羽化




 


3.


 シゲはしばらく無言のまま、水野を見つめていた。水野も、一言も発さなかった。やがて、シゲがぽつりと呟いた。
「たつぼん、俺の何になりたいん?」
「え・・」
 シゲはすぐにいつもの人の悪い笑みを浮かべる。
「何でも打ち明けてもらえる親友?切磋琢磨し合うライバル?なぁ、たつぼん。お前は俺のどの位置が欲しかったんや?」
 水野は困惑した表情をしているだろうと、自分でも分かった。答えが、出てこないのだ。
その代わり、どこかで音がしているような気がした。何かが、破れる音。ぱんぱんにつまった袋を、細い爪が少しずつ引っかいていくような。ぴぴ・・という、音。耳を閉じたいのに、聞いてはいけないと分かっているのに、腕は両脇に下ろされたまま、上がってきてはくれない。
「俺が何の相談もなしに、関西行ったりしたのが気に入らないん?違うよな、お前さっき違う言うたもんな。せやったら、カザに対して俺が本気でサッカーやりたい思ったこと?けどその結果俺がサッカーに本気になったんは、嬉しいんやろ?・・・なぁたつぼん、何が気に入らない?俺にどうして欲しかったん?」
 水野は口を開きかけて、閉じる。何かを考え込むように視線をさまよわせてから、また口を開きかけ、また閉じる。
彼が一番のものにサッカーを選んでくれて、嬉しいと思う気持ちに偽りは無い。それなのに、何かつっかえているような気持ちの悪さは何なのだろう?
考えあぐねる水野に、シゲはこう言った。
「たつぼん、自分が俺の中でサッカーより下に居ると思うんが、気に入らないんちゃうの?」
 水野は笑い飛ばそうとした。自分を棚に上げて、何よりもサッカーを優先する他人を非難するような、そこまで小さな人間ではないつもりだ。だから、シゲの今の発言は、一笑に伏してしまえるものだ。そう思ったのに、水野はそれに失敗した。
「何・・言って・・・」
けれど。否定しなければ。しなければ。
 必死で言葉を探る水野を、シゲはさらに追い詰めてくる。
「せやかて、そう聞こえるやん。サッカーのために俺がお前の近くから消えたんが、気に入らないんちゃうの?サッカーのために俺が、今までのお前との何かをぽいって捨てて、京都に行ったんが気に入らないんちゃう?」
 「ちが・・・」
 必死で否定しようとする水野の耳には、先ほどよりもはっきりと音がしていた。ぴりぴり・・という、破れる音。
(駄目だ)
 耳を貸しちゃいけない。見てはいけない。気付いてはいけない。
 認めない。
「サッカーも、他のとこでも、俺に一番優先して欲しいんやろ?」
 そう言った時のシゲの勝ち誇ったような表情に、水野はそれまで動かなかった腕を振り上げた。
 ぱんっ。
 小気味良い音がして、シゲが少し水野から身体を離す。けれど、その瞳は水野を見据えたまま。水野はその瞳ごとシゲを射殺すように眦を上げて、叫んだ。
「ふざけんな!」
「・・・・ふざけてへんよ」
 不自然なくらい、静かな声音。シゲは、笑っていた。
「ふざけてない。なぁたつぼん、いい加減認めてまえや。お前のソレは、立派な独占欲や。友情なんてレベル、とっくに超えてる」
「違う!」
 聞いてはいけない。
「違わん。サッカーでなら、カザが俺に火ぃ付けたんが、気に入らない。それ以外の生活じゃ、俺がお前に何も言わないで色々決めてまうのが、気に入らない。せやろ?お前は俺の一番近いとこに居たいんやろ?俺の中で、自分が俺の一番であって欲しいんやろ?いつも。けど、そこまでいくともうお友達やないわな。わかっとるくせに」
 お互いに目を逸らしたりせずに、二人は睨みあうと言っても良いほど、きつい視線をぶつけ合う。
気付いてはいけない。
「そういうの、何て言うか知っとる?たつぼん」
「・・・・知らない」
 知りたくない。認めない。
 けれどそんな水野にはお構いなしに、シゲはその一言をやけにはっきりと告げた。
「恋愛感情」
 そして水野の耳の奥で、ぴりりり・・と音がした。
「くそ・・・・・・」
 水野は一言そう呟くと、その場にしゃがみこんだ。

 分かっていたのかもしれない。
いつもシゲの名を呼ぶ度に感じていた、あの感情。自然にこの身体に馴染んだその名前を呼ぶ度に、どこかで泣きたくなった、あの想い。
"シゲ"は"竜也"ではない。どんなに近づいても、一つのものを全く同じに解することは無く、二人の境界はまず名前で示される。
彼は"シゲ"であり、自分は"竜也"であること。そんな当たり前のことが、何故ずっと嬉しかったり悲しかったりしたのか。 分かっていたのに、認めたくなかった。見たくなかった。けれど、本当はずっとそこにあった。
きっと、分かっていた。
 しゃがみこんで頭を抱えてしまった水野に、シゲは優しく話しかける。
「た〜つぼん。な、認めるやろ?図星やろ?なぁ、顔上げて。認めます言うてや。そしたら俺も話せるから。俺の中でたつぼんがずぅっとどこに居たか、ちゃんと言うから。な、たつぼん」
 水野がそっと視線だけ上げると、シゲは水野と同じようにしゃがみこんで、微笑んでいた。その笑みは、いつもの含みのありそうな笑みではなくて、本当に優しい瞳で笑っていたから、水野もつられて、口元をほころばせた。
「認める?」
 なおも言わせようとするシゲに、水野は軽いため息ひとつ付いて答えた。
「あぁ。認めるよ」





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ああもう、何が言いたかったんだ、自分。前半と後半で間が空きすぎたせいで雰囲気違う・・・。長いくせにこんなオチ。ごめんなさい、精進します・・。