大体、好きでもない相手を抱くという行為はどのような気分なのだろう。 利央は、乞われて参加した合コンという名の飲み会で、適当に周囲に相槌を打ちながらぼんやりと頭の片隅で考えていた。 三年前、準太が自分を初めて抱いた時のきっかけなどはとうに忘れた。ただ、準太の辛そうな切羽詰った様な表情に、今彼には自分しかいないのだという錯覚を覚えた。 それでも、利央は準太のことが好きだったから、まあ代替的な存在であることは分かっていてもそれなりに嬉しかった。相手は好きな人間だったから。 けれど、準太にしてみれば利央は好きでも何でも無い相手の筈で、そんな人間を抱く気分というのはどういったものだったのだろう。 「利央くーん、呑んでるー?」 髪を茶色に染めた今風の女の子が、頬を紅くして利央の隣に座り込む。男友達の友達という子なので会うのは今日が初めてだったが、利央という名前の響きが珍しいのか、大抵初対面の人間にも下の名前で呼ばれることが多く、既に利央は名字で呼ばれることの方に違和感を覚える。 「うん、呑んでるよ」 大して強くは無い酒の入ったグラスを掲げて、ふざけた口調で乾杯と言い交わしてそれをぶつけ合った。 女の子は可愛いと、思う。香水をやたら振りまいている女は苦手だけれど、薄めの化粧とさり気無いお洒落、自分を魅力的に見せようと努力をしている女の子は、可愛い。 目の前のその女の子も派手ではないが彼女に似合った服装で、偶に髪を掻き上げる仕草が可愛いと思った。 「利央君て、彼女いるの?」 覗きこんでくる黒い目は、準太の方が色が深いと思いながら利央は首を横に振る。好きな人は居る、セックスもしている、けれど、付き合ってはいない。相手にとって自分は好きな相手ではない。 そんなことはさすがに言わなかったけれど、居ないとだけ答えた途端に輝いた彼女の瞳に、利央は苦笑する。彼女が可笑しかったのではない、きっと彼から見たら自分もこの位分かりやすいのだろうなと思うと、笑えただけだ。 「ねぇ、じゃあ、今度遊ぼう?」 目は口ほどに物を言うというのは、上手い言い方だとつくづく感じた。期待に満ちた彼女の瞳に、準太を見る時の自分の目がどれだけ強請っているのかを連想して、利央はついいいよと答えた。 好きでもない相手を抱くという気分は、どんなものだろう。 単なる好奇心、自虐的な興味。そして僅かなあてつけ。髪が乱れてるよとわざとらしい口実を口にして、利央はそっと彼女の耳元へ指を滑らせた。 野球で鍛えたしなやかな筋肉の付いた腕が伸ばされ、節の目立つ指で髪を掻き上げられて彼女の目元が酔いではなく紅く染まる。 「今度じゃなくて、今日でもいいよ?」 普段から、そんな軽い子だとは思わない。ただ、その場の異様な盛り上がりと回ったアルコール。そして日本人離れした彫の深い利央の金茶の瞳に、彼女の理性はタガが外れたのだろう。利央がにこりと笑んでそう誘うと、彼女は僅かにコクリと頷いた。 あぁ、好きではなくても、可愛いとは思える。 利央は妙に冷静に、準太から見た自分もこんなかなと思った。とっくに彼の背を抜いた自分が可愛いかどうかは別にして、好きではなくても情というものは沸くなと分析した。 明け方始発で帰宅した。数十分前まで一緒にいた女の子とは、笑顔で別れた。眠気に負けそうになりながら電車の中で何度か瞬きを繰り返して、利央は車窓から日が昇ったばかりの空を眺める。 タタンタタンと規則的な音を立てて走る電車は心地良く、椅子に並んで座ったサラリーマン達は舟を漕ぎながら鞄を大事そうに抱えている。 ズボンの尻ポケットに入れた携帯を何気無く指でなぞって、準太の声が聞きたいと思った。 けれどこんな時間に電話をすれば間違いなく怒鳴られるか無視されるか、メールを送ったとしても明け方に送られてきたことを後で確認するだけで不機嫌になれる彼に、そんなことをする勇気は無かった。 自分のしたことに後悔したのかと言われれば、間違いなく是だ。 気持ち良くなかったとは言えないけれど、事後の後味の悪さはまた別の話だ。 最寄の駅で降りて、昨夜から停めっぱなしの自転車に跨る。明け方の露に濡れたサドルが気持ち悪かったけれど、そのまま勢い良くペダルを漕いだ。 頬を撫でていく、朝の空気が気持ち良い。冷たい空気が指先を冷やして、ハンドルを強く握ると痛みすら感じた。 (あーあ) 利央は薄い水色をした空を見上げて、馬鹿なことをした、と嘆息した。 好きでもない相手を抱いても残ったのは空しさで、自分は準太とは違うのだと思い知らされただけだった。準太は、好きでもない相手を何度も抱いてしまえるほどに、性欲と恋情を分けて考えることのできる人間なのだ。そうでなければ、こんな後味の悪いことなど繰り返せるわけが無い。しかも、同性相手に。 性欲だけで、女の子を抱くことはできる。すっきりしたと口にすることだってできる、けれど、頭の片隅には準太が思い浮かぶ。 そしてその後味の悪さは、帰宅してシャワーを浴びようと服を脱いだ時により顕著になった。 (キスマーク) そういえば何か鎖骨の辺りに痛みを感じたな、と思い出して利央は鏡の中で眉を顰める。 準太に付けられれば嬉しいだけのその痕も、好きでもない相手に付けられたのだと思うと不快感だけが込み上げてきた。 誘ったのは自分で、彼女は寧ろ被害者でもあるのに。それなのに、情事の記念とでも言うような刻印を残されたことに怒りを覚える自分は、大概自分勝手だ。 (準サンじゃなきゃ、意味ないよ) 好きでもない相手を抱いて、残ったのは後悔。性欲だけを満たして、突き付けられたのは自分の愚かな恋情。 一人、好きな相手一人が相手でなければ意味が無い。 (ねぇ、準サン。好きだよ) 頭から熱いシャワーを浴びながら、利央は涙が頬を伝うのを止められなかった。準太への伝わらない想い、それを隠して性欲処理の為だけに、興味本位で抱いてしまったあの女の子への罪悪感。そんなものがない交ぜになって、利央の涙はシャワーに混じってバスルームの床に流れた。 好きな相手がいるのにそうではない相手を抱いて、こんな苦しい思いを抱えるのなら自分は耐えられない。準太はどうなのだろう、自分を抱いた後は和己を思ってこんな風に泣いたりしていたのだろうか、少しでも自分への罪悪感を感じてくれていたのだろうか。 けれど、準太がもし罪悪感を感じていたら、こんな関係三年も続いてはいないだろうと分かっている。 それが更に、辛い。 流れていくシャワーの水を見下ろしながら、利央は刻まれたキスマークを何度も爪で引っ掻いた。 準太が次に利央の元を訪れたのは、あの合コンから二日後だった。いつものように前もっての連絡は無しで、部屋に上がりながら寒い寒いと文句を言う。 「別に冬が寒いのは、俺のせいじゃないでしょ」 利央の顔を見て文句を言う準太に、そんなことを自分に言われても困ると眉根を寄せた利央に彼は意地悪く笑って、お前のせいだよと冷たい指で頬に触れてくる。 「つめたっ」 何の嫌がらせだと身を捩って逃れようとした利央を追って、準太は狭い玄関の壁に彼を押し付けて唇を重ねてきた。 「ん・・・・っ」 冷たい唇の間を割って、熱い舌が滑り込んでくる。そのまま口内を余すところ無く貪られて、利央の目尻には涙が浮かぶ。 和己への想いが実らないことが決定してしまった準太は、やはり辛いのだろうかと考えて鼻の奥がツンとした。 「はっ、ん、ん」 「ふ・・・っ」 唾液を絡ませ合って歯列の裏を舐め上げられて、ゾクゾクする。準太にはここ数日会っていなかったけれど、こんな飢えた様なキスをされたのは初めてだった。 「準、サ」 何をこんなに急いているのだろうと不思議に思った利央が準太の名を呼ぶと、彼は唇を離して間近でじっとこちらを覗き込む。 「なに」 その目は既に欲情して潤んでいて、もしかして溜っているのかなと思う。とりあえず、手当たり次第誰でもいいわけではなくて、身代わりでも自分だけを選んでくれて三年過ぎたのだと少しだけ浮上して、そんなことで浮上しそうになる自分に情けなくなる。 「なに、て、ここ、寒い」 どうせならエアコンのある所へ行こうと誘いながら、結局身代わりでも彼に抱かれることを望んでいる自分が居る。 準太はそんな利央の心情などお構い無しに、寒いと文句を言ったのは自分の癖に利央が嫌そうにすると目を細めて冷たい指をシャツの下へ潜り込ませて来る。 「つめったい!」 しかし首筋に押し当てられた唇はもう既に熱くて、利央は壁に背を預けたまま喉を引きつらせて喘いだ。首筋に舌が這わされ、その濡れた感触に背筋が震える。 (あぁ、駄目だ・・・) どうしようもなく、この人が好きだと利央は泣きたくなる。この間、準太以外では意味が無いと確信してしまった後だからこそ、余計に涙が滲みそうになる。彼は、そうではないと分かっているから。 「利央?」 壁に爪を立てて必死で涙を堪えている利央に、準太が不審気に声をかける。いつもなら、準太にしがみついて甘く自分の名前を呼ぶ彼の様子のおかしさに、準太も気付いたのだろう。 「あ、ごめ・・なんでも」 無い、と続けた利央の瞳をじっと見つめた後、準太はそうか?と首を傾げてその瞼の縁を舐め上げた。 「しょっぱ」 滲んでいた涙ごと舐め取られて、利央は準太の肩にしがみついた。まるで甘やかされて愛されてるみたいな、そんな錯覚に陥りそうになる。 密着した利央の体温の高さに準太は目元を揺るませて、忍び込ませていた手で彼のシャツを捲り上げる。そして胸元に唇を落として、そのまま上へと手を滑らせて不意にその動きが止まった。 「準サン?」 胸元で黒い髪が揺れて、準太が利央を見上げてくる。そしてその顔に浮かんだ怒りの色に、利央は怯む。今この瞬間に、自分が何かしただろうかと頭を巡らせるが分からない。 準太はゆっくりと身体を起こして利央のシャツを捲り上げたまま、これ、何?と静かに問う。 「え?」 何を言われているのか分からなくて首を傾げる利央に、これ、と繰り返した準太が彼の鎖骨の下辺りに爪を立てた。 そこには、あの日名前ももう定かではない女の子が付けた、情事の証。 「あっ」 自覚は無いのだが、利央の肌は元々痕が残りやすい。準太が痕を付けた日だって、二日や三日では消えないのだ。二日前の痕が消えていないことも、当然だ。 「オレ、記憶に無いけど?こんなの」 それはそうだ、彼が痕を付けることなんて稀で、ましてやそれは確実にあの子が付けたもので。 「えっと」 何と言ったらいいものかと利央は迷う。だって自分と準太は付き合っているわけではないのだから、これは浮気ではない。だったら、ここで利央が謝罪するのはおかしいし、悔しい。自分ばかりが準太に囚われていると、口にして認めることになる。それは、悔しくて情けない。いっぱしのプライドくらい、あるつもりだ。 「そういや、こないだ飲み会だったって言ったっけ。お持ち帰りでも、された?」 訪問は久しぶりではあるけれど、メールはしていた。利央が合コンだったあの日、準太が訪れて留守だと困るからと一応飲み会であることは伝えてはあったのだ。 「されたって、なに。オレだって女の子と、寝れるよ」 準太には抱かれている立場だけれど、本来ならば自分だって女を抱ける種類の人間だ。まるで準太以外の人間に組み敷かれたのかというような口調に、利央の目にも怒りが灯る。 しかし、蛍光灯の光を背負った準太の瞳に宿った、剣呑な光にそれはすぐに消し去られる。 「ふぅん、女と寝たんだ?」 そう呟いて笑った彼の笑顔に、利央の本能が逃げろと告げた。 準太は笑い上戸ではあるけれどこんな風に穏やかに笑顔を見せることは滅多に無くて、その相手は和己限定と言っても良くて。だから、彼に対して以外に準太がこんな風に綺麗な笑みを浮かべる時は、心底怒りを覚えている時だ。 「ちょ、準サン、離して」 肩を強く押さえつけられて利央は準太の胸を押すが、彼はそんなことには頓着せずに綺麗に弧を描いた瞳で利央を覗き込む。 「お前、何考えてんの?」 そして髪を乱暴に掴まれて、無理矢理口を塞がれた。 噛み付くようなその口付けに、防衛本能が働いて利央は準太の唇を噛み切った。 「って!」 上がる息に肩を上下させ利央は逃げを打つが、部屋の置くに向った背中を準太に押されてそのまま廊下に倒れこんだ。 「うぁ!」 慌てて両手で身体を支えて何とか衝撃は免れたものの、背中に重みを感じて起き上がれない。 「なに逃げてんだ」 それが、準太の足だと気付くのに大して苦労はいらなかった。屈辱に、頭に血が上る。 「なにすんだっ!どけよっ」 すると肺の上に置かれていた足に力が篭もって、利央の喉から苦しげな呻き声が漏れた。 準太はそのまま間をおかず、利央の腰辺りに馬乗りになる。 「利央、お前誰に口きいてんだよ」 また髪を掴まれ、首を捻られて利央は準太を仰ぎ見る。逆光で影になった準太の表情は、薄く笑っている分凄みが増している。けれど、ここで恐怖に駆られて目を逸らすわけにはいかないと利央は強く彼を睨み返す。 「別に、オレが誰と寝ようと準サンには関係ないでしょ。準サンだって、オレだけってわけじゃないんだろうし」 それどころか、和サンだけ、なくせに。 言外にそういう思いを含めた言葉を返すと、勢い良く頭を廊下に叩き付けられた。鈍痛で、意識がクラクラする。 「お前、何言ってんの」 クラクラした頭の片隅で、準太がもういいやと呟いているが聞こえた。 そして、いきなり下半身が脱がされる。 「やっ、やめろ!」 痛む頭に眉をしかめながら抵抗するも、背中に膝を乗せられたままでは上手く起き上がれもせずに、準太は器用に利央のズボンを下ろしてしまう。部屋だからといってスウェットだったのも、脱がせやすかったのだろう。あっという間に下着まで脱がされて、ひやりとした空気に利央の頬が恥辱に染まる。 何故、こんな扱いを受けなければならないのだろう。 「誰ともヤる気になんねぇように、してやるよ」 怒りの滲んだ口調でそう宣言されて、利央はそのまま狭く冷たい廊下の床で準太に抱かれた。 抱擁も愛撫も無い、ただ貫かれるだけの行為に痛みが全身を駆け巡り、目尻からは抑えきれない涙が溢れた。 何故、という思いだけが胸に渦巻き、唇からは快楽に促されたのではない嗚咽が漏れた。 「あ、あ、あっ、ぁ・・・あ!」 恋人ではなくても、それなりに情を感じてくれていると信じたかった。それなのに、こんな風に冷たく乱暴な抱き方をされて、利央はあの日シャワーと共に流した涙が再び込み上げてくるのを感じていた。 「ぃ・・う、うっ、ん・・っ」 自分の想いの代わりに利用して抱いて、それでも罪悪感など抱かない程度の存在。そこにあるのはただの所有欲で、思い通りにならなければこんな風に怒りをぶつけられる。 押し出されるように精を吐き出して、意志など持たずただ言いなりに抱かれているべきだと、そう言われたような気がした。 準太は乱れた利央の服を整え、そのまま振り返らずに部屋を出て行った。廊下に蹲りぴくりとも動かなかった利央は、扉の閉じられた音を聞いていはいたがそれを引きとめる気にはならず、ただもう枯れたと思った涙がまたこめかみを伝っていくのをただ感じていた。 涙は、冷えた心とは裏腹に暖かった。 えーと、準利ですよ!大丈夫です、ハッピーエンド主義者です!!(必死。 |