愛の育つ音。 待ち合わせ場所から見えた駅の改札口に現れた竜也とシゲに、先に来ていた翼は盛大に眉を顰めて見せた後、堪え切れない様に噴出した。 「あーあ、やっぱ来ると思ったんだ」 背後にナイト然として控える柾輝が軽く手を挙げて、やっと気付いたように二人は近付いてくる。翼は噴出した笑いを収めて出来る限り不敵な笑みを口元に浮かべて二人が脚を止めるのを待った。 「おはよーさん」 赤いパーカーに灰色のマフラーを巻いたシゲが挨拶を述べると、軽く腕を組んだ翼は軽く睨み付けるようにして首を傾ける。 「シゲを誘った覚えは無いんだけど?」 「あ、すいません俺が・・」 恐縮して口を開きかけた竜也を制して、翼と同じ様な笑みを浮かべたシゲがパーカーのポケットに無造作に手を突っ込んで言い返してくる。 「俺とたつぼんを引き離そうなんて、百年早いわボケ。何せ一心同体やからな」 翼の背後で直樹が大仰に眉を顰めて見せたが、そちらに向かってシゲが言葉を発するより先に真横の竜也から温度の低い声音で告げられた。 「気持ち悪い」 寒そうに肩をすくめながらぼそりと言い捨てた竜也に翼が声を上げて笑い、シゲが眉尻を下げて情けない表情をする。 柾輝と直樹と翼と、竜也の友達は却って気後れさせるかもしれないと考えてあえて誘わなかったので、竜也とシゲが到着してこれで全員揃ったと満足げに頷いた直樹の提案により、男五人で固まり往来の邪魔になることは避ける事にした。 五人集まって何をするかブラブラと歩きながら話し合っているうちに、ふいに柾輝が近くにフットサル場があることを思い出した。 「えー、やりてえ」 決して運動が嫌いでは無いが、大学生でサークルも入っていないとなると普段は運動する機会が殆ど無い翼が真っ先に嬉しそうな声を上げる。 「せやね、丁度五人居るんやし」 それに続いて直樹も名案だと目を輝かせ、部活には特に所属してはいないが運動が好きな竜也もすぐに乗ってくる。 「でも五人じゃチーム分けできないけど」 ふと気付いて零した竜也に、柾輝が大丈夫だろと呑気な声を上げる。 「行けば他の奴らも来てるんじゃねぇの?」 「適当に喧嘩吹っかければええやん」 最後の台詞を吐いてカカカと笑ったシゲをジロリと睨みつけ、竜也は今日の主役だからと決定権を渡されてフットサル場に向かうことを選んだ。 こちらと同じ様に五人で来ていた高校生を見つけ、何ゲームかした後竜也は顎を伝う汗を手の甲で拭いながらコートの外に腰を降ろす。 まさかスポーツをして遊ぶ予定ではなかったのでタオルなんてものは持ってきておらず、シャツの中にも流れる汗にこのままだと風邪引くかなと思った時、ふいに頭上に影が差し、顔を上げると直樹が包装紙に包まれた何かを差し出していた。 「プレゼント?何?」 プレゼント仕様になってる様子から、直樹からの誕生日プレゼントだということは察せられたがこんな場所で渡さなければならないのだろうかと訝しがる竜也に、直樹はいから開けてみろとそれを竜也の膝に落とす。 「サンキュ」 一応礼を述べながら丁寧に包装紙をはがしていくと、中からは一枚の真新しいスポーツタオルが出てきた。 何てタイミングがいいのかと軽く瞠目した後、竜也はまだ新品の匂いがするそれをありがたく使わせてもらう事にする。 「すげぇタイミング。助かる」 顔を伝う汗を拭った後、襟から可能な限り中にタオルを入れて汗を拭き取る。直樹は襟元を大きく引っ張って風を送りながら、晴れた空を見上げた。 「まさか、こないなとこで使うとは思わへんかったんやけど。何にでも使えるかなー思て適当に買ってきた。感謝しいや」 結果オーライやったなと歯を見せて笑う直樹に竜也もそうだなと笑い返していると、突然空を切って何かが飛んできて、それは見事に直樹の即頭部を殴打した。 「っっだ!・・何やねん、こらあ!」 大きく傾いだ直樹の頭に驚愕して息を飲んだ竜也の隣で、すぐに回復した直樹が地面に落ちた頭を直撃したものを乱暴に拾い上げる。それは、見慣れたスニーカーだった。 「シゲ!!」 昨夜から今朝まで水野家の玄関に並べてあったそのスニーカーの片方を握り締めた直樹が勢い良く立ち上がり、片方が裸足なのにも構わず駆け寄ってきたシゲにそれを投げ返す。 ぶつける勢いで投げ返されたそれを危なげも無く片手で受け取り、シゲはそのまま靴を履く事もせずに直樹の襟首を掴み上げた。 「何してんねん、このサル!」 「んやと、いきな人殺しそうになって何言うてんねん!」 直樹も負けじと同じ様にシゲの襟を掴み上げ、唐突に怒鳴り合いを始める二人。 何事だと周囲から集まる視線の向こうで、翼と柾輝が頭痛を堪えるかのように顔をしかめている。 「誰の許可貰ってたつやぼんにプレゼントなんてしてんねん!お前、狙っとんのかい!」 「っ!シ・・!」 こんなところで何を叫んでいるんだと竜也が慌てて腰を浮かすが、制止の言葉は直樹の怒鳴り声に酔って掻き消される。 「悔しかったら、お前も何かこの場で役に立つもん送ってみい!」 「んやと、この!俺はしっかりなぁゆうっ・・!!」 ガス・・ッ。 「っう!」 何かを言いかけたシゲの口元を指の長い手が覆い、シゲは苦しげに呻き直樹は思わず襟から指を解いた。 勢いに任せて、口を覆うというよりは顎を鷲掴みにした竜也は、背後の直樹を全く気にせずミシミシとその手に力を込めてにっこりと笑った。 「何を言うつもりだ?こんなとこで」 ググ・・と力が込められる指先は汗が引いてきたせいか冷えていて、その冷たさと竜也の笑みの深さに素直に恐怖を感じたシゲのこめかみに汗が伝うのを直樹は確かに見た。 「ふんまへん」 シゲの口から不明瞭な声が漏れ、竜也は大きく鼻を鳴らしてシゲの顎を開放した。 (おそろしい・・) シゲの顎がミシミシ鳴っていた様な気がしたが、とりあえずは無事だった様子で痛いと喚きながら頬をさするシゲと、自業自得だとにべも無く言い放つ竜也を見比べて、直樹は派手なカップルができたもんだと嘆息したくなった。 少し離れた位置から風邪引く前に家に引き上げるぞと叫ぶ翼と横に並ぶ柾輝の関係も大概派手だが、この二人は若さゆえか下手するとそれを越える・・と、これからも日々近くで過ごさねばならない己の身を省みて直樹はほんの少し悲しくなった。 翼と柾輝の家に着いて、一緒に入りたいふざけんな三途の川渡って来いという予想の範囲内であった会話を竜也とシゲが交わした後、一人ずつシャワーを借りて着替えは適当に柾輝と翼の物を借りた三人は、料理を始めた柾輝を他所に翼に誘われテレビのある部屋でゲーム機を繋げる。 「黒川さん一人に任せちゃっていいんですか」 対戦タイプのゲームで直樹とシゲが互いを罵りあいながら熱中している背後で、今しがたシゲにぼろくそに負けた竜也は画面から目を離してキッチンの方を振り返りながら心配そうに翼に尋ねる。 「いいって、カレーにするとか言ってたから大した手間じゃねぇよ。若いの一杯居るから、量だけは多そうだけど」 そう言って笑った翼に、そう言えば目の前に人物はもう成人していて、一つ年を取った自分よりも更に三つも上だったんだと竜也は今更ながら気付いた。いや、勿論年上だとは認識していたしだからこそ敬語を使ってきたのだけれど。 「そもそもお前が手伝ってどうするよ、主役じゃん」 料理を始める前に、邪魔をしにキッチンに来るなと言って柾輝が置いて行った麦茶の入ったガラスポットから、空になったグラスに茶色い液体を注いで翼はやらせるならこの馬鹿共だと、背後の会話など全く耳に入ってないらしいシゲと直樹を指す。 「大分前から知り合いなんでしたっけ?」 馬鹿という呼び方は蔑称であるのに、そこに何かしらの暖かな感情を感じてしまった竜也が問うと、翼は暫し考えるように麦茶を口元に残したまま黙した。 「うわ、五年だ」 改めて計算してみてその長さに眩暈を感じた翼が唸る様に言うと、竜也が目を丸くする。その様子にどうやらシゲも大したことは話して無いらしいことを察し、かいつまんで簡単に説明してやる。 「俺が中三の時、こいつらと柾輝が中一でさー、校外の悪友って奴で。つか、大概の悪事は俺が仕込んだんだけど」 そう言って悪びれもせずに歯を見せて笑う翼に、五年もあればそりゃ年齢なんて関係無しに打ち解けるよなと納得する。それと同じ態度を自分にも取ってくれる事が、竜也にはくすぐったい。 「高校行けば、疎遠になるかなーと思ったんだけどな。結局もう五年だぜ?しかも俺成人、なのになんで休日に未成年とゲームしてんだ」 自嘲するような言葉を口端に昇らせながらも、翼の目元には笑みが湛えられている。 「黒川さんと付き合ってるのもそれからですか?」 だったら凄い長続きのカップルじゃないだろうか、と竜也は無意識に緊張しながら尋ねてみる。 すると翼は途端にバツの悪い顔になって、違うと否定した。 「柾輝と付き合い始めたのは三年前、柾輝の高校受験が終わってから」 そっからほぼすぐに同棲を始めたと続けた翼に、その展開の早さに驚きつつも翼がふいと竜也から視線を逸らしてしまってので、触れてはいけなかったのかなと少し後悔した。 「俺らのことはいんだよ、もう完璧ラブラブだから。それよりお前ら、ちゃんとできたの?」 「・・えっ」 竜也が知る筈も無いのに、自分と柾輝の過去の話をされるのは決まりが悪くて目を逸らし、ついでに話も逸らしすと、竜也は一瞬硬直した。 「駄目だった?」 大方そんなとこだろうと予想をしてた翼が、直樹に汚いと罵られている金髪で長髪の方の後輩を見やると、竜也が隣で笑いを漏らす気配を感じた。 「始めッから上手くいくわけないじゃん、いったら寧ろ俺の立つ瀬が無いね。俺だって散々だったんだしさ」 そうだったんですかと殊勝に頷く竜也に、まあ自分の場合には多分に自業自得要素が強かったけれどと微かに自嘲して、翼は竜也に視線を移す。 竜也は反撃を食らって負けそうになる恋人にそのまま負けちまえと声を掛け、薄情者!と返されて首をすくめて頬を緩めた。 竜也の声にだけは過敏に反応する後輩に最早何も言う気にはなれなくて、そのまま放っておくことにして翼が背もたれにしていたベッドによじ登ると、興味も無さそうにゲーム画面を見つめた竜也が小さく零した。 「俺、焦ってたんです」 何を、と膝に上半身を被せる様にして顔を覗きこむと、斜め上に首を傾けて竜也はシゲには聞こえないように声音を低くする。 「あいつが、付き合う前の四ヶ月と付き合い出してからの三ヶ月かけて育ててきた想いってやつを、俺はここ三ヶ月で追いつこううって必死でしたよ」 「その台詞、恥ずかしい・・」 年齢性別問わず、口にするのはちょっと恥ずかしいんじゃないかという様なことを平然と言ってのけながら、竜也はそうですかと意に介さず後を続ける。 「何とか育ったと思ったら、今度はそれに自分がびっくりして。色々切羽詰ってたみたいです」 あの馬鹿相手に情け無いですと眦を下げた竜也の示した相手に視線を移すと、確かに馬鹿みたいにムキになって腰が半分くらい浮きかけている。 「馬鹿だなぁ」 しみじみ翼が口にすると、竜也も妙にしんみりした口調でですよねぇなんて返してきて何だか可笑しかった。 「でもまぁ、惚れてんなら仕方ねぇだろ。犬に噛まれたと思って諦めたら」 まさかあの女好きだった年下の友人が、技を繰り出す際に男の恋人の名前を叫んで更にそれに蹴りをお見舞いされて痛がる日がくるなんて思わなかったけれど、こんな光景もまあ悪く無いだろうと思い麦茶を飲み干した翼に、竜也は大きく嘆息した。 「ほんと、犬みたいだ」 痛がるシゲの背中を足の裏でグリグリ押しやりながら愛しさを込めた声で囁く竜也に、翼は思わずらしくも無い言葉が滑り落ちた。 「セックスなんてスキンシップの一部なんだから、無理矢理最初っからすることねぇよ。触り合ってたらいつの間にか入ってましたって感じだって」 どの口がそんなこと言うんだと思ったが、弾かれたように視線を移してきた竜也が、次の瞬間には照れ臭そうに嬉しそうに破顔したので、たまには先輩らしいことを言う日があってもいいかと翼は腰を上げた。 どうかしたのかと首を傾げる竜也に、翼は空になったコップを持って扉に手を掛ける。 「柾輝に引っ付きたくなった」 わざと声を大にした翼の台詞に、さすがに聞こえたらしくゲームコントローラーを握った後輩二人が揃ってはあ!?と声を上げ、キッチンでは何かを落とした音がしたが、それら全てにご満悦気味に翼は口角を上げて笑った。 「だってお前ら、完璧バカップルなんだもん。直樹、お前きっちり当てられてとけよ」 そう言い置いて席を外した翼の背後では、シゲが緩みきった口調で彼独自の呼び方で竜也を呼び、竜也がそれに怒鳴り返した後に何やら鈍い音がした。 中々スリリングそうなやり取りを聞きながら、それでも十分上手く行っているじゃないかとキッチンに顔を出した翼は、宣言どおり柾輝の背後から胸に両腕を回す。 「何だよ」 もうルーを溶かすだけの段階になっていたらしい柾輝は、甘える様に頬を摺り寄せてくる翼の腕を軽くぎゅ、と握った。 とあるアパートの一室で、二つのカップルが確実に互いへの愛しさを募らせる。 残された直樹だけが不憫だとか、そんな声は当の本人達には届かないのである。 end.
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