好きだから。







 軽く眼を見開いたな、と言う自覚はあった。
 けれど、特に何も言わずにシゲは微笑んだ。
 相手も大きく手を振ってくれた。
 水野の腕にぶら下がるようにしてまとわりついていた、大きな目をしたシゲには見覚えのない女の子が。


 11月30日は、桜上水サッカー部の我らがキャプテン水野竜也の15回目の誕生日。
 いつもなら、白い息を吐きながら掛け合う部員たちの声しか聞こえない筈の朝練のグラウンドに、今日は、朝も早くか暇なのか、と溜息混じりに言ってやりたくなるくらい、女子生徒がグラウンド脇に立っていた。
 勿論ほとんどが、水野に誕生日プレゼントを渡すために来ているのだ。
 けれど当の本人は、そんな黄色い声援など全く聞こえませんとでも言うように、淡々と練習の指示を出し、授業開始に十分間に合う頃に解散の合図を出し、今か今かとチャンスを窺っている女子生徒になど一瞥もくれないでさっさと部室に入ってしまった。
 部員たちは部室で着替えている中で、高井と森永が茶化すように大げさに溜息を吐いて、水野を横目で見る。
「相変わらず、すげぇよな〜、水野」
「分けろよなぁ・・」
「どれでも持っていけよ」
 水野はそう言って、二人のからかいをばっさりと切り捨てる。
 ただ目の前の自分のロッカーだけを見つめて黙々と着替える水野に、高井と森永はそっと目配せし合って首を捻る。
 いつも、自分のファンだと豪語する女子生徒たちにはいい顔をしない水野も、ここまで言った事はない。
 心なしか、今日の水野の眉間の皺はいつもより多いようでもあった。
「た〜つぼん」
 そんな水野の様子には微塵も気付いていないかのように呑気な声を上げながら、珍しくも練習に参加していたシゲが、まだ着替えも済ませずに水野に何かを差し出した。
「なに」
 手早く着替えてしまった水野は、ガシャンとやや乱暴にロッカーを閉めてぶっきらぼうに問い返す。
 シゲの手に握られていたのは、綺麗にラッピングされた手の平サイズの包み。
 シゲは水野の手を取ってそれを握らせながら、楽しそうに笑った。
「誕生日プレゼント。たつぼん、今日誕生日やろ?まぁ、安モンやけどな?」
 さら、金髪を揺らして笑ったシゲに、水野は一度渡された包みをぎゅ・・と握り締めた。
 そして。
 バシッ。
「・・たぁー」
 その包みをシゲの顔面目掛けて、勢い良く投げ返した。
 余りの水野の暴挙に、部員一同は思わず固まった。
「シゲのクソ馬鹿っ!死ねっ!!」
 更に水野はそう吐き捨てると、包みを拾い上げるシゲや固まる部員たちに全く見向きもしないで、荒く足音を立てながら部室を後にした。
「・・・なぁに、あれ・・」
 水野と入れ替わるようにして部室を覗きに来た小島が、片手に包みを持って苦笑するシゲに尋ねた。
「さぁ?」
 かつて、顔面に向かって飛んできたスパイクを難なくキャッチしたはずの男は、包みの角が当たったのか少々赤くなった頬に手を当てて笑うだけだった。

「こんな日に喧嘩するなんて、ばっかじゃない?」
「あー・・、せやねぇ」
 保健室。昼休みに入って二十分ほど。保険の先生は、昼休みにはしゃぎすげた生徒のために、保健室を留守にしていた。
 シゲの頬に湿布を貼りながら呆れたように溜息を吐く小島に、さすがのシゲも遠くを見つめるしかないようだった。
「何があったのかなんて、痴話喧嘩ほど聞くのが馬鹿馬鹿しいものはないって分かってるけど、聞いてあげるわよ。再度プレゼント渡そうとしただけで、ほっぺたに拳を頂くほど、いったい何をしたのよアンタ」
 小島はシゲの話を聞く前から、水野の不機嫌の原因はシゲの悪さにあると決めているらしい。
 普段が普段なだけに反論できないシゲは、それについては訂正を求めるようなことはせずに、保健室の丸い椅子をギシギシ鳴らしながら、話した。
「昨日な、たつぼんのプレゼント買いに行ったんや。んでな、中々気に入ったもんが手に入って結構ご満悦で。鼻歌でも歌って帰ろかなぁ、とか思ってたとこにな」
 シゲは思い出す。
 ふと視線を上げた先に、プレゼントを渡したい張本人が居た。
 いつものように寒そうにやや肩を丸めて、灰色のマフラーにあごを埋めるかのようにしていた。
 偶然会えた事が嬉しくて、シゲは当然彼に声をかけようとしたのだけれど。
「女連れててん」
 続いたシゲの台詞に、小島は思わず、はぁ?と聞き返してしまった。その小島の声に、シゲもおかしそうに笑って、
「びっくりやろ?俺もほんまびっくりしたわ〜〜。声かけようかと思た瞬間、陰になってた女の子が見えたなんて、今時少女漫画でも流行らへんわ。」
 水野の名を発しかけたシゲの喉奥は詰まって、シゲは馬鹿みたいに口だけを半開きにした。
 すると、まるでシゲの飲み込んだ声が聞こえたかのように、ふいに水野がぱっとこちらを見たのだ。
 咄嗟にシゲは、微笑んでいた。
「ほたらな、たつぼんといた女の子の方がごっつ手ぇ振ってくれてなぁ。あれはあれでかわえかったんやけど」
 彼女の腕が、水野のそれに絡まったりしていなければ。
「学校の子?」
 小島が、何故か恐る恐る尋ねてくる。シゲは丸い椅子をくるくる回しながら、間延びした声で答える。
「知らん。俺、別に学校中の女知っとるわけや無いし。けど、今までたつぼんのファンやーって、群がってきとった中には見覚えないわ」
 それ以前に、単なるファンに水野が腕を組ませるとは思えない。それはもう絶対に。
「・・・それで?そのことであんたが水野を責めたりしたわけ?」
 シゲは執着心は人より薄く見えるくせに、意外に独占欲は強いのだということを知っている小島は、湿布の余りを丁寧に元に戻しながら、落ちが見えてしまった話に少々物足りなさを感じたのだが。
「うんにゃ。今日朝会うまで、俺たつぼんとは一言も話してへんし」
「・・・は?」
 片付けかけていた手を止めて、小島は思わず眉間に皺を寄せてシゲをじっと見つめた。
「いやん、みつめんといてv照れてまうやんV」
 あごの下で指を絡ませて肩をくねっと捩らせたシゲに、小島は本日特大の溜息を吐いた。
「あんた・・・。それが怒らせたって、分かってんでしょ?」
 小島が吐き捨てるように言うと、シゲはわずかに眉根を下げて苦笑した。
「やって、怒りたくないんやもん」
 水野の誕生日に。水野の喜ぶ顔が見たくてプレゼントを用意したこの日に。
 あの女はどういうことだ、なんて水野を怒鳴りつけるなんて事だけはしたくなかった。
 だけど、電話でもすれば必ず聞かずにはいられなくなると思ったから、シゲは昨日ずっと水野には連絡をしなかった。
 微笑んで、最上級の”おめでとう”をあげたかった。
 なのに、水野はそれが最高に不満だったらしい。
「あんたって、変なところで子供よね」
 湿布を元のところに戻してきてから、小島はそう言って呆れたように言いながらも、優しく笑った。
「変なところでカッコ付けてんじゃないわよ。さっさと仲直りしなさいよね。あの水野が浮気なんてできる筈無いって事も、自分から事情を話し始めるなんて事もできないって、分かってるんでしょ?」
 やっぱり馬鹿馬鹿しかった・・などと言いながら、小島はまだ椅子でくるくる回っているシゲを置いて、保健室から出て行った。
 シゲはくるくる回る視界の中で、さてどうやって話を聞いてもらおうかと思案していた。


 案外チャンスはやってくるものである。
 シゲはつくづく自分の幸運に感謝した。
 部活の後、水野が不機嫌さ満点の表情でシゲに低く告げたのだ。
「母さんが、シゲを連れて帰って来いって言ってた」
 シゲは、母の託をしっかり伝えるようにと躾た真理子にも感謝した。
 帰り道、二人は一切口を利かなかった。けれど、離れても歩かなかった。
 そのことが、水野が本当はシゲに言いたい事があるのだけれど言い出せないでいるのだということをシゲに容易に悟らせた。
 シゲは横目でちらちらと水野の吐く白い息を見つめながら、朝からの様々な出来事で少々いびつになった包みをポケットの中で撫でた。

 水野家の女性たちは全て、諸手を上げてシゲを歓待してくれた。
 今日の主役である筈の水野が自室に上がってしまっても、彼女たちはシゲを開放してくれようとしなかった。
 けれども、さすがにいつまでも彼女たちに愛想を振りまいていたのでは、肝心の水野と何も話せなくなったしまいそうだったので、シゲは適当に言い訳をしながらやっとの思いでリビングを抜け出して、二階の水野の自室に向かった。
「たつぼん?」  軽くノックをしてみても返事が無かったので、シゲはそっとドアを押し開ける。
 水野は、シゲに気付いていない振りをしながら、ベッドに背を預けて何かハードカバーの本に目を落としていた。
「何、読んでるん?」
 殊更優しく聞こえるように注意しながら、シゲは水野の斜め上のベッドの上にゆっくりと腰を下ろす。
「本」
 水野の答えはにべも無い。
 苦笑しながらシゲは、ふと思い当たった事を尋ねてみる。
「貰ったん?」
「うん」
 その相手に、シゲは心当たりがあった。
「昨日の、子?」
 水野は何の躊躇いも無く、シゲの方には一瞥もくれずにさらりと答えた。
「うん」
 途端にシゲは、水野の腕に絡んでいた華奢な女の子の腕を思い出した。そして、声が絶対に震えたりしないように気を付けながら、シゲは尋ねる。
「なぁ、あの子、誰」
 それでも、声を発する前にシゲが唾を飲み込んだ音は水野に聞こえていた。
 水野は、読んでいたページに栞を挟むとその本を床に置いて、シゲを見上げた。
 今日初めて、シゲは水野の目の中に自分がいるのを見た。
「何で、そうやって、聞かないんだよ・・・」
 水野の眉は寄せられていたが、それは怒りの為ではなくて、どこか辛そうに見えた。
「お前にとって、俺って、そんなにどうでもいいものなのかよ。俺が、誰と何してても、お前は、何も思わないのかよ・・」
 水野の声は震えていた。シゲは、水野の柔らかな前髪に指を伸ばす。
「ごめん」
 僅かに身を引こうとした水野の肩を、シゲは不安定な姿勢のまま引き寄せた。
「何に」
 シゲの硬い肩に瞼を押し当てて、水野は呟いた。
「怒りたく、なかってん。お前の誕生日にくだらん嫉妬して、困らせたく無かったんや」
 シゲはじんわり温もる肩に、強く水野の頭を抱え込むようにしながら、嫉妬するなんて狭量なところを水野に見せたくなかったということは、言わずに置いた。
 水野は、シゲの服の上から爪を立てた。
「嫉妬するって、そんなに悪い事、かよ?俺は、不安だったよ。お前が何も言ってこなくて。あの時笑ったし」
 シゲは水野の声を聞きながら、肩の辺りがじんわりと熱くなるのが分かって、水野の襟足を優しく撫でてやった。
「俺がお前のこと好きなんだってこと、お前が知ってるのは分かってるけど。でも、じゃぁお前は?俺は、お前が俺のこと本当に好きでいてくれてるのか、いつだって、自信なんか無い。なのに、あんな、笑われて・・」
 首筋を撫でるシゲの冷たい指の感触が、水野は好きだった。その指が、自分に触れて温度を上げるのを感じられる瞬間だけが、まだシゲに飽きられていないんだと安心できる時だった。
「ごめんな、たつぼん。俺はお前んこと、お前が思うてるよりずっと好きやで。けど好きやから、あの女の子誰なんて聞かれへんかってん。聞いてしもたら、お前のこと信用してないて思われるんちゃうかなって、思うたんや」
 水野はますます強くシゲの腕に爪を立てる。声にならない抗議にシゲは苦笑して、髪に口付けながら水野に尋ねる。
「なぁ、あの女の子、誰?何で、腕なんか組ませてたん?」
 水野はシゲの腕の中で小さく鼻をすすりながら答える。
「親父の姉貴の、子供だよ」
「え・・て」
 思わずシゲは撫でていた手を止めて、拘束を緩めて水野の顔を覗きこんだ。
 すると水野は、目尻に僅か水滴を残しながらも、おかしそうに目を細めてシゲを見返してきた。
「従妹。ウチの親が離婚してから会ってなかったんだけど、久しぶりに遊びに来て。で、俺は暇だったから、二人で出かけてたんだよ」
「腕は・・?」
「前から、スキンシップ好きだったし。慣れてるし」
 シゲは、水野の笑みが深くなっていくのに反比例して、酷く疲労感を感じずに入られなかった。
 そんなオチか。
 がっくりと力の抜けたシゲに、水野はシゲにどれだけ力が入っていたのか気付いた。
 そして、気付いた途端にそれがおかしくて、思わずくすくす笑ってしまう。
「笑うなや・・」
「だって・・」
「おい」
 段々笑い声が大きくなる水野に、シゲは低く呻く振りをしながらも、その声はどうしても浮いてしまう。
 結局最後には、二人はくすくす笑いながら深くキスをした。
「ごめんな」
 唇が離れて、透明な糸が水野の口端から零れるのを舐め取ってやりながら、シゲは柔らかく笑って、
「あの時、有無を言わさず二人の間に割って入って、めためたに妬いたって言うて、そんままその従妹にまた会う度にそのキス思い出して赤なる位の、窒息するくらいのディープキスかまして、お前は俺のモンやって言えば良かったんやねぇ」
「・・・・・・・・」
 シゲの舌の熱を頬に感じながら、水野の背中に何か悪寒のようなものが走った。
「何引いとるん?」
 にっこりと唇に弧を描くシゲに、水野は思わず腕を突っ張らせてシゲの腕の中から逃げようとする。
「言うとくけど、本気やからな」
「う・・ぅわ」
 逃げようとする水野を逆にベッドに引っ張り上げるようにして、シゲは仰向けにベッドに倒れこんで水野を抱きしめる。
「今度俺以外の奴と腕なんぞ組んだら、ほんまにやるで?」
「・・ヤメテクダサイ」
 本気としか思えないシゲの声音に、水野はただそう言うしかない。
「たつぼん次第やねぇ」
 シゲは楽しそうに笑いながら、水野の頬を両手で挟んで顔を自分に向けさせる。そして、水野の鼻の頭を軽くぺろりと舐めた。
「誕生日、おめでとーな。たつぼん」
 まるで猫のようなその仕草に水野は一瞬目を見張って、そしてはんなりと笑みを浮かべた。
「ありがとう」
 シゲは水野の頬から片手を離して、すっかり形が悪くなってしまった包みをポケットから取り出して、自分と水野の間に持って来た。
「受け取ってくれる?」
 皺だらけのその包みに、水野は照れたように笑った。
「ありがとう」
             










さぁ、シゲは何をあげたのでしょう!?
ていうか、誰か私に、意外性のある話を考える脳みそを分けてください・・・。苦。
そんなオチか、はおそらく私を含めてコレを読んだ方々共通の思い・・・。なんの捻りも無くて御免なさいっ。