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開花時期は、 9/15頃~ 9/ 末頃。
彼岸は浄土、此岸は現世。苦悩に満ちたこの世界。
右腕に白い包帯を巻いた新八は、万事屋への階段をしっかりした足取りで上って行く。かぶき町は既に一番の盛り上がりを見せる時間帯で、万事屋の玄関にもまだ外灯が灯っている。 「ただい・・まぶはぁ!?」 「ドコほっつき歩いてたネこの不良息子オオォォオオ!」 そっと引き戸に手をかけて静かに開けたと同時に、神楽から飛び蹴りを食らった。 「勝手に飛び出して行った挙句に連絡もしないで遊び歩くなんて、アンタ誰のおかげでご飯食べてると思ってるの!誰が毎日ご飯作ってると思ってるの!お前が今日の晩飯当番だろうがあぁぁああ!」 「ちょ、ぶっ、ぐはっ、かぐっ、落ち着っ・・・ごめんなさああぁぁあい!」 玄関の扉ごと吹き飛ばされて仰向けになった腹に、神楽は馬乗りになって拳を振るってくる。 「うるせーぞてめぇらぁ!こちとら今からが稼ぎ時なんだよ分かってんのかぁ!」 二人の騒ぐ声に、階下のお登勢から怒声が加わる。それを合図に神楽はようやく拳を収め、新八の腹の上から退く。 「すいまっせーん」 お登勢に軽く謝罪して、新八は外れてしまった戸を慣れた手つきで嵌め直す。この扉は何度外れれば気が済むんだと一人ごちてから振り返ると、裸足でタタキに立つ神楽の背後に無言で立つ銀時の姿が見えた。 「あの、すいません遅くなって。ちょっと病院に寄ってて」 「んなもん、見れば分かるアル」 神楽は新八の右腕に視線を落として、憮然とした顔をする。地球人にしては、新八だって弱くないと神楽は思っている。自分や銀時が常識外れなのであって、彼だって決して弱くは無い。本人には言ってやらないけれど、それなりに買っているのだ。 だからこそ、らしくない態度で一人飛び出した挙句になかなか帰らない新八を、神楽だけではなく珍しく銀時もソワソワと待っていた。何かに巻き込まれてしまったのではないかと、無言で二人は同じ事を考えていた。 「お前ら、さっさと上がれ。今日の反省会すっぞ」 銀時は新八の腕の怪我に関して何も言わず、それだけを告げて居間へ踵を返す。神楽も新八もその言葉に従って、神妙な面持ちで廊下に上がった。 居間には既に食事を済ませた跡があって、恐らく銀時が代わってくれたのだろうと心の中で礼を言う。口にしなかったのは、ソファに腰を下ろした銀時にはそれを告げさせる雰囲気が無かったからだ。口元はいつもの様にしまりが無いのに、眉間には皺が寄っている。そのアンバランスさが新八を萎縮させた。 銀時の隣に神楽、その向かいに新八が腰を下ろして、暫し沈黙が流れる。どうやら自分の報告からしなければならないようだと察し、新八は口を開いた。 「ちょっとかぶき町から足を伸ばして探しに行ったんですけど、そこで伸介君を見ました。それでびっくりしてたら、車にひっかけられました」 新八の報告に、神楽がマジでか!と叫んだ。銀時は無言で先を促す。 「明日から、今日僕が見かけた辺りで保証人も審査もいらないような部屋を探しましょう」 恐らく、ガクジはそういった場所に一時的に身を寄せているに違いない。昔つるんでいた誰かの所へ転がり込んでいる可能性も無いではないが、しかし伸介と一緒だという事はその可能性は低い。あの男は、縄張り意識がやたら高い男だった、場所に対してもモノに対しても。伸介を連れて、他人を更に加えるのは嫌う筈だ。 「あぁ?何でだよ」 銀時が怪訝そうに眉を顰める。新八の言った事の意味が分からなかった。確かに、彼が伸介を見たのなら明日からは範囲を広げて、今日彼が行った場所を探す事も必要だろう。しかし、十三の少年が借りられる部屋など、いくら社会の裏面を探してみたって無謀な話だ。 「ガキが、どっかに部屋借りて住んでるってのか?そりゃありえねぇだろ、いいとこどっかその辺りに住んでるダチの家を泊まり歩いてるとか、公園で寝泊りしてるとか、そんなんだろ」 「銀さん、お願いです、そうしてください」 新八の硬い声に、銀時は益々眉間の皺を深く刻む。隣では神楽も不満気に唇を尖らせていた。当然だ、何の説明も無しに言う通りにしろなどと、二人の性格上受け入れられるものではない。 「お前、何考えてんの?何の説明も無しにああしろこうしろって、言える立場か?いつの間にそんな偉くなったんですかめがねコノヤロー」 口調は軽くなるよう努めたつもりだったが、声に棘が混じるのを銀時は自覚していた。ここ一週間で溜めてきた、ささやかな苛立ちがここにきて噴出しかけているのも確かで、抑え切れない。 突然持ち歩き始めた木刀、らしくない単独行動、そしてこの明らかに何かを隠しながら話している新八の様子。 「すみません」 それきり口を閉ざして目を伏せた新八に、銀時は謝らなくて良いから全て吐けと、詰め寄りたかった。しかし今は、内輪揉めをしている場合ではない。一週間、不良でも何でもない少年が行方不明なのだ。 苛立ちを誤魔化して乱暴に髪を掻き毟ると、銀時は低く呻いた。 「こっちも情報屋当たったところで収穫無しだった。念の為探ってみたが、ソノ手の店にも新入りが入れられたっつー話はねぇ」 「ソノ手の店って何アルか?」 きょとんと目を丸くする神楽の頭を小突きながら、ガキは知らなくていいんだよと銀時は言ったが、新八にはそれが指すものが分かってしまった。少年が身体を売る店、もしくは子どもに危ない物の運び屋をやらせる組織が運営する風俗店、そんなところだろう。当たり前だが、銀時はあらゆる可能性を頭に入れて、探している。 「ガキ扱いすんなヨ。こっちも収穫無かったアル、何かガキの匂いのするものでもアレば、定春が探せるネ」 「そーだな、お袋さんに靴下でも借りてくっか」 じゃあ今日はお開きーと、銀時が欠伸を零して立ち上がる。ホ、としながらも新八はお茶でも入れますねと台所に向かった。 「明日は全員で行くからな、抜け駆け禁止だ」 背後で神楽がテレビを点ける音と同時に、銀時から釘を刺される。 「分かってます」 新八は深く息を吐いて、答えた。 本当は、言わなければならない。ガクジと一緒にいたところを見てしまったから、ごろつきでも楽に借りられる部屋を探して欲しいのだと、それも急いだ方がいいのだと。ただ、何と言って銀時たちを動かせばいいのだろう。どこまで、自分とあの男との関わりを隠して説明できるだろう。全てを話すことはできない、それだけは。 コンロにやかんをかけて青い火が点くのを確認し、流しに置かれたままの食器を洗おうとスポンジを手に取った。 「新八」 いつの間にか、背後に銀時が立っていた。さすがというか、気配を消す術には長けている。驚いて洗剤を取り落とし、台所に大きな音が響く。 「な、んですか。気配消して近付かないでくださいよ、家の中で」 口端が震えるのを見せられなくて、洗剤を持ち直して振り返らずに返事をする。銀時は台所と廊下の境界に立ったまま、じっと背中を見詰めてきているのが痛いほど分かった。 「言うことが、あんだろ」 「なに・・」 「新八」 二人分の食器を手早く洗いながら、新八は唾を飲み込む。ごまかしが効かない事は分かっている、だが慎重に言葉を選ばなければならない。そして、表情を読まれるわけにはいかない。新八は、銀時に背を向けたまま口を開いた。 「伸介君、一人じゃなかったんです」 「・・・この間の、男か」 「え・・・・っ」 「この間将軍様の誕生日に恩赦で出てきたらしいあの知り合いかって、聞いてんだ」 新八は、危うく皿を割るところだった。気付かれている。新八は、意を決して背筋を伸ばした。 「そう、です。あの男、が、伸介君を、連れ回してる。だから、早く、探さないと」 だからどうか、さっき自分が言ったとおりにしてくれと続ける新八に、銀時は内心で苦味を噛み締める。新八が人の目を見ずに話すことに、苛々する。 「最初から、お前見当付いてただろ」 新八の肩が、びくりと揺れる。それは怯えている子どもの仕草そのもので、何に怯えていると肩を掴んで振り向かせてやりたくなる。詰問する口調になっている己にか、それともあの下卑た笑みを浮かべていたあの男にか。 「写真見て、お前明らかに動揺してたな。新八、何を知ってんだ」 沈黙が落ちて、二人の間にはコンロの火が燃える音と蛇口から流れる水の音が響く。そして時折混じる、テレビの音。 新八は、浅く口で呼吸を繰り返した。口の中が乾く、鼓動が早まる、銀時が大きく舌打をした音がして、左の太股が熱を発しててじくじくと痛みだすのも感じた。 「将軍様の誕生日に恩赦で出てきた男なんてのぁ、どんな野郎なのか位察しは付くけどな。んな犯罪者と何でおめぇが知り合い・・・あぁ、まぁそれはいいや。ともかく、お前、最初からあの男が伸介を連れまわしてんじゃねぇかと思ってたんじゃねぇの?だからわざわざ一人でかぶき町の外まで、行ったんだろ?」 途中で質問を変えた銀時は、新八が頷くのを見て天井を仰いだ。本当は、この場で全て聞いてしまいたい。あの男とどういう知り合いなのか、どうしてあの男が伸介を連れまわす可能性があると最初から思ったのか、何故、そうまでして頑なに己に背を向けるのか。 「ごめんなさい、銀さん・・・。でも、お願いです、あいつの事は、聞かないで下さい。大丈夫です、昔の仲間で一緒に犯罪犯してたとか、そんなんじゃないです、から・・・・」 「んなこたぁ、分かってる」 新八が、あの男と何かあった事は確かだろう。だが、それが新八が今言ったような事だとは塵ほども思っていない。 「ごめんなさい」 こちらに顔も向けず、ただ背中で謝り続けるその背中が、余りに小さくか細く見えて銀時はそれ以上何も言えなくなる。 「・・・・・俺らはお前を信用してる、だから明日はお前の言うとおりの部屋も頭に入れて、探す」 「はい」 それだけを告げて、銀時は居間へと戻って行った。 銀時の気配が居間へと完全に消えたと同時に、新八の膝から力が抜ける。カクンと落ちた膝に、慌てて泡だらけの手で流しの縁に掴まる。 「・・っは」 銀時から放たれていた気が、それだけ鋭いものだったのだ。怒りと苛立ちと、きっと沸いてしまっただろう自分への不信感。荒い息を繰り返しながら、新八の目尻に涙が浮かぶ。 全て、話してしまえたら。ガクジは少年愛の嗜好があって、その上他人を人とも思わぬ扱いを平気でするのだと。だから伸介も、早く救わなければ危ういのだと。あの男は、世間擦れしてない少し地味な見てくれの少年が特に好みで、だから写真を見た時に真っ先に最近出てきたガクジの事が浮かんだのだと。 「はは」 言えやしない。何故お前がそんな事を知っていると問われたら、何も言えない、もしくは何もかも言うしかない。それだけは、できない。たとえ銀時は気を遣って聞かずにいてくれたとしても、彼は察するだろう、自分よりよほど経験値の高い大人なのだから。 何て浅ましい、保身だろう。伸介の事を心配する反面、自分の身がこんなにも大事だ。 「ごめんなさい」 それでも、こんな事になるのならあの頃ガクジと関わりを持たなければ良かったのだとは、思わない。後悔はしていない、きっと今の自分があの頃の自分にアドバイスをしてやれるとしても、きっと止めろとは言えない。あれは、自分で選択した事だから。けれど、もし叶うのなら言ってやりたい事は一つある。 今後銀髪の侍に出会っても、擦れ違えと。関わりを持とうなどと思わず通り過ぎろと、そう言ってやりたい。 「ごめんなさい、銀さん、神楽ちゃん、伸介君」 仲間なのに、家族なのに、伸介が今味わっているだろう恐怖も恥辱も分かるのに、ただ自分の居場所を確保することに必死な自分を許してください。 新八を責めるようにやかんがシュンシュンと激しく湯気を吹き上げ始めて、目尻を乱暴に擦って彼は腰を上げた。 翌日、万事屋一向は一度依頼人の家へ向かい、伸介の所持品を借り受けた。新八は先に伸介を探しに行きたかったのだが、一人にしてたまるかと神楽にホールドされてしまった。多分、彼女も彼女なりに新八の様子のおかしさを感じている。 そして今、三人は昨日新八が伸介を見た交差点に立っている。 「んじゃあー、神楽は定春の鼻を頼りにココら辺を適当に。俺と新八は昨日伸介が向かってた方向を適当に」 「了解アル、定春出番ヨ」 言いながら神楽は、借り受けてきた伸介の所持品を定春の鼻に近付けている。新八は、やはり銀時と一緒なのかと思うと憂鬱な気持ちになった。これでは絶対に一人で行動する隙は与えられないだろう、ガクジと銀時が顔を合わせることだけは、避けたいのに。 「銀さん、あの」 「却下」 「僕まだ何も言ってないですけど・・」 「昨日の単独行動の罰として、今日のお前に発言権は無い」 行くぞ、と人ごみの中へ踵を返す銀時の背中が、静かに怒気を孕んでいる気配を新八は感じていた。昨日から何度繰り返したか分からない謝罪の言葉を胸の中でまた繰り返しながら、新八は携えた木刀を強く握った。 伸介を見つけた時にもしガクジも一緒なら、問答無用で叩きのめしてしまわなければならない。逃げられないのなら、せめてあの男の口からあの頃の話を聞きたくは無いし、聞かれたくは無かった。 そして二人が雑踏の中を歩き出そうとした時、新八は向かってくるバイクに何気無く視線を飛ばした。 ノーヘルメットで向かってくるバイクに、危ないなぁと思っただけの事だったのだが、近付きそして擦れ違ったその運転している男は、ガクジだった。 「ガクジ!」 思わず叫んで振り返った新八の視界の中でバイクはあっという間に小さくなるが、新八には自分がガクジの顔を見間違える筈が無いという確信があった。 「新・・」 不審気に振り返った銀時の声など最早耳に入らず、新八は考える間もなく神楽が跨ろうとしている定春に突進した。 「定春!」 「新八!何するアル!」 定春の首にかかっていた神楽の手を乱暴に叩き落し、新八は定春の背中に飛び乗る。そして、バイクが走り去った方向を指して、命じた。 「行け!」 普段ならば神楽の言うことしか聞かない定春が、新八のその気迫に何かを察したのかアスファルトを強く蹴った。 「新八!」 「新八、テメー!ふざけんなぁ!」 神楽の怒声にも銀時の罵声にも、新八は振り返らなかった。 「くそっ!あの野郎!」 バイクに劣らぬスピードで走り去る定春の姿に、銀時は腹の底から熱が沸いてくるのを感じる。ここ最近押さえ込んできた怒りが、沸々と煮えたぎり沸騰してくる。 「神楽!追うぞ!」 人探しだからと原付を置いてきた己を呪いながら、定春が走り去った方向に走り出す。 「おうよ!あのヤロー、定春を奪うなんて何様アルか!!」 銀時の後に続いて人垣を掻き分けるどころか吹き飛ばして走り出しながら、神楽は新八に叩かれた手の甲がジンジンと痛むのを感じた。新八に、手を上げられた事など一度も無かった。それは神楽の方が強いからという理由ではなく、どれだけ強くて怪我に慣れていても神楽は女の子だから、そして自分は年上で男で侍だから、そんな新八の心遣いからだった。 その新八が、遠慮のない力で神楽の手を叩いた。そして振り返りもせずに走り去った。 「新八、何考えてるアル・・・!」 昨日も一人で飛び出して怪我を負って帰ってきた新八、何かを隠しながら目を合わせようとしてくれなかった新八。その事が僅かしか走っていない神楽の呼吸を苦しくさせる。 幼い頃から母を亡くし兄に去られ、最近まで父と遠く離れた生活をしてきた神楽にとって、地球で最初に優しくしてくれた新八と銀時は、何があっても失いたくない存在だ。その新八が、自分を叩いた。 「銀ちゃん、新八捕まえたら殴っても良いアルカ!」 「おーよ、万事屋の結束を乱した制裁を加えてやれえぇぇえ!!」 凄まじい勢いで駆け抜ける二人に、道行く人々は皆何事かと顔を青くして道を空けていった。 ガクジのバイクには追いつかなかったが、定春は風に乗った匂いを嗅ぎ分けたのかある古いアパートの前で立ち止まった。二階建て、六戸が入っている煤けた壁の建物。錆の浮いていそうな階段脇には、見かけたバイク。 「定春、凄い」 振り落とされないよう腕に絡めていた毛を解いて降り、新八は定春の頭を撫でてやる。当然だという顔をして手の平に額を擦り付けてくる定春に僅かに微笑んで、新八はとりあえず定春を連れてアパートの陰に潜んだ。 言われた側から、勝手な行動をしてしまった。神楽の手を思い切り叩き落してしまった。背中に飛んだ二人の声を思い出し、新八の胸はずきりと痛む。 しかし、そんな後悔を今はしている場合ではない、ガクジがここに住んでいるのなら伸介もここにいる可能性が高い。しかし立ち寄っただけならば、また尾けなければならない。 じっと息を殺して様子を窺って数十分、もしかしたら数分だったかもしれないが、時計を持っていない新八にとってはそれはとても長い時間に感じられた。 「じゃ、イイ子にしてろよ」 二階の左端の扉、新八たちが身を潜めているすぐ頭上で声がした。 はっと息を飲み、慎重に頭だけを巡らせて様子を窺うと、間違いなくそこにいたのはガクジであった。そして、陰になってはっきりとは見えないが、玄関に立ち何か小さな声で答えている少年の声が聞こえた。 いる。 新八は木刀を引き抜き飛び出すと、一気に階段を駆け上った。 「ガクジイイィィィイイ!」 迷いは無かった。真っ直ぐに男の頭を狙う。 「うあああぁ!?」 しかしガクジは意外な身軽さを見せ、すんでのところで切っ先を交わす。空を切った木刀が派手な音を立てて柵に当たり、やはり傷んでいたらしい鉄柵が一部吹き飛んだ。 「なっ、新八!?」 床に尻餅を付いて叫ぶガクジを無視して、新八は戸口に立つ少年に目をやる。間違いない、多少痩せて顔色は悪いが、伸介だ。 「伸介君、詳しい説明は後!助けに来た!定春!」 「え・・?助け・・・?」 これだけの事が起こっても、伸介は虚ろな表情しか浮かべない。ぼんやりと繰り返す様子は、既に逃げる気力も助かる希望も失いかけている証だ。 「早く!」 立ったまま動かない伸介を腕を引き、一跳びで上まで上がってきた定春の背中へ飛び乗り、そのまま彼を引き上げようとして、新八はその手の甲に小さな花が咲いているのを、見た。 「・・・これ、は」 力の入らない伸介を定春の首へ何とか掴まらせ、新八はガクジを見下ろした。ガクジは、伸介を取り戻そうともせずに、新八を見上げて口角を上げ、粘つく声で笑った。 「懐かしいだろ?俺の印だ、何年経ってもどこにいても思い出せるようにな。なぁ、新八」 新八は静かにガクジを見下ろした後、無言で定春から降りた。 「定春、行って。神楽ちゃんか銀さんのところに、伸介君を運んで」 定春が、戸惑った様子で鼻を鳴らす。しかし新八はガクジから視線を逸らさず、鋭い声で叫んで横腹を平手で打った。 「行けっ!」 そして定春は、それに従った。定春が地面を蹴っていく音を聞きながら、新八は木刀を握り締めガクジと対峙した。 左の内太股が熱い、あの時の痛みが蘇ってきそうだ。あの時も、目の前の男は似たような下卑た笑みを浮かべていた。違うのは、あの時見下ろしていたのが男で床に転がっていたのが自分だということ。 「あんな子どもに、しかもあんな目立つ場所・・・」 「目立つから、いいんだろーが。折角一生消えねぇ刺青だ、毎日嫌でも目に付いて忘れないようにしてやらなくっちゃ。お前の時は、目立たない場所にしちまって後悔したんだ。それでも消えてはいねぇだろ?何なら確認してやろうか、あの頃みてぇに足おっぴろげてよォ」 「黙れ・・・・」 新八の背筋を、震えが走った。それは男に対する怒りの為か、それとも拭えない恥辱のせいか。 新八が暴走キャラに・・。次の話で新八の痛い過去が出てきますので、苦手な方はご注意下さい。 |