朝霧











 薄闇の中、自分の手をじっと見下ろす。そこに握られている、鋭利な輝きを見つめる。その先で刻まれていく、白く柔らかで、静かな弾力を持ったな豆腐。かつて自分は、同じ輝きを持つモノで、もっと重たく刃に纏わり付いてくるものを斬っていた。


 日が昇りきった頃、新八は万事屋の戸を開けた。余り施錠する習慣が無い玄関の引き戸は簡単に彼を迎え入れ、新八はタタキに脱ぎ捨てられた二足の靴を認めて、溜息を吐く。
 ひっくり返った二足の靴をきちんと並べ、その横に自分の靴も並べて脱ぐ。一応客商売なのだから、客が尋ねてきて一番に目に付くこういう細かなところにも気を使って欲しいものだと思いながら、居間兼事務所の襖を開けて新八は我が目を疑った。
「え、銀さん?」
 ソファにはここの主人である銀時が、いつもの様にジャンプを片手に座っていた。それだけならばいつもの光景なのだが、問題は今の時間だった。
 世間ではもう既に商売が始まる時刻ではあるが、万事屋の朝はいつも遅い。新八が自宅で朝稽古をし、朝食を摂ってからここに来て最初にすることは、銀時ともう一人の住人である少女、神楽を起こすことから始まるのが常なのだ。
 それが、今朝の銀時は既に起き上がって活動を開始していたことに、新八は心底驚かされた。
「あ、おはようございます。どうしたんですか、珍しいですね、もう起きてるなんて」
 格好こそはまだ夜着の甚平のままだが、銀時が起き上がっていること自体が珍しい。
 銀時はそんな新八に目は向けず、ジャンプから目を離さずぼそりと呟いた。
「ちげーよ、俺ぁこれから寝るんだよ」
「・・・・・・・・・・はぁ?」
 今朝は綺麗な青空が広がっていて、太陽も既に活動を開始して久しい。そんな時刻にこれから寝ると言い切った銀時に怪訝な顔をして、新八は近付いた。
「何言ってんですか、もういい時間ですよ?それとも銀さん、まさか朝帰りだったんですか?」
 昨夜自分が帰宅した時には銀時は出かける予定など話していなかったけれど、もしかしたらその後誰かに誘われでもして飲みに出たのだろうか。
 夜中に神楽を一人にするのは心配だから、できれば事前に新八が残れるように突発的に出かけるのは止めて欲しい。そういう気持ちも含めて少し棘のある声を漏らした新八に、銀時はジャンプを閉じて寝癖の付いた髪を掻き回した。元々強い癖毛なので、多少寝癖が付いていようが付いていまいが、大して変わらないのだが。
「んなわけねぇだろ、朝帰りで二日酔いじゃねぇとかありえねぇから」
「何偉そうに言ってんですか、何時に帰ろうと二日酔いになるような飲み方しないで下さい」
 いつもの様に多少生意気な口調で返しながら、新八は内心首を捻る。
 確かに、銀時から酒の匂いはしない。けれど、何となく不機嫌そうな気配は二日酔いの時の彼によく似ていた。
「飲みに出てたんじゃないなら、何で今から寝るんですか?昨夜何かあったんですか?」
 もしかしたら、本当に万が一の確率だと思うが、神楽か定春が体調を崩したりしたのだろうか。俄かに心配になって彼女が寝ている押入れに向かおうとして、新八の手は銀時に掴まれた。
「銀さん?」
 今朝の彼はどうも不審だと思いながら新八が見下ろすと、銀時は視線を上げずに自分の横を顎で示した。
「あいつらには何もねぇよ、いいから座れ新八」
「は?何でですか?何もないなら、僕朝食作りたいんですけど」
 どうせあんたはジャンプ読んでただけで、何もしてないんでしょ?と多少非難めいた口調で言うと、銀時からは作ってあると信じられない答えが返って来た。
「・・・・へ」
 新八や神楽が来るまでは完全に一人暮らしだった銀時は、生きていく上で必要なレベルで自炊はできる。だから、新八がここに所属するようになって最初は当番制で彼も作っていたのだが、その内元来の怠けた気性が役割を放棄し、白米にふりかけやら卵やらをかける食事しか作らない神楽のバランスの悪さにも頭痛がし、結局ここに居を構えているわけではない新八が台所を預かることが殆どになってしまった。
 だから、彼が朝食を作れたことに驚きはしないが、作った行為そのものに新八は驚かされる。
「え、何で!?銀さん、もしかして具合が悪いのってアンタなんじゃ!?」
 熱でもあるんですか!?と失礼な驚き方をする新八に、銀時は不愉快そうに眉根を寄せて新八の腕を引っ張る。
 いいから座れと促され、新八は大いに首を捻りながらソファの端に腰を下ろす。
 すると銀時は、その新八の膝を枕にごろりと横になった。
「ちょっと、銀さん!?」
 いきなり太股に頭を乗せられ、新八はその行動の意味が分からなくて動揺する。
 朝だろうが昼だろうが、夕方だろうが平生怠けている彼がいつ寝ようが実は大して驚きはしない。けれど、それはいつもソファだったり万年床になりがちな布団であったりして、一度だって新八の膝枕なんて暴挙に出たことはなかった。
 ジャンプをバサリと床に落として新八の膝の上で目を閉じる銀時のその行動は、暴挙としか言いようが無い。新八が女であるのならともかく、彼はれっきとした男だ。男の膝枕で誰が寝たいと思うだろうか。
「あの、銀さん?何してるんですか?」
 どうにも今の状況が飲み込めず、新八は間の抜けた質問を口にする。
 銀時は目を閉じたまま煩そうに眉根を寄せて、低い声音で答えた。
「寝るっつってんだろ、煩くすんな」
 太股に感じる体温は特に異常な温度というわけでもなく、見下ろす銀時の顔色も悪くは無い。けれどこの行動は、おかしすぎた。
「いやいやいや、黙っていられる状況でもないですよコレ。何で僕が男に膝枕しなきゃいけないんですか、ていうか、女の子じゃないんだから枕にするには硬いんじゃないですか、ねぇ」
「大丈夫だ、お前はまだまだ筋肉が足んねぇから、そう硬くもない」
「失礼な、これでも毎朝鍛錬してるんですよ。その内がっちり筋肉だって付きますからね」
 銀時を始め、周りにいる人間が普通じゃなさ過ぎて、どれだけ鍛えても強くなったと思えない新八は、そういう意味では常に向上心を保てる良い環境にいると言える。
 しかし銀時は、その言葉にますます眉間に皺を寄せて馬鹿野郎と呟いた。
「んなに鍛えてどうすんだ、新八よぉ。これから戦争にでも行くってのか?冗談じゃねぇぞ。何の為に俺たちが刀握ったと思ってんだ、適当でいんだよ適当で。これからの時代、手には職だ職」
 いつもの軽口の様にやる気の無い口調だったが、相変らず寄った眉間の皺と聞き逃せない言葉に新八は息を呑む。
「銀さん・・・?」
 彼が昔を連想させるような言動をすることは滅多に無く、彼がかつて攘夷戦争に参加していたことも彼自身ではなく桂という元仲間から聞いた話だった。
 そんな銀時が、自ら昔自分が刀を握って戦ったことを口にした。
「何か、あったんですか?」
 誰か、昔の仲間にでも会ったのだろうか。いや、彼は昨夜は出かけていないと言ったし、昼間もそんな様子は無かった。ならば、何か夢でも見たのだろうか。昔、彼が血なまぐさい世界に生きていた頃の。
「べつに」
 けれど先ほどの言葉も失言であったことに気付いたのか、銀時はそれ以上何も言わずただ目を瞑る。ただ、答えが無いことが答えになって、新八は彼が何かしら本調子ではないことを悟る。
 自分は、戦争を知らない。町道場の息子に生まれ、剣は学んできたが実際人を斬ったことなど無い。だから、その手で人を切り伏せ返り血を浴びながら、戦場を駆け巡った彼の過去を聞きだしたところで、自分に言える事など何も無いのだ。
「そうですか」
 だから新八はそれ以上聞き出そうとはせず、彼に文句が無いのなら膝くらい貸してやろうと現状を受け入れた。
「じゃあ、寝てください。万事屋オーナーが隈作ってたんじゃ、示しが付かないですからね」
「あー」
 そして大きな欠伸を零して、寝息を立て始めた銀時に、新八は溜息を一つ零す。
 自分がもっと大人だったら、もっと彼が楽になるような何かをしてあげられたのかもしれないのに。自分が子供で頼りないから、彼を支えられるような強さを何一つ持っていないから、こうしてただ足が痺れることを我慢する程度しか、役に立てない。
(もっと早くに生まれてれば良かった)
 いっそ、彼と共に戦場を駆け巡っていれば。
 そして、実際に背中を預けて戦っていたであろう桂の存在を思い出す。
 二人の間には、お友達という優しい空気は存在しない。けれど確かにそこには、何があっても揺らがない信頼関係があるよう思う。新八は、それが羨ましくて仕方の無い時がある。
 背中を預けられる男になりたい、守られながら戦うなんて情けなさ過ぎる。
 戦争に行きたいわけではない、人を傷つけたくて剣を握るのではない。ただ、彼のお荷物ではいたくないだけだ。もっと偉そうなこと言えば、守る為に強くなりたい。
 彼が神楽や自分をいつも命がけで守ってくれるように、自分だって彼を守りたいと思う。死んだ魚の様な目をしたやる気の無い態度とは裏腹に、いつだって自分を真っ先に犠牲にする彼を、追いかけるのではなく隣で一緒に走れるようになりたい。
(まだまだ時間は、かかるだろうけど)
 それでも、こうして膝を当てにしてくれる程度には信頼されている様なのだから、望みはあるだろうと新八は僅かに口角を上げた。
 手持ち無沙汰になった手を持ち上げ、そっと銀時の癖毛に触れる。嫌がって目を覚ましてしまうだろうかという懸念が一瞬浮かんだが、銀時は目を覚ます事無く寝息を立て続ける。その上、静かに新八がその髪を梳くと、寄せられていた眉間の皺が僅かに緩んだ。
(あーあ、無防備な顔・・・。だらしないなぁ)
 その内おなかを空かせた神楽が自ら起きてくるまでは、このままでいてあげよう。彼女にはちょっと、こんな威厳の無い銀時の姿は見せられない。
(これ以上マダオ扱いされる要素を増やしても、可哀相だしね)
 束の間だけれど、銀時に良い眠りを与えられてれば良いと願いながら、新八は銀時の髪をもう一度梳いた。









 夜に寝てるばっかりの銀新しか書いてないので朝の話にしたのに、やっぱり寝てる・・。
 時期としては、紅桜編より前です。紅桜編では、新ちゃん見事に似蔵の腕切り落としてましたねぇ・・・。あの辺りの話とかも、書いてみたいです。新八とか銀時とかの心情を妄想すると、たまらないものがある。