ゴミ袋片手にブランド物のスーツで着飾った女とエレベーターで入れ違いになるが、その顔に全く見覚えは無く、会釈すらする事無くただすれ違って狭い箱を閉める為のボタンを押した。 高級マンションというものは、こういうところが何か物悲しい。 そんなどうでもいいことを考えながら、移り変わっていく階を示すオレンジの数字をぼうっと見つめる。 やがて自分のフロアに着いて、ポーンという涼しげな音を立ててエレベーターは停止する。 やけに重々しい音と共に閉じるエレベーターの音を聞きながら、内ポケットの鍵を探る。 一般の人はそろそろ出勤かと言う時刻。きっちりとダークグレーのスーツを着た男が、廊下を歩いてこちらに向かってくる。 少し端に寄ってその男に道を譲ってから、自宅の扉の前に立つ。その表札には苗字だけ二つ並んでいる。 ただし、もう一つの苗字の人物は最近滅多に顔を合わせていない。この時期はゆっくり家にいられる時間が余り無いのだ。加えて、自分とは活動時間が著しくずれてしまっている。 (あ・・、ちょお待てよ。今日何日や・・) 仕事が夜から明け方にかけてなので、ちょくちょく日付と曜日の感覚が曖昧になるのだが、携帯のカレンダーで今日の日付を確認すると、その口元には自然に笑みが浮かんだ。 鍵を開けて扉を開けると、タタキには自分以外の人物の靴がきちんと揃えられている。 いつもなら靴を脱ぐとそのままリビングへ向かうところを、今日は真っ直ぐ寝室へ向かう。自分のものではない寝室の方へ。 そっと扉を開けると、整頓された部屋に納められているのは自分と同じセミダブルのベッド。その上に今朝はこんもりとした山が出来ている。 ベッドサイドに歩み寄って覗き込むと、白いタオルケットに包まって穏かな寝息を立てている青年が居た。 「ん・・・?」 自分の上に差した影に気付いたのか、彼は薄く瞳を開いた。そして覗き込んでいる人物を捉えて、柔らかく破顔する。 「シゲ」 シゲもまた優しげな笑みを返す。 「お帰りたつぼん、久しぶりやな」 シゲが前髪を掻き上げてやると、水野はくすぐったそうに瞳を細めた。 シゲと水野は今年で二十歳になる。 水野は高校生の時にプロ入りし、高校生Jリーガーともてはやされたりした。そして今も、悪くない評価を得るプレイヤーとして活躍している。 しかし、シゲは違った。 いや、シゲも一度は辿り着いたのだけれど。 アレだけの才能を持ちながら、シゲの足はいまや爆弾を抱えている。日常生活には支障の無い程度の、ただプロとしては耐えられない後遺症。 それでも、ここまで回復するにもかなり過酷にリハビリをしたのだ。結果として”日常生活は送れるようになった”と取るか”日常生活しか送れない”と取るかは本人次第で、シゲは前者を選んだ。 自分でも悪くは無い第二の人生だとは思っている。後ろ向きにグダグダといつまでもしつこいのは、らしくない。 ただ、水野の活躍を目にし耳にする時悔しいのは確かで、そのせいで二人の間が駄目になりかけたこともあった。けれど、それを喜ぶ自分も確かに存在して、更にどうしても水野を他人に渡すことは耐えられなくて。 それで結局、こうして二人で部屋まで借りてしまっている。 「たーつぼん、こないだの試合、中々良かったやん?藤代との連係プレーちゅうんが、ちょお気に入らんけど」 シゲは水野の髪を梳きながら、ベッドの中に滑り込む。 「何言って・・、おい」 「ん?」 ようやく目がはっきりと覚めてきたのか、水野は抱きしめてくるシゲを睨みつける。 「お前、寝るなら自分の部屋行けよ。狭い」 寝起きのせいか掠れ気味の水野の声に、シゲは背中に回す腕に力を込める。 そしてからかうように口端を歪めて、耳元に息を吹き込むようにして囁いた。 「何言うてんの、久々に会うて一人寝なんて冗談やないわ」 「ちょっ!」 背中に回っていた手が腰に下ろされて、水野は一気に覚醒し慌ててシゲの胸を押し返す。 「朝っぱらから何考えてんだ!」 現役で活躍している水野なのに、未だにこういう時の腕力ではシゲに適わない。あっさり身体を転がされて、シゲに押し倒されて見下ろされる格好になる。 「朝やから元気なんやないか♪」 いつもブラウン管の中では冷静にゲームメイクをしている水野の焦った顔は、シゲだけの特権だ。それが見たくて、シゲは出会ってからずっと水野に対しては少々嗜虐的になる自分を自覚している。 シャツの裾をたくし上げようとするシゲに、水野は必死でそれを押さえる。 「やめろっ」 「何で」 「何で・・て、朝からそんなに盛んなくてもいいだろっ」 水野の短い爪がシゲの腕に僅かに食い込み、シゲはその刺激にシャツを捲るのは諦めて、隙間から露になった水野の腹を指先で軽く撫でた。 「せやかて、夜は俺仕事やし」 シゲのまだ温まらない指先の温度にか、それとも確かな目的を持って触れられたことそのものに対してか、水野は背筋に寒気が走るのを感じた。 「たつぼんを好きなんに、朝も夜も関係あらへんやろ?」 そして強請るように首を傾げて見せれば、水野の眉間の皺が深くなる代わりに身体の強張りが緩んだ。 「馬鹿か」 「うわ、ひどっ」 水野の口先だけの抵抗なんて歯牙にもかけず、シゲは瞳を細めて水野のあごを掴んで深く口付けた。 「んぅ・・っ」 初めから開かれていた口内に舌を差し入れ、久々に味わう他人の唾液の味に水野は腰が疼くのを感じた。 「・・・は、ふ」 水野の腕がシゲの首に伸びてきたのを見計らい、シゲは今度は遮られる事無く水野のシャツをたくし上げることに成功する。 腹から胸にかけて撫で上げると、水野はシゲに回した腕に力を込めはしたが制止の言葉は吐かなかった。 「こないだ付けた跡、やっぱもう消えてもうてるな」 苦笑して、シゲは水野の脇腹の辺りに吸い付くように唇を寄せてそこに紅い跡を残す。 「あっ、跡付けんなよ。着替えにくくなる」 水野は上体を起こしてシゲに抗議しようとしたが、シゲは取り合わずもう一つ近くにキスマークを付けた。 「ええやん、”売約済み”てことで。誰も男に付けられたなんて思わへんよ、な?」 確かに、男にキスマークが残っていれば相手は女だと考えるのが妥当だろうし、そう思う人間のほうが多い筈だ。 水野は小さく嘆息すると、諦めたように再びベッドに背中を預けた。 水野としてもシゲに触れられるのは久しぶりで、ましてやソレが嫌な筈も無いのだから。 カーテンの隙間から、すっかり高くなってしまった日の光が差し込んでくる。 それを瞬きの合間に視界の端に捉えて、水野はきつく目を閉じた。 どんなに唇を噛んでも漏れてしまう自分の喘ぎと、二人分の体重に喘ぐベッドの軋み。 (不健全すぎる・・・) 欠片残っている理性でそんなことを考えもするが、すぐにそんな水野の気の散り様に気付いたシゲに口付けられて、水野の意識はシゲの与える快感へ戻っていく。 「たつぼん、集中して」 重なる唇の隙間から吐息のみで囁いて、シゲはすぐに水野の呼吸を奪う勢いで水野の舌を吸い上げる。 「んっ、ぁ・・!」 緩く腰を突き上げられて、二人が繋がっている部分から痺れるような痛みと快感の狭間の感覚が、水野の首筋をぞろりと撫で上げる。 「っは・・」 キスの合間に荒い息を振りまきながら、シゲは水野の腰を抱え直す。 首付け根辺りに寒気のような快感が走り、水野はシゲの腰に両足を絡ませてそれを更に引き寄せるかのように自ら腰を揺らす。 「あっあっ、シゲ・・っ」 「たつ・・」 シゲの声が耳元で聞こえたかと思うとシゲの汗で濡れた頬が水野のそれに重ねられて、水野の鼻腔をシゲの汗の匂いがくすぐる。 「ふっ、ん、あ・・、シゲ、も・・!」 ふるふると肩を震わせ水野がシゲにしがみつくと、シゲも一際強く腰を打ち付けてきた。 「い・・く・・・!」 「うっあ・・っ」 首を反らせて水野がシゲと二人の腹の間で欲を吐き出したすぐ後、シゲもまた水野の奥に精を注ぎ込んだ。 背中にシゲの体温を感じながら、水野は心地良い脱力感を感じていた。 「たつぼん」 「ん?」 後ろから抱きしめられる形なので、シゲが喋ると髪にシゲの息がかかる。そのくすぐったさに水野は首をすくめる。 「次の試合、どこと?」 腰に回るシゲの腕を自分の手の平でそっと撫でながら、水野は壁を見つめて答える。 「風祭のとこ」 するとシゲは、水野のその手の甲を励ますように軽く叩いた。 「ほお、気張りや」 「・・・・ああ」 壁から少し視線を近くに持ってきて、皺になったシーツの波を見つめながら、水野はシゲの体温が2・3度下がったように感じた。 勿論それは、気のせいだっただろうけれども。 「たつぼん?」 もぞもぞとベッドから這い出る水野に、シゲが解かれる腕をそのままに水野を呼ぶ。 「シャワー浴びてくるだけだ」 水野は床に落ちていたシゲのシャツを拾い上げてそれを一枚だけ羽織り、熱の引き始めた肌に冷えたシャツの心地良さを感じながら、ドアノブに手をかける。 「一緒に浴びよか?」 シゲは裸の胸を惜しげもなくさらして悠々とベッドに横たわったまま、口角を上げて笑う。 「一遍と言わずに何度でも死ね」 くっくっと喉奥で笑うシゲに鋭い一瞥を与えて、水野は白くアイロンの掛かったシャツを翻して部屋を出た。 熱いお湯を頭から被り、水野はほ・・と息を吐く。 ざっと汗を流し情事の後始末も手早く済ませ、水野はバスタオルで髪を拭きながらバスルームを出る。 脱衣所にはいつの間にかシゲが用意したのだろう、水野の普段着が出ていた。 「マメな奴・・」 呆れにも似た溜息を漏らしてそれに腕を通しながら、水野はぼんやりと次の試合のことを思う。 シゲはきっと、その試合を見ることはしないだろう。勿論、結果を水野に聞いてくることもないだろう。 水野の試合も他のかつての仲間の試合もビデオに録ってまで見たりするくせに、シゲは”風祭将”の出ている試合だけは拒絶している。 他の誰の試合も見られるけれど、”風祭将”の試合だけは見られない。 それが何を意味しているのか気付かない水野ではないし、シゲも気付かれないとは思ってないだろう。 けれど、水野は気付かない振りをする。きっと、ずっと。 「・・・・・っ」 前髪から落ちた雫が目に入って、水野は咄嗟に目を瞑る。 痛くもなんとも無かった筈なのに、数秒後には水野の頬を一筋の涙が伝った。 何見えない振りしてるのよ、と。 癒えない疵、消えない跡。 ああ、見えているとも。 未だに大口を開けて、爛れて血を流している疵(おまえ)が。 見えているさ、本当は。 哂う。 下卑た声で、高らかに。 いつまで見えない振りしてるのよ、と。 end. 実は元々の物にはもっと裏シーンがありました。何故減ったのかというと、読み直してみると別に裏シーンがメインの話ではないなと思ったので・・・とか偉そうに言ってみる。(苦。 単に何気に可哀想風味な水野が書きたかっただけの話だからベッドシーンに気合が入らなかったんだ、とか実も蓋も無いことを言ってはいけません。 |