略奪愛。







 


「水野っ、お前その薬指!!」
 真田一馬の声に、更衣室の視線が一点に集中する。
「・・・何だよ」
 眉をしかめながら、竜也はシャツを脱ぎかけていた手を止める。その右手の薬指には、真田が言った通り銀の細い指輪がはめられていた。
「彼女できたのかよっ。こないだまで無かったよな!?」
 裏切り者っ、と叫びながら詰め寄る真田をかわしながら、竜也は脱ぎかけだったシャツを脱いで畳み、
「あぁ、今日は外してくるの忘れたんだな」
 そう言いながら指輪を外してその上に置く。
「えー、何それ。じゃぁ大分前から居るのかよーー」
 真田の後ろから若菜に覗き込まれ、竜也はユニフォームに着替える手を休めずに淡々と答える。
「夏休み前、六月位」
 それを聞いた真田と若菜は、指を折って月数を数える。
「もう三ヶ月近く前じゃねーかっ。くっそー。高校生になったからって、色気づきやがって。水野のくせに」
「一馬は羨ましいだけだろ。にしたって、何で隠してたんだよー」
 眉尻を吊り上げて何故か怒る真田と、口端を可笑しそうに歪めて笑う若菜に、竜也はうんざりして溜息を吐いた。
「わざわざ言うことでも無いだろ。ほら、早く着替えろよ」
 ロッカーを閉めるのと同時に話題を終わらせようとした竜也に、真田若菜の保護者的存在である郭が何気無く尋ねた。
「わざわざ家で外して来なくても、ここで外せば良かったじゃない」
 その言葉に内心ぎくりとしながらも、竜也は顔を伏せてスパイクシューズの靴紐を結ぶ。
「ここで外して無くしたら悪いし、元々そんなに好きじゃないから」
 何を、とは郭は尋ねて来なかった。ただ興味無さそうに、ふうんと呟いただけだった。
 竜也は靴紐を結び終えて立ち上がっても、先程から更衣室の奥に陣取っている筈のシゲの方を見ることが出来なかった。


 シゲとはどういう関係だったのかと問われても、竜也には上手く説明できない。
 仲は良かった方だと思う。友情とはまた違ったモノだったとも思う。キスはしていたし、身体も数回なら重ねたこともあった。
 けれど、それらに何か意味があったのかどうかが分からない。慰め合いだったのか、気紛れな戯れだったのか。
 ただはっきりしているのは合意の上だったことと、東京と京都の間でも繋がる様な確かな想い(もの)があったわけではなかったこと。
 だから高校に上がって竜也には彼女が出来たし、シゲともU−16以外では会わなくなった。
 仲違いした訳ではない。U-16で会えば、普通に話もする。ただ、彼女のことだけは何故だか報告できなかった。
 わざわざ報告するようなことではないと言い聞かせながら、家で指輪を外していた。
「たつぼん、彼女ってどんなん?」
 シャワー室から上がって来たシゲが、乱暴に髪をかき回しながら唐突に尋ねてきた。
「・・・は?」
 既に着替え終わっ終わった竜也の方にちらりと視線を向けてから、シゲはどかっと更衣室内のベンチに腰を下ろす。
 今日の竜也は何だか集中力に欠けて、それを見咎めたコーチが竜也に後片付けを命じていたので、既にロッカーには二人以外存在していない。そもそも竜也は、シゲが何故こんな時間まで残っているかの方が不思議だった。
「お前、何してんの?こんな時間まで」
 てっきり皆もう宿舎の方に行ったと思い、のんびり着替えていた竜也は眼を見開いてシゲを見返す。
「俺が先に質問したんやけど?」
 湿ったタオルを首に掛けて、シゲは膝に腕を乗せて頬杖を付いて竜也を見上げる。
「彼女て、どないな子?」
「どんな・・て」
 困惑したように前髪を掻き上げる竜也の薬指には、きちんと指輪がはまっている。それに気付いたシゲは、瞳を細めてそれを見つめた。
「普通の子だよ。武蔵野森の女子部の子で身長は150あるかないかで、髪の毛栗色に染めててピアスの穴は左右一つずつ。華奢なアクセが好きで、本人も華奢で・・」
「その指輪も、彼女の見立て?」
 言われて、竜也は自分の右の薬指に視線を落とす。そしてまるで溜息のような吐息を吐き出した。
「俺には、銀の細い指輪がいいって。サッカーする時は危なくてしてられないから、余りする機会は無いって言ったんだけど」
 そうやって婉曲に拒否しようとした竜也に、彼女は朗らかに笑って言った。”私と居る時に着けてくれればいいんだ。私が、竜也とお揃いの物を着けていられるのが、嬉しいから”。
 そう言った彼女を本気で可愛いと思ったし、だから出来るだけ着けるようにしている。
「ふぅん、趣味はええね。似合うてるよ」
 褒め言葉を口にしながら、シゲのその言葉にはどこか棘が感じられた。
 竜也が訝しげにシゲに視線をやると、シゲはあごを手の平に乗せながら下卑た笑いを漏らした。
「もうヤったん?」
 何をなんて聞き返すほど、竜也ももう子供ではない。そして、それに対して一々狼狽するなんて可愛げのある反応も、もう出来なくなっていた。
「何で、てめぇにそんなこと言わなくちゃならねぇんだよ。大きなお世話だ」
 吐き捨てるように言い捨てて、竜也は更衣室を後にしようとする。しかし、シゲの前を通り過ぎねば出口には向かえず、そしてシゲは通り過ぎようとする竜也の腕を強く掴んだ。
「何だよ」
 竜也を掴む腕以外は先程から微動だにせず、シゲは睨み付けて見下ろす竜也を見上げて口端を上げて笑っている。
 そして、その吊り気味の目を細めて、他には誰も居ないというのに囁くような音量でそっと尋ねた。
「自分、女で勃つん?」
 何でもない振りなんて出来なかった。
 ガッ!!
 自由な方の利き腕を振り上げて拳をシゲの頬に叩き込んだが、掴まれていた腕もシゲが傾ぐのと共に強く握りこまれて手首がギリ、と痛んだ。
 しかし、そんな痛みに一々眉をしかめる余裕など無かった。
 体勢を崩しながらも殴られた頬に笑みを刻んだシゲに、ベンチの上に引き倒される。
「・・っわ!」
 シゲに覆い被さる様な体勢になりながら、竜也は狭いベンチから滑り落ちない様に、咄嗟にシゲの頭の脇に利き手を付いて何とか身体を支える。
  「・・んぅっ」
 そして竜也がシゲに罵声を浴びせようとする前に、シゲは竜也の首筋に腕を回して乱暴に竜也の顔を引き寄せて口付けてきた。
「・・っぅ・・!」
 ぬるりとした他人の舌が、唇を舐める。唇を開くことを促すように何度も舐められ、竜也は逆に決してそれには従うまいと唇を強張らせる。
「・・っ」
 首後ろに回されてたシゲの指が、後頭部の髪に絡む。まるで髪を引き千切ろうとするかのようなその仕草に、竜也は眉をしかめて僅かに唇を開いてしまった。
 その隙間にシゲの舌は侵入してくる。
 上あごを舐め上げ、舌を絡めて吸い上げる。そして角度を変えるついでに軽く上唇を食む。 
「ぁ・・・」
 覚えのあるそのキスに竜也の腕に力が入らなくなり、それは崩れて竜也は肘を付いた。
「・・ふ」
 しかし、シゲの笑うような吐息が唇に掛かり、竜也の髪に絡んでいた指がからかう様に首筋をなぞった途端、竜也の身体にかっと血が巡った。
 過去に女のように抱かれたその身体で女を抱けるのかと、今しがたのたまったシゲの言葉が頭を巡り、竜也は全体重をシゲに落として身体を支え、シゲのあごを掴んで自らその唇を塞いだ。
 いきなり身体を全て預けられてシゲの口から苦しげなうめきが漏れたけれど、そんなものに気を掛けるつもりは微塵も無かった。寧ろそのまま窒息してしまえばいいとさえ思う。
 愛撫を受けて感じるだけではないと、開かれ侵されて喜ぶだけの単なる器ではないと、半ば意地の様になって竜也はシゲの口内を貪った。
 肺を竜也に押さえ込まれ、呼吸すら飲み込まれそうな口付けを交わされ、シゲの息が早々に上がってくる。
「は・・・・」
 竜也はそっと薄目を開けて、苦しげに眉をしかめたシゲの表情を視界一杯に認めると、やっと溜飲も下がった様に頬に笑みを浮かべてその唇を開放して、シゲに馬乗りになる格好で身体を起こした。
「・・・俺が、何だって?」
 シゲは狭いベンチから脚を片方落として、不敵な笑みを浮かべながら見下ろしてくる竜也に片手で降参のポーズを取った。
「失言でした。たつぼんはご立派な男性です」
 そして、未だ掴んだままの指輪のはまった竜也の右手を口元に引いてくる。
「何・・っ」
 口内で同じ温度で感じていた相手の舌がそれより幾分低い体温を宿す指先に絡められ、竜也は手首を捻ろうともがくが、手首を締め付けるシゲの指がそれを許さない。
 シゲの舌は竜也の指の第一関節辺りを一度噛み、そのまま指の裏を付け根まで這い下りる。
「やめろ、シゲ」
 目元を紅潮させて制止の声を上げる竜也に、シゲは目尻に皺を寄せてにっこりと笑う。
 シゲの紅い舌は竜也の銀の冷たい指輪を撫でるようにに一周し、中指と薬指の間の薄皮を舌先でちろちろと舐めた後、竜也の薬指全てを熱い口内に納めきった。
「や・・めっ」
 シゲの狭い口内で竜也の薬指はその熱とぬめりを感じ、付け根にシゲの前歯が立てられるのを感じた。
「なん・・っ?」
 シゲはそのまま、竜也の指を口内から引き抜き始めた。竜也の指輪を前歯で挟んだままで。
 ゆっくりと指から指輪が引き抜かれるのを感じながら、ちゅる・・と透明な唾液を引いて、竜也の指はシゲの口内から解放された。
 シゲの口元に残ったその指輪はシゲの唾液で濡れ、蛍光灯の明かりを反射して妙に綺麗に光った。シゲはその指輪の輪の中に赤い舌先を差し入れて、唾液で濡れる唇を歪めて笑った。
 ぞくっと竜也の腰に痺れが走る。
 そしてシゲは一度指輪を完全に口内に含むと、再度それを竜也に見せ付けるように舌に乗せて覗かせて、それを手の平の上に吐き出した。
「そないに好きじゃないんは、指輪?」
 愉しそうに笑いながらシゲは、その指輪を握り締める。
「それとも・・・・」
 竜也は咄嗟に強く瞼を閉じた。
「彼女?」
 限界まで寄せた眉根に深いしわが刻まれ、目頭に痛いほど力が込もる。耳を塞ぎたい。でも、塞いだら完敗する。
 シゲのシャツを握りこみながら、竜也は異物感の無くなった右薬指のことを思う。
「たつぼん、俺と、遠恋しよ」
 シゲは握ったその指輪を何の躊躇いも無く、硬い床の上に落とした。
 カツーンと軽い音がしたが、竜也はその指輪を追えない。
「今更・・っ」
 転がる指輪の銀の曲線が瞼の裏に浮かぶ。そして、竜也がサッカーで忙しくて余り遊べない事に文句を言いながら、竜也が謝罪すればちゃんと許してくれる、可愛い同い年の彼女のことが。
「今更、たつぼんが他に持ってかれるんは我慢ならんのや」
 なのにそれを打ち砕くかのように響く、シゲの声。
 彼女の顔が、侵食されて、浮かぶのは、鮮やかな、金の、髪。
「俺に・・っ、どうしろって・・・!」
 右薬指の付け根に爪を立て、竜也は彼女の笑い声に縋ろうとする。
 けれど。
「ほっぺたに紅葉できても、たつぼんならかっこええよ。大好き」
 耳を侵す、男の低い笑い声。
 頬に触れる、節の目立つ指。  竜也の唇から引き絞るような嗚咽が漏れて、頬に伸ばされたシゲの指を浴びてきたシャワーの様に温かな水が濡らした。


   後日の練習前、指輪が見当たらない竜也の薬指にまたもや目ざとく気付いた真田が、からかい混じりに振られたのかと尋ねたところ、竜也は淡々と、
「略奪された」
 と答えた。
 すると、彼女を他の男に獲られたのだと解釈したらしい真田がいやに殊勝に謝罪してきたので、竜也は困ったように笑いながら、気にするなと返した。
   













 彼女がでてきてなーいいっ。
 ”彼女持ちの竜也と、その彼女から竜也を奪に来るシゲ”がリクエストだった筈・・・!!なのに何で竜也が自ら罠にはまってるんだ!!
 ごーめーんーなーさーいー・・・。
 「略奪」というリクエストが来た時点で、”竜也の指輪を咥えて笑う悪い男シゲ”という映像が浮かんでしまいまして・・・・。絵では描けないのでせめて文で・・!と思ったんですが、果たして表現できたのか。(涙。

 ゆうき様、”約束が違う!”との理由で返品も可です。申し訳ありません。
 33,333ヒットありがとうございました、見捨てずにこれからもお付き合いください。(涙。