自然発火。







 


 男に抱かれるのが好きなわけではない。士官学校の頃から男の割には華奢な外見のせいで迫られることはあったけれど、その度に手痛い方法で念入りに断ってきたのだ。
 けれど、「抱かせろ」よりも「抱け」と言われる方が抵抗が少なくて済むだろうと思ったから。だからそう言った。


  前編


「・・っあ、あ、あ、あ・・!!」
 ベッドの上に横たわる浅黒い肌をした男の身体を跨いで、椎名は顎を反らせて喘いだ。
 普段なら自分でも触れもしない様な個所に、剛直した男の性器を咥え込んでベッドを軋ませる椎名を、同じ様に額に汗を浮かべた黒川が見上げていた。
「あ・・っ、黒川・・!!」
 一際強く椎名が叫んで、その欲望が弾ける。ほぼ同時に黒川も果てて、椎名は奥に広がるどろりとした熱を感じた。
 ズルリと黒川が無言で己の一物を引き抜く。椎名は息を詰めて、それが出ていくのに伴って湧き上がる悪寒とも快感ともしれない感覚をやり過ごす。
「・・・・」
 椎名が黒川の上から身体を離してベッドにうつ伏せになったのを見届けて、黒川は裸のままベッドから降りる。そして椎名が脱がせた服を身に付け、やはり無言で椎名の寝室を出て行く。
 それは、椎名が約束させたことだった。
 静かに扉を閉じ、前線に居た軍人らしく足音を余り立てずに去って行く黒川の気配を感じながら、椎名は今しがた黒川の熱が放たれた個所にそっと指を当てる。
「く・・っ」
 小さく呻きながらそろりと指を侵入させ、黒川の熱を掻き出していく。二人分の汗が染み込んだシーツに、白濁した黒川の熱が零れていく。
 いくらこんな事を繰り返しても、自分たちの間には熱も言葉も残りはしないと分かっていながら、椎名は微かに聞こえるシャワーの音に神経を集中させた。
 シャワーの音がやがて止み、暫くしてコンロに火が点く音がしてから、椎名はのろりと身体を起こした。何も身に着けないままベッドを下り、今自分が掻き出したものがこびり付いているシーツを乱暴に剥がす。
 それを包丸めて脱衣所の洗濯籠に放り込み、そのままバスルームに入るとバスタブにはたっぷりの湯が張ってあった。
 肩まで暖かな湯に浸かりながら目を閉じて、大きく息を吐き出す。立ち込める湯気を吸い込んで、身体から黒川の気配が消えるのを感じた。
 黒川の足音が椎名の耳に響いてくる。黒川は何度か廊下を往復し、そして最後にその足は玄関に向かった後、玄関が静かに開かれて閉じられた。カチャリと鍵の締まる音がして、椎名は湯船から立ち上がった。
 いつの間にか用意されていたバスタオルで適当に身体を拭い、それを腰に巻いて椎名はキッチンに向かう。そこには案の定、鍋に暖めたミルクが入っていた。傍らにはマグカップ。
(ガキか、俺は・・・)
 そう思いながらカップにミルクを注いで喉に送ると、思わず安心した様な息が漏れた。
 カップを持ったまま寝室に戻ると、シーツを剥がした筈のベッドに新しいシーツが掛けられていた。掛け布団もきちんと畳まれ、まるで今夜そこで何事も無かったかのようなベッドメイク。
(マメな奴・・・)
 それでも換気していない部屋には黒川の残り香が十分残っている。
 カップを包む腕から順に身体に視線を移しても、そこには黒川が残した跡一つ見受けられなかった。まるで何事も無かったかのような真っ白いシーツと同じ。
 椎名はベッドに腰掛けてカップのミルクを一口飲んだ。温かみは体内にだけ広がっていった。

 黒川は自宅の安アパートへの道のりを辿りながら、ふわりと鼻先を掠めた今出てきた上司の家の香りに眉を潜めた。
 シャワーは浴びてきた筈なのに、どうして自分にはこの香りが絡みつくのだろう。もしかしたら、最早身体の芯に染み込んでいるのではあるまいなと思い、勘弁してくれと誰も居ない深夜の路上で頭を抱えたくなった。
 前線に居た頃から、本部に女の様な軍人がいるとは聞いてはいた。その容姿をフルに活用してのし上がったというのがもっぱらの噂だったが、自分は特に興味をそそられなかった。今日死ぬか明日死ぬか分からない前線の人間には、本部の人間など雲の上の存在だからだ。
 自分よりよっぽど頭の切れる金髪の同僚を差し置いて本部に移動になったと聞かされた時にはさすがに構えたが、上の人間の考えることはよく分からないと、その理由を考えることは放棄した。
 そしてそれは今も変わらない。あの上司が何を考えて自分に「抱け」などと命令し続けているのか全く理解できない。
(噂もあながち嘘じゃなかったのかね)
 ただ、もう昇進の為に上の人間に抱かれることに飽きて、今度は気紛れに部下を振り回そうとしているだけなのかもしれない。
 家に帰ったらまたシャワーを浴びないと、この香りのせいで眠れなくなりそうだった。朝になって今別れてきた上司を迎えに行くのに遅刻するのは、さすがにまずいだろうと黒川は足を速めた。
 この件に関するあの上司の命令には深い意味など無いのだと幾度も繰り返してきた戒めを、また繰り返しながら。


   翌朝、黒川はいつもと変わらぬ感情の乏しい表情で椎名を軍用車で迎えに上がり、椎名もまたいつもと変わらぬ少々尊大な態度で車に乗り込んだ。
 椎名は午前中皆と同じ部屋で仕事をし、午後からは上官司令室で郭の持って来た書類に目を通していた。
「大佐、将軍から本日の夕食にお供するようにと通達が来ておりますが」
 もう一度再提出の必要のある書類を郭に手渡しながら、椎名は眉を顰(ひそ)めた。
「何で?」
 南方司令部の将軍と椎名は立場上仲違いをしているわけではないが、賄賂だ脅迫だと黒い噂の耐えない上司は、椎名が余り好きになれない種類の人間だった。
「大佐が将来有望だからでしょう。どうやら娘さんを同席させるつもりらしいですよ」
 これはもう隠し様も無いほどにお見合いではないかと、椎名は深く嘆息した。
「情けな・・・」
 優秀な部下を留めておく為に己の娘を餌にしなければ、それが叶えられない程度の人間には何の魅力も感じないと椎名は思いながらも、同席しますとの返事をしておけとおざなりに郭に命じる。
 椎名が手渡した書類を手に一礼して郭が部屋を出ると、椎名は涼風が揺らしたカーテンの外を見やる。木々は夏の鮮やかさを潜めて、秋に向けて深い緑を収めようとしていた。
 己の身体を盾にしないと部下の一人も手にできないのは自分も同じだと、昨夜見下ろした男の額に浮いた汗を思い浮かべて椎名は自嘲気味に笑った。

   黒川は、当直の人間を除いて誰も居なくなった筈の仕事場で、廊下を歩いてくる足音に不審気に眉を潜めて書類から顔を上げた。
 その足音は、普段自分が一番聞き慣れていると言っても過言ではない人物のものと酷似していて、しかし本人が今ここに居る筈は無いと思いながら、黒川はじっと近付いてくる足音に耳を澄ませながら扉を睨む様にして見つめた。
「・・・大佐」
 黒川の部署の前で止まった足音は、そのまま無造作に扉を開けた。そこに居たのは黒川が聞き慣れている足音の持ち主本人で、少々驚きながら黒川は席を立って戸口に立ったまま動かない椎名に近付いた。
「どうしたんです?見合いは?」
 上司との食事会という名の見合い会場に椎名を送ったのは黒川本人で、迎えはいらないと言われたので黒川はそのまま仕事に戻った。
 しかし仕事は結局定時に終わらず、こうして一人残業する羽目になってしまったのだが。
「郭が、お前が残業だと言ってたからな」
 言いながら黒川の軍服の胸に頭を擦り付けてくる椎名の髪からは、ふわりとアルコールと香水の匂いがした。それは椎名がいつもつけているものではなく、明らかに女物の香水の匂い。
「だから戻って来たんですか?何故?将軍の娘さんとお泊りにはならなかったんですか」
 どの部下よりも近くで嗅ぎ慣れていると自負できる椎名の香水の匂いをかき消す様にまとわり付く女の匂いが、黒川には何故か不快で、口調が自然にきつくなる。
 椎名は黒川の言葉には答えず、黒川を押すようにして部屋に入ると後ろ手に扉とその鍵を閉め、頭を擦り付けていた黒川の軍服の胸ボタンに指を掛けた。
 酒が入っているせいか上手くボタンを外せない事に椎名が不満げに口元を歪めるのをどこか冷静に見下ろしながら、黒川は椎名の手を止め様とはせずに尋ねた。
「あんた、もしかして男の方が好きなんですか?」
「死ぬか?」
 きっぱりとし過ぎなくらいの否定の言葉に、黒川は溜息が漏れてくるのを禁じえない。二人の間に揺らぐ香りのせいで、今自分の制服を乱そうとしているのがいつもの上司なのか今一実感が薄くなる。
 訳も無く、そのことに苛々した。
「だったら、見合い相手としてくりゃいーでしょうに。将軍だってそのつもりだったんじゃないすか?」
 外したボタンの隙間からするりと手を差し込んで、椎名は酒のせいで潤みを増した瞳で黒川を見上げてきた。
「馬鹿か、速攻その日に手なんか出せるか」
 色気も何も無い煙草の匂いの染み付いた軍部の仕事場で、椎名は軍服の襟一つ乱さずに立ったまま部下の制服を脱がそうとする。
 それをやはり好きにさせておきながら、黒川は乾いた声で独り言の様に呟いた。
「よっぽどいい女だったんですね」
 ジジ・・・と蛍光灯が鳴いて、椎名はきょとんと目を見張る。
「見合い相手に欲情したんでしょ?でも速攻で手なんて出せないから、俺のとこに?もう少し待てばいいじゃないですか。大佐相手なら、その内必ず落ちますよ」
 黒川の言葉に、椎名は心底嫌そうに眉を顰(しか)めた。そして黒川のベルトのバックルに掛けていた手を止めた。
「あんなタヌキ親父と更に離れられなくなるような枷はいらねぇよ。俺はあのおっさんを蹴落とすことを考えこそすれ、可愛がって頂こうなんてこれっぽっちも考えてないんでね」
 あの程度に欲情しないしもう会う気も無いと言いながら、椎名は黒川のベルトを床に落とす。
「それで、これは?」
「暇つぶし」
 まるで知らない女を相手にしている様に漂う香水の香りに、投げやり気味に天井を見上げながら黒川は深く嘆息した。
「俺、まだ仕事終わってないんですけどね」
 黒川の上衣も床に落とさせて、椎名は吐息を漏らした。強いアルコールの匂いにこっちまで酔いそうだと思う黒川を見上げて、椎名は嫣然と微笑んだ。
「後にしろ」
 黒川は諦めを示す溜息をもう一度吐くと、胸元に唇を寄せてきた椎名に囁いた。
「Yes,Sir」

   黒川がぞんざいに書類を避けただけの机にうつ伏せに倒され、軍服の上は一ミリも乱さぬままに、椎名は背中に覆い被さる黒川の熱い息に身の内が震えた。
「あ、あ、あ・・っ」
 白くなるほどに握り締められた椎名の拳に黒川が己のそれを重ねることはなく、黒川の手はただ椎名の腰を支えるだけだ。
 まとっていた女の香水の匂いが薄れ、互いの汗の匂いと雄の匂いが二人を包む。
「大佐・・」
 悲鳴の様な喘ぎ声を上げる上司を見下ろし、黒川は眉根を寄せた。
 そんなに辛いのなら、やめればいい。こんなことをしなくても、自分はこの上司に着いて行くのに。それ程自分は信用が無いのだろうか、見返りが無いと忠実に仕える事は無いだろうと思われるほどに?
「ふう・・っ、く」
 椎名の腰が一際淫らに揺れ、黒川は限界を煽られる。けれどそれとは逆に、ただ頭の芯が冷めていく。
 こんな、上司の気紛れとしか思えない様な行為に、それでも自分はこれからも応えるだろう。この上司が求めてくる限り、断りはしないだろう。
 それ程に、自分はこの上司に焦がれているのだ。初めて誘われた時、自分の想いがばれているのかと一瞬本気で辞職を考えた位、愛しい。
 だから。
「ア、黒川・・・っ」
 断るという選択肢を「上司命令だから」と初めから無い事にして、その責めを全て上司に押し付けても抱き続ける、こんなにも浅ましい自分に腹が立ち、そして己の気持ちに気付いているのかいないのかただ気紛れに求めてくるこの上司が、憎くて哀しかった。
「たい、さ・・っ」
「・・ろかわ・・!」
 強く腰を打ち付けられ、椎名が達したと同時に黒川は椎名の中から己を引き抜いて果てた。

 椎名は生理的な涙で滲む視界をぼんやりと巡らせ、背後を見やる。
 黒川は頬に伝う汗を拭いながら、手近なティッシュで手早く後始末を済ませて身支度を整え始める。一切椎名の方を見ようとしないその態度に、いつもなら腹が立つ椎名だったが、今日は酒が入っているせいかただ哀しくなった。
 そうさせているのは自分だ。上官命令だとばかりに抱くことを強要している、淫乱な上司。きっと黒川はそう思っていることだろう。
 見合い相手の余りにも露骨な媚びる態度に吐き気がして、食事終了と共に郭に一応帰宅報告の電話を入れた際に黒川がまだ軍部にいると聞いて、どうしても会いたくなった。
「椎名大佐、大丈夫ですか?」
 この、どこまでも心までは堕ちて来ない潔く強くそして何より優しい部下に、抱かれたかった。
 気遣うように机にうつ伏せたままだった身体をそっと起こし、黒川は椎名の身支度を手伝った。いつもなら、これは絶対に椎名が許さないことだったのだが、椎名は丁寧に後始末をして身支度を整えてくれる黒川の節の目立つ手に、何故だか泣きたくなった。
 幸せだからではないことは、はっきりしていた。
 



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 始まりました、軍隊パラレルマサツバVer.