月相







 


月夕


 慎吾がそれを知ったのは、あくまでも偶然だった。偶々前日部活で疲れていたにも関わらずどうしても我慢できなくてゲームで夜更かししていて、そのおかげでその日の部活の後はどうにも抗いがたい睡魔に襲われて。仕方が無いので一時間ぐらい寝てから帰ろうと主将で親友の和己に頼み込んで、部室の鍵を預けてもらっていた。
 それで携帯のアラームを一時間後にセットして、着替え終わった後ベンチに寝転がったら後はもう気絶する様に寝入ってしまった。だから、いつ部室が空になったのかも彼が戻ってきたのかも気付かなかった。
(なんだ・・?)
 不意に覚醒した意識は、いつもより敏感に他人の気配を察知した。一瞬家族の誰かが自分の部屋に入り込んできたのかと錯覚したが、硬い背中にここは部室のベンチの上だったと思い出す。ならば誰か後輩が忘れ物でも取りに来たのだろうと薄く目を開けると、暗い部室の中で、ベンチの前に置かれた大きな机越しに誰かの背中が浮き上がる。
「あーもー、やっぱ部室だしぃ・・・さいあく」
 間延びしたやる気の無さそうなその声は、間違いなく利央のものだった。予想通り何か忘れ物をしたらしい彼は、悪態を吐きながらも鞄を開ける音がした。
「鍵開いてて良かったけど・・・和サン閉め忘れたのかなぁ?」
 何か探すのなら電気を点ければ良いのにと覚醒しきらない頭で考えながら、しかしそれでも利央の姿を確認できる位に今日は外が明るいのだと気付いた。月が綺麗に出ているのだろう、白い明かりが部室に差し込んでいた。
 それでも暗闇で一人で動き回るのは怖いのか、利央の口からはとめどなく独り言が漏れる。
「あれぇ、これ、準サンのじゃん?」
 だから電気を点ければ良いのにとぼんやり思いながら、慎吾は利央の背中を見つめる。彼の声が嬉しそうに跳ねたのを聞きながら、そういえば奴は準太に懐いてるよなぁと暗闇で苦笑する。
 その姿はまるで主人を慕う犬の様で、彼が準太と和己に懐いているのは部内では有名な話。付き合いも長いそうだしベンチ入りしている一年は、レギュラーの迅を入れても二人だけだから、それもそうだろうなと皆納得していた。
 だから、慎吾は利央の取った行動に目を見張った。
「準サン・・・」
 暗がりの中で、利央の手の中の物が何かは分からなかった。しかし、利央が愛しそうにその持主の名を呼びながらそれに口付けを落としたのは、月明かりでも充分に見て取れた。
(はぁっ!?)
 ガタンッ!
「!!??誰だっ?」
 その行動が意味するところなんて一つしか思い当たらなく、その驚きの余り狭いベンチから落ちてしまった慎吾が立てた音に、利央の肩が勢いよく跳ねる。
(あーあ・・・・)
 まさかこのタイミングで自分が絵に描いた様なミスをするとは思っていなかったので、自分の間抜けさ加減に呆れながら慎吾はゆっくりとベンチに上る。
「慎吾サンだ」
 ちょっとしたシャレで済ませられないような場面を見てしまった気まずさから軽い口調で答えてみたのだが、月光を背負った利央の目が見る見るうちに大きくなる。
「慎吾、サン・・・?」
 お互いに暗闇にも目が慣れて、更には明るい月光の元で互いの表情は嫌でも認識できてしまった。
「なんで、しんごさん、こんなとこに・・・」
「そりゃ、野球部員だしなぁ・・・」
 利央は目を見張った後頬を真っ赤にして、強張った表情で固まっている。これは自分から口を開ける状態ではないなと判断した慎吾は、あくまで深刻になりすぎないように問いかける。
「忘れモン?」
 利央は強張った表情のまま頷き、唇を噛み締める。どんな言い訳も無駄だろうと、彼は腹を括った。きっと一連の自分の行動を見られていた、よりによって先輩に。だけど、他の誰でもなく慎吾だったことがまだ救いかもしれない。
 慎吾は掴み所が無い部分もあるが、口ほどに軽薄な人間ではないはずだった。
「あの、言わないで下さい。その・・・・」
 何をとは羞恥心の余り言えなかったが、慎吾は分かってると言うように肩をすくめて頷いた。部活の後輩が同じく後輩に想いを寄せているなんて、誰に言える話でもない。
「大丈夫、そんな悪趣味じゃねぇよ。・・・和も、知らねぇのか?」
 利央は、唇を引き結んだままコクリと頷いた。
「だって、言えるわけないです。和サンも準サンも、オレのことすげえ可愛がってくれてんのに・・!」
 後輩として、という言葉を飲み込んだ利央の肩は震えていて、慎吾は彼が誰にも言わずにただ静かに準太を想っているのだと知った。
「大丈夫か?」
 日頃の彼の二人への懐きっぷりはそれは凄まじいものだったが、それでもそれは後輩の域を超えてはいない。ということは、彼は彼なりに気を遣って日々暮らしているのだ。二人と気まずくならないように、必死で。
「何がですか?」
 利央はいきなり予想外のことを言われて、きょとんと目を見張った。慎吾はおいでと彼を手招きして、素直に近寄ってくる後輩に内心苦笑する。
「辛くないのか?」
 自分の想いを隠してただの後輩として、側にあろうとすることが。
 その瞬間、硬く結ばれていた利央の唇が僅かに戦慄いた。
「誰にも言わねぇけど、知っちまった身だし、何かあんなら聞いてやれるぞ?」
 別に、立派な先輩であろうとか、理解のあるところを見せておこうとか、そんな気持ちがあったわけではない。ただいつもいつも元気が有り余っている印象の後輩が、罪悪感や羞恥心に身を縮めているのを見ていたくないと思っただけだ。
「慎吾、サン・・・」
 利央は、知られたのがこの人で良かったと心底思った。引かれたり罵倒されたり、野球部に不祥事を起こすつもりかと怒られたりするのは、利央にも辛いから。
「ほれ、この慎吾サンが広い胸を貸してやるぞ」
 茶化すような口調だったけれど、広げられた両腕は確かに利央を迎えようとしてくれていて、思わず利央も笑った。
 泣き笑いの様なその笑みに、慎吾はこの後輩が普段どれだけ気を張って和己や準太に接しているのかが分かってしまった。懐いているのは事実だろう、けれど、後輩の域を出ないように常に気を遣っていることは簡単に察せられる。
「和にも準太にも、言わねぇよ」
 腕を引かれてベンチに座らせられて、利央は半ば無理矢理慎吾の胸に顔を埋めさせられた。流されていない汗の匂いに、何故だか安心する。それは昔、利央が泣いていると部活から帰宅した兄が着替えもせずにまず抱き締めてくれたことを思い出すからかもしれなかった。
「うん、ありがと」
 慎吾サン、好きだなぁと思わず零すと、オレに惚れたら火傷するぜとか何とか返されて、利央は今度こそ肩を震わせて笑った。
 


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 月夕(げっせき)、月の明るい夜。
 利央が何を忘れたのとか、何にキスしたのとかはご自由に!弟なくせに兄貴風を吹かせる慎吾サンが、たまらんのですよ!家では弟、部活では兄。自分が下だからこそ、部活の後輩が可愛くて仕方無い慎吾サンとか、いいと思う(妄想。