7 秘密主義 「君のためにできること」


ずっと、自分はいらない子なのだと思っていた。

竜也の尖った小さな耳がぴくと動いて、彼は目を開けた。自然と半分しか開かない大きな目を擦りながら、もぞもぞと身体を起こす。
何だろう、何か聞こえた気がする。
暗闇でもはっきり見える瞳を瞬かせて、狭いベッドで壁際に顔を向けて自分の隣で眠るシゲを覗き込んだ。
(シゲ!?)
竜也の眠気は一瞬で吹っ飛び、そして激しく狼狽した。シゲの眉間に深くしわが刻まれていたからだ。
竜也の知るシゲはいつでも優しく笑ってくれていて、たとえ竜也が何か失敗した時だって決して眉根を寄せたりしない。少し困ったような表情をすることはあっても、こんな風に苦しそうにしているところなど見たことが無かった。
竜也は慌てて辺りを見回し、ローテーブルの上にマグカップが置きっぱなしになっているのを見つけた。急いでベッドを降りてそれを胸元に持つ。
狭いキッチンに通じる扉のノブに背伸びをして手をかけ、そっと開けて冷蔵庫から牛乳を取り出した。
脇に置いてある丸椅子を引っ張ってきて、牛乳をこぼさないように慎重にその上に上って、少し力を込めてレンジの扉を開く。
シゲが遅くなる時のために教わっているので、暖めるだけの使い方なら竜也にも分かった。

低い聞きなれたファンの音で、シゲは目が覚めた。寝返りを打って隣を見ると、竜也が居ない。
「竜也?」
竜也の代わりにピーという電子音が答え、キッチンと玄関に続く扉から竜也が顔を出した。
「なしたん?」
シーツの上に放り出してある携帯電話で時刻を確認すると、まだ午前二時。いつもなら竜也もぐっすり寝入っている時間である。
竜也はぱたぱたとベッドに近づき、シゲの寝巻きの裾を引いた。
「なに?」
引かれるままにベッドを降りて、シゲは竜也の指すレンジの前に椅子をどかして立った。
首を傾げながらレンジを開けると、そこには湯気を立てたマグカップ。何かと思って取り出してみると、それはホットミルクだった。
「これ・・・」
どういうことだろうとシゲが見下ろすと、竜也が大きな光る目でじっと見上げてきていた。
「俺に?」
聞くと、竜也はこっくりと頷いた。
レンジの暖め方は教えてあるが、余り熱くはするなと言ってある。火傷をしたら困るから、ホットミルクなどどうしても熱くしないといけないものは、自分で出したら駄目だと以前シゲは竜也に言った。
レンジから白いマグカップを取り出して、その場でそっと一口飲む。
暖かな熱が、喉を通って胸を満たして腹に収まった。
「俺、うなされとった?」
苦笑してシゲが問うと、竜也は悲しそうに眉尻を下げて頷く。そして大丈夫かと尋ねるように、寝巻きのズボンをぎゅうっと掴んできた。
シゲは、薄く幕を張るカップを調理台に置いて、思わず竜也を抱き締めた。
「ありがとー」
夜中に起きて、冷蔵庫を開けて椅子を引きずり、シゲのために駄目だと言われているホットミルクを竜也が作ったのは、以前そうしてやったことがあるからだ。
それをちゃんと覚えていて、同じ様に自分にしてくれたことが、シゲは無性に嬉しかった。
「ありがとー、竜也。居てくれて、良かった・・・・・」
昔から、自分はいらない子なのだと思っていた。友達は多いし恋人だって居たけれど、何か絶対のものが埋められないのは、子供の頃に寂しかったせいだとシゲは半ば諦めていた。
けれど、今この小さい生き物が必死で自分の心配をしてくれる。抱き締めた身体は小さくて簡単に折ってしまえそうなのに、肩にしがみ付く十本の指が、とても強くて暖かかった。
「竜也、俺んこと好き?」
竜也の顔を覗きこんで尋ねると、竜也は迷う事無く頷いてくれる。
シゲがうなされていた理由を尋ねる事無く、ただ心配をしてくれる。問われたところで答えたくないシゲは、今までそれが原因で恋人と別れたことがあった。
でも、この小さな猫が居れば今自分はそれだけで幸せだと、シゲはらしくもなく泣きそうになりながら自分だけの竜也を抱き締めた。


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えー、シゲ水ではありますが、シゲ+水野傾向が強いです。親子です。
なのになんでこんなラブラブしてるんでしょう。
癒されてるのは竜也だけじゃないんだよってことで。傷つけられて凄く傷付いても、それでも他人を思いやれるのは素晴らしいと思います。

..2004年10月4日(月) No.282