「相思華」
僕も貴方も、背中合わせで愛を囁き合っている。
銀時がいつもの様にパチンコに行き、いつもの様に負けて帰宅する途中、屁怒絽の花屋の前で呼び止められた。 「銀時さん」 「うおっ!な・・・なんすか屁怒絽、さん・・・・」 思わず数メートル飛びのき、安全な間合いを確保してから返事をする。屁度絽はこちらの警戒などお構い無しで、彼なりの笑顔なのだろう鋭い牙の生え揃った口をくわっと大きく開けて銀時に向かって数本の花を差し出してきた。 「へ?え、なに、いくらなんでも、ちょっとこれは、ねぇ・・・・・いや、アンタが嫌いとかじゃないんだけど!なんていうの?いいご近所さんでいてほしいっていうか、俺にはもう嫁と決めた相手がいるっていうか・・!」 銀時がしどろもどろになって、ついでに手足もばたばたと無意味に派手に動かしながら、アンタの好意は受け取れねぇとか叫んでいると、屁怒絽は怪訝そうに小首を傾げて、何を仰ってるんですかと獲物を狙うように瞳を眇めた。 どうやら、微笑んだらしい。 「これ、開きすぎて売り物にならなくなってしまいまして。よろしかったら、万事屋さんに飾ってください。花のある空間て、癒されますからね!」 そしてくわっと目を見開く屁怒絽に、銀時は反射的に背筋を伸ばしてその花を受け取ってしまっていた。 「うわぁああぁぁああありがとうございましたぁああ!」 彼が悪い天人ではない事は既に承知なのだが、どうにもあの迫力満点の顔には圧倒されてしまう。数本の花をむしるように受け取って、銀時はお登勢の家賃徴収から逃げる時と同じ位の全速力で、万事屋に駆け込んだ。 背中で玄関を閉め、ついでに何故だか危機感に迫られ鍵もかけてからようやく一息吐き、右手に握られた腹も膨れない花を見下ろす。 「ったく、うちに花を愛でるような高尚な人間がいるかってーの。神楽は米でも持って帰って来いとか食い気の事しか考えてねぇだろうしよお」 こんな、ろくに客も来ないような事務所に花があろうがなかろうが、仕事獲得率には全く影響が無いだろうと嘆息しながら、銀時はブーツを脱ぐ。 「あれ、銀さんお帰りなさい。どうしたんです?汗びっしょりで」 扉の開閉される音を聞いて、新八が顔を覗かせる。夏ではあるが、日も傾いて昼間よりは気温が下がった時分に、何を銀時はそんなに汗をかいているのだろうかと怪訝そうに、その脇に屈みこむ。 「具合でも悪いんですか?て、何、花?どうしたんですか、それ」 パチンコへ出かけた事は知っていたし、どうせ負けて手ぶらで帰ってくるんだろうなと諦めの気持ちと共に夕食の支度をしていた新八だったので、全く予想外の物を銀時が握り締めている事に首を傾げる。 「あー・・・隣のヘドロに貰った・・・・。やるよ」 銀時としては、全く他意はなかった。彼に渡しておけば、適当にコップを花瓶代わりにでもして机に飾り、枯れるまではマメに水を取り替えたり面倒を見るだろうと、それだけのことだった。もっと言えば、ただ押し付けたに近い。 ところが、新八が浮かべたのは全く予想外の表情だった。 「え、僕、に・・・?あ、ありがとう、ござい、ます」 ほんのりと紅色に染まった頬に、浮べられた柔らかな笑み。まるで女が愛しい男から素晴らしい贈り物をされた時の様な、あどけなくも艶やかな表情。 「・・・え、あ、や・・・」 まさかそんな反応が返ってくるとは思わず、銀時の方が面食らう。そして同時に、軽い気持ちでまるで放り投げるかのように差し出してしまったことに、罪悪感まで覚える。 「別にそんなもん、ただの花だろーが。俺ァ今日も負けて、すっかんぴんだぜ?」 そんなに喜ぶなと、わざわざ己の今日の成果まで報告してしまったが、新八はそれでも嬉しそうに微笑んだままだ。 「そりゃ、米とか現金とかお菓子だけでも持って帰って来てくれないと、いい加減出るトコ出ても良いんですよって気もしますけど、でも今日はこれで我慢します」 我慢、なんて言いながら、立ち上がって適当なコップがあったかなぁと呟くその肩は嬉しそうだ。その、まだ細く頼りなくはあるが、決して弱くは無いその背中に銀時は衝動的に立ち上がって手を伸ばした。 「えっ?」 突然後ろに引っ張られ、新八はバランスを崩して銀時の胸に倒れ掛かる。自分ひとりの体重くらいではびくともしないその頑強な身体を偶に恨めしく思うが、まるで恋しい相手にするように両腕を身体に回されて、新八は顔に血が上るのが分かった。 「ちょ、何するんですか。花がつぶれちゃう・・・」 強く、しかし優しく抱き締められて、新八は大いに困惑する。もしかして、今日は銀時に何かあったのだろうかと余計な心配まで頭をもたげてくる。彼は何か辛いことや悲しさを感じることがあると、よくこうやって新八を抱き締めた。まるでそこにある新八の温もりに縋る様に、顔を見せずに腕を伸ばしてくる。 「銀さん?どうしんたんですか?」 銀時は、言い様の無い感情が沸き起こるのを必死で押し留めて、ただ新八を抱き締めた。 タダで貰った花一つで、それこそ蕾が綻ぶかのように笑う新八が、無性に愛しくてならない。血に塗れたこの腕が、本当に守りたかったもの欲していたものは、こんな些細な暖かさだったのだと、新八の微笑を見る度に思う。 「銀さん?」 困惑した響きで名前を呼ばれる事すら、胸がくすぐられる。いつの間にか、帰路から顔を上げれば玄関には灯が灯り、ただいまと言えば当たり前の様にお帰りなさいと覗く顔がある事が、日常になった。 戦場で夜叉と呼ばれていたあの頃には、想像もできなかった生活。しかし、悪くは無い誤算。 「あー・・・すっげヤりて」 「はぁ!?」 情緒もムードもへったくれも無い台詞しか吐けないのは、性分だ。吐く息が既に甘ったるいと散々日頃から文句を言われているのだから、それでまぁ勘弁してもらおう。 そんな事を勝手に思って、銀時は新八の身体をくるりと反転させてその表情も確認せずに口付けた。 「ちょっ・・」 花を庇って腕を振り回せない新八は、すぐに入り込んできた銀時の舌に自分のそれを掬い上げられて肩を揺らす。 「ん・・ふ、ぅ」 色事に全くと言って良いほど、新八には経験が無いと銀時は知っていた。初めて口付けを交わした時にも、彼はただ銀時の舌に翻弄されて、息を上げるばかりだった。 それが最近ようやく、自ら応えてくるようになった。それもまた、堪らない。自分が一から秘め事を仕込んでいる、征服感というのか独占欲というのか優越感なのか。自分の腕の中で新八の目が熱を帯びていく過程を見るのが、銀時は好きだった。 いつの間にか玄関の壁に新八を追い詰めて、袴の裾から手を差し入れる。 「ぎんさん!」 さすがに場所が場所だけに、新八は銀時の手を制止しようと手首を掴んでくるが、既に柔らかく芯を持ち始めていた中心を握りこまれると、新八は鼻にかかる喘ぎを漏らして手首に爪を立てた。 「ちょ、や、あんた、どこっ、まで・・・!」 玄関のタタキを見る限り、神楽がいない事は分かっていた。だが、夕暮れ時そろそろ腹を空かせて帰ってくるはずだ。それを指して新八は、彼女にこんな場面を見られたらどうするんだと抗議の声を上げたが、その声は力なく震えていて銀時の嗜虐芯を煽るだけ。 「でーじょーぶだよ、あの胃拡張娘が帰ってくりゃあの騒々しい足音で一発で分かる」 「何が、だいじょうぶ、か・・っ。ばかぎん・・っ!」 いつの間にか帯を解かれて、新八の足首には袴がもたついていた。こんな状況で神楽が帰って来たら、取り繕うのに間に合わないではないか。 「すぐ終わるって、さすがに今最後まではしねーよ。ただ、ほら、俺もこんなだし?」 そして押し付けられた銀時の熱さに、新八は浅ましくも喉を鳴らしてしまった。その音は銀時の鼓膜を淫靡に震わせ、彼は口角をきゅうっと吊り上げて笑った。 「何、そんなに欲しい?夜まで待てない?なんなら、舐めてやろうか?」 根元から先まで優しすぎる手つきで撫で上げられ、新八は唇を噛む。しかし、本当に下がり始めた銀時の顔に、嫌々をするように頭を振ってその髪を強く掴んだ。 「やだっ・・・・」 余りに強い力で引っ張られ、銀時は小さく悲鳴を上げる。そして見上げると目尻に涙を溜めた新八が、必死に銀時の頭を押し返そうとしている。 まだ早い、か。銀時は胸中で小さく嘆息して、強く髪を掴む彼の手をそっと包む。 「わぁったわぁった、まだお子様のお前には早いわな。しねーよ、だからそんな掴むな。抜けんだろ」 何度かこうやってじゃれ合いの様に肌を重ねてはきているが、まだ銀時は新八の身体に割り入った事はない。口淫一つでこうまで怯える一回りも違う子供相手にそこまで先走るのも気が引けて、銀時は今日も宥める為の口付けを新八の頬や首筋に落とす。 そうしながら銀時は、壁と自分の身体の間に新八を挟んで、己の欲望を新八のそれに擦り付ける。 「あぅっ」 ぬめる感触に悲鳴とも歓喜の声とも聞こえる新八の喘ぎに、銀時は夢中で二人分の欲望を煽り立てた。 「ん、ん、あ、だめ、も、ぎん、さ・・っ」 新八の身体が一瞬硬直し、直後にふるりと弛緩する。同時に、銀時も新八の耳元で荒い息を吐いて果てた。そして耳朶に軽く音を立てて唇を落とす銀時の腕の中で、新八は胸に暖かい物が込み上げてくると同時に、左の太股に感じるはずの無い痛みが走った気がした。 何とかギリギリセーフで神楽の帰宅より先に事が納まった後、新八は床に落ちてしまった花をコップに活けて、平静を装いながら夕食の支度をした。 それでも銀時と目が合う度に言い様の無い照れ臭さが込み上げてきて、何度か露骨に目を逸らしてしまった新八に、神楽は何かを察して胡乱気に銀時を見、銀時は楽しそうに口角を上げていた。 そんな中で泊まっていく気になどなれず、新八は夕食を片付けたあと早々に万事屋を後にした。 銀時は当然引きとめたが、新八がきっぱりと帰りますと言うと、じゃあまた明日なとあっさり引き下がってくれた。彼が、そうやって自分をそういう面では子ども扱いしていてくれる事をありがたいと思いつつ、新八は外灯の下を歩いていく。 温い風が頬を撫でて、新八はそっと嘆息した。 銀時は、自分がただあれ以上の性行為を恐れているのだと思ってくれている。だから、口淫もそれ以上の事も、拒否の意を示せば優しく引き下がってくれるのだ。 しかし、実はそうではないのだともし彼が知ったら、どう思われるだろう。 そのことを考えると、いつも新八の背筋はぶるりと震える。それだけはあってはならない、けれど、いつまでそれが許されるだろう。 新八は、銀時に惹かれている。侍としてでだけでなく、それは恋情とも呼べる類のもので。そして恐らく、銀時も少なからず、新八をそういう対象として見ていてくれているはずだ。でなければ、高額の遊女は無理でもその気になれば夜鷹でも買えるいい大人の彼が、わざわざ己と肌を合わせようとするわけがない。 だからこそ、あれ以上の行為に進むわけにはいかないのだ。どうあっても、彼に知られてはならない事が、新八にはある。 その新八の思考を先読みしたかの様に、進む先に一人の男の影が現れた。外灯の灯りに足を踏み入れたその姿に、新八の歩が止まる。 「なんで、ここに・・・・」 それは、先日将軍の誕生日に新八に声をかけてきた、あの男だった。 「万事屋なんてのァ、顔が広くてナンボだろ?しかもあの綿雲頭だ、かぶき町じゃ有名らしいな」 ニヤニヤと黄色い歯を見せて近付いてくる男に、新八はあの日から常に持ち歩くようになった木刀を抜く構えを取る。 「おっと、怖い怖い」 おどけて両手を挙げる男をヒタと見据えて、新八は硬い声を上げた。 「何の用だ」 男は手を挙げたまま、世間話をする軽さで口を開く。 「いやぁ、昔が懐かしくてつい、お前が今何してるのか気になっちまってな」 「こっちは懐かしくなんか無い」 腰を落としたまま男の言葉を切って捨てる新八に、男は下卑た笑いを浮かべる。 「みえてぇだな、すっかり年相応のガキの面になってるじゃねぇか。あの頃のあの、飢えたガキはどこに行っちまったんだァ?」 「うるさい!」 なぁ?と男が舌なめずりをして、一歩踏み出し、新八は木刀の柄を強く握り、鋭く叫んだ。しかし男は口を閉じず、じりじりと間合いを詰めてくる。男に剣術の心得が無い事は承知していたが、新八の背中には滝の様に汗が流れた。 「あの頃のお前は、そりゃぁ可愛かったよナァ」 「黙れ、お前の思い出話に付き合うつもりはない。あの頃の事は、もう忘れた」 男の言葉を遮るように、新八の声が思いのほか大きく響いた。それこそが、新八が男の事を忘れていないという事を明確にしていて、男は満足気に笑った。 「そりゃ、あんな事してたなんて、知られたくねぇよな。あぁ、分かったって。そんな斬りかかりそうな顔すんなよ、今日のところは退散するさ。単なる挨拶に来ただけだ、この間はろくに声も聞けなかったからな」 そして踵を返した男の背中が、完全に夜道の暗がりに溶けるまで、新八は木刀の柄を握ったまま息を詰めていた。 誰にも、知られてはならない事が、ある。銀時が譲位戦争の事を語りたがらないのと同じ様に、新八にも長くは無い人生だが暗黒であった時期がある。それは、姉であるお妙ですら知らない事。 後悔は、していない。あれはあの時の自分に出来る、精一杯の選択だった。けれど、銀時や神楽、今の新八を取り巻いている厳しくも優しい人達に知られるわけにはいかない。だから一生、新八はあの頃の事は記憶の奥底へ沈めておく事にしていたのだ。 それなのにどうして、今更あの男が。 新八は指の一本一本を柄から引き剥がして、左の太股の辺りへ袴の上から強く爪を立てた。 えーと、新八に擦れた過去がある事を好まない方は、この先はお勧めしません。ていうか、この先はいつになるんだろう・・・。 |