主要任務







 壁の時計の針が、午前の就業の終わりを告げる。
 大きな欠伸をして佐藤は椅子から立ち上がり、食堂へ向かおうと扉に手をかける。
「あら、佐藤少尉、これからお昼?」
「あ、小島大尉。お疲れさんですー」
 大量の書類を抱えた小島が扉の向こう側に立っていた。扉を引いて小島の進路を開けると小島が微笑んで、ありがとう、と言いながら部屋に入る。
 この上司は気の強いところもあるが基本的には美人で気の付く、いい上司と言えた。
「手伝いますよ」
 シゲも室内に戻り、小島の腕から書類を半数以上受け取る。それをどこに置くのかと視線で問えば、小島もまた視線で答えるように一番窓際の席、つまりは二人の直属の上司である水野中佐の席を見た。
 しかしそこに肝心の水野はいない。それを見て取り、小島は眉根を寄せた。
「またいないの・・・」
 そして資料を机に置いてから、佐藤に向き直ってすまなそうに肩をすくめた。
「悪いんだけど、少尉。四階の資料室に行って、見てきてくれない?多分そこに居ると思うのよ。それで、お昼食べさせてくれないかしら」
 佐藤がこの西方司令部に所属になって水野中佐の部下に配属になってから、その上司は度々仕事場からいなくなることがあった。別にサボっているわけではないのか、小島もよっぽどのことが無い限り捜しに行ったりはしない。水野が最低限の仕事を終えてから、そういう行動を取ることが分かっているのだろう。
「ええですけど、自分で昼位食いに行っとるんやないですか?」
 確か彼は昨夜この仕事場で残業だった筈で、今朝自分が出勤した時に朝食だといって簡易食品を食べていた。さすがにあれでは今頃腹が減るだろう。腹が減ったなら、自分で食堂に位行くものだろう。
 そう思って佐藤が問うと、小島は盛大な溜息を漏らした。
「その目で確かめてくれた方が早いわ。いつも私が行くんだけど、今日は午後からの会議の資料整理があるのよ」
「まぁ、見てくるくらい、構いませんけど」
 ごめんなさいお願いね、と苦笑する小島に軽く敬礼を返し、佐藤は廊下に出る。

 ようやく覚えてきた司令部の地図を頭の中で開きながら、四階の資料室へ向かう。
「中佐ー?」
 軽くノックをしてからドアノブに手をかけると、何の抵抗も無しにそれは内側に開く。
 中に入り込むと、少々のカビ臭さと誇りっぽさに佐藤は鼻を鳴らす。ここに入ったのは初めてだった。
「中佐?いないんですか?」
 やはり既に昼食を摂りに行ったのだろうと思いながらも一通り見てみようと考えて奥に足を進めると、本の隙間から人影が見えた。
 ひょい、とその本棚の後ろに回ってみると、張り出し窓に腰を掛け、隣に立てた脚立に大量の本を積んで手にも分厚い一冊を持った水野が、真剣な顔をして本に向かっているところだった。
「居るんやないですか」
 返事くらいしろよと思いながら近付いてみるが、水野は全く顔を上げないどころか肩をピクリとも動かさない。
「中佐・・?」
 まさか目を開けたまま寝てるのではなかろうなと疑いながら、そっと呼びかけてみるが反応は無し。しかしペラ、と静かにページをめくる動作をするところを見ると、起きてはいるらしい。
 ということは、こちらの存在に全く気付いていないということか。
(どんな集中力やねん)
 感嘆にも似た感想を抱きながら、佐藤は先程よりも声のトーンを上げて呼びかけてみる。
「水野竜也中佐」
 そこでようやく水野は弾かれた様に顔を上げた。
「佐藤少尉?」
 心底驚いた様子の水野に、佐藤は苦笑しながら一歩近付く。
「ノックもしたし、大分呼んだんですけどね?」
「え、あ、そうか?すまん、気付かなかった」
 そう言いながらも、すぐに本に視線を戻してしまう水野。
「小島大尉から、中佐を昼飯に連れて行けと仰せつかって来たんですけども」
 ざっと本棚に並ぶタイトルを目で追いながら、当然ながら何一つとして興味をそそられず佐藤は上司に視線を戻す。水野は相変わらず紙面に目を落としながら真剣な顔でページをめくる。
「腹は減ってないから、大丈夫だ。手間を取らせたな」
「自分、朝もろくなもん食っとらんでしょうに。減ってないんですか?」
「てない」
 ぐーーーー。
 否定した上司の言葉を更に否定するように、胃が空腹を訴えた。二人して水野の腹部を見下ろし、やがて水野がぽつりと呟いた。
「あ、鳴った」
 まるで他人事の様に話す水野に佐藤はこめかみを軽く抑えたくなりながら、無言で水野の腕を引いて立たせた。

「っ?何だ!?」
 驚愕の声を上げる水野に構わず、佐藤はそのまま資料室を後にする。慌てた水野の肘でも当たったのか派手に本の落ちる音がしたが、佐藤は振り向きもしない。
「おい、佐藤少尉!何事だ!?」
 最近来たばかりの新顔の部下にいきなり無言で腕を捕まれ、片手には読みかけの本を持ったまま廊下をハイスピードで歩かされ、水野は少々の腹立たしさも感じて声を荒げるが、佐藤は全く振り返りもせずに水野の腕を引き、食堂に入っていった。
「はい、座っとってください」
 肩を上から押さえつけるようにして空いてる席に水野を座らせ、佐藤は配膳口へ向かう。
「ちょ、おい!?」
 取り残された水野は思わず叫びかけるが、周囲の兵士たちの遠慮がちではあるが好奇心の満ちた視線に気付きに、咄嗟に冷静な振りをして自分が望んでここに連れて来させたんだとでもいう様に、持って来た本を開いた。

 佐藤が軽い昼食を持って席に戻ると、上司はまたもや本を開いていた。
「水野中佐、昼飯です」
 予想通り再び本の世界に入ってしまって返答の無い水野に、あぁもう、と思いながら佐藤はその向かい側に座り、持って来たサンドイッチを適当に千切って水野の方に差し出してみる。
「・・・・・ん」
 視界に僅かにそれが入ったのか、水野は本に目を落としたままパカと口を開けた。
「・・・・・」
 一瞬どうしたものかとは思ったが、口を開けたままの状態で上司を制止させておくわけにも行かないので、佐藤はその口にサンドイッチを放り込んでみる。
 周囲でささやかかなどよめきが怒るが、この際気にしない事にした。
 水野がゆっくりとサンドイッチを咀嚼して飲み込んだのを見届けてもう一欠片千切って差し出すと、やはり水野は口を開けた。
「中佐、物食っとる時くらい、読むの止めたらどうですか」
「ん」
 水野は生返事を返して、またぱか、と口を開ける。佐藤は諦めたように嘆息してまたその口にサンドイッチを放り込む。
 そうやって、恐らく食事をしてる意識なんて無いだろう水野に一皿分のサンドイッチを食べさせたところで、昼休みは終了した。

 まだ本から顔を上げない水野の腕を再度掴んで立たせて午後の仕事に戻った佐藤に、小島は一瞬瞠目するも佐藤の説明を聞いて苦笑した。
「有難う。うまいものね、これからもお願いしようかしら。この人、放っておくと本当に食事しないから」
 ふらふらと自分の机に戻り大分後ろまで来た本を読み続ける水野と佐藤を見比べて、小島はあごに手を当てて呟いた。
 その言葉に、佐藤は少し引け腰になる。これからも、この上司に食事をさせろというのだろうか。あれは何というか、食事と言うより餌やりに近い・・・。
(ん?餌やり?)
 自分で考えて、その言葉にふと既視感を感じる。
 小島が水野の肩に手をかけて呼んでいるのをぼんやり見ながら、どこで聞いたのだろうと思い出している内に、ばっと水野が顔を上げた。
「小島大尉!この本の指定したページをコピーしてくれ!これも付け足せば、午後の会議でストリートチルドレンの保護施設について、大分予算をもぎ取れるかもしれないぞ!」
 まるでカブトムシの取れる穴場でも見つけたような子供の目をした水野の叫びに、佐藤は水野が何を熱心になっていたのかを知る。
 自分が元居た南方よりも治安が良いとはいえ西方もまだ政情は不安定で、特に親を亡くした子供たちの問題が大きい。それについて、町の治安維持の義務も負う軍隊としても何らかの手を打たねばならないのだが、上層部は中々そのための予算を降ろしてくれないらしい、という小島の呟きを聞いたことがあった。
 それについての会議が今日あったために、水野は午前中の自分の仕事を終わらせてから資料室に篭もり、本を積み上げて熱心に何やら読みふけっていたらしい。
「分かりました、ご苦労様です。でも中佐、食事はきちんと摂ってくださいね」
「あぁ、すまなかった・・て、ん?俺、食事したっけ」
 何だか腹は満たされてるなと首を傾げる水野に、佐藤は苦笑しながら敬礼の姿勢をとった。
「僭越ながら、私が口に食事を運ばせていただきました」
 水野はきょとんとして佐藤を見た後、あぁそうかとあっさり頷いた。
「手間をかけたな、ありがとう。ついでに、これからも機会があれば頼む。どうも俺は、一度に二つのことができないらしい」
「出来ないというより、仕事以外のことが不得手なのでしょう、中佐は」
 立ち上がってぽんぽんと肩を叩いてくる水野に、資料のページを確認していた小島が突っ込みを入れる。
「人を生活能力の無い人間の様に言うな!」
 水野はむっとした表情で反論していたが、すみませんと小島が口先だけで謝っているのは明白で、佐藤は小島の言い分が正しいのだろうなと悟る。
「さぁ、中佐、行きましょう。コピーは途中でとります。あ、少尉、あなたお昼食べてないのだったら、少し休憩長くしても構わないから」
「あ、はい。ありがとうございます」
 頷く水野と資料を抱えた小島が部屋を出て行くのを見送り、佐藤は他の同僚と共に午後の仕事に取り掛かろうと席につきかけ、椅子に腰を下ろす直前になって思い出した。
「あ」
 佐藤の呟きに何人かの同僚がこちらを見たが、何でもないと笑うと皆仕事に入る。
 佐藤は書類に目を落とす振りをしながら、口元を抑えながら思い出していた。
 ここに来る前、南方司令部の元上官から言われたことだった。『鳥に餌をやったことはあるか?』と。
 その時は何のことか全く分からなかったのだが、理解した。確実に水野のことだろう。確かに食事を差し出すと口を開けるあの仕草は、餌を求める鳥みたいなものだった。
(ありえへん・・・)
 あれがこれからの上司かと頭を抱えたくなる反面、水野が必死になっていた理由についてはこの上なく好ましい印象を持った佐藤少尉であった。


 余談だが、その後彼の最たる任務は、「水野中佐に食事をさせること」になったらしい。









 急いでますので、誤字脱字は勘弁してやって下さい!!(じゃあ、書くなよ)
 だって、帰郷前にどうしても書きたかったんだ!!
 元上官の発言に着いては、Web拍手再録軍隊物3を参照ください(苦笑)