問答無用のデッドヒート







 放課後のみならず、利央は昼休みにもダンスの練習に熱心だった。
 準太がそれを知ったのは単なる偶然で、昼休みクラスメイト達とグラウンドでサッカーをしている途中、ボールを取りに行って目撃した。
「利央」
 場所が無かったのか体育館裏の砂利の上で、彼は棗と二人で練習していた様だった。
「あ、準サン」
 わざわざジャージに着替えるのは面倒だったのだろう、ブレザーだけを脱ぎ捨ててネクタイも解き、ワイシャツを捲くった格好で利央は首だけで準太を振り返った。
 足元には先日見たのと同じラジカセが置いてあり、ボリュームを絞った音楽と棗が砂利を踏みしめる音が重なる。
「お前、こんなとこでやってんの。コケんなよ?日曜の練習試合、怪我で出られませんとか馬鹿だからな」
 うっかりすれば足を取られて転びかねない、そんな砂利の上でダンスの練習など好ましくないことこの上ないが、額にうっすらと汗を浮かべてそこまで間抜けじゃないと頬を膨らませる利央に、それ以上準太が何を言う権利も無い。
「高瀬先輩って、利央のこと馬鹿にしてんのかと思ったら、そうでもないんですね」
 棗が不意に足を止めて、にっこりと音が聞こえてきそうな笑みを浮かべる。名乗った覚えは無いのに呼ばれた不快感に眉を寄せると、彼は何がおかしいのか笑みを崩さず利央の肩に手を伸ばす。
「利央が、余りにも準サンが苛める馬鹿にするって騒ぐから、どんだけ酷いのかと思ったけど」
 自分がいない間に何を喋っているんだと利央を睨み付けると、利央は棗の方に身体を寄せるようにして怯えた表情を浮かべた。
「オ、オレ別に、何も言ってませんっ、よ!?」
 既にそのどもり具合が怪しいものだと胡乱気に見やってから、準太はわざと口元に笑みを浮かべて利央の頬を抓り上げる。
「人のいない間に、楽しそうなお喋りしてんだなあ、り〜お〜?」
 柔らかくよく伸びる頬を真っ赤にして目尻に涙を浮かべて痛いと訴える利央の、その表情を見るだけで普段は溜飲が下がるはずなのだが、今は準太の視界にチラチラと入り込む棗の表情がどうにも気に掛かって、準太は一通り利央に悲鳴を上げさせてもすっきりとした気分にはならなかった。
「ところで先輩、ボールいいんですか?サッカーしてたんでしょ?」
 普段部活で”先輩”などと呼ばれることが無いせいか、棗の声は妙に準太に絡み付く。
「あぁ、邪魔したな」
 内心で激しく舌打ちをして、準太は端の方に転がっているボールを拾い上げた。
「また部活でねぇ」
 間延びした声に送られながら、準太はグラウンドに駆け戻って行った。
 棗は何かを思案するような表情で、グラウンドに向って遠くなっていく背中を見送る。利央がどうかしたのか、と尋ねるとすぐに表情を和らげて、別に、と呟いた。
「利央が騒ぐだけあって、顔はいいよな、高瀬先輩」
 利央だけでなく一年生女子の間でも、知っている人間は知っているのが高瀬準太という存在だった。サッカーに人気が偏りがちな昨今ではあるが、顔はまぁまぁでエースピッチャーともなれば、それなりにファンは付く。
「性格悪いけどね」
 棗はそんな女子達の噂よりも、利央からの話で準太のイメージを作っていた。だから、彼が砂利の上で練習をする利央を心配しているような素振りを見せたことが、少々意外だった。
 ちらりと利央に視線を移しながら、この友人はさっきの準太の台詞も単なる厭味にしか受け取っていないんだろうなと苦笑する。
「なに?」
「べっつに。そう言いながらも、利央はあの先輩大好きだろ」
 今日も部活で苛められたと、ほぼ毎日の様に利央の口には彼の名前が上がるが、それは決して憎しみの対象ではなくて、寧ろ懐いているからこそ思わず話題にしてしまうのだということは、棗にはよく分かっている。
「好きって、まあ、好きだけど、さぁー」
 言うなよ、と睨み付けてくる利央だったが、そんなことはしなくてもきっとあの先輩は分かってて、利央に構うのだろうなと棗は肩を竦めてみせた。
「はいはい、利央のほっぺたがこれ以上膨らんだら困るからなー」
 そして先ほど準太がそうしていた様に利央のそれを指先で摘むと、利央は不快そうに眉を顰めて棗を見やる。
「なあ、こないだから、妙に準サンのこと気にしてねぇ?」
 頬を引っ張られているせいで舌足らずになりながら、瞳に警戒色を浮かべてくる利央に、棗はハハッと乾いた笑いを返した。
「興味は、あるよ」
 きっとその言葉の意味を勘違いして受け取ったのであろう利央の表情が、不安そうに歪んだことに棗は喉の奥で笑った。
(分ってないよな、これは)
 それ位は予想済みだと胸中で嘆息して、棗はわざと痛みが残るように指先で頬を弾いて利央に怒鳴られた。


 日曜日、練習試合は桐青学園の勝利で終わった。正捕手として準太とバッテリーを組んだ利央も、連日のダンス練習と部活とで疲れが残っているという様子も無く、リードの甘さは指摘されたがほぼ問題は無かった。
 夕方試合会場で解散し、一度家に戻ってから夕食を済ませゴロゴロと時間を潰していた準太だったが、八時を過ぎる頃になってどうにもボールに触りたくなった。
 同時に、脳裏にはここ最近部活以外ではめっきりつるむことの減っている後輩の姿が浮かぶ。
 元々学年が違うのだから、部活以外で会う事が少ない方が当たり前なのだが、利央の方が何かにつけて準太を訪れていたので、部活以外で会わない日々という今の状況の方が違和感を感じる。
 移動教室の途中だと言いながら教室を覗き、キャッチボールしようと昼休みに呼びに来る。少しは自分のクラスメイトと交流しろと呆れると、その辺も抜かりなく仲良くしているから大丈夫だと屈託無く笑った。
 事実、利央は何もクラスで居場所が無くて準太の元に来るわけではない様だった。機会は少ないが、偶に移動中の利央だとか体育でグラウンドを駆け回っている彼だとかを目にすることがあり、そんな時は常に一人ではなかった。
 あの単純で素直な性格は、クラスでもいい玩具になっているのだろう。利央は割と、いつも人の輪の中心にいた。
(まだ寝てはいねぇだろ)
 部屋の壁時計に目をやって、いくら疲れているとはいえまだ起きてはいるだろうし、寝ていればそれを起こせばいいだけの話だと、ベッドでくつろいでいた準太は腹筋だけで身体を起こした。
 電話を掛けて彼の都合を聞くのは面倒だったので、そのまま両親に後輩の家へ行って来るとだけ告げて玄関を出る。日が落ちた後の外気は冷たく準太の髪を攫い、自転車の駕籠に無造作にグローブとボールを入れて、耳に吹き付ける風に肩を竦めながら準太はペダルを漕いだ。
 十分ほどで目当ての後輩の家に着き、躊躇いも無くインターホンを押す。すぐに彼の母親の応答があって、夜分にすみませんと前置をしてから、後輩の名前を呼んだ。
『あらぁ、あの子今でかけちゃってるのよ〜』
 子供に対しては時折母国語が混じるという彼の母は、そんなことは想像も付かない流暢な日本語でそう答えてくれた。
「え?」
 思わず腕時計で時刻を確かめてから、準太はどこへ行ったのかと問い返す。
『近所の公園だと思うんだけどね、クラスの子と、試合から帰ってすぐ出かけちゃったの。ごめんなさい、何か急ぎの用事だった?』
 既に何度か訪れたことのある準太に対して、中で待っていても構わないと言ってくれた後輩の母親に、丁寧に断って準太は再度自転車に跨った。
 公園というのは、以前何度かキャッチボールをした事のある場所だろうと当たりをつけて、ペダルを踏み込んだ。
 このまま帰っても、全く問題は無い。わざわざ自分が探してやる義理など無い筈だし、そこまでして会いたいわけでもない。
 それでも、”クラスの子”というのが恐らくあの棗のことだろうと思うと、準太の胸には何か暗く重いものが込み上げてくるのだった。しかも、練習試合の後で疲れているだろうというのに、まさか踊っているのだろうか。そうだとしたら、いくらなんでも無茶じゃないかと、準太は知らず奥歯を噛み締めた。
 大して時間もかからず到着した公園は、ちょっとした広さのある公園だ。ダンスの練習をしているのなら、おそらくグラウンドの方に居るのだろうと見当をつけて、準太は自転車をそちらに向ける。
 公園の中は総じて芝生なので自転車では進みにくく、仕方無しに押して進む。
 昼間には多くの子供達の笑い声が溢れているだろう公園も、夜の静寂がひっそりと満ちていて、時折瞬く外灯の下、今では群がる蛾も見えなくて酷く寂しげだった。
 怖くはないが、不気味ではある。知らず足を早めて遊具の場所を通り過ぎ、その奥にある休日には少年野球などに使われるグラウンドに向って歩く。
(・・・!?)
 その途中、視界の端に何かが動いたのが見えて思わず準太は足を止めた。一瞬跳ね上がった心臓を服の上から押さえ、息を殺して音のした方に目をやる。
 外灯の光が届かない暗がり、向おうとしているグラウンドの端に、誰かが蹲っていた。
 酔っ払いが嘔吐でもしているのか・・・と不快に眉を顰め、関わり合いにはなりたくないとばかりに視線を逸らせてから、準太はふと思い直した。
 暗闇に浮かんで見えた髪の色が、どう考えてもサラリーマンには相応しくなかったからだ。
「利央・・?」
 まさか、と思いながら呟いて目を眇めてもう一度見ると、それは確かに見覚えのある背格好をしていた。
「利央!」
 背筋に冷たい風が吹きつけ、準太は自転車を放り出した。一応スタンドだけは立てたが鍵はかけず、そのまま芝生を蹴り上げて蹲る人影に駆け寄った。
「準サン・・?」
 ゲホゲホとむせながら嘔吐していた影は、聞き覚えのある声に驚いた顔を上げた。それは間違いなく準太が尋ねてきた人物で、その顔は暗がりの中でも白く具合が悪い事を一瞬で見て取れた。
「何してんだ、お前」
 見ると利央は半袖で、まだ苦しそうに呻く彼の背中をさすってやるとしっとりと濡れている。
 想像したとおり、ダンスの練習をしていたらしい。そして、予想通りそれは疲れた身体には過酷だったのだろう、野球を始めた頃にはよく、練習がきつくて吐いていた利央を思い出し、準太は背中をさすり続けた。
「お前、友だちはどうしたんだよ」
 苦しそうに夕食を吐き戻す利央に、舌打ちしながら準太は辺りを見回すが、それらしき人影は見当たらない。
「飲み物、買いに行ってくれてる・・・」
 胃の中の物を全て吐き出したのか、利央が小さく咳き込んだ。彼が首に巻いていたタオルを取り上げて、準太はその口元を拭ってやる。
「ありがと・・・」
 まだ辛そうではあるが小さく笑みを零した利央に少しだけ安堵して、準太はその身体を脇から支えて彼を立たせた。
「試合の後に、ダンスなんてすんじゃねぇよ。どんだけ体力あんだ、お前」
 たかが文化祭の出し物の為に、青白い顔をして辛そうに眉を寄せながらごめんねと謝る利央が腹立たしい。明日の朝も、練習は休みではないのに。
「利央、アクエリでいい・・・・。高瀬先輩」
 準太が来た方とは逆方向から現れた棗の手には、利央が言ったとおりスポーツドリンクが握られている。
 いきなり準太がそこに居たことに心底驚いたらしく、夏目は目を大きく見開いたまま立ち止まる。
「うん、サンキュ」
 そして伸ばされた利央の手にそのドリンクを渡しながら、それでも視線は怪訝そうに準太の上に留まっていた。
「ウチの後輩、あんま苛めないでくんない?今日試合で、明日も練習あんだけど」
 準太は利央の背中に手を添えたまま、汗が引いて冷えていく背中をやんわりと支えた。
 棗はヒクリと眉を跳ねさせ準太を見やり、まだ顔色の悪い利央にばつが悪そうに唇を噛んだ。
「準サン、オレがやるって言ったんだし、棗は悪くないよ」
 そんなことは分かっている。ただ、利央にそこまでさせる棗もそのクラスの出し物も、ただ準太を酷く苛付かせるだけだ。
「なんでそこまでするわけ?お前じゃなくたって、踊れる奴はいるだろーに」
 すると利央は、最初彼がダンスをすると準太に知られた時と同じ様な表情をして準太から視線を逸らせ、そして幾分落ち着いてきた呼吸でボソリと呟いた。
「昔ダンスやってたって、期待されてんだもん」
「は?」
 準太は、思わず耳を疑った。利央がダンスを踊ると聞いた時も衝撃的だったが、今のは軽くそれを越える衝撃だ。
「利央、小学校の頃ダンス習ってたんですよ」
 そう言って口を挟んだのはやはり棗で、彼は準太の手から利央のタオルを取り上げる。
「小学校までダンス習ってたから、今回もソロ任されてんです。言ったでしょ?利央は踊れますよって」
 そういえば初めに棗と会った時、やけに挑戦的な口調でそんなことを言われたような気もするなと思い出していると、棗は自分の分なのか少し離れた所にあった荷物からミネラルウォーターを取り出して、汚れた利央のタオルを漱ぎだした。
「高瀬先輩は中等部からの付き合いでしたっけ?じゃあ、知らなくて当然ですよね。そんな話もまぁ、普通はしないでしょうしね」
 ましてや利央は、そのことを準太に伏せて置きたがっていた節がある。ならば知らなくて当然なのだが、棗の口調がただ準太には面白くなかった。
「ふうん・・・そりゃ、力も入るだろうけどな。おい、お前明日朝練休め」
 これ以上棗と会話する気は無いとばかりに彼から視線を外して、準太は静かにスポーツドリンクで喉を潤している利央に向き直る。
 えっと目を見開いた利央の頬はまだ血の気が無く、いつも跳ねる様にして纏わり付いてくる元気さも今はすっかり息を潜めている。
「今日こんなとこで吐いてる奴に、オレの球が満足に取れるわけねぇだろ。休め」
 今から家に帰って休んだとしても、試合の疲れと連日のダンスの疲れが一気に取れるとは思わない。だからこそ、朝くらいはゆっくりと睡眠を取らせてやりたいという心配からの言葉だったのだが、それを利央に素直に言える性格ではない準太に、利央は傷付いたように唇を噛み締めた。
「お前みたいな単純馬鹿に、二つのことが両立できるわけねぇんだよ。それでもやりたいっつったのはお前なんだから、せめて最低限体調は整えろ。こっちだって迷惑だ」
 本当なら、そんな青い顔で吐くまで練習などさせたくはなかった。ともすれば野球以上にダンスに力を入れている利央の姿も、気に入らない。
 けれど、やると言ったら何事も納得するまでは決して諦めない彼の性格も知っている。彼はその熱意でもって、現在の正捕手という立場も手に入れたのだから。
「・・すんません」
 利央に自分の心配が欠片でも通じているとは思わないけれど、間違ったことは言っていないから利央も頷くしかない。
「放課後には、ちゃんと行きます」
 汗が引いて冷たくなった利央の背中を、当たり前だそこまで甘やかす気は無いと張り倒して、準太は軽くタオルを絞っている棗を一瞥する。
「相棒の体調管理くらい、してやれよな」
 利央が吐くまで無理をしていることに、さっさと気付けと棘を含ませてそれだけ言い放つと、準太は踵を返した。
「あ、ねえ準サン、何か用だったんじゃないの?」
 ようやく準太がここにいることの不自然さに気付いたらしい利央が慌てて駆け寄ってくるが、準太はその髪に指を差し込んでぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
「べっつに、キャッチボールの相手探してただけ」
 途端に利央は嬉しそうな顔をしたが、準太に厳しい視線を向けられてすぐにその頬は強張った。
「てめぇ、今日はこれ以上暴れんじゃねぇぞ」
 折角明日の朝休ませてやろうという心遣いをしてやったのだ、今日はもう帰って休めとすごむと、利央は素直に頷いた。
「うん、ごめんね準サン。折角来てくれたのに」
 その声におざなりに返事をして、準太は自転車を停めた場所に向う。幸い、自転車はそこにあった。
 利央はまるで犬の様にそこまで付いて来ていて、準太が自転車に跨るのも無言で見守っていた。もしかしたら、彼もまた最近余り一緒にいないことを気にしているのかもしれないなと思い、準太は少し笑う。
 自転車に跨った準太を見る利央の目が、まるで本当に犬の様だったからだ。犬を飼ったことはないけれど、主人がどこか遠くへ出かけてしまう時に置いて行かれる犬というのは、きっとこんな目をするのだろうなと準太は思う。
「利央」
 名前を呼んで髪をそっと梳いてやると、金茶の目が嬉しそうに溶ける。
 彼の背後に棗がいるかどうかも確認せずに、寧ろ居てくれた方が好都合だと思いながら準太は利央の顎を引き寄せる。
「え・・っ」
 今しがた嘔吐したばかりで、スポーツドリンクでゆすいだとはいえ綺麗とは言いがたいキスに、利央はただ目を丸くした。
「なんだよ、今更だろ?飲んだ後だって、してんじゃん」
 何を、とは聞かなくても、普段よりもほんの少し熱を孕んだような準太の瞳が、情事の最中を思い出させて利央は赤面する。
「そ、れとこれとは、さぁ・・・」
 心情的には汚いのにという申し訳なさもあり、大したことじゃないとしれっとしている準太が、また嬉しかったりと利央の胸中は色々複雑だった。
「まあいーや、じゃあな」
 最後にもう一度だけ利央の髪を掻き混ぜて、準太は自転車に跨ったまま方向転換をしてそのまま走り去る。
 その背中を見送りながら、当たり前だけど最近イチャイチャしてねぇなぁと利央はぼんやりと思った。暇があったって、準太はそうベタベタするタイプではなかったけれど、二人きりで居ればやはりそれなりの雰囲気にはなる。
 自分のせいとはいえここ最近そんなことともご無沙汰だなと思うと、利央は少しばかり寂しさを感じた。


 


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 利央の過去捏造も甚だしい・・!!!ダンスってあれです、普通のバレエダンス(笑。きっとタイツ姿が嫌で、小学校で止めたんだよ!(黙れ。
 習い始めた頃は、きっと天使の様に愛らしかったと信じています(習ってないから。