだけは阻止してみせるよ、僕は!そしてお前、今全国の恋愛中の人に喧嘩売ったよ!好きな人のプライベートが気になったら、皆ストーカーかよ!」
「人は皆、狂気と隣り合わせで生きてるネ」
「何かカッコイイけど、フォローになってねぇから!あぁもう、また変なテレビ見たんでしょ・・・」
 常に何かしらマスコミに影響を受けているこの少女の将来が結構真剣に心配になる新八だったが、今はそれを心配している場合ではなかったと思い直す。
「それは良いから、神楽ちゃん。この布団で寒くないの?これ、夏用だよ?」
 指を指して眉をしかめる新八に、神楽は口端を上げてフッと笑う。その小馬鹿にしたような笑い方は最近特に彼らの雇い主に似てきて、悪い影響ばっかり受けてるなと、新八はまるで親のような心境になる。
「これだから、地球の軟弱な男は嫌アル。私これくら平気ヨ、朝くしゃみと共に夜明け前には起きるネ。健康的」
「いや、確かに夜明け前に起きるのは健康的だけど、くしゃみと共にってそれ寒いんじゃん。寒くて起きてるんじゃん!そして神楽ちゃん、夜明け前に目ぇ覚ましてるんなら、何で毎回僕が起こしてんの?」
 新八の一日の仕事は、出勤してまず彼女と彼らの雇い主を起こすことから始まるのだ。その時はいつも神楽は押入れですやすやと寝ていて、今の彼女の話と矛盾する。ちなみに雇い主は、酔い潰れて玄関先に倒れていることも多かったりする。
「明け方まで足を擦り合わせて軽く運動してるアルよ、そして程よく身体が温まったら、また眠くなるアル」
 あくまでも寒いとは言わない神楽だが、つまりは明け方寒くて目が覚め、足を擦り合わせて摩擦熱で何とか身体を温めてから、またウツラウツラとするのだろう。
 正直に言えば良いのに、何でこんな変なところで強がるのか、新八にはよく分からない。
「神楽ちゃん、それはもう平気じゃないよね、寒いんでしょ?素直に言えば良いのに、変な意地張ってたら風邪引いちゃうよ」
 すると神楽は僅かに目を逸らして、そんな軟弱じゃないアルとどこまでも認めない。
 確かに、寒いと正直に言われたところで万事屋には余計な布団は置いてないのだが。そしていつもいつもジリ貧のこの万事屋には、新しく冬布団を買う余裕すらない。何しろ、明日の米にも事欠く有様なのだ。
 一応ある暖房器具は炬燵のみ、それだって電気代を食うから、夜にはコンセントを抜くことを他でもない新八が徹底している。
「丹前なら、一枚余ってたけど・・あれだって多分、銀さんが冬場に使うんだろうしなぁ・・・」
 どんなにぐうたらで給料を滞納しまくる甲斐性なしでも雇い主は雇い主、家主は家主だ。酔い潰れて玄関先に転がって出勤してきた新八に容赦なく踏まれようと、炬燵でそのまま寝てしまって、電気代が勿体無いだろと新八にど突きまわされようと、一応この万事屋で一番偉いことになっている天然白髪パーマの、なけなしの防寒寝具を奪うのは、いくら新八でも気が引けた。
「でも、このままじゃ神楽ちゃんが寒いしねぇ」
「私なら平気ヨ、そんな柔じゃないネ」
「駄目だよ、女の子は無闇に身体冷やしたりしたら。冷え性になったらどうするの」
 まるで母親の様な心配をされて、神楽は何だか面映い気持ちになる。ここの主である銀時も保護者の様な発言をよくするが、それはどちらかと言えば父親的な側面が強い。対して新八は、今の様にまるで女親が気にするようなことを心配する。
(地球に来て、パピィとマミィができるとは、思わなかったネ)
 目の前でうんうんと唸っている新八を眺めながら、神楽は微笑する。本人達に言えば、まだそんな年じゃないとか女じゃないとかグダグダと細かいことを気にするので神楽は余り口にはしないが、そういう関係が嫌ではなかった。
「そうだ、神楽ちゃん、良い物持ってきてあげる」
 暫く悩んでいた新八だが、急に顔を上げてぱあッと表情を明るくする。
「イイモノ?酢昆布アルカ?」
 手にしていた酢昆布を全て口の中に収めた神楽が首を傾げ、新八は脱力した。鉄の胃袋を持っているだけあって、彼女の発想は食に直結することが多い。
「寒さの話をしてたのに、何で酢昆布なのさ。酢昆布は防寒には全く無力だろ」
「酢昆布ナメんなよ、酢昆布は世界を救うだけのパワーを秘めてるある」
「止めて、地球が酸っぱくなるよ。確かに酢の物は身体に良いけど、暖は取れないからね」
「じゃあ、イイモノって何アルか。もったいぶってないで教えろよコノヤロー」
 むうっと唇を尖らせる神楽に、その時のお楽しみだよと新八は笑って、そろそろ洗濯物を取り込まなければといそいそと神楽に背を向けた。
「新八の癖に、生意気アル」
 神楽はその背中によっぽどペットの巨大犬をしかけてやろうかと思ったのだが、ダメガネのサプライズに乗ってやるのもイイ女の仕事ネ、と思い直して踏みとどまった。

 夜、夕方一度帰宅した新八が再度万事屋へ戻ってきた。珍しく外へは呑み行かず、家の中で炬燵に潜り込みながら晩酌をしていた銀時は驚いた顔でそれを出迎える。
「どうしたんだよ、新八。帰ったんじゃねぇの?」
 本当なら呑まないでいてくれるのが一番なのだが、酒が無いなら糖を寄越せと騒ぐ銀時の為に一番安い酒を一応買っている新八だ。酒があっても彼が糖分を欲することには変わりが無いのだが、かといって外へ呑み行かれるよりは安上がりだ。
 そんな思考が何だか所帯じみているというか、まるで稼ぎの悪い夫を持って遣り繰りに苦労している妻のようで偶に本気で落ち込みたくなる。
「あんた、また呑んでんすか。今月はもう買えませんよ、米だってピンチなんだから」
 色気も無く手酌で呑んでいる銀時と一緒に炬燵に潜っていた神楽は、背後に定春を従えていて毛皮の分暖かそうだ。
「わぁってるよ、だからほれ、水で薄めて呑んでるじゃねぇか」
「それ、呑む意味あるんですか・・・・」
 酒の旨さが分かる年では無い新八だが、日本酒を水で薄めれば限りなく不味そうだということ位は想像できる。焼酎じゃあるまいし、割って呑むものでは無いと記憶している。
「分かってねぇなぁ。寒い時にこれで身体を温めるのが、大人ってもんよ。これさえありゃぁお前、大抵の寒さは乗り切れるね」
「そして代わりに懐に大寒波が訪れてるわけですか、意味無いような気がしますけどね。そもそもあんた、季節に関わり無く呑んだくれてんじゃないっすか」
「ば、おめ、酒は百薬の長よ!?酒なめんじゃねぇぞコルァ」
「銀さんの呑み方は、完璧に肝臓を壊す呑み方ですよ。百歩譲って少しの酒なら血の巡りを良くさせる利点もあるものだと認めたとしても、度を過ぎて酔い潰れて道端で寝て凍死したら、いくら健康でも意味無いですからね」
「痛い痛い痛い、ちょっと何この胸の痛み。銀さん病気?病気なのコレ」
「この間、本当に道端で寝て真撰組の人に運ばれて帰って来た記憶が刺激されてんじゃないですか」
「ああぁぁあ!思い出させんじゃねぇよ!俺の人生最大の汚点だよ、ちくしょう!!三日は禁酒を決心させるに足る出来事だったね!」
「いい加減懲りて一生禁酒を心に刻め!」
「それで新八、お前何しに帰って来たアルか」
 どこまでも続く下らないやり取りに、神楽が痺れを切らして炬燵机に頬を付けたまま新八を見上げる。それで本来の目的を思い出した新八は、我に帰っていそいそと背中に背負っていた荷物を下ろす。
「そうそう、約束した物、取りに帰ってたんだ。今日も寒いって聞いてたからさ」
 新八の関心が神楽に移り、一瞬で興味をなくされた銀時は、やや背中を丸めて水で薄めた酒を呑み干した。
「え、本当アルか?」
 まさかこんなに早く例の良い物を拝めるとは思わず、神楽は身体を起こして上半身を乗り出す。
「ほら、これ」
 新八が言いながら取り出したのは、湯たんぽだった。銀色の昔ながらの形をしたそれに、銀時はへぇと懐かしそうな呟きを漏らしたが、対する神楽はその存在を知らなかった。
「何アルか、これ。巨大ワラジムシの標本アルか?」
「そんな気色悪いもの、持ってきてどうするのさ・・・」
 言われてみれば、何となく見た目は似ている様な気もする。しかし、そんな気持ちの悪い物を集める趣味は、新八には無い。
「これはね、湯たんぽって言うんだ。中にお湯を入れて布で包んで布団に入れておくとね、凄くあったかいんだよ。朝までもつから、これで神楽ちゃん朝までぐっすり眠れるよ」
 その説明を聞いて、神楽は目を輝かせた。元々地球の物の多くが天人である彼女にとっては、珍しい。その上そんな優れ物と聞いては、目の前の塊が神々しくも見えてくる。
「へー、凄いある。こんな銀ちゃん色が、そんな役に立つアルか」
「おい神楽、そりゃどういう意味だ、コラ」
 今の台詞は聞き捨てなら無いと凄んでみせる銀時をまるで無視して、新八もまた嬉しそうに笑っている。
「暫くはこれで、我慢してね。寒い日に安眠をもたらしてくれるこの素晴らしい道具と同じ色はしてても甲斐性皆無のどっかのマダオが、ちゃんと給料払ってくれたら新しい冬布団買えるからね」
「何これ、何この遠回しな侮辱?新手のいじめ?姑にジワジワいびられる新妻か、俺?」
 一人で胸を押さえて蹲る銀時に、新八と神楽は冷たい視線を向ける。
「だったらさっさと、給料払ってくださいよ。この間パチンコと呑みですっからかんにした分、この場で吐き出せるもんなら、人として認めてあげますよ」
「まったく、ワラジムシの標本にも劣るマダオネ」
「俺は人間以下かァァァアア!てめーらこの、マダオ舐めてんじゃねぇぞぉぉお!マダオだってな、マダオだって懸命に生きてるんだよ、必死なんだよ!つか、マダオって認めちゃ駄目じゃん、俺!」
 一人でゴロゴロと転がる銀時を尻目に、神楽は早速使ってみたいと新八に強請っている。そして新八も、目尻を下げながらお湯を沸かそうかと立ち上がる。
 連れ立って台所へ向かうその背中を横目で見ながら、何だか輪から外されているような気がする銀時は起き上がってぼんのくぼを掻いた。
「ったく、本当に最近生意気になりやがって・・・」
 そして一人寂しく、水で薄めた日本酒を煽った。

 直に触ったら熱いから、布から出さないようにねと再三注意を重ねて、新八は神楽の布団に湯たんぽを入れてやった。
 神楽は大喜びで布団に潜り込み、その暖かさに感動していた。
「スゴイアル!こんなちっさい塊が、布団の中を春にしてるネ!ワラジムシ、優秀アル!」
 すっかりワラジムシとして記憶してしまった神楽に新八は、湯たんぽね、虫じゃないからね、と一々訂正してやりながら一つ生活の知恵を授けてみる。
「朝、その中のお湯で顔洗うと良いよ。さすがに暖を取るには温くなってるけど、顔洗うには丁度良いから。朝の水道って、中々お湯でなくて冷たいでしょ」
 お湯が出るまで出しっぱなしにしてたら勿体無いしね、と主婦顔負けの台詞を吐く新八に、襖に寄り掛かりながら様子を見ていた銀時はうっかり泣きそうになった。
(すっかり節約上手の主婦が板に着いて・・・)
 それは十六の少年をここまで所帯染みた存在にしてしまった事への自責の念が一厘、後の九割九分九厘は思う壺だと自分を褒めてやりたい気持ちからだ。
 新八は、ここ最近すっかり万事屋の女房の様な役割を担ってしまっている。本人はまだ無自覚かもしれないが、神楽に対する言動は母、銀時に対する小言は妻である。狙ったのは銀時自身であるが、ここまで思惑通りになるとは思っていなかった。
「それじゃあ、お休み」
「おやすみヨー」
 いつもならまだ起きてる時間だが、湯たんぽがよっぽど嬉しかったのか早々に押入れの襖を閉じた神楽に苦笑して新八が振り返ると、口元に笑みを浮べた銀時と目が合った。
 その笑いは爽やかな類の物ではなく、何か企んでいる時の笑い方だと新八は身構える。
「ナンデスカ」
 眉根を寄せて、先ほどまで神楽に向けていた慈愛の視線はどこへ行ったんだと眉間を突付いてやりたくなる表情だが、それもまた銀時の笑みを深くさせる。
「いやいや、よくあったな湯たんぽなんて、と思ってよ」
 静かに襖を閉めながら、銀時と新八は和室に戻る。
「父上が使ってた物ですよ」
 炬燵からコンセントを抜く新八に、ふぅんと気の無い返事をしながら銀時は部屋の隅に押しやっていた布団を部屋の真ん中に引っ張ってくる。
「僕も姉上も自分の分は持ってるから、一個余ってたんです」
 代わりに炬燵をズルズルと壁際に寄せる銀時に、畳が傷むからちゃんと持ち上げろと文句を言いながら、新八は銀時が寝転ぶ前にシーツを手早く剥がした。
「良いのか、神楽にやって」
 洗い立てのシーツを被せていく新八を手伝うこともなく、畳に座り込んで気だるげに夜着に着替える銀時に、新八は俯いたまま、えぇと答えた。
「誰にも使われないより、父上も喜びますよ。神楽ちゃんなら、構いません」
 亡くなった父親をお人よしだ借金だけ残しやがったと貶す割には、新八の目はいつも優しく彼を語る。家族だから当たり前かと思いながら、そんな存在を持たない銀時は脱いだ物を散らかしたまま布団の上の新八ごとそこへ倒れ込んだ。
「う、わ・・!何すんですか、ちょっと!」
 一回り小さい身体を抱きこみながら、掛け布団を手繰り寄せる。神楽のものと大差ない薄い布団だが、押入れの中に眠っている丹前を出すには及ばない。胸に押し付けた新八の顔が、熱を持っている。
「まぁまぁ、大人しくしろって。神楽には湯たんぽやっておいて、俺は凍え死ねっての?そりゃあんまりでしょ、しーんちゃん」
 茶化すように呼んで、銀時は新八の頭部に頬を擦り付ける。狭い布団の中で息苦しさにもがきながら、新八は眼鏡が潰れる!と怒鳴った。
「おお悪い、新八君は眼鏡だもんな。ていうか、寧ろ眼鏡が新八だもんな」
「あんたそのネタどこまで引っ張るつもりだ、古いネタばっかり頼ってると、すぐに新人に抜かされるぞ」
「新人て何よ、俺ァ芸人じゃねぇぞ」
「あぁもう、ちょっと離してくださいってば。僕、帰るんですから」
 じたばたともがいたところで、のらりくらりと言い逃れながら銀時の腕は緩まない。普段はやる気の無い力の抜けた状態の癖に、こうしてみると彼は確かに屈強な男なのだと思う。こんなことで確認したくは無いが。
「えー、いいじゃんもう、泊まってけって。行って帰って行って帰って、面倒じゃん。どうせ明日また来るんだし。ていうか、銀さんも寒いのよ、湯たんぽねぇならお前で暖を取る」
「人間を湯たんぽ扱いすんじゃねぇよ、あんた酒で暖が取れるとか言ってたじゃないか」
 一人用の布団で狭いし苦しいと文句を言いながら、新八は覗き込んできた銀時の目に白旗を上げた。死んだ肴の様な目が、楽しそうに煌いてしまっているのを見るともう完敗だ。
 抵抗が収まったと知った銀時が腕を緩めるのと同時に、新八は嘆息と共に眼鏡を外す。着替えて無いから、明日の朝は袴が皺だらけだと文句を言う新八に、この間お前が置いていった服があるだろと銀時は気楽に返す。
 服一式ここに置いてある時点で、何だか間違えている気がするなと頭痛を感じる傍らで、そんな状態も悪くは無いとくすぐったさを感じてしまっている新八だ。
「お前、蹴るなよ」
 狭いんだからなと言いながら甲に触れた銀時の足は、冷たく冷えていて思わず背中に悪寒が走る。
「冷たい、だから靴下履けって言ってるのに・・・」
「家では裸足がモットーなの」
 そのままでブーツ履いたら、辞めさせてもらいますからねと大袈裟なことを言いながら、新八の言葉に欠伸が混じる。
「やんねぇよ、蒸れて大変な事になるじゃねぇか」
 対する銀時の声もいつも以上に間延びして、二人は互いの体温の心地良さと頬に当たる夜気の冷たさに、一層身を寄せ合って眠りに着いた。








銀新+神楽が大好き。新八がまるで女房のようになっていっているのは、銀時の計算だったら良い。そんなとこばっかり、大人。