その日のことは、井上直樹の心の日記にこう記されている。 『親友が変わってしまった日』 直樹の親友とは、中学の頃から何かとつるんでいる佐藤成樹のことだ。高校も偶然一緒で、更には始業式で確認したクラスも今年はこれまた偶然同じだった。 だから、入学してから増えた気の合う友人たちに紛れて相変わらず何かとつるんでいる。 親友だと評しているのはもっぱら直樹だけで、故に他の友人たちからは『自称だろ』と揶揄されることもあるが、シゲもシゲで大した否定もしないので、まぁ嫌ではないのだろう。 そんなシゲの様子が変わったと直樹が振り返って思い当たる最初の日は、おそらく二年に進級して一週間ほど経ったある日の昼休みだった。 およそ自分達の様な不真面目な集団とは接点が無いような優等生水野竜也が、シゲの方をじっと見ていたのだ。 「なに?」 シゲもそれに気付いてやや怪訝そうな顔で水野に尋ねると、彼は直樹には意味不明の単語を呟いた。 「ストロー」 直樹を始めとしたその場に居た友人達は何の事だと首を傾げたが、シゲには思い当たる節があったらしくすぐにばつの悪そうな顔になった。 「お前こそ、パンの袋」 お返しというように呟かれたシゲの台詞に直樹達は今度は逆側に首を傾げたが、水野にはやはり思い当たる節があるらしく僅かに眉をしかめて食べ終わったパンの袋をビニール袋に放り込んでいた。 「何の話や」 水野から視線を外して振り返ったシゲにそう尋ねたが、彼は何でもないと誤魔化すだけだった。その笑みを浮かべる時は、もう何を言っても誤魔化し続けるだけだと知っている直樹は早々に聞きだすのを諦め、別の事を尋ねた。 「自分、水野と仲良かったか?」 確か二人は同じ中学出身だったとは記憶しているが、シゲと水野が何か親しげに会話しているところなど見た事が無かった。 「別に。・・小学校までは仲良かったけどな」 「え、そうなん?」 直樹がシゲと出会ったのは中学に上がってから、しかも同じ中学ではなかったので、それまでのシゲの交友関係に水野の様なタイプが居るとは極めて意外だった。 他の友人達も一様に驚いた顔をする。 「何やねん、その反応。ムカつくわ」 不機嫌そうにシゲは眉をしかめたが、直樹達が驚くのも無理はなかっただろう。片や校則を破りまくり教師から何かと目を付けられている問題児、片や教師に模範だと手放しで褒められる様な優等生。どこに接点があると思うだろう。 「保育園から一緒やったんや。小学校低学年までしか仲良うなかったけどな、ああいう奴やし」 高校が一緒だと知ったのも入学してから暫く経ってからだったと白状したシゲは、確かにその時までは何ら変わりが無かった様に見えたのだが、振り返ってみればこの日が親友の分岐点の始まりだったのかもしれないと思う。 「直樹、知っとった?水野、綺麗な顔しとるん」 シゲがそう言い出したのは、その昼休みの事があってから数日後。直樹は一瞬何を言われたのか分からなかった。 その時のシゲの表情は、道端で好みのタイプを発見した時と同じ様なもので、その表情と台詞が今一噛み合ってないぞと言いたくなった事は覚えている。 「はあ?」 職員室に呼び出された直樹を待っていてくれたシゲは、何の気紛れか図書室に行っていたのだと言う。まあ、あそこは寝るのには最適だしなと頷いていると、シゲはそこでまたにへらと笑った。 「そんでな、水野図書委員だったんよ。美穂に”水野の顔がカッコイイ”て言われて、改めて見たら別嬪やった。昔は可愛いだけやったのになぁ」 いい感じに男らしさも加わって別嬪やった、と満足そうに笑うシゲ。直樹は思わず大丈夫か?と額に手を当てて熱を測ってやった。 「熱は無いわな・・」 「失礼なやっちゃなぁ。別に沸いてるわけやあらへんて」 どう考えても頭が沸いてる奴の台詞だろうと突っ込みを入れて、その日は普通にシゲと帰った。 まさか、そんなに重傷だとは思わなかったのだ。しかしその日から、シゲは何かと図書室へ行くようになった。勿論、水野が当番の日に限ってだ。 シゲが水野の図書委員当番の日に限って図書室に出入りするようになって数週間、空は五月晴れ。降って来る雨には少々湿気が含まれ始めたが、晴れていれば気持ちの良い季節。 最早シゲは水野と下校を共にする仲になっていた。そして、その時の様子を翌日直樹を始めとする友人達に延々と報告するのが日課となりつつあった。 「そんでなー、俺が”たつぼん”てかーいらしーあだ名を付けてやったんに、たつぼんめっちゃ怒るんよー、酷いと思わん?」 (思わねぇ) 自分だったらそんな名前で呼ばれた時点で絶交だと確信しつつ、直樹は昼食のシメとしてパックジュースをすする。 「あー、何であないにきついんやろ。昨日は蹴り入ったんやで?シゲって呼んでvてお願いしただけやのにー」 指を組んでしなを作って裏声を上げるシゲに、友人達が一斉に引いた。 「キモ!」 「シゲ、それキモイよ」 「そりゃ水野も蹴り入れるよね」 「つーか、まず他人の振りをしたい相手リストに入るよな」 「阿呆やね」 「お前らまとめて喧嘩売っとんのかい!」 口々に好き勝手なことを口にする友人に、ガタンと椅子を蹴って立ち上がるシゲ。その様子を半眼で見上げながら、こいつこんなに表情豊かだったか?と直樹は内心結構驚いていた。 中学からつるんでいるんで、それこそ数え切れない馬鹿をやってきたし今もやっているけれど、シゲはいつだって余裕の笑みを浮かべていた。世の中を斜めに見て嘲笑うよう様な、そんな表情がよく似合う男だったのに。 「何で水野なわけ?突然。どうせならかわいい子と帰れよなー」 揶揄して笑った友人に、シゲはいきなりビシッと指を付きつけた。 「何言うてんねん!お前、どこ見とんのや!たつぼんほど綺麗でかわええ奴なんて居らへんわ!!」 ドゴッ!! 「うっっ!」 クラス中の注目を集めてシゲが言い放ったと同時に、後方から何かがシゲの後頭部を直撃した。 「寒いこと言ってんじゃねぇよ、佐藤」 くぐもった呻き声を発してその場に蹲ったシゲの足元に、分厚い辞書が転がった。 「うーー・・・なにすんねんお前・・・」 黒いケースに入った英語辞書。それが放られた方向に居る優等生の水野竜也は、同じ様に成績のいいクラスメイトと英語の予習中だったらしい。 まあ、いきなり人様に向かって辞書を投げつける奴が本当に優等生かどうか怪しいもんだと、直樹は最近思い始めているが。 「お前のキモさに俺を巻き込むな」 しかもこのさらりと放たれる毒舌。 (なあ、先生方。こいつのどこら辺が模範生やねん。この毒舌と暴力性を俺らに学べ言うんか?) この場には居ない教師陣に胸中で訴えながら、シゲの涙目に大笑いする友人たちを尻目に直樹は辞書を拾って席を立った。 「ほい、凶器」 渡された黒い分厚い辞書を受け取る水野は、優等生だというフィルター越しに見ていたこちらを裏切って、特にイヤミも無いごく普通の男子高生だったという事がここ最近分かってきた。 「サンキュ。あー、角へこんでるし。てめぇのせいだからな、佐藤」 ということは、角がシゲに直撃したという話になるのではないだろうかと思いつつ、僅かに凹んだケースを不満そうに撫でる水野に特にコメントするのは避けた。模範生かどうかはともかく、彼の頭の切れの良さと弁の立つ様はよく知っているからだ。 代わりに直樹は、ちらりと背後を振り返る。すると、後頭部をさすりながら未だ涙目のシゲと直樹の目が合った。途端にシゲはガバっと立ち上がり、怒鳴り始める。 「直樹ー!お前誰に断ってたつぼんに接近しとんねん!!」 放たれた言葉の阿保さ加減に、直樹は脱力した。水野も一瞬驚愕した様だったが、すぐに肩を怒らせて怒鳴り返した。 「うるせえ!たつぼん言うな、馬鹿!」 「馬鹿言うな、阿呆!!」 「あー、もうお前の相手してたら阿保らしいわ。悪い、どこの訳だっけ」 直樹と同じ様に脱力感を感じたらしい水野は、シゲからあっさり目を離して英語の教科書に目を落とした。 「うわ、たつぼん!見捨てんといて!!俺と昼休みの爽やかな会話してーー」 「うるせー」 教科書とノートに視線を落としたまま鬱陶しそうに呟く水野と、背後で捨てないでくれと叫ぶ親友の間で、直樹は深く嘆息した。 (シゲ、お前そないな奴やったんかい・・・) そういえば、シゲの母親も綺麗な顔をしてきっぱりとした物言いをする人だったなぁと思い出し、シゲは基本的にキツメの美人に弱いのではないかという心当たりに、直樹は今度こそ肩を落として深く嘆息した。 放課後、シゲと直樹が駅の本屋に立ち寄りブラブラと気だるそうに店内を見回している最中、私服の水野とばったり出会った。 「あ、たつぼんvこないなトコで会うなんて運命?やっぱ運命やろか!!」 隣でガッツポーズを決めて叫びだす阿保は、とりあえず無視をしようと直樹は決めた。 「よう、水野。もう家帰ったん?」 水野は黒いジーパンに大きなロゴの入った白い長袖のTシャツを合わせたラフな格好に、薄い色の付いたサングラスをしていて、普段ブレザーにネクタイをかっちり締めている姿しかお目にかけたことが無い直樹にその姿は新鮮に移った。 「お前らと違って真っ直ぐ帰りましたよ。放課後だべりもせずにな」 いつもダラダラと教室に残って仲間内でお喋りをして帰る直樹達の事を指すように言って、水野はまだ何やらふざけたことを口走っているシゲを黙らせようと冷たい視線を巡らせる。 「なぁなぁ、たつぼん今度放課後デートせぇへん?」 「ノストラダムスが来襲したらな」 「わー、ほんまーvv・・って、世紀末過ぎとるやん!1999年七の月終わっとるやん!!」 「うるせ」 シゲの大振りなツッコミを一言で切って捨てた水野は、つめた!とこれまた大袈裟に左胸を抑えて見せる彼に大きな溜息を吐いた。 「うざい、うるせぇ、まともな会話できねぇならもう口きかねぇぞ」 「え、それは勘弁やわ」 そんな小学生みたいな、と直樹が口を挟もうとしたのと同時に、シゲはぴたりと騒ぐのを止めた。 「・・・色んな意味で痛いわな、お前」 「何がやねん?」 本気で心底不思議そうに問い返すシゲに心底頭痛を感じつつ、直樹は胡乱気な視線を送るだけに留めておいた。 無駄にシゲが騒ぐので周囲の注目を集めてしまったことに直樹は気付いたが、水野もシゲも大してそんなことを気にした様子は無かった。シゲはともかく、神経質そうな水野に関してはその態度が意外で、最近はシゲのお陰で水野の印象を大分書き換えられているなぁと他人事の様に思う。 「それにしても、お前らこんなとこに何の用だ?漫画コーナーは一階だぞ?」 駅前の大きめの本屋は一階が漫画中心、二階は文庫やハードカバーが中心で、更に三回には専門書が置いてある。それは直樹も重々承知だったが、さも当然の様に二階には用が無いだろうと言われた事に結構腹が立った。 (しかもお前、かなり天然で言っとるやろ) きょとんとした目を向けてくる水野は、厭味でそう言っている訳ではなくて本気でそう思っているのが手に取る様に分かった。 直樹がそうでないことを弁明する前に、水野はああ、と一人得心顔で頷いた。 「あぁ、パクるのは止めておけよ。俺そういうの好きじゃないんだ。本好きとして万引きって一番許せない犯罪だよな」 そうのたまった水野に、直樹は半ば本気で切れかけた。 「あんなぁ・・・」 万引き経験が皆無かと言われればちょっと返答に困るのは事実だが、それでも過去は過去、今現在無罪の身で冤罪を掛けられればそれはムカつく。 「え、ごめんなさい」 「シゲ・・・」 それなのにシゲは、悲壮な顔をして謝罪なんて口にする。恐らく昔のことを思い出してのことであろうが、そんなことを口にすれば、今日はそれが目的ですと言っている様なものである。 案の定、水野の眉間に深いしわが刻まれる。 「最低だな」 吐き捨てる様に言われた台詞に、シゲは顔面蒼白になってその腕に縋った。 「えぇ、嘘っ。ごめんなさいたつぼん!嫌わんといてーー!」 「阿保かおんどれ!まるで俺らが万引き目的みたいに言うなや!!」 軽蔑の眼差しを浮かべる水野に縋るシゲの後頭部を軽い鞄で叩き倒し、直樹は水野と同じ様な視線が周囲から集まるのを感じて頬が熱くなる。 店員がじり・・と三人に近付くのを視界の端に捉えながら、最悪だ、と胸中で呟く。 「やって直樹!俺の若気の至りで過去の俺がたつぼんに嫌われてまう!!」 「やかましいわ!男なら今の自分で勝負せえ!!」 万引きの時効は何年だろうとか考えてしまう自分にちょっぴり悲しくなりながら、直樹は水野の腕を掴んでいるシゲに自棄になった様に叫んだ。 途端に、シゲの目に正気が戻る。 「それもそうやな。安心しい、たつぼん。俺は今真っ白やから!酵素のパワーで汗染みもすっきり漂白や」 掴まれた腕を迷惑そうに払いながら、水野は胡散臭げにシゲを見やる。まぁ、胡散臭い笑顔だなと直樹も思ったのでその反応は至極当然だったが。 「そうやなくて・・・俺が司馬遼太郎の新刊探しにきたんやって・・・・」 これ以上シゲに阿呆なことを口走られて無駄な視線を集めてしまう前に、さっさと目的を果たしてしまおうと直樹がやっとまともに答えを告げると、水野の顔から険が削がれて寧ろ嬉しそうな色が浮かんだ。 「まじで?井上、司馬好きなの?俺も好き」 「まじ!?」 今までどの友人に話したところで、井上直樹が読書、しかも時代物!と馬鹿にされ続けてきた直樹にとって、その水野の言葉は本気で嬉しいものだった。 「マジでマジで。普段は推理小説だけどさ、偶に読むよ」 その言葉を聞いて初めて、直樹はシゲが水野と関わりを持っていて良かったと思った。 「うおー、マジかい。全然周りにファンいてへんのやもんーー、ちょお今マジ嬉しいわーーー」 「俺も。ウチでじじ臭いとか言われんの。いいじゃんなぁ、司馬遼太郎。読んでないやつ持ってたら、貸してくんない?」 「ええよなぁ!!よっしゃ、いくらでも貸したるで!全部持っとるからな!」 思わずがしっと水野の肩を掴んで力を入れて応えた直樹に、水野も笑いながら頷いてくれる。 (あぁ、ええ奴や・・・) 水野とはシゲとは全く無関係にいい友達になりたい。直樹はその思いを噛み締めて、はたとその存在を思い出した。 すっかり忘れていたその存在に目を向けると、シゲは二人の足元でしゃがみこんでうなだれている。 「佐藤?」 水野が声を掛けても無反応。 「シゲーー?生きとるーー?」 これはまずかったかなと、自分が悪いという気はしないが一応反省のようなものを心に浮かべ、直樹その肩に手を置いた。 ガシ。 その手を掴んだ指が手の甲に食い込んできて、直樹は背中に冷たい汗を浮かべた。 「なーおーきー・・・」 振り返ったシゲの目に生気は無く、その黒い瞳はただ底知れぬ闇を湛えて直樹を吸い込むようにして深く淀んでいた。 (うわー、逃げたいわー・・) 頭の中で鳴り響く警報に気付きながら、手を強く掴まれてそのまま頬に硬直した笑みを浮かべるしかない直樹に、シゲはゾンビさながらにすがり付いてきた。 「俺もー、読むーー・・・司馬遼太郎ーー・・・貸せやー・・・」 「ここまでくると、言うと思ったわー・・」 今までの付き合いの中からでのみは予測できないが、水野のことを騒ぎ立て始めたシゲを考慮に入れれば十分予測できたその台詞に、直樹は今まで自分が見てきたシゲは偽者なのではないかと遠くに視線をやりたくなる。 「お前、前読ませた時三分で寝たやんか」 直樹だって、仲の良い人間が同じ話題で盛り上がってくれればと思い、過去に一度シゲを司馬遼太郎に染めようと試みたことがあったが、結果は惨敗、シゲは三ページで飽きてそれを投げ捨てた。 しかし、水野のことが絡んでいるとなるとシゲの目の色が違った。 「読む!今度こそ読むんや!そんで、たつぼんと熱く目を見つめ合いながら語り合うんやーー!!」 一日に何人の人間が土足で踏んでいるか分からない本屋の床に下半身を投げ出して、上半身で直樹に縋るシゲの格好は、はっきり言って見苦しい。 見てくれだって悪くないシゲがそういう行動をすると、周囲の人間の視線の痛さが三割り増しだ。 「・・・・えっと、俺、コレ買って帰るわ」 完全に引いた様子の水野は、既に数歩下がりながらも一応断りの言葉を口にする。そのまま他人の振りで帰らない辺り、やはり結構いい奴かもしれないと現実逃避気味に考えながら、この状況で今更他人の振りも無駄だしなぁとも思った。 「おー・・」 互いに同情の視線を送り合い、水野はレジの方へと踵を返す。数メートル離れたところで、ちら、と振り返った水野の困惑した表情に、シゲと彼の友情確立への道は遠そうだと直樹は確信した。 「なーおーきー、お前だけズルイんじゃ、ぼけーーー。先に目ぇ付けたん俺やぞ!」 「やかましいわ、お前キショイんじゃ」 ずるずるとシゲを引きずりながらも目的の本の場所へ進もうとした直樹は、纏わり付くシゲの体重に大きく舌打ちをして再度水野の方に視線をやった。 すると。 「おい、シゲ。あれ、やばいんちゃうか」 どう見ても活字には縁がありませんといった風貌の男子高生が、レジで会計を済ませた様子の竜也の前に立ちはだかっていた。 「南高やぞ、あれ」 周辺地域では性質の悪さで有名な高校の制服を着崩した3人が、水野の行く手を阻んで何やら絡んでいる。 「あー??誰に断ってたつぼんに声掛けとんじゃい」 それまでの情けない面が一変して凶悪なものに変わったシゲの前で、煩そうに払った水野のその腕を三人のうち一人が掴み、引きずる様にして下りエスカレーターに向かっていく。 「っのクソどもが・・」 見てみぬ振りをする周囲を他所に、シゲと直樹はその後を追った。下手に騒ぎ立てられてはこちらもまずいので、極力何でも無い風情を装ったが、それでも視線で追われたのは先ほどまでのシゲの醜態のせいだろう。 三人と水野は、駐車場になっている店の裏手の方に回る。適度な距離を保ってそれを追い、直樹は囲まれている水野の落ち着いた様子にやや毒気を抜かれる。 「何や、大丈夫そうやん?」 「阿保、度胸と腕っ節は別もんやで」 言われてそれもそうだと思い直し、二人は立ち止まった四人に向かって歩き出す。 「おい、お前ら」 無造作に掛けられたシゲの声に、四人が一様に振り返った。 「んだ、てめぇら」 リーダー格らしい金髪の男が、大袈裟に顔を歪めて顎をしゃくる。 「そいつ、俺らのダチやねん。返せや」 飄々とした態度を崩さず、友好的な笑みさえ浮かべて近付くシゲにネクタイを限界まで引き下げ、ワイシャツのボタンも殆ど外した男が口元を歪ませた。 「あー?何言ってんの、お前ら?」 「頭沸いてんのか、コラ」 続いてズボンを腰よりも下に下げた男がシゲと直樹に近付いてくる。 二人がそれら三人を見据え、まあ楽に勝てそうだと判断して内心でゆったり構えていると、予想だにしなかった展開が巻き起こった。 「なあ、ズボン下げるのって、今もう流行ってなくね?」 シゲと直樹に向かってきた三人の背後に隠れるようになった水野が、まるで世間話の様にそんなことを切り出したのだ。 「あー!?」 勢い良く振り返ったズボン下げ男を無視して、水野はネクタイを下げた男を指差した。 「あんたもさ、制服は着崩した方がカッコイイって思ってんのかもしんねぇけどさ、貧弱な身体見せられても哀れになるだけなんだけど」 「んだとコラ!」 こめかみに青筋を立てたその男もやはり無視して、水野はサングラス越しにニっと笑った。 「それからお前、毛染めすんなら根元まで気ぃ使えよな。プリンになってんぜ、だっせえ」 慌てて自分の頭部を抑えたシゲの隣で、直樹は背中に大量の汗をかいていた。 「てめぇ、殺すぞ!」 三人は水野に体格が著しく勝っているとは言えないが、それでも喧嘩の数では絶対に水野よりも場慣れしているはずだ。挑発したところで水野に勝ち目があるはずが無い。 「シゲ、何ぼっとしてんねん!」 「あ、そうやった!」 シゲが慌てた様子で頭から手を離し、三人の意識を再度こちらへ向けようとした瞬間、水野が動く方が早かった。 メシャ・・ッ!!! 「・・・・・・え」 何の予告も無し、脅しなんてものも皆無で、水野はそれは綺麗な左ストレートをズボン下げ男の鼻に叩き込んだのだ。ズボン下げ男は急所に決まったらしく、綺麗に昏倒した。 「悪いな、御託並べる不良の喧嘩には慣れてないんだ、優等生だから」 拳を握ったままにっこりと笑った水野の顔は、駅でそれを披露したら周囲の女がこぞってたかるだろうなと思わせる位柔和のもので。 「・・っにすんだ、てめぇ!」 しかし当然、それが目の前のごつい男子校生に通じるわけも無く。怒りが瞬時に沸点に達した残り二人が、一度に竜也に拳を振り上げる。 「おい・・っ!」 直樹は焦った声を上げたが、水野はまるで普段どおりの表情で軸足を左に移して身体を捻り、向かって右側の突っ込んできたネクタイ下げ男の拳を交わして右手でその顔に裏険を叩き込む。 「ぐげっ」 蛙の様な呻き声を上げたネクタイ男はそのまま無視し、水野は金髪男を見据えて真正面からその拳を腕で防いだ。そしてすかさずその腕を右手で掴んで引き寄せ、懐に入り込んで左拳を鳩尾に埋め込んだ。 「・・・っう!」 流れる様なその動きに、直樹は勿論シゲでさえ開いた口が塞がらなかった。 その後数度起き上がってきた二人をコンクリートの上に気絶させた水野は、いつの間にか落ちたサングラスを拾ってそれをTシャツの裾で拭った。 「おっまえ・・!どこが優等生やねん!!」 何事も無かったかのようにサングラスを掛け直して落ちた本を拾い上げる水野に、握りこぶしを作って直樹が声を張り上げると、水野は口端を上げて笑った。 「この女めてぇな見てくれのせいで昔っから絡まれるから、自分の身は自分で守ろうと日々努力してる勤勉な優等生だろ?」 言いながら呻き声も上げない金髪に蹴りを一つ入れる水野は、サングラス効果もあってかどこから見ても優等背には見えない。 「何かやっとんのか・・?」 「まぁ、少しな。後は実践?」 その台詞に水野の校外での態度の程度が知れて、直樹は今度こそ完全に絶句した。 「自分からは何もしてねぇぜ?火の粉を自分で払ってんだから、偉いもんだろ?生活目標は自立した生活ってな」 そう言って軽やかに笑った後で、水野は照れたような表情をした。 「でも、ま、助けに来てくれたんだろ?サンキューな」 そう言って、照れ隠しの様に踵を返した水野はそのまま店の表の方に回って行った。 水野が完全に姿を消した後、直樹は恐る恐る隣のシゲを見やった。綺麗だの可愛いだのさんざん抜かしていた親友は、今の水野の姿にどれだけショックを受けただろうと、それを慰める自分の苦労がしのばれて溜息を吐きそうになった直樹だったが、予想に反してシゲの瞳はキラキラと輝いていた。 (・・・かがやいて?) 自分が見た光景にはて、と首を傾げかけた直樹の前で、シゲは水野が叩きのめした連中に熱い視線を注ぎながら肩を震わせていた。 (あ、何や嫌な予感・・・) その上気した頬に何か薄ら寒いものを感じたのと同時に、シゲはバッと直樹に向き直った。 「たつぼん、めっちゃカッコええーーー!!!!」 お前は乙女かとツッコミたくなる位瞳を輝かせたシゲに胸倉を掴み上げられても、最早直樹にはそれを振り払う気力は沸いてこなかった。 ただ、親友が遠いところに行ったのだなと認識しただけだった。 「めっちゃカッコええやん!何あれ!!うーわー、たつぼん俺と南高潰しデートとかしてくれへんやろかーー!!なあ、直樹!あれ、惚れるよな!あ、せやけどお前は惚れんなや!俺だけでええからな!」 がくがくと揺さぶられながら、直樹の脳内では今までの親友像を木っ端微塵に叩き壊される音が響いていた。 「や、南高潰しはデートや無いやろ・・・」 薄れそうになる意識の中で、直樹はそれでも関西人としての意地か、それだけはツッコまねばなるまいと思ったとか。 梅雨も間近に迫ったこの日の出来事は、井上直樹の親友佐藤成樹に決定的な変化がもたらされた日として、直樹の心に日記に記される事になった。 シゲ水です!!(言い張る。 六万ヒットお礼がこんなんでいいのかな!良くないよ!(自主ツッコミ。 物凄く需要が少なそうなシゲ水を しばらくSSの更新を停止していた間に、日記でFDLとして配布してました。 ちなみに当時よりも若干改訂を加えたため、FDL期間は終了しました、お持ち帰り頂いた方(少ないだろうなぁ・・)、ありがとうございました。 |