軽く二度続いたノックの音に、小島は机から顔を上げた。どうぞ、と声を掛けると扉は何の抵抗も無く開かれ、大部屋に続く扉からは見慣れた黒髪が覗いた。確か彼の地位は曹長だったなと思い起こし、小島はその人の良さそうなまだ若い青年の顔を眺める。 「失礼致します。中佐、明日の会議の件です・・・が」 敬礼をして背筋を伸ばしていた男の声が、机に座る小島を認めて尻すぼみに小さくなる。何故中佐の執務室の机に小島が腰掛けているのかと目を丸くした彼に、小島は普段座る機会等巡ってくる筈も無い上等な革張りの椅子に腰掛けて軽く嘆息した。 「水野中佐なら、出てるわ。会議の書類なら一時私が預かりますから」 大尉という地位ではあるが、時には上官の水野よりも威厳を漂わせる小島にその重厚な机と椅子は決して不釣合いではなく、伸ばされた白い手の平に部下は弾かれたように室内に入り書類を手渡した。 「ご苦労様」 パラパラと資料を捲る小島の耳に掛かる黒い髪が、窓から差し込む陽光を反射してさらりと輝く。細くしなやかな指は確かに女性らしいものだが、彼女の拳銃の腕は西方司令部によく知れ渡っている。そして、切れ者と噂される水野中佐の有能な懐刀とも呼ばれる小島は、多くの男性軍人の憧れとやっかみの対象だった。 曹長の様に小島よりも地位の低いものは素直に憧れを抱いているものが多く、大して上位にいる者は何時その地位を追われるかと煙たがっているものが多い。当然前者である曹長は暫し小島の無駄の無い所作に見惚れ、渡しておきますからと言外に退室を命じられてやっと我に返った。 「あ、はい、申し訳ありません。しかし、その、水野中佐は・・・」 今日は出かけるスケジュールではなかったですよね?と、急に何か問題でも起こったのかと訝しがる曹長に、小島は苦虫を噛み潰した様な表情で嘆息した。 「南で台頭してきた”赤い男爵”と名乗る武装集団の一味が、西にも潜伏してるんじゃないかという話があるのは知っているかしら」 「はい。先月の議題にもなりましたし」 相変わらず様々な武装集団がテロを繰り返している南方部から、今一番力を入れて追っている武装集団の一味が西に流れ込んだ可能性があるという情報が入り、西方部でも市街地の警備を厳しくし、巡回の回数と人員を増やしたばかりだ。 「彼らの潜伏先の有力な情報を手に入れたらしくて、今朝来てみたらこれが机の上にあったのよ」 そう言って小島が眼前に掲げた紙には、曹長の身分ではお目にかかる機会も無いので想像でしかないが、おそらく水野のものであろう筆跡で一言走り書きされていた。 『小島大尉、君に今日一日この机と椅子の使用権をあげよう。俺は優秀な金の犬を連れて、あいつらを探ってくる。では、1200に』 声に出して曹長が読み上げると、小島はそれを机に下ろして再度深く大きく嘆息した。 つまり、水野中佐は”赤い男爵”の潜伏先へ、金の犬―おそらく佐藤少尉―を連れただけの危険極まりない軽装で向かってしまったらしい。 1200に、というのはその時間に一度連絡を入れるということだろうが、時刻はまだ10時過ぎ、あと二時間近くも小島大尉はここで連絡を待つしかないのだ。 「大変ですね・・・・」 上官の暴走、とも言える行動を隠すでもなく曝け出す小島に曹長は苦笑する。 「仕方無い人よね」 しかし水野がこういう人間であるからこそ、こちらもまた全力で援護したくなるのだけれどと笑う小島に、曹長もそうですねと笑った。 事件が起これば真っ先に前線へ飛び出し、有力な情報が手に入れば安全を確認する前に自ら先に足を運ぶ。調査事項があれば何日でも資料室に引きこもり、集中してしまえば空腹感も睡眠欲も置き去りにする。 そして、結果は残すのだ。水野竜也中佐という人物は。 「では、お帰りになられましたら資料の方お渡し下さい」 自分は水野の直属ではないけれど、よく耳にする噂の中でいつの間にか水野中佐という人物に対して酷く好感を抱いてしまっている。 「ええ、渡しておくわ」 いつか自分もあの人の指揮で戦ってみたいと思いながら、年若の曹長は敬礼をしてから水野中佐の執務室を後にした。 その頃、水野と佐藤はやっと活気付いてきた町を私服で歩いていた。軍服で歩けばいやでも他人の目に付く上に、増えた巡回当番にやたらと敬礼される。そうなれば、どこに潜んでいるか分からない敵にむざむざこちらの同行を知らせる事になり意味が無い。私服でいれば、プライベートかもしくは身分を隠しての調査だと他の軍人も気付き、無闇に声を掛けてきたりはしない。 「それにしてもまぁ・・タイミングが悪かったというか・・・」 洗いざらしのジーパンに着古してくたびれたTシャツの上にジャケットを着た佐藤が、プカ・・と呑気に煙草の煙を吐き出す。 「・・ったく、あと一日早ければ・・!」 同じくジーパンではあるがきちんと糊の利いたシャツとコートを羽織った水野は、忌々しげに舌打ちして地面を蹴った。 仕入れた情報をいち早く確かめる為に昨夜帰宅する間際に書き置きをし、水野を家まで送る為に残っていた佐藤を車内で丸め込んで巻き込み、小島には一切告げずに今朝早く出てきたにもかかわらず、情報による彼らの潜伏先に行ってみれば昨夜遅くに引越しをしていた様だと、何も知らない近隣の者が教えてくれた。 「これで何も収穫が無かったら、小島大尉に何を言われるか・・」 一日業務を放り出して何も収穫が無かったなんてことになったら、恐らく今自分の机と椅子に何ら違和感無く座っているだろう小島は、暫くお冠になるだろう。佐藤一人しか護衛を付けず、勝手に敵に突っ込んで行った上官を褒め称えてくれる様な無能な部下ではないと、水野は重々分かっているつもりだ。 「収穫が無いてことも無いでしょう、遺留品は手に入りましたし」 余程急いでの移動だったのか、彼らが潜伏していた部屋には弾丸が一つと吸殻が残っていた。 携帯灰皿を取り出してそこに短くなった煙草を放り込んで、欠伸を噛み殺した佐藤に水野は厳しい視線を向ける。 「馬鹿、あいつらが急いで逃げたって事は、情報がこちらに来てるのをあいつらも知ったってことだ。そうなる前が叩きやすいって事位分かるだろ?」 それはそうだろうと相槌を打ちながら新しい煙草を取り出す佐藤に、水野はそのやる気の無さをどうにかしろと渋面を作る。 「そう言わはれましても、あんまぴりぴりしとったら私服の意味無いでしょう。大丈夫ですって、奴らは恐らく今浮き足立ってます。頭の程度にもよりますけど、近いうちに行動起こす可能性もありますやろ」 次こそはそこを叩けばいいと口角を上げてみせる佐藤に、水野は十面を崩さないまま呟いた。 「この西部で武器調達された挙句に、テロなんて起こされて堪るか。暫く姿をくらませる可能性だってあるだろうが」 心底悔しいといった様子で唇を噛む上官に、佐藤は熱血やなぁと青い空を見上げる。 自分が前線に居た頃は、誰の為に戦っていたわけではない。ただ、死にたくなかったからだ。生きる目的も無かったくせに死ぬことを目標に出来るほど潔くも無くて、ただ目の前に提示された敵を撃ち抜いて毎日のパンを得ていただけ。 国の為なんて欠片も思わなかった。生き残っていた町の人間達を死なせたく無いとは思っていたけれど、この隣の上官の様に身を挺しても守りたいなんて思ったことは無かった。 「聞いてるのか?」 けれど、水野は今まで佐藤が出会ったどの軍人よりも真っ直ぐに国を思っている人物だった。そして、この戦争に心を痛めている人物だった。 敵は倒す、しかしその全体を憎んでいるのではなく、ともすれば未亡人になり親を亡くした敵の家族の為に祈ることをする様な人物だ。 「聞いてますて・・・あ、すんません、銀行寄ってもええですか?俺今、札一枚も無いんですわ」 佐藤から見れば、なんて不器用な性格だと思う。敵を殺しながらその残された家族のことを思うなんて、出口の無い迷路に自ら入って行って神経を際限なく磨耗させる様なものだ。 それでも水野は、その姿勢を緩めたりはしない。 「お前なぁ・・まあ、いいけど」 早くしろよなんて言いながらも銀行に足を踏み入れる水野を見やり、そんな風に己の外側を思いやる余裕があるのは、前線に立った事の無いエリート士官だからこそできることなんだろうと思う自分の性格を、つくづくひねていると佐藤は自覚済みだ。 あの前線に居れば、そんな感情は遅かれ早かれ瓦解する。撃たれれば死ぬ、撃てば死ぬ、それだけを繰り返し日々仲間を失っていく中で、敵の事情も己の事情すらもその内どうでも良くなって、ただ引き金を引き続ける。死なないために。そういう場所だ、あそこは。 年中司令部に居て、時折現場に赴くとはいえ仕事は指揮。己の手を汚して敵を撃った事も無いという士官学校上がりのエリートは多く、おそらく水野もその類だろうと佐藤は踏んでいた。紙面上で作戦を立て、駒である部下を動かして敵を殺す。 己の手の平に拳銃の反動も血の暖かさも残らず、その身に硝煙を纏うことも滅多に無い。そんな立場だからこそ、相手を殺しておきながらその背後を思うなんてことができるのだ。 「もう、財布軽くて涙もんですよ」 開店したばかりの銀行は、その前から並んでいた住人たちで既に賑わっていた。 「飲み歩くからだろ」 窓口で番号札を受け取って並ぶソファに腰変えて順番を待つ老夫婦に倣って腰を下ろすと、隣に水野も腰を下ろしながら何やら思案にふけっていた。 大方、これから遺留品を持ち帰ってからのことを考えているのだろうなと予想しながら、佐藤はただプラスチックの番号の書かれた板を手の中で弄んだ。 周囲のざわめきと、隣から聞こえてくる老夫婦の穏やかな会話が心地良い。完全な平和とまでは行かないが、それでもこの町はまだ生きている。 瓦礫の山が連なった南方の前線を思い出しながら、佐藤は自分より先に少尉に出世し本部勤務になった黒川はどうしているだろうかとぼんやりと思った。 「47番の番号札のお客様、窓口までお越し下さい」 機械のアナウンスがそう告げ、何となく自分の番号を確認した佐藤は、それが己の番号だった事に聊か慌てて立ち上がった。 それにつられた様に顔を上げた水野は、歩き出した佐藤の背中から視線を出入り口に向け、丁度四人連れの男達が銀行に入ってくるのを見た。 最初は男の四人連れで銀行とは珍しいなと思い、次に彼らが南に多い褐色人種だと気付き、そして最後に彼らの汚れたロングコートが不自然に膨らんでおりその中に彼らが腕を差し込んでいるのを見やった次の瞬間、水野は佐藤に向かって突進していた。 「佐藤!」 「おわ!」 パァン!! 水野が佐藤の襟首を掴み、驚愕に眼を見開いている受付嬢を尻目にカウンターを飛び越えたのと、男達がコートから抜き出した拳銃を一発発砲したのはほぼ同時だった。 小島の元にその一報が入ったのは十時半頃だった。町の中心部にある大きな銀行に、男四人組の強盗が入ったと。その時点では管轄はあくまでも警察にあり、軍隊では一応応援要請を考えて待機する人員を選出しておけば良いだろうと思っていた。大抵の場合それは使われずに終わる。古今東西、銀行強盗が成功した例は少ない。 ところが。 「小島大尉!大変です!!」 今朝小島の元に会議の資料を届けてくれた曹長が、血相を変えて執務室に飛び込んで来て、小島は訳が分からないままに司令部の情報室に連れて行かれた。 「こ、これが今、うちの情報端末に送られてきたそうです!」 そこには、銀行の内部と思われる様子が映し出されていた。画像は荒く、良いカメラを使っているとは言えないが、そんなものを用意しそして送りつけてくる辺り彼らが何かしら組織立っているものと容易に考えられた。 「そして、犯行声明も・・・・」 画像と共に音声で送られてきたと震える手で渡された紙に目を通し、小島は目を細めた。それは全くセオリー通りとも言えるテロ組織の犯行声明。団体名は上手く聞き取れなかったのか空欄になっているが、何らかの武装組織の資金調達が目的と見て間違い無さそうだった。 「すぐに体勢を整えるわよ。全く、何でこんな時に中佐がいないのかしら・・・」 こんな時こそ居てくれなければ困るのにと零した小島に、曹長は更に顔色を無くしてそれがですね・・と続けた。 「ここ、見ていただけますか・・・」 指で指されたのは、銀行内部で悲鳴を上げる客達とそれを脅す犯人達が映っている画面の右端。銀行のカウンターの辺りだ。 「あの、これ、もしかして・・て話でですね・・・」 「・・・・・・っ!あの、馬鹿中佐!!!」 カウンターから僅かに覗いているのは、荒い画像でも分かる、銀行員では無く軍人である筈の佐藤少尉の金髪だった。 思わず暴言を吐いた小島の額に青筋が立つのを見て、曹長以下情報室のメンバーは肩をすくませて震え上がった。 カウンターから僅かに頭を覗かせて犯人の位置を確認した佐藤は、彼らと視線が合う前に素早く頭を下げて水野に位置を伝えた。 「入り口側に二人、中央で外に向けて銃を構えてるのが一人、奥にもう一人ですわ」 けたたましく鳴る警報機のお陰で佐藤の言葉は犯人達に届くことは無く、水野は深く頷いて隣で蒼白になっている女性銀行員に耳打ちした。 「どうか、俺達がここに居ることは伏せてください。カウンターからこちらには銀行員しか居ないと」 泣き出しそうに顔を歪めている彼女が返事を口にする前に、警報機が犯人の従の餌食第一号となった。 「てめぇら、騒ぐんじゃねぇ!!」 途端に上がる悲鳴に犯人達は怒号を飛ばし、床に蹲る客に銃を向ける。頭を抱えて蹲る、いまや人質となってしまった彼らは、パニック寸前の頭でどうにか悲鳴を堪えたようだ。 「てめぇら一塊になれ、おら、お前らも出て来い!」 サブマシンガンを携えた一人が、カウンターの内側に残っていた銀行員たちに銃口を向ける。恐る恐るといった様子で頭の上に両手をかざした銀行員達が立ち上がる中、水野と佐藤はカウンターのつい側に屈んだままでいた。 ちら・・と視線を寄越してくる女性の銀行員に水野が頷き返すと、彼女は何も言わず唇を歪ませてカウンターの外に出て行った。 遠くから、サイレンの音が聞こえる。応援部隊だろうかと思い、水野は佐藤をちらりと見やった。佐藤は息を殺してじっとカウンター越しに様子を窺っているようだった。 恐らく、外の警察も容易に踏み込んでは来れないだろう。二桁に昇る人質が居る上に、彼らの正体もまだ判別が付かない筈だ。しかし、現場に居合わせた水野と佐藤は彼らが何者か既に悟っていた。 予め用意されていたビデオに銀行の様子を撮り犯行声明を吹き込んでいるのを聞き、彼らが”赤い 男爵”の一味であることが知れた。それを聞いた瞬間に、佐藤がニッと笑ったのを水野は見過ごさなかった。 そして今も、シゲの無言の姿から何かゆらりと立ち上がるものを水野は見た気がした。 軍人と言うよりは狂犬だと南方の先輩に言われたことを思い出し、水野もまた薄く笑みを浮かべる。 「佐藤」 殆ど息だけで呼びかけると、佐藤は視線だけを鋭くこちらに向けてきた。その目は黒く澄んでいて、先ほどまでの茫洋とした色などちらとも見えない位に深く硝子玉の様に光っている。 「銃、持ってるな?」 カウンターの向こうで人質を脅している犯人達の怒声を聞きながら、水野は静かに問う。シゲもまた静かに頷きジャケットをまくって見せた。ホルスターに入っているのは一丁。それを見た水野は内心で舌打ちをした。 「お前、両手撃ちできないか?」 短い期間だが佐藤がかなり器用な人物であると分かって来た水野は、少々の期待を込めて尋ねてみた。すると、佐藤からは短く、できます、と返ってくる。 「ビービー泣くんじゃねぇよ!ぶっころすぞ!!」 犯人の声に思わず腰を上げてカウンターから目を出した水野は、突然振って沸いた非日常に怯えた赤ん坊が泣き喚くのを見た。そして、必死で赤ん坊に笑いかけ安心させようとする母親の頬に、涙の筋がいくつも通っているのを。 (許さない) 彼らにどんな理由や大義名分があるのかは知らないが、あれは敵だ。人殺しの道具は、同じ様にそれを有する人間に向けるべきものだ。何の手立ても持たない相手に向けて、その命を欲しいままにするなど、絶対に許されない行為だ。 「佐藤、お前の腕を信用するぞ」 南方では射撃舞台に居たという佐藤の経歴を思い出して、水野は自分も持っている佐藤と同じオートマッチクの拳銃を懐から取り出して手渡した。 「入り口側の二人、一発でしとめろ」 彼らが持っているのはサブマシンガン。拳銃よりも破壊力に優れ、警察や対テロ組織に好まれ同時にテロリストにも好まれている。反動が小さいためコントロールしやすく、拳銃に比べ正確な射撃も可能。 更には多くの人質。彼らに有利な条件は揃っているが、それを補って余る位の実力を持っているはずだと水野は瞠目する佐藤に拳銃を押し付けるようにして渡し、左手を懐に差し込んだ。何しろ彼は、あの椎名大佐にクセモノと言わしめたのだから。 「いいな、3・2・1で撃て。お前が殺して良いのは入り口の二人だ、後は援護頼む」 そう言ってカウンターを越える準備体勢に入ってしまった水野に、佐藤は思わず声を上げてしまった。 「ちょ・・っ」 「誰かいんのか!」 途端にカウンターに向けて銃が発射され、二人は身を翻して貫通してくる銃弾を避ける。 水野は責める様な視線を佐藤に向け、疑われたならそう隠れているわけにもいくまいと覚悟を決めた佐藤は肩をすくめて頷き返した。 「いんのか!出て来い!殺すぞ!」 「さん・・・にぃ・・・」 懐に左手を差し込んだままの水野が、拳銃を自分に渡してしまって他に武器を持っているかなんて事は知らなかったが、彼が上官で自分が部下である限り、自分はそれに従うまでだと佐藤は腹を括ってカウントダウンの声を聞いた。 「いち、GO!」 水野が立ち上がりカウンターを飛び越えると同時に、佐藤も立ちあがって入り口二人の眉間に狙いを定める。 「てめえら!」 入り口の二人はマシンガンの銃口を下げていた為、突如現れた向けられた二丁の銃口にそれを構える間もなく、彼らの眉間には佐藤の拳銃から発せられた弾丸が埋め込まれた。 彼らが一瞬で絶命した事を確信して佐藤が振り向くと、水野は左手を大きく振り切ったところだった。 「ギャ・・ッ」 中央で人質を脅していた男の右肩に、クナイに似た形状のナイフが突き刺さった。反動で引き金を引いてしまったらしく水野の足元に弾が飛ぶが、水野はお構い無しに身体を反転させて壁際の男に向かう。 「この・・っ」 「中佐!!」 真正面から水野を狙う犯人に、佐藤は咄嗟に眉間を狙うが、直前の水野の言葉を思い出して一瞬の逡巡の後太股を狙った。崩した体勢から放たれた弾丸は道筋を大きく外して天井に当たり、蛍光灯が軽い音を立てて割れた。 「死ねぇ!」 そして急所に当たったのか右腕が上がらなくなったらしい男が左手でマシンガンを拾い上げて、水野の背中を狙う。 「・・・やろ・・っ」 パン、とほぼ狙いを定める間もなく佐藤は男の左肩を撃ち抜いた。ガシャンと重い音を立ててマシンガンを落とした男に駆け寄ってそれを遠くに蹴り飛ばしながら、佐藤は男の頭に拳銃を携えたまま拳を振り下ろした。テロリストは、戦闘不能になった直後に自害する傾向が強いからだ。 それでも最後にこちらの脚に噛み付いていた男の犬歯が拗ねに食い込んだことに眉根を寄せながら、昏倒した男の背中を踏みつけ佐藤は首を巡らせる。 巡らせた先で、水野は最後の一人ともみ合っていた。 「中佐!」 援護に狙おうとしても、彼と犯人が重なり合うようにしている為においそれと撃つ事ができない。 男の頭部を狙うことは可能だ、しかしそれでは水野の言葉を守ることが出来ない。こんな時に律儀に上官の命など守っている人間ではなかった筈なのにと思いながら、佐藤はどこかで水野の手並みを拝見したいと思うのを止められなかった。 男が犯人が引き金を引こうとするのを必死で押さえつけながら、水野は男に蹴りを入れる。鳩尾に入った膝に男が呻くが銃を手放そうとはせずに、水野の顔に拳を叩きつける。 最終的にはいつでも殺せるよう銃を構えながら、佐藤はじっと息を飲んで見守った。気付けば現場の誰しもが凍りついたようにその様子に釘付けになっている。 殴られ体勢を崩した水野の手が、犯人の銃から離れた。それを待っていたかの様に男の銃が水野に向けられ、ここまでかと佐藤が引き金を引きかけた瞬間に傾いだ水野の身体が柔軟に跳ねた。 「・・っ!!」 右腕で銃口を上向きに叩き上げられ開いた男の懐に、いつの間に取り出したのか水野のナイフが深々と突き刺さっていた。 反れた銃口がまたもや蛍光灯を打ち壊し、水野が手首を捻った後くぐもった声を上げただけでずるりと床に倒れた男を見下ろした彼の上にキラキラと割れた欠片が落ちた。 的確に心臓を狙ったのだと佐藤が気付いた時には、水野は佐藤が踏みつけていた男をパソコンのコードを引き抜いて縛り上げているところだった。 心臓を貫き捻ることで空気が入り込んで、相手は声も上げずに絶命。更に今縛り上げられている男は、恐らく右腕の筋が切れている。 「皆さんご安心下さい、我々は西方司令部の者です。私は水野竜也地位は中佐、こちらは佐藤成樹少尉です。もう大丈夫ですよ」 男を縛り上げ、膝を伸ばした水野はにっこりと笑ってポケットから身分証を取り出して見せた。 徐々に現状を認識していった人質達がふいに爆発するような歓声を上げる中で、佐藤は呆然として目の前の上官を見詰めていた。 「佐藤、ご苦労さん。さすがに見事だな」 殴られた際に切ったのか唇の端から血を滴らせながら、入り口付近で絶命している二人を眺めて水野が肩を叩いてきても佐藤は何も言い返せなかった。 まさか、ここまでとは。 現場に突っ込んでいくとは、文字通りの意味だったのだと佐藤は認識の甘さを恥じた。現場で指揮をするだけの箱入り軍人ではない。水野はその気になれば前線でもやっていけるだけの度胸と腕を持った軍人だ。 「さて、外の警察もそろそろ踏み込んでくるだろう」 中で発砲があったのは外にも知れているだろうから、警察もこう着状態を打破して踏み込んでくるだろうと独り言の様に呟いて、水野はすがり付いてお礼を告げてくる老婦人に笑い返してその肩を撫でた。 佐藤は一人生き残り、これから厳しい尋問を受けるであろう犯人をただ見下ろしていた。 思ったとおりに程なくして警察が踏み込んできて、現場は一時騒然となった。銀行強盗が南からのテロ組織の一味であるという事実、それをたった二人で解決してしまった軍人の存在。何よりそれらは格好のマスコミの餌食であり、群がる報道陣に警察は二人に後日警察署へ来てくれと辟易した様子で告げた。 生き残りのテロリストは軍部で引き取らせてもらうことを約束し、水野はその書類に署名をしている中で一台の車が停まるのを認め顔を強張らせた。 隣で水野の顔を報道陣から隠していた佐藤は、その水野の様子に怪訝そうに首を傾げて停まった車を見やる。そして、後ろの座席から小島大尉が降りてきたのを見て、水野がはっきりと嘆息したのを聞いた。 「あぁ、怒られる・・・・」 書類を警察に渡し、ロープの向こうで警官と一言二言交わした小島がこちらを向き、佐藤と目が合うとにっこりと笑った。途端に、水野はまるで隠れるようにして佐藤の背中に回る。 「お二人とも、ご無事で何よりです」 「あー、どうも、何やご面倒おかけしまして・・・」 満面の笑みを浮かべる小島が何だか物騒な気がして思わず謝罪した佐藤に、小島はまるで上機嫌であるかの様に笑う。 「いえ、佐藤少尉は水野中佐の護衛ですもの。何かあったら中佐に付いて行かないわけには行かないでしょう?ねぇ、中佐」 小島が酷く優しげな声音でその名前を呼んだ瞬間水野の肩が大きく揺れたのを背後から感じた佐藤は、思わず噴出しそうになるのを必死で堪えた。 「突然無断で敵のアジトに向かったかと思えば、偶然にも銀行強盗に巻き込まれて問題のテロリストを捕縛なんて、優秀な上官に頭が上がりませんよ」 そう言いながらもきっぱりと頭を上げているのは小島で、心なしかうなだれているのは水野の方だ。 「さぁ、戻りましょう。詳しい話はまた軍部でじっくり聞きますから」 さすがにこんな所で説教するわけにもいかないのは当たり前で、小島はさっさとして下さいといわんばかりに踵を返す。 「・・・恐い・・」 思わず漏れ聞こえたその言葉に佐藤は我慢の限界で、思わず歩き出しながら噴出してしまった。 「あ、お前、笑っただろ!?お前だって連帯責任だからな!?」 慌てて咳払いで誤魔化しながら、佐藤は自分だけが悪いわけじゃないと膨れる上官を一目も二目も見直してしまった。 「はいはい、いくらでもどこにでもお供いたしますよ、水野中佐」 頭は切れるのに部下である小島大尉には今一弱いと思っていたこの上官が、更には実力も度胸も予想以上で、でもやっぱり部下に弱いということが知れて、この人物になら付いて行きたいと佐藤が心から思ったのはこの日が最初だった。 お仕事をする水野中佐が書きたかったのです!!仕事のときはカッコいいんだよ!て言う主張。普段はボケボケ(笑。 シゲが落ちた模様。最近そんなんばっか書いてるなぁと思いつつ、楽しいんだから仕方無いっす。 |