中学三年の秋。 竜也もシゲも進路はもう決まったも同然だったけれど、テストは他の生徒と同じ量だけある。それにサッカーも忙しい。部活は引退すれども選抜はまだまだ本番。 だから、竜也とシゲがシゲの下宿先の寺で二人きりになれる週末というのは、本当に珍しかった。 「なぁ、たつぼん〜」 それなのに。 竜也は先ほどから部屋の主を無視して、アルバムに見入っている。 口元には本当に楽しそうな笑みが浮かんでいるから、シゲとしても邪魔をしたくない気持ちは十分あるのだけれど、それでも、久々に二人で会っているのに完全無視されるというのは面白くない。 (あぁ、持って帰ってくるんやなかった・・) シゲは心底後悔していた。 先日関西選抜に行った際に、母の所に寄ってきた。それ自体は別に珍しいことでもなかったのだが、帰り際になって母親がアルバムを持って来たのである。 今竜也が夢中になって見ているのがそうなのだが、それは、シゲの保育園時代から小学校にかけての写真が収まったアルバムだった。 「たーつぼーん・・。そんなにおもろい?それ」 「ん・・・・」 生返事しか返さない竜也に、シゲは深々と溜息を吐く。 母親にそれを差し出された時、シゲは当然それを断った。 そんなもの持って帰っても仕方無い。どうせ来年には京都に戻って来るのだから、今こんなものを持って行っても、二度手間になる。 それに、シゲは自分の幼い頃の写真を見るのが何となく気恥ずかしかった。 しかし、渋るシゲに母親は、息子の贔屓目を抜きにしても十分に綺麗だと思われる微笑を浮かべて、 『ええやん、一度竜也君に見せてあげたら。きっと喜ぶで』 母の口から余りにも自然に竜也の名前が出てきたことに、シゲは驚かないわけにはいかなかった。 二人は会ったことは無いはずなので、母がこんなにも自然に竜也の名前を口にするのは、それだけ自分が竜也のことを話しているせいなのかと思うと、何だか酷く気まずかった。 そんな事実にシゲが人知れず呆然としている間に、何となく押し付けられるような形で持ち帰ってしまったのだが、その存在を今日訪れた竜也に知らせると、彼はとても真剣に、見たい、と言った。 「たつやー」 もう先ほどから何度呼んだか分からない名前を再度口にしながら、シゲは竜也の後ろから抱きつくようにしてその腰に腕を回す。 竜也を脚の間に挟むようにして座ったシゲの体勢に、普段なら速攻で腕を叩くなり振り解くなりするのだが、竜也は気付いていないのか、何も言わない。 無言の二人に割って入るかのように、時折古い窓の木枠ががたがたと鳴った。 シゲは仕方なく、その体勢で竜也に付き合って自分の幼少時を観察することにする。 しばらく二人の間には、風が窓枠を揺らす音と、吹き上げられた枯葉が窓ガラスに当たる乾いた音しか聞こえない。 「あ」 「え?」 暫くして、竜也がゆっくりとめくっていたアルバムの中の一ページの一枚の写真に、シゲは思わず声を上げた。 特に意味は無く、ただ純粋に懐かしさに駆られてのことだったのだが。 「それ」 シゲは竜也の腰から腕を解いて、一枚の写真の一人の人物を指で指した。 竜也は、シゲの腕が動いたことで初めて己の体制に気付いたのか、少し眉をひそめてシゲを睨みつけたが、特には何も言わずに黙ってシゲの差した写真に目を落とす。 「小学校くらい?」 そこには、未だ髪の黒いシゲと、数回会った事のあるシゲの幼馴染である直樹と、そして幼い少女が写っていた。 「そー。3年生くらいちゃうかな、これ」 うわー、懐かしいわ〜。 そう言いながら、シゲは瞳を細める。 その表情は、写真の中でシゲが浮かべている笑みの面影が確かに残っていて、竜也は何だか妙な気分になった。 自分がさっきから見ているのは、自分の知らないシゲだ。黒髪で、幼くて、京都にいた頃の。さっきから竜也がアルバムから目が離せないのも、黒髪のシゲが珍しすぎるからかもしれない。 でも、こうしてシゲの表情には確かに写真のシゲと繋がる物があって。 (変なの・・) くすぐったいような気分になりながら、竜也は機嫌の良くなった様子のシゲに尋ねる。 「仲良かった子?」 直樹のことではなく、シゲの隣でサッカーボールに片足を乗せて、快活そうに歯を見せて笑う少女についての質問だった。 「うん。俺の初恋の子や」 本当に、他意なんて無かった。ただ、事実を告げただけ。 「可愛ぇやろ?サッカーも上手くてなぁ。明るくて元気一杯で、俗に言う”男にも女にもモテる子”でな。今絶対ごっつ美人やで」 「ふぅん」 竜也は、自分から聞いておきながらも素っ気無い返事を返す。そして、またアルバムをめくり始めた。 「京都に帰ったらさ、会えるかもよ?」 その声の響きには何の含みも感じられなくて、竜也が単に本気でそう思っているのだとシゲに伝える。 突然、シゲは面白くなくなった。 別に、そんな気があって話題にしたわけではないけれど。そんなことでいちいち突っかかられても困るけど。 だからって、まるきりの無反応というのも何だか・・・。 「愛が見えへん・・・」 竜也の肩にあごを乗せてシゲは呟いたが、聞こえていない筈の無い竜也はやはり無反応だった。 そのまままた、二人の間には寒そうに鳴く窓の木枠の音だけが響く。 分厚くも無いアルバムを全て見終えて、竜也は静かにそれを閉じた。 そして、シゲのあごが乗ったままの肩の反対方向に首を傾げて、ぽつりと呟いた。 「小島、だったんだよな」 「は?」 突然竜也のクラスメイトでサッカー部の元マネージャーの名前を出されて、シゲは何事かと面食らう。そして、さらに続けられた言葉にシゲは今度こそ言葉を失った。 「俺の初恋」 中一の頃から知っててさ、サッカーの話とかもしたことあって。変にきゃぁきゃぁ騒いでくる女子よりよっぽど話しやすくてさ、気付いたら、あれもしかして好きなのかなって思った。 前を向いたまま喋る竜也の声は、すこし浮ついているようで、軽く笑った弾みに白い項を茶色い髪がさらりと流れた。 「へ・・・ぇ・・」 よく考えれば、小島は竜也の家の女性たちに似たタイプといえるだろう。竜也の母親は別として、強く逞しく美しい竜也のおばたちは間違いなく、小島タイプだ。 いや、小島があのおばたちタイプというのか。 (うっそー・・。大穴?) 小島の良さはシゲも良く知っている。 さばさばしていて話し易い割に勘も良く、余計なところは必要以上に突付いてこない割り切った性格。そして、ここぞというときには、相手の背中を蹴り倒すかの勢いで、発破をかけてくれたりする。 けれど、たまにクッキーを作ってきたりという女らしい一面を見せたりもして。 竜也のような、やや頼りないくせにプライドは高い、少々扱い方に難有タイプに似合いと言えなくも無いが・・・。 「お前に比べれば、遅いよなぁ・・。お前小3だろ?」 台詞と対照的に、楽しそうにくすくすと笑う竜也に、シゲは不信感を抱かせないために平静を装って努めて明るく答えた。 「たつぼんらしいんやない〜?」 つもりだったのだが。 その言葉を聞いた途端、竜也がシゲの腕の中で身体をくるりと反転させて、シゲと向き合うような体勢になる。 「あほ」 「・・・・・・はい?」 突然吐かれた言葉にシゲは眉根を寄せる。竜也はその表情を見ると、何が楽しいのか口元に小さな笑みを刻んだ。 「何時もと逆」 いつもなら、大抵眉根を寄せているのは竜也のほうなので、今シゲが眉間に皺を寄せて自分は笑っていられるという状態が、竜也には新鮮で楽しかった。 「何」 何時も余裕のある立場の人間がたまに不利な状況に陥ると、慣れないことへの気恥ずかしさか悔しさからか、往々にして不機嫌になる。 シゲの声もまた、不機嫌そうに低められていたのだが、竜也はそんなことにはお構い無しでやや浮かれた様子で、シゲの足の間に身体を収めてその胸に耳をつけた。 「”だった”て言ってるだろ?何で俺がいま、ここで大人しくしてると思ってんだよ?」 そして竜也はシゲの胸から顔を上げて、目尻の下がった瞳を柔和な色で染め上げて微笑んだ。 「”今”の話をしようよ、シゲ。”今”好きな人の話をさ。それともなに?お前の初恋は、現在進行形なわけ?」 シゲは、その竜也の表情に声も無くただ首を振る。 すると竜也は、シゲの好きな、甘くてしっとりと通るその声で告げた。 「俺じゃ駄目なのか?」 女のそれのようにやけに空気を震わせる事も無く、ただ空気の間を滑ってなめらかに、その言葉はシゲの耳に届く。 そして、甘く鼓膜を震わせる。 「・・・やないです」 シゲは、耳が熱いのを感じた。竜也は、それを見てますます嬉しそうに笑う。 (くそ・・) そう思うのに、いつものように口は上手く言葉を紡いでくれない。全く、口から生まれてきたんじゃないかと、散々この目の前の坊ちゃんに言われてきたというのになんて様だ。 「終わった話なんてどーでもいーよ。”今、これから”の話をしよう。俺は、終わった初恋なんかには負けないぜ?・・・・そうだろ?」 違うなんて言ったらぶっ飛ばす。 竜也の瞳はそう言って笑っていた。ここで、”泣いてやる”なんて可愛らしい表情を浮かべない、この強気な瞳がシゲは好きだ。 「そーですねー・・・」 やっと、シゲはここまできて自分の頬に笑みを刻むことに成功した。 そして、胸に乗せられる竜也の頭を両腕で抱きしめた。 「くるし・・」 くぐもった声で抗議しながらも、竜也はシゲの腕を解こうとはしない。 そしてそのままの体勢で、独り言のように呟きだす。しかしそれは、シゲの心臓に直接囁かれるような、小さいけれどもその分凝縮されて発酵した言葉だった。 「”今”俺はお前が好きだよ。初恋なんて、もう過ぎた話だろ?”今”手に入れたいのは、”今”の気持ちだよ。きっと、初恋は一番心に残る想いだよな。でもさ、そんなのには負けないだろ。だって、”今”には”これから”があるんだし」 水野の言葉にシゲは、まるで新手の死刑法を試行されているかのような気分になる。 こんな台詞、あと一分でも聞いていたら囁き込まれている心臓は止まるだろう。 そんな妙な自信があった。 だから、竜也の言葉を塞ぐためにシゲは竜也のあごを持ち上げて、その唇にキスをした。 それは軽く触れ合うだけのキスで、終えた後には竜也は何も言わずただシゲを見つめた。 「あー、もう・・・・」 シゲはその瞳に移る自分の表情に耐えられなくて、竜也の頭を肩に乗せてまた竜也を抱きしめた。 「・・・・・・・・”今”べッタ惚れやわ、竜也くん・・・・」 観念したようにシゲが溜息付きで呟くと、シゲの耳元で、竜也が吐息をシゲの耳朶に吹きかけながら、 「ざまーみろ」 と笑った。 その次の瞬間には、竜也の頭の下にはシゲの万年床が広がっていた。 いつの間にか秋の青い空は引いていき、東から茜色が広がり出した。 程よく日に焼けたシゲの素肌となかなか色を変えない竜也の白い肌は、今は平等にオレンジ色が染め上げる。 二人は仲良くシゲの狭い一人用布団に寝転がって、四角く切り出された茜色の空を見上げた。 「あー、それにしてもー・・」 シゲが間延びした声を上げて、竜也の横で仰向けになる。竜也は腹這いになって、シゲのほうに首を向けた。 シゲは首の後ろで両腕を枕にしながら、すっかり模様まで覚えてしまった寺の天井の染みを目で追う。 「俺が京都に戻ってぇ、そんで小島ちゃんがたつぼんに惚れたらどないしょー・・。たつぼん、めっさ男前やねんもんなぁ・・」 あながち冗談とも取れない口調で呟くシゲに、竜也は頬の下に腕を敷いてくすくすと笑う。 「じゃぁさ、俺だって、お前がホントにあの初恋の子と運命の再会したら、どうしようか?」 窓枠の鳴りは、段々と収まっていくようだ。 吹き上げられてくる枯葉も数を減らした。 きっと今夜は穏かな夜になるだろう。 「たつぼん」 シゲは頭の下から腕を抜いて、竜也のほうに横向きになる。 「好きやで」 そして、目尻に涙の跡を残した竜也の頬に口付ける。 ひっそりと静まり返る寺に、シゲの唇が離れる際のちゅっという軽い音だけがする。 「俺も、好きだよ」 竜也は首を更に捻って、シゲの唇が自分のそれに落ちてくるのを待つ。 そしてその望みが叶えられた後で、静か閉じた瞼を通してシゲを見つめながら、シゲに語りかける。 「頑張ろうな」 きっと今夜は、静かな夜になるだろう。 お互いの声だけが、夜気に染み入る夜になるだろう。 「あぁ。せやな」 シゲは竜也の髪に指を絡めて、微笑んだ。 「がんばろーか」 来年の春、君が側にいなくても。 end. え、シリアス落ち!?ラブ落ち!?どっち!!? 本当は、書き始めたときには、ラブラブ甘々ばかっぷるでいこうと思ったのに・・。何故にこんな中途半端なところに落ちたんだ・・・。(苦悩。 二条様のサイトの移転にいきなり送りつけた代物です その節は突然「祝ってもいいですか?」などとほざいて、どうも失礼いたしました・・。 |