ユリ目ヒガンバナ科ヒガンバナ属
まだ花は咲かない。








彼岸花 1







 本日お江戸は日本晴れ、まだまだ残暑が厳しいこの時期に、万事屋銀ちゃんには一足早く寒風が吹き込んでいた。
「銀ちゃん銀ちゃん、今日は何でこんなに人がいるアルか?パチンコ屋の新台入れ替えの日アルか?」
 平日である筈の昼日中から通りに溢れる人々に、ピンクの髪をふたつおだんごにまとめた少女、神楽がキョロキョロと視線を彷徨わせる。
 万事屋を営む一応所長である、二十代後半に見える銀髪の男、銀時を挟んで横に並んでいた十六、七の黒髪眼鏡の少年、新八は、神楽の余りの台詞に大きく嘆息して銀時を睨み上げる。
「人が外に出る理由の一番に、そんなこと上げないでよ神楽ちゃん・・。ていうか、新台入れ替えだけで、露店が出るような町は嫌だよ。もー、銀さんが、いっつも朝っぱらからパチンコなんかに通うから、余計なことばっかり覚えるんですよ」
「パチンコのどこが悪いってンだよ、お前。こないだアレだ、ホラ、チョコレート取って帰ってやったろ?」
「それ以前にどれだけ負けてると思ってんだよ、コルァ。こうやって暑い中営業に回らなきゃならなくなったの、アンタのパチンコと酒代のせいなんですけど」
 チロリと、軽い財布に吹き込む隙間風よりも冷たい視線を投げかけられて、銀時はヘタな口笛を吹いて目を逸らす。
 いつもいつも万事屋にお金が無いのは、仕事の有る無しが約束されていないせいもあるが、当たればでかい危ない仕事だって結構こなしている筈なのだ。それでも蓄えと言うものが全く無い状態なのは、ひとえに宵越しの金を持たない銀時の気性のせいだ。入れば入っただけ、瞬く間に使ってしまう。
「いっそ、アンタの財布没収しても良いんですよ」
 道に所狭しと並んだ露店の中で、食べ物屋の前を通りかかる度に足が止まりそうになる神楽を制しながら、新八は銀時の懐に手を伸ばす。
「バッカヤロー!ただでさえお前、毎月毎月妻のご機嫌を窺って小遣いを貰うサラリーマンと化してんのに、財布まで奪う気か!この鬼嫁!」
 侍にしてはまだ細い新八の腕を払いのけて、銀時は胸元を掻き合わせて悲痛に叫ぶ。心なしか目尻に涙まで浮かべている彼に、新八はこの男に着いて来て良かったのかと、もう何度と繰り返したか知れない自問を胸に浮かべた。
「誰が嫁ですか、僕は男だ。もし女だとしても、アンタみたいな甲斐性無しとは間違っても結婚しない」
 銀時の余りの浪費に、最近では万屋の財布は新八が握っている。銀時には、最低限の資金しか渡していない。完全に、上司と部下の関係は覆されている。
 それでもこの男は何だかんだと口だけは上手いので、結局は一月いくらと決めてある小遣いの額を守れた例が無い。
「新ちゃんたら、そーんなこと言ってさぁ。だらしない貴方が放っておけないのーなんて、可愛い事言ってたくせにー」
「だっ、誰がそんなこと言ったー!」
 白昼堂々往来でとんでもない事を口走る銀時に、思わず新八が叫ぶ。ただのおふざけだと分かってはいるが、おふざけですまない関係を持ってしまっている身としては、過剰反応にもなってしまう。
「昨日言ってたじゃん」
「あ、あれは、放っておいたら苔でも生えてきそうだから、いい加減営業に出ますよって言ったんです!脚色しないで下さい!」
「またまたー、俺には聞こえたね、お前の本心が伝わってきたね。あー、愛されてるって良いねー」
「ぎ、ん、さ、ん!」
 周りの注目を浴びていることにも気付かず、足を止めてまで言い合いを始めてしまった二人を神楽は半眼で眺める。
 神楽から見れば痴話喧嘩以外の何物でもない下らない言い合いを鑑賞していても詰まらないので、彼女はヒートアップしてこちらの存在を完全に忘れ去っている銀時の懐から、軽くはあるが空ではない財布を抜き取った。
 周りの露店をぐるりと見て、イカ焼きたこ焼きお好み焼きと定番商品を抱えて神楽が元の場所に戻っても、まだ二人は言い合っていた。話題が小遣いから銀時の洗濯物の出し方にシフトしている点以外は、全く変わらないただの痴話喧嘩だ。
「着る物を裏返しにしたまま出さないで下さいって、何回言ったら分かるんですか!洗う前に戻すのって、面倒なんですよ!」
「その位の手間を惜しむなよ、新八。世間の主婦はなぁ、丸まった夫の靴下の悪臭と戦いながら、私の結婚生活これで良かったのかしらと問答しながら、日々洗濯してるんだぞ」
「僕だって、アンタのとこに就職したのは家事をやる為じゃなかったのにって、毎日問答してますよ」
「万事屋が家事できなくてどーするよ」
「だったら、日々の掃除洗濯にも給料下さいよ」
「やだねぇ、家族の間で金が介在したら終わりよ?」
「毎月の給料の確保もままならない職場なんて、既に終ってると思いませんか」
「二言目には金金って、そんなんじゃ金にしか見取ってもらえない寂しい老後になるよ、新ちゃん」
「あんたねぇ〜〜」
「で、いつワタシの質問に答えてもらえるネ?」
 本当にこのままだと、どこまで続くのか分からないので、神楽は仕方なく口を挟んだ。同時に口を開いたままぴたりと言い合いを止めた二人は、彼女の腕に溢れる食べ物を見て同時に叫ぶ。
「神楽ちゃん、いつの間にそんなもの買って来たの!?」
「おまっ、それ、俺の財布じゃねぇかああ!」
 神楽が片手に掲げていた財布を引っつかんで取り戻した銀時は、すっかり空になってしまったそれにがっくりと肩を落とした。
「レディーを放っていちゃついてるのが悪いネ。それより新八、私の質問どうなったカ」
 たこ焼きを三つまとめて頬張る姿のどこがレディーなのか疑問だが、とりあえず新八は銀時との不毛な言い合いの前の話題を思い出そうと眉を寄せた。
「あー、えと、露店が出てる理由だっけ?あのね、今日は将軍様の誕生日なんだよ。だから国民全員がお祝いしましょうって事で、殆どの仕事は休みだし、こうやってお祭りみたいに露店が出たりしてるんだ」
 権力は失墜しても、権威はまだかろうじて国民の中には残っている将軍の、何回目かは知らない誕生日。そんなめでたい日にどうして自分たちは明日の米を心配しなければならないのだと、新八は益々今の状況に溜息が漏れる。
「ふうん、そんな日があること、知らなかったネ」
 神楽はまだ地球に来て日が浅い、年に一度のこの行事も初体験というわけだ。
「僕らみたいに、年中無休の仕事だと余り関係ないけどね」
 年中開店休業とも言うなと思いはしたが、口にすると悲しくなりそうなので新八は肩をすくめるだけにした。
 暦の上で休みだろうと万事屋銀ちゃんには関係が無いし、新八にとってはこの二人ともう一匹、今日は留守番の定春という巨大犬がいれば、将軍の誕生日にかこつけて騒がなくとも、それだけで満たされていると思う。
 財布が満たされない問題は、現実として放っておくわけにはいかないが。
「よお、何か騒いでる奴らがいるなぁと思ったら、新八じゃねぇか」
 財布を逆さにして嘆いている銀時の背中を蹴り上げて、さっさと営業開始しないと本当にまずいと新八が思ったその時、人ごみの中から名前を呼ばれた。
「・・・・え」
 逆方向に流れている人波を押しのけて現れたのは、薄汚れた格好をした一人の痩せた男だった。着物はあちこち擦り切れて、所々に茶色い染みが着いている。月代には青く毛が浮いてしまっていて、落ち窪んだ目だけが、嫌な光を湛えて笑っていた。
「・・・いつ、出てきたんだ」
 通り過ぎていく人々も、男の汚れた様子と漂ってくる饐えた匂いに目を逸らし、避けていく。少しの距離を持って立ち止まったその男は、新八を頭から足先まで眺めて口角を上げた。
「相変らず、真面目な少年て感じだなぁ。元気そうじゃねぇか」
「いつ、出てきた」
 繰り返し問う新八の声は、硬い。その背中に、銀時は財布を袂にしまってから、そっと左手で腰に差した木刀に触れる。横目で見ると神楽もまた、日除けに使っている銃内蔵の傘の柄をぎゅっと握り締めていた。
「つれないねぇ、その態度。今日だよ、今日。全く、将軍様々だぜ」
 男の笑った口元から、黄色い歯が見えた。たとえ危ない世界で場数を踏んでいる銀時でなくとも、彼がまともな稼ぎをしている人種だとは思わないだろう。
「何か用か」
 新八は男から目を逸らさず、斬り付けるように問う。彼は神楽と銀時に視線を巡らせ、笑みを深くした。男と目が合ったその瞬間に銀時は木刀を抜きそうになったが、そうなる前に男は背を向けた。
「懐かしくて声かけちまっただけだ。じゃ、また世話になるかもしれねぇけどな。そん時はよろしく」
 そう言って、また人ごみに紛れて男の姿が見えなくなると、あからさまに新八の肩から力が抜けた。
「・・・・珍しいタイプの知り合いだな」
 誰だ、と直球には聞けなかった。年上には大抵敬語や丁寧語を使う新八が、あんな風な喋り方をするなんて、まともに話したい知り合いではないだろうと銀時は踏んだのだ。
「えぇ、まぁ・・・少しだけ」
 案の定新八は言葉を濁した後、何かを吹っ切るかのように軽く頭を振った。
「さて、と。今日中に一つは仕事しないと、具無し味噌汁をすする日々になりますよ!」
 早く行きましょうと笑う新八はいつもどおりの笑顔に見えたけれど、それが益々銀時の胸に一滴の不安を落とした。
 こうして明るい中で見れば彼もごく普通の少年だけれど、既に両親も他界し、まだ未成年の姉と二人暮しで、その上父親の残した借金だってあるはずで。決して、苦労知らずのお坊ちゃまではないのだ。何かあると分かっていても、普段どおりの笑顔で踏み込ませないことができる程度には、世慣れている。
 それを崩す自信が、銀時にはあった。伊達に十年以上、彼より年を食っているわけではない。しかし、辛かった頃の事などやたらと他人に話したいものでも無いだろうことは、己にもよく分かるので、銀時はその時はそれ以上尋ね様とはしなかった。
 そして神楽もまた、今の男が誰なのか新八に聞こうとはしなかった。


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 本当に見切り発車です。流れは決めてあるけど、期限は決めてない・・・。できれば、一月に一話は更新したいけど・・・。