ほっと。







  柾輝は、誰かが近づいてくる気配を感じて、ふと視線をアスファルトから引き剥がした。
「あれ」
 目の合った相手と同時に声を上げる。現れたのは待ち人ではなく、しかし知っている人物だった。
「水野」
 違う中学とはいえ、ここは都内某駅前。出会う確率が無いわけではないが、それでもこんな街中で偶然出会うのは驚く。それは相手も同じだったらしく、水野は目を大きくして柾輝を見つめてきた。
「黒川?珍しいな、こんなところで会うなんて」
 しかし水野はすぐに、いつもの感情の読みにくい表情に戻る。
「まぁな、待ち合わせ。お前も?」
 関東圏では良く見るカフェの入り口あたりで、二人は微妙に距離をとって並んで立った。
「ああ・・・」
 それきり会話は途切れる。別に離れてしまってもいいのだろうが、全く知らないわけでもない相手にそれは何だか失礼な気がして、水野はぎこちなくだが会話を続けようと試みる。
「椎名と?」
 彼の交友関係といえば、サッカー関連しか思い浮かばなかったので言ってみただけだったのだが、柾輝はあっさりと頷いた。 「ん。けどあいつが遅れることなんてないんだけどなぁ・・」
 柾輝は時間を見ようとして、上着のポケットに突っ込んでおいたPHSを取り出そうとしたのだが、あまりにもかじかむ指先のせいで、それを地面に落としてしまう。
「あ」
 ごとん、という音と共に落下したPHSを、水野が手袋をはずしながら先に屈んで拾った。そして柾輝に手渡してやる。
「ワリ、さんきゅ」
 苦笑しながらそれを受け取る柾輝の指先がほんの少し、手袋のおかげで温められていた水野の手の甲に当たって、水野はそのあまりの冷たさに手を引っ込めそうになる。
「冷て。お前、何で手袋しないわけ?黒いから分かりにくかったけど、それ下手したら霜焼けにならないか?」
 そう言いながら改めて柾輝の服装を観察する水野。柾輝は、冬物のコートは着ているものの、マフラーも手袋もイヤーマフもなし。勿論帽子もかぶっていなくて、短い髪から覗く耳が寒風にさらされている。
「寒そう・・・」
「そういうあんたは完全防備だな」
 今上げた柾輝の着ていないものを、殆ど全て身に着けている水野。水野は少しふてくされたように、両手をコートのポケットに突っ込んだ。実はそこにはカイロまで入っていたりする。
「あいつが遅れてくるのは決まってるから、このくらいしないと待ってられないんだよ」
「ふーん」
 柾輝はそれ以上は聞こうとはせず、二人はただ、ほ・・と白い息を吐き出した。

 シゲが改札の人ごみを掻き分け、いつものように遅刻して待ち合わせ場所の某カフェ入り口付近に行くと、そこにある筈の不機嫌な顔は見られなかった。
「あれ」
 思わず声に出して首を傾げるシゲ。その肩を誰かが叩いた。
「金髪君じゃん」
「姫さん」
 実際は身長差があるため、肩というよりは背中を叩かれた形になったのだがそれはともかくとして、そこに居たのは椎名翼だった。
「お前も待ち合わせ?」
「も、てことはあんさんも?」
 翼はそう、と頷きながら周りをきょろきょろと見回した。どうやら、彼の待ち合わせ相手も来ていないらしい。
「っかしーな。遅刻かよ・・あのやろ」
 形の良い眉を寄せる翼に、シゲは何の疑問も持たずに話しかける。
「黒川、やったっけ?そんなにルーズな奴なん?」
 あっさり待ち合わせ相手を指摘されたことにも、特に動じた様子もなく翼は軽く首を振る。
「時間に遅れそうになって、着の身着のままコートの前も止める間もないほどギリギリに出発して、それなのに結局間に合わなかったりした、てことはないけど?」
 それはまんま今のシゲの格好から連想されることである。言い当てられてシゲは苦笑しつつ、赤くなった指先に白い息を吹きかける。
「俺もなー、てっきりたつぼんはもう来てると思てたんやけど・・・」
「あー、五分前とかに絶対来るタイプだね、あいつ」
「やろ?」
 翼も翼で、シゲの待ち合わせ相手などとっくに予測済みだったので、わざわざそれを確認したりはしない。
「・・・かしーな・・」
 二人がほぼ同時に呟いて、ほう・・・と吐き出した白い息は、澄んだ冬の空気に拡散していった。

 水野は横に居る人物が一言も発さない重みに耐えかねて、ぼそりと小さく独り言のように呟いた。
「ごめん」
「は?」
 驚いた表情をして振り返る柾輝。
「俺、さ・・。その、あんま仲良くない・・つーか、話したことない奴と話すの、苦手で・・」
 しどろもどろに言い訳めいたことを説明する水野に、柾輝はふ・・と柔らかく息を吐いた。
「別に。いっつも賑やかな奴らといるから、たまには落ち着く」
「ああ・・・。確かに、飛葉の奴らは賑やかだな・・」
 水野はメンバーを思い浮かべて小さく頬を緩めた。
「だろ?特に翼な」
「・・・俺なら疲れるかも。あのマシンガントーク」
声を立てて笑う柾輝に、水野も幾分緊張を解かれた。そのせいかついそんなことを言ってしまって、直後にあ、と顔をしかめた。しかし柾輝は特に気に触った様子はない。
「まあ、慣れだろ。つーか、いつもずーっとあんだけ喋ってるわけじゃないぜ」
 それはそうだろう。水野は馬鹿なことを言ったと軽く詫びて、そして二人は笑った。

 柾輝と水野の間のどこかぎこちないコミュニケーションなど、翼とシゲには無縁である。
「あー遅い!柾輝の野郎、何やってんだ!」
「電話してみればええやん」
「・・・。電波届いてない」
「ありゃ」
 二人は入り口のガラスに寄りかかりながら、何とはなしに道行く人々を眺めていた。まぁ、待ち合わせの相手を探していないわけではなかったが、それよりもただぼんやりと眺めているといったほうが適切だろう。
「お前こそ、電話してみれば」
 翼が折りたたみ式の携帯を無造作にポケットにしまうのを見ながら、シゲはあかんねんと苦笑した。
「俺も持ってへんけど、たつぼんも持ってへんから」
「え、今時?待ち合わせに便利だぜ。まぁ、今は役に立ってないけどさ。これは僕の責任じゃないね、通じないところに居るあの馬鹿が悪い」
「んー、でもまぁ、たまには待つ立場でもええかなと思て」
「たまに、ね。普段の水野の苦労が偲ばれるよ。"神田川"じゃあるまいし。その内待ち合わせすらしてもらえなくなるんじゃない?」 「ん〜、シャレにならんな、たつぼんだと」
 毎日顔を合わせているクラスメートのように、スムーズに会話をするシゲと翼。根本的に話し好きなところが合うのかもしれない。 「何かさー。こうやって喋ってると、お前と水野って会話になんのかなーとかどうでもいいこと思うんだけど」
 翼が再び携帯を持ち出して、手の中で開いたり閉じたりして弄ぶ。シゲはそれを視界の端で見ながら、人ごみの中に茶色い髪を見つけては、思わず目で追った。
「ならへんねー、たまに。けど別に、それはそれでいいんやけど。おらん?そういう奴」
「どんな奴さ」
 翼も背格好の似た男を何人か目で追いながら聞き返す。
「人付き合いしてくと相手に二タイプできると思うねん、俺。どーしても会話せんと間がもたん、ちゅーか落ち着かん相手と、黙ったまんまなのに全然気にならんで、何時間でも一緒に居れる奴。俺にとってたつぼんは後者やな。やから、別に竜也が口下手でもぜーんぜん構へんの」
「俺らは前者だな」
 口端で笑った翼に、シゲも同じような表情で笑い返した。
「黒川は後者やろ。せやないと、あいつがあんさんのマシンガントークに胃ぃ壊さんわけないもんな」
 少々嫌味の込められたその台詞も、翼は軽く受け流す。
「ま、ね。つまりはそういうことだよな」
「な」
 その時、二人の他に待ち合わせをしていたらしい女子高生の携帯が鳴り出した。ジャラジャラと派手なストラップをつけた携帯を取り出しながら、彼女は独特の間延びした声音で話し出す。
「ちょっとー、今どこにいんのよー。えー?だってそこにいいるよ、あたしー。あんたが間違ってんじゃないのー?は?西?嘘、あたし東にいんだけど。マジで!?西にもあんの!?うわ、ごめーん、思いっきり西しかしらんかったー。今から向かうわ〜、もうちょっと待ってて〜」
 そして小走りに携帯をしまいながら駅の東口のほうに向かう彼女の背を見て、二人は思わず顔を合わせた。

「あ、来た」
 先に気付いたのは柾輝だった。続いて水野も見慣れた金髪を捕らえる。
「何で二人一緒なんだ?」
 水野の疑問に柾輝もさぁ・・と首を傾げる。シゲと翼はすぐに二人の前まで来た。
「姫さんと一緒に、東におったわ」
 シゲが息を弾ませながら、快活に笑った。寒さのせいか走ったせいなのか、赤くなっている頬を見て、水野は文句を言う気が失せた。代わりに口から漏れたのは、ほ・・という短い溜息。
「いつからいた?」
 尋ねる柾輝に翼は眉間にしわを寄せて問い返す。
「お前こそ。せめて手袋くらい買ったら?」
 そして翼の唇からも文句交じりの、ほ・・という息が吐き出される。
 水野は真っ赤になったシゲの指先に目をやって、まるで自分が痛いかのような表情をする。
「シゲ、またギリギリに出てきたんだろ。余裕もって起きろよ、手袋くらい持って来られるだろ」
「ん〜。お布団が離してくれんかったんやもん」
「馬鹿?」
「ひどっ。まぁ、長いこと寒い中待たせたお詫びに奢ってやるさかい、機嫌直し」
「別にいいよ。どっちか言わなかった俺も悪いし・・。今回だけな」
 柾輝は、先ほどとは打って変わって口数の増えた水野を眺めて、それから翼に視線を戻す。
「毎度毎度ホンと寒そう、お前」
「そんなに気にならないけどな」
「鈍いんじゃない?」
 一つ一つの台詞が心なしか短くなった翼を見て、シゲは肩頬だけで器用に笑う。それを見止めて水野が不思議そうに首を傾げた。
「あ、何でもあらへんよ」  シゲは水野に笑いかけると、柾輝と翼に向き直る。
「ほたら俺ら行くわ。機会があったらまたサッカーでもしようや」
 そしてさっさと歩き出してしまう。水野も慌ててその後を追った。
「ちょ、シゲ。あ、じゃあな、二人とも」
 シゲを追いかけて軽く走った水野はあっという間にシゲに追いついたが、柾輝と翼の見ている先で、二人は特に何を話すわけでもなく並んで歩き出し、すぐに人ごみに消えた。
「ああ、じゃあな」
「バイ」
 翼と柾輝は聞こえていないだろう挨拶を返して、翼が軽く柾輝を見上げた。
「行くぞ」
「へーい」
 癖のある髪を翻して歩き出した翼に従って、柾輝もゆっくり歩き出した。

 水野は隣を歩くシゲの、ポケットに入っている手が気になって仕方ない。
「なぁ、寒くない?手袋貸そうか」
 シゲは軽く肩をすくめただけで、
「いらん。どうせ帰ったらたつぼんが暖めてくれんもん」
 人ごみのせいで叫ぶことは憚られたが、水野はしっかり肘鉄だけは食らわせて、歩調を速めた。シゲはみぞおちを押さえながらも背後から付いてくる。そしてこう付け足した。
「たつぼんおってくれたら、身体が寒いのなんてどうでもええわ」
 水野は恥ずかしすぎて、低く呻くので精一杯だった。
「だったら裸ででも歩いてろ・・・!」

「うわ、じんじんする」
 店に入って暫くすると、柾輝がそう言って苦笑した。翼は呆れ顔をするしかない。
「当たり前。馬鹿じゃん。ほら」
「さんきゅ」
 無造作に差し出された翼の手の平に、柾輝は自分の指先を重ねる。翼が女顔だから、こんな人気の多い場所でもできることだ。
「お前さ、これ狙ってない?」
 自分は手袋をしていたせいでそんなには冷たくない手で、柾輝の指を暖めてやりながら、翼は瞳を細めて柾輝を睨み付ける。柾輝は悪びれもせずあっさり認めた。
「一番あったかいんだって」
 翼の頬が、暖房のせいではなく紅潮した。


あなたがいない。  ほっとためいきがでる。
 あなたがきた。  ほっとあんどがもれる。
 あなたといる。  それだけであたたかい。









ばかっぷる二組・・!やってられん・・!←なら書くな。
柚彌(ゆずや)様、リクエストありがとうございました。「シゲ水、マサツバを一緒に」は達成されていますでしょうか・・。リクエストから書かせていただくのは初めてで、緊張しました。
の割に、大変楽しんで書かせていただきましたが。笑。
「ほっと三段活用(嘘)」にこだわってみました。