月相







 


月暈


 慎吾が後輩二人揃ったところを見るのは、部活の時だけだ。単体ならば偶然校内で会うこともあるが、それぞれ学年が違う為並んでいるのを見られるのは部活の時。
 その度に、同情にも似た感情を込めて二年下の後輩の方を見てしまう。彼は実に懸命に、生意気で強気で且つ努力かな後輩であろうと努力しているように見えた。事実彼は努力家ではあったので、その点ではそれは真実の姿であっただろうけれど、生意気で強気というのは、慎吾には最早思えなかった。
「準サンっ、ちょ、待ってよ!」
 片付けをしなければならない一年生は、自動的に二三年生よりも着替えが遅れる。だから利央はいつも急いでグラウンドから上がってきて、既に着替えを済ませている準太を引き止めるのに必死に声を張る。
「何でオレがお前を待ってやらなきゃいけねぇんだよ」
 それに対する準太の答えはいつも素っ気無く、彼の方を一瞥しただけであっさり鞄を肩に掛ける。
「準サンっ、待ってってば!」
 掛け違えるワイシャツのボタンにもお構い無しに、利央は首を巡らせて戸口の準太を引きとめようとする。しかし準太は口端に軽く笑みを浮かべただけで、お先ぃと言い残して部室を後にしてしまう。
「あー!!!」
 利央は思い切り非難めいた声を上げ、その後盛大に肩を落とした。
「くっそー・・・また置いてかれたー・・・・」
 そして掛け違えていたワイシャツのボタンを直しながら、隣の迅に慰められていたりする。
「お前ねぇ、片付け終わってから光速で着替え間に合ったらラーメン一杯とか、無理だって」
 なるほど、そんな賭けを持ち出してるのかと慎吾は内心苦笑する。そうまでして、彼は準太の意識を引き止めたいのか。
「ラーメンなら、オレが奢ってやるぞぉ、利央」
 とっくに着替え終わってだらりと部室のベンチに腰掛けていた慎吾は、ユニフォームのズボンとワイシャツというちぐはぐな組み合わせになっている利央に声をかける。
 ちなみに主将である和己は、部活の後監督の元へ行っていて今はいない。彼がいれば、まだ準太も残っていたかもしれないけれど。
「えー、慎吾サンの奢りとか、後が怖いからいらねぇ」
 中等部からの持ち上がりで、和己とも準太とも付き合いの長い利央。和己が本気で育てようとしている、控え捕手。故に高等部に上がってからも他の一年の中では存在が浮いているにも関わらず、嫉妬も羨望もその背中を押す追い風にしてしまえる後輩。
「利央君、ちょっと話があるから後で残りなさいね」
 お前のその先輩を敬わない根性を叩き直してやると笑いながら言えば、迅は半ば本気で怯えた目をしたが、彼は眠そうに目を瞬かせただけだ。苛めるのなら多分、迅の方が楽しいだろうなぁと思いつつ、今はそうできないことが残念で堪らない。
「優しくしてね、慎吾サン」
 そんな軽口を叩くこの後輩の、生意気で強気の側面を削ぎ落としてやらなければならない大仕事が待っている。
 着替え終えた仲間を送り出して、数分の後には慎吾と利央の二人だけが部室に残される。
「で、なにぃ?話って?」
 着替え終えた利央が、最後の一人と挨拶を交わした後気だるそうに振り返る。慎吾はがベンチに座ったまま手招きすると、彼は眉を顰めながらも素直側に寄って来る。
「今日も置いて行かれたなぁ」
 隣にすとんと腰を下ろした彼の顔を覗き込みながら揶揄するような口調で言ってやると、慎吾よりも背の高い後輩は不貞腐れたように唇を尖らせる。
「うるさいなぁ、そんなことでわざわざ居残りさせられたの?オレェ」
 だったら帰りたいんですけどと不機嫌そうに言う彼の背中に手を添えてやると、眉間に刻まれた皺はそのままに頬が強張った。
「んにゃ、泣きたいんじゃねぇかと思って」
 な?と目を細めて顔を覗き込まれると、利央は真一文字に唇を引き結んで膝の上で拳を握った。
 そのままポンポンと軽く背を叩かれて、利央は眉を寄せたまま顔を伏せてしまった。その頭を背に回していた手で肩口に引き寄せながら、慎吾はもう片方の手も彼の身体に回す。身長ばかりが先に伸びて筋肉が追いついていない後輩の身体は、まだ薄くて頼りなかった。
「お前も、頑固だからなぁ」
 付き合いが長い分、和己や準太に染み付いた利央のイメージはもう大分固定化されている。生意気で強気で、いつだってギャンギャンと吠えてグラウンドを駆け回る元気の良い努力家。
「だって、だってさぁ」
 しかし利央だって、誰だって泣きたい時はあるというもの。それを利央は今まで、一人で、少なくとも部内では一人で押し込めていたらしい。
 偶然利央が一人でいる所を見なければ、彼が縦に長い癖に薄いこの身体に無理をたくさん詰め込んでいるとは、慎吾にも思えなかっただろう。いつだって元気が良いのが、この後輩の特徴だと思っていた。
「はいはい、慎吾サンは優しいからな。泣けるだけ泣いていいんだぞ」
 彼が和己や準太を信用していないというわけではない、単純に野球のことや私生活のことならば自分よりもその二人に相談することだってあるだろう。けれど、利央が抱えているのは付き合いが長いからこそ、二人には話せないことだった。
 肩口から鼻を啜る音が聞こえてきて、慎吾はあーあと内心で嘆息する。
 好きなら好きと、言ってしまえというアドバイスはこの場合どうしてもできなかった。
 利央は、準太が好きらしい。憧れとかそういうものではなく、恋情として。そんんこと本人はおろか、和巳にだって言えやしない。彼らは利央のことを生意気で強気な後輩だと、後輩だと思っているのだから。
 だから利央は、二人の前では殊更必死で和己と準太に接している。特に準太に、後輩以上の思いを悟られないように必死で、日々纏わり付いて騒いで一蹴されて拗ねながら、心底傷付いている。
(難儀な奴・・・)
 色素の薄い髪が、柔らかく慎吾の頬をくすぐる。立ち上る汗の匂いを不快だとは思わず、慎吾はただその頭を撫でてやった。
 同情か、憐憫か。この後輩に自分が抱いている感情は何だろうと考えると、いつも首を捻って終ってしまう。男が男を好きだなんていっそ引いてしまっても良い位だというのに、毎回自分は部活の度にそっと利央の様子を窺って、限界そうだなと思えばこうして胸を貸してやっている。
 きっと、利央が余りにも必死で準太を思っているから、揶揄する気にもならないのだろう。必死で後輩であろうと努力して、じゃれ付きながらそこに自分の想いを滲ませることは厳禁で、いつも彼は張り詰めている。彼の球を思い切り受けたいからと、想いを告げることはとうに諦めてそれでも捨てきれずにいる。
「野球、好きか」
 彼を抱き締める度に、慎吾はそう問いかける。準太への想いを伝えられなくても、捨て切れなくても、それで涙するくらいに辛くても、それでも野球をやっていきたいと思うかと。
「うん、好き」
 利央はいつも涙声で、間髪入れずにそう答える。
「そっか、良かったな」
 辛い想いを抱えても、野球を捨てようとは思わない。生意気でも無くて強気でもない利央の涙声に、それでも強さを感じることに慎吾はいつも安心する。
 結局、自分も和己や準太と同じ様にこの後輩を買っているのだろうなと、唐突に分かっておかしかった。彼が泣けるのなら、泣かせてやろう。それでまた、明日から一緒に一日でも長く野球ができるのなら。
 


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 月相(げっそう)、月の満ち欠け。
 月暈(げつうん)、月の周りにできる光の輪。
 慎吾→利央→準太に見える・・・(笑。慎吾サンはどちらでも構わないんですが、準利です。