柔軟中の首を上げてグラウンドをぐるりと見回して、準太は首を傾げた。 「今日人数少なくねぇ?」 準太とペアを組んで彼の背中を押していた青木は、同じ様にグラウンドに視線を走らせてあぁと呟いた。 「文化祭の打ち合わせのクラスが多いんじゃねぇか?」 その言葉に準太は、そういえばそうだったかなとまるで他人事の様に思い出した。季節は初秋、芸術の秋、食欲の秋、読書の秋と様々謳われる中、学校行事としては文化祭の秋だ。 「そういえばって、お前のクラスはいいのかよ?」 準太は青木に取られて伸ばされる腕の筋に気持ち良さそうに目を細めながら、頬を撫でる秋風を胸に吸い込む。 「知らね。教室で何かやるっつうから、当日班でいいから適当に何か決めといてって言ってきた。タケこそいいのか?」 程よく解れてきた身体を揺らし、交代して今度は準太がグラウンドに腰を下ろした青木の背中を押す。 「部長だからな、オレが来てないとまずいだろ。オレも当日適当組」 くぐもった声で答える青木は、この夏三年生が引退した後新しい主将に抜擢された。前の主将の和己に負けず劣らず面倒見のいい性格の青木は、同学年にも下の学年にも既に慕われているいい主将と言える。 「そうだよなぁ。別に文化祭がどうのってんじゃねぇけどさあ、やっぱ部活やりてえよな」 祭自体は嫌いではないけれど、その為の準備に部活時間を削られるのは準太にとっては痛い。彼にとっては芸術でも食欲でも読書でも、文化祭でもなく、スポーツの秋なのだった。 それでもやはり強制的にクラス全員を拘束する所もあるのか、集まりは悪い。先に参加しいた野球部員達が柔軟を終えて走り込みを終える頃になって、やっとほぼ全員が揃い始める。 「すいまっせーん!」 一番最後になってユニフォームを着崩してバタバタと走ってきたのは、最近正捕手になったばかりの利央だった。 「おっせーぞ!!」 理由は分かっているとはいえ、投手である自分を待たせるとは何事だと準太が彼の頭部を叩き倒すと、利央はよほど急いできたのかいつも以上に乱した髪の毛の下から、鳶色の瞳を瞬かせてすいまっせんと再度謝った。 「なっかなか決まんなくてさぁ!!」 急いで走ってきたから身体は温まっていると主張する利央に、柔軟だけはきちんとしろとその相手をしてやりながら、準太は尋ねる。 「何やんの、お前んとこ」 「ステージ〜」 面倒臭そうな声で答える利央に、それは話し合いも長引くだろうなと準太は思わず苦笑する。 桐青学園の文化祭は、一学年を校内飾り付けと教室展示とステージ発表の三つずつに分ける。クラスごとに希望を出して、学年代表の話し合いの中でくじ引きで決めるのだが、一番人気は教室展示だ。 喫茶や軽食、お化け屋敷などある程度やれることが定まっているので決めるのが楽だし、当日お祭の渦中にいられるのがやはり楽しいからだろう。次いでは校内の飾り付け。毎年生徒会が文化祭のテーマとやらを発表してくれるでの、何となくそれに沿っていそうな装飾を考えれば済むし、何より当日は丸一日遊んでいられる。 一番不人気なのがステージ発表だ。一クラス十分の発表時間で、内容から運びから衣装から小道具などまで何もかも決めなければならないので、話し合いはどのクラスも大抵時間がかかる。 「決まったのか?」 毎年、ギリギリまでどうしても決まらずに、結局クラス全員の合唱とかなんともお粗末なことになるクラスが出てくるのだが、利央のクラスは幸い中身は決まったらしい。 「んー、まあねぇ・・・。でも準備が大変そー、めんどー・・・」 しかし具体的に何をやるんだと尋ねた準太に利央は何故だか口を噤んで答えようとせずに、いささかムッとした準太が全体重を掛けて利央を潰しても、結局彼は口を割らなかった。 ただ、その日の練習の後、いつもならば準太を待つなり準太に待ってくれとせがむなりする利央が、早々に着替え終えてバタバタと部室を後にしていくのを見て、準太は一人眉根を寄せた。 「あいつ、何あんな急いでんだ?」 ネクタイを締めながら独り言の様に零した準太の言葉に、青木が隣から答える。 「文化祭の練習だとよ。当日まで放課後練習に遅刻するって、さっき監督とオレに言いにきた」 「はぁ?」 準太の眉間に盛大に皺が寄ったのを見て、青木は苦笑する。何より部活大好きの準太にとって、文化祭を優先させるような利央の行動をきっと気に入らないだろうなと、監督と話したばかりだ。 「仕方無いだろ、部活だって大事だけど、高校生なんだし学校行事もな」 遅刻は許可するが休ませはしないぞと厳しく言った監督に、利央は深く頷いた。折角正捕手になった自分の立場を、利央はきちんと理解しているだろう。もし技術が落ちたりやる気がなくなるんだったら、試合には出さないとまで言った監督に、背筋を伸ばして返事をした。 利央が自分で両方頑張ると言うのなら、やってみせろと監督と自分は入学した当時よりも大きくなった利央の背中を叩いた。 しかしそのいきさつを聞いても準太は苛立たしげに眉間の皺を深くしただけで、ロッカーをやや乱暴に閉じた。 「あいつ、何考えてるんだよ」 自分とバッテリーを組めることを、こちらが恥かしくなるくらいに喜んだくせに。早く和己に追いつきたいと、昼休みにすらキャッチボールに誘いに来ていたあの熱心さは何だったんだ。 学校行事に参加することは高校生の義務でもあって、長年の付き合いから利央がどれだけ野球を好きかも知っている筈なのに、準太は心がささくれ立つのを感じた。 「まぁまぁ、休むわけじゃねぇんだし。利央以外とのバッテリ練もできるんだから、プラスに取れよ」 宥めるように肩を叩いてくる青木に、それはそうだけどと上の空で答えながら、準太は鞄を肩に担いだ。 お先ーと部員に声をかけて部室を出てから、首を巡らせて校舎を見上げる。数箇所明かりの点いている教室がまだあって、その中の一つに利央がまだいる。部活の後の空腹感にうるさく腹を鳴らしながら、それでもクラスの連中と輪になっているだろう姿を想像して、準太は大きく舌打ちをして踵を返した。 部活がおろそかになったら、速攻バッテリー解消だと明日伝えてやろうと思った。 翌日は珍しく朝練の無い日だったが、前日になって英語の予習を全くしていないことに気付き、更には辞書を学校におきっぱなしだったことを思い出し、準太は結局朝練習がある日と同じ時間に登校する羽目になった。 自分のせいとはいえ野球ではなく勉強の為に早くに学校に行かなければならないのは苦痛で、準太はまだ当然誰もいない校舎の中を上靴の踵を引きずりながら歩いていた。 白を基調にしている校舎は、誰もいない朝には妙に寒々しい場所に感じられる。季節柄ということもあるのだろうけれど、シンと静まり返った廊下はじわじわとした寂寥感を滲ませていた。 (あれ・・?) 不意に、無音の廊下に何か軽快な音楽が流れていることに気付く。こんな朝早くからどこの物好きだろうと好奇心を刺激された準太は、自分の教室ではなく音楽が流れてくる方に爪先を向けた。 「・・・がうって、遅い遅い」 「えー?タ、タ、タン、だろぉ?」 「違うよ、タター、タンだって」 その教室は一年生の教室で、しかも準太が何度か訪れたことのあるクラスだった。 「利央?」 音の出所である教室を確認し、そこから漏れ聞こえた声に思わず扉を開けた準太は、机と椅子を全て後ろまで下げた教室の真ん中で、利央と見知らぬ少年がラジカセを前にしゃがみこんでいるのを見た。 「あれぇ、準サン?」 学校指定のジャージの上下を履いた利央は、きょとんとした顔で準太を見上げる。おそらく自分の顔も相当間抜けなんだろうなと思いつつ、準太はその利央の表情に間抜け面、と返した。 「あのねぇ、朝一番に失礼ぶっこかないでくれます?おはようとか無いわけ?」 憮然とした表情になって唇を突き出した利央は、しかしすぐに表情を変えて今度は心配そうな色を浮かべる。 「今日って朝練ないよね?オレ、まさか間違った?」 朝練がない限り遅刻ギリギリまで寝ている準太の寝汚さと自分の記憶力の頼りなさを知っている利央は、こんな時間に彼がいるということは、まさか朝練があったのではないかと不安になった。 「え、お前無いって言ったじゃねぇか」 利央と同じ格好をした少年が、同じ様に焦った表情になる。恐らくクラスメイトだろう彼は、利央とはまた対照的な容貌をしていた。 くせ毛で色素の薄い利央の髪に比べて、準太の様に真っ直ぐの黒い髪。金茶色で大きな利央の瞳が昼間の太陽の色なら、彼は一重で切れ長の夜の瞳だ。対照的ではあったけれど、整った顔立ちだ。例えて言うのなら、利央は西洋風、彼は東洋風の美形と言ったところか。 「ねぇよ、用事があったから早めに来ただけ。お前こそ、何してんの」 その返事に利央はホッと表情を和らげ、そして間を置かずにバツの悪そうな顔をした。 「文化祭の、練習」 どうやら準太には知られたくなかったらしく目を泳がせて呟く利央に、準太は持ち前の嗜虐心が沸き起こる。 教室に足を踏み入れしゃがみこむ利央に大股で近付き、ガシッとその顎を捉えて自分の方を無理矢理向かせる。 「何の、練習だって聞いてんだよ」 端から見ればまるで脅迫の様なその姿勢に、利央は引きつった笑みを浮かべる。こういう時の、必要も無いのに満面の笑みを浮かべている準太というのは、いつになっても怖い。慣れているからこそ、逆らえば本気の蹴りの一つや二つお見舞いされると知っているからこそ、怖い。 「えぇーとね・・・・・」 それでも気恥ずかしさから中々白状しない利央に、準太がますます笑みを深め利央の顎を捉える指に力を込めた時、それまで傍らで二人から忘れられていた少年が、口を挟んだ。 「ダンスですよ」 利央よりはよっぽど落ち着きのあるその声音に、準太は首だけをそちらに向ける。 「ダンス?」 ダンスというと、あれか。レオタード着たりしてステージで飛んだり跳ねたりするあれか、ヒップホップとかいうジャンルになると、ダボダボのジーパンとかどうみても丈の余っているパーカーで身体を揺らすあれか。 プロというか、まともにそれを日常練習している人間が踊ればそれなりに格好いいことは知っているけれど、それを利央が踊るっていうのか。この、アホで間抜けでガキ臭い、野球にしか興味の無いような利央が? 「・・・・ぶはっ」 色々なスタイルでダンスをする利央を思い浮かべた準太は、ピチピチのレオタードを着てバレエダンスを踊る利央までを想像して耐え切れなくなった。 「準サン〜〜〜っ」 利央の顔に向って盛大に噴出してから腹を抱えて笑い出した準太に、利央は顔を真っ赤にする。 「だってお前、踊れんのかよ!そりゃ、まあ、見てくれはいいだろうけどさぁ・・っ、くはは、駄目だ、想像したら笑える・・・っ」 これだから、言いたくなかったのだ。この自分がダンスをするなんて、迅にだって散々笑われた。それをこの、見た目よりも笑いの沸点が低い人に知られれば、どれだけ馬鹿にされるかと思うとどうしても知られたくなかった。 「棗(なつめ)ぇ!」 余計なことをばらしてしまったクラスメイトを八つ当たりだと分かっていながら睨み付けると、彼はじっと笑い転げる準太の背中を見ていた。 (あれ?) その様子に何かただならないものを感じた利央が、準太と棗のどちらに声をかけようか迷った一瞬、棗の方が先に口を開いた。 「利央は、踊れますよ」 普段一緒になって笑い合っている彼の、こんな静かな声を聞いたのは初めてだった。クラスで一番気が合って仲が良くて、部活以外では一番一緒にいることが多い棗は、普段とは全然違う無表情で準太に告げた。 「あ?」 目尻に涙を溜める位笑い転げていた準太は、その言葉に振り返って要を見る。 彼は、床に胡坐をかいたまま真っ直ぐ準太を見つめていた。 「こいつ、背ぇ高いし手も脚も長いから、踊れば凄ぇ目立ちますよ。そりゃ見てくれも悪くないから、クラス全員賛成だったけど、それだけじゃなくて昔取った杵柄でリズム感だって悪くないし、踊れますよ」 その視線と口調に、準太は静かに笑いの波が引いていくのを自覚した。 (こいつ) ぶつかり合った黒い瞳が、それぞれ相手の姿を映す。棗はスポーツには縁のない生活なのか、利央よりは線の細い身体をしていた。 利央は一人ぽかんとした表情で棗を見つめていたが、彼が自分を庇って誉めてくれたのだということに気付いて、照れた様に笑みを滲ませた。 「おっまえなぁ・・・恥かしいこと言うなよなぁ・・・」 すると棗は利央に向けて視線を移し、その頭に腕を伸ばした。 「照れんな照れんな、色男」 そして利央の癖のある髪を掻き乱して、利央がそれをうるさそうにしかしさほど嫌がってはいない様子で払いのける。それは、いつも準太が彼にしているのと同じ仕草だった。 「・・・・へぇ、だったらせいぜい本番楽しみにしてようかな。な、利央、部活に遅刻してまで頑張るんだもんな」 準太の最後の台詞に含まれた、僅かな棘を敏感にさっして、利央が身体を硬直させた。 「怒ってる・・・?」 恐る恐る尋ねてくる利央に、準太は満面の笑みで返してやった。 「全然。お前以外ともバッテリ練できて、超有意義」 準太の笑みが深ければ深いほど機嫌の良さは反比例することを知っている利央は、背中に冷たい汗が伝うのを実感した。 おざなりに頑張れよと残して立ち上がった準太は、教室を出る直前棗にちらりと視線をやって、その唇に笑みが浮かんでいるのを認めて胸中で舌打ちした。 時期の都合で三年生引退後・・おおう(寂。出て来ると思いたい・・。 いきなりオリキャラ出ててすみません!! |