自然発火。









 

 後編


 事件ではあるが、所詮西方でのことだ。南方司令部としては将軍の護送チームを編成して送ってしまえば、彼らに何か無い限りはもうすべきことが無い。せいぜい、将軍が帰って来た時の労いの言葉を考えておく位だ。
 郭を追ってきた椎名がいつも通り直接指揮を取って護送チームを送った後は、西方のニュースに耳を傾けつつも南方司令部はいつもの業務に戻って行った。
「大佐、お帰りにならないのですか」
 日勤の者は粗方帰った後で、一応緊急に人数を増やした夜勤の者以外司令部に残っている者はいない。
「連絡があるなら、ここにだろうからな」
 そう言って椎名はじっと電話を見つめた。
 家に帰れば、西方で何かあった場合の連絡が僅かだが遅れる。それが嫌なのだろうなと思い、郭は何も言わず椎名にコーヒーを淹れた。
 椎名はそれを受け取って机を離れソファに座る。郭にもそれを勧め、二人は向かい合ってコーヒーをすすった。
「本当なら、護送チームに入りたかったんじゃないですか」
 ぽつりと郭が呟くと、椎名はソファを軋ませて顔を上げた。珍しく驚愕の表情を浮かべる上司に、郭は苦笑する。
「飛び出して行かないかと、冷や冷やしました」
 この上司と行方不明の同僚が真実どういう関係なのかは自分が興味を抱いていい問題では無いが、上司が同僚に特別な想いを持っている事はある程度感じていた。
「・・・・そうしたかったけどな」
 椎名も郭に隠す必要は無いと判断したのか、案外あっさりとそう返してきた。その上、さらりと恐ろしい台詞を続ける。
「将軍なんぞ、死んでくれても一向に構わないんだ。上の椅子が空くだけの話だからな。でも、アレは俺のだ。おっさんの為に死ぬことは許さない」
「・・余り物騒なこと言わないで下さい」
 誰が聞いてるかもしれないのに、と郭が渋面を作ると、椎名はカップの向こうで口端を上げて笑った。
「少佐、結婚の予定は?」
 突然降ってきた言葉に、郭は一瞬固まった。コーヒーの黒い波紋から目を上げれば、至極真面目な顔をした椎名がソファに挟まれたローテーブルの木目を見据えていた。
「今のところ、そういう相手はいませんが?」
 この話題転換がそういう意味を含んでいるのかが知らないが、とりあえず正直に答えておく。
「もし結婚するなら、軍関係者と無関係者、どちらを選ぶ?」
 続けられた質問に、ますます椎名の真意が分からなくて郭は眉を潜める。それでも、どこか不安定なままの上司の気が紛れるならと、これも正直に答えておく。
「そういう基準で相手を選ぼうとは思ってません」
 すると椎名はふ、と皮肉気な笑みを零した。
「俺はどちらもごめんだ」
 そして空になったカップをソーサーに置いて、背もたれに状態を預けて天井を仰いだ。
「俺はな、前線で大規模な闘いになったらこんな所で指揮なんかしねぇ。その場に行って直でやる。それは前に話したろ」
 士官になっても例え将軍になっても現場の空気を忘れた軍人はただのコスプレ野郎だと、この上司は以前極端なことを言った。それを思い出しながら郭が頷くと、椎名はそれが見えているかのように言葉を継いだ。
「だったら、軍関係者じゃない恋人に、いつか俺の死体が届くのを待っていろ何て言えるか?同じ軍人の恋人に、俺の為に前線に出て死んで来いと言うか?俺はごめんだ。その口でどうやって愛なんて語れるってんだ」
 その場で、女性の軍人が実際の戦闘要員になってる例はまだ少数ですよと言える愚鈍さを、郭は持っていなかった。
 上司の示す相手が誰か、その唯一の相手が分かるから。
「大佐、少しでも寝てくださいよ」
 唐突に始まった会話は、郭のその言葉で唐突に終わった。


 その翌日、将軍が無事帰還。その日の夕方までに行方不明者八人の内民間人一名の死亡が確認された。他七名は重傷又は重体ながらも無事生存が確認された。


 黒川は救助された時には重傷で生還から一週間ほど入院したが、一時の峠を越えると後は順調に回復し退院した後、南方司令部に帰ってきた。
「黒川少尉、ご苦労様」
 敬礼で迎えられ、黒川は多少気恥ずかしく思いながらも郭少佐に敬礼を返す。
「ご心配おかけしました」
 朝から何人もの人間に暖かく迎えられ、いつの間にか同僚として認識されてたんだなとらしくもなく感慨深くなりながら直属の上司の下へ挨拶に出向いてみた黒川だが、そこにいたのは郭だけだった。
「それで、椎名大佐は」
 軽く火傷をしたのであちこちに包帯を巻かれている風体で、それでも休暇は貰わず真っ直ぐに此処に来たのは、出発前に気まずくなったままだった上司に早く会いたかったからだ。
 会って、予想外に三週間にも延びてしまった出張中、煙に巻かれながら病院の天井を見上げながら思ったことをそのまま伝えたかった。
「それが、明日黒川少尉が西方から直接帰ってきますと昨日伝えたら、今朝になって今日は休むと連絡が入って」
 郭が珍しく黒川の前で無表情を崩して渋面になる様を身ながら、黒川もまた眉を潜めた。
 どういうことだ?まさか、椎名大佐は自分に会いたくないと思っているのだろうか。切り捨てられる?
 一瞬そんなことを考えただけで、黒川の身はすくみそうになった。炎上する建物に突っ込んだ時でさえ、僅かに恐れはしたが足が震えそうにもならなかったというのに。
「多分、無理が祟ったんでしょ」
 しかし、郭の口から零れたのは全く予想外の台詞で。
「ずっとここで電話番してたんだよ。少尉が無事だって分かってからも、病院から何か連絡があったら嫌だって。そりゃ、疲れもするよ。昨夜やっと家に帰せたと思ったら、やっぱりダウンしたみたいだね」
 上司相手ではないからだろう、郭は随分砕けた口調でそう言って肩をすくめた。
 黒川は湧き上がりそうな震えが収まった代わりに、ただ呆然とした。大佐がずっとここで自分を案じてくれていたと、郭は今そう言ったのだろうか。
「でね、悪いんだけど、今日はこのまま大佐の所に顔を出しに行ってくれない?」
 許されるなら是非そうしたいと、郭の申し出をありがたく受けた黒川に、郭はぽつりと付け足した。
「ここの人間が皆会ってて、自分だけ会ってないとなると拗ねそうだからな・・・」
「は?」
 自分の聞き間違いかと思って聞き返すと、郭は陽光差し込む司令官室で見事な笑みを披露して下さった。
「黒川少尉がいなかった三週間、鬼の様に機嫌悪かったからね、あの人」
 せいぜいご機嫌取りをしてきてくれと朗らかに伝えられ、黒川は心底首を傾げるしかなかった。
「はあ・・・??」


   黒川が椎名の部屋のチャイムを鳴らしても応答は無かった。仕方が無いので、出来る限り使いたくは無い合鍵で中に入るしかない。
 これを出来る限り使いたくないのは、自分が思い上がりそうだからだ。この部屋で誘われた後に見送るのが面倒だからとだけ言われて渡された鍵に、勝手に別の理由をつけてしまいそうで怖かった。
「大佐?」
 体調を崩したのなら寝ているかもしれないと静かに玄関に上がり、勝手知ったる何とからで真っ直ぐに寝室に向かう。しかし、そのベッドの上には誰の影も無く、使われた形跡すらなかった。
「大佐?どこですか?」
 自分のより広いとはいえ、単身者用の住居など部屋数は限られている。一つ一つ覗いていくが、椎名の姿は一向に見受けられない。
(・・かしいな)
 もしかして買い物にでも出たのだろうかと、最後に行き着いたリビングの真ん中で途方に暮れた様に後ろ頭を掻いていると、玄関で鍵のまわる音がした。
「あ」
 黒川が開けたままなのだからもう一度鍵を回せば締まるのが当然で、この場合外で鍵を持っているのは一人しかいない筈。ガチャンッと慌てたように再度回された鍵の音に、黒川は慌てて玄関に向かう。
 バンッと勢い良く扉が開かれたのと、黒川が玄関に辿り着いたのはほぼ同時だった。
「お帰りなさい」
 飛び込むようにして扉の内側に踏み込んできた椎名と目が合って思わず黒川がそう呟くと、椎名の表情が微妙に歪んだ。
「お前、何してるんだ」
「あんたこそ、休んだって事は体調悪いんじゃないですか?」
 着の身着のままでふらりと出掛けてきましたというような服装の椎名に、黒川は僅かに眉をしかめた。
「悪くない。散歩して来ただけだ。何で来た?」
 いきなり不機嫌そうになった椎名は、黒川を押しのけるように部屋に上がり、リビングに向う。それについて行くしか選択肢の無い黒川も後に続き、ドサッとソファに腰を下ろした椎名の背後に立った。
「一応、帰って来た報告をと思いまして。それから、もう一個報告を」
 椎名の肩がピクリと反応し、何だ、とやたら平坦な声がした。
「将軍が無事で良かったですよ、あんたの後輩の評判落とすトコでしたし。そんでもって勝手に火事場に飛び込んで、余計な手間増やしたなーと反省しました。それから・・」
 黒川は徐々に上体を倒し、ソファの背もたれに腕を置く。近くなった黒川の声に椎名の肩がまた揺れたが、遠ざかろうとはしなかった。
「あんた以外の奴の為に死ぬのはごめんだと、心底確信しました」
「・・っの、馬鹿が!!」
 いきなり椎名の指が黒川の襟を掴み、引き倒す勢いで黒川は椎名の上に引っ張られる。
「ぅわ・・っ」
 そのままの勢いで、キスなんてものではなく歯をぶつけ合ってガチッと硬い音を立てながら、椎名と黒川はソファから転がり落ちた。
 絶対階下に響いただろう大きな音を立てながら転がった二人は、奇跡的にソファとテーブルの間に上手く落ちた。
「・・にすんですか、あんた」
 ぶつかった歯が痺れるような痛みを訴えて、黒川は涙目になりながら床に転がる椎名を見下ろす。
 椎名の目も、涙目だった。しかしそれは歯の痛みだけでは無さそうで、椎名は潤んだ目で黒川を睨み付けて無言でその頭を引き寄せた。
「ん・・」
 乞われるままに唇を合わせ、深く貪る。たった三週間しか離れていなかったのに、首に回る椎名の腕の拘束がやけに嬉しかった。
「大佐?」  一通り深く口付けてから間近でその顔を覗きこむと、椎名は積極的なキスを強請ってきたにもかかわらず不機嫌そうに吐き捨てた。
「死ぬのは許さない」
 涙が、椎名の瞳に透明な粒を作って浮かんでいた。今にも零れそうなその雫に、黒川は思わず舌を這わせた。塩の味がした。
「お前は俺だけを守ってればいい。でも、死ぬのは許さない」
 舐められて反射的に閉じた椎名の瞳のもう片方から、涙が筋を作って流れた。
 黒川は、頭の芯がくらくらしそうになった。日はまだ高く、これから傾き始めるような昼日中で、どうしてこの上司はこう扇情的なのだろう。
「大佐」
 相手にしか聞こえない音量で囁いて唇を寄せると、椎名は大人しく瞳を閉じた。そして口付けを繰り返す内に、椎名の身体に明確な変化が訪れたのを、密着させた身体で気付き、黒川は思わず口付けを中断した。
「・・・・うるさい」
 黒川が口を開くより先に、椎名が先回りして黒川の言葉を封じた。けれど、黒川は信じられないという思いが拭えない。
 まさかキスだけで椎名の身体が反応するなんて、今まで無かったことだ。
「仕方無いだろ、久々なんだから」
 珍しく頬を染めてぼそぼそとバツが悪そうに告げる椎名に、黒川はますます目を丸くした。
「あんた、三週間してないんですか?」
 すると椎名はふいと視線を逸らして何事か呟いた。
「え?聞こえな・・」
 いですと言おうとした言葉は掻き消され、椎名の怒鳴り声が響いた。
「三週間と二日だ、馬鹿野郎!!」
 そしてまた噛み付くようにキスをされて、黒川はそのまま上がっていく椎名の体温に合わせて、理性のリミッターを外した。

 床の上、しかもソファとテーブルの間という至極身動きのとりにくい場所で繋がって、何をしているんだと思わなくも無いが、この行為がいつもの「命令」で始まったものでない事に、黒川は何だかいつも以上に欲情した。
「・・あ、ん・・っ、あ」
 その上最中に椎名がキスを強請ってきて、高価そうな絨毯に汗が染み込むかもしれないとか椎名の身体に負担をかけるかもしれないとかそんなことはどうでも良くなって、ただ強請るキスに夢中で応えた。
 終えた後はやたらぐったりして、黒川はいつもならすぐに離す身体に体重を掛けた。途端に、忘れていた怪我がビリと痛んで思わずいて、と呟いた。
「大丈夫か?」
 無理させたか、と殊勝に呟く椎名に無理をさせたのはこっちだろうと黒川が笑うと、椎名は黒川の色黒の胸に巻かれた白い包帯に髪を擦り付けて、無理じゃないと呟いた。
 何なんだろう、この甘さは。
「あの、大佐・・」
 ゆっくり身体を離して椎名の顔を覗きこむと、椎名は汗ばんだ前髪を額に張り付かせたまま真摯な瞳で黒川を見上げた。
「柾輝」
 ゾクッと、黒川の中を何かが駆け抜けた。
「柾輝、もう命令はしない。でも、手放さない」
 欲しい時にはそこにいろとだけ告げて、椎名はゆっくりと身体を起こす。
 黒川は、言われた言葉が頭を駆け巡る割りに全く意味を伝えてくれなくて、いきなり外国人になった様な錯覚に陥った。
 椎名は乱れた服をそのままにソファに上って、呆然と眼を見開く黒川に向っていつもの余裕の笑みを浮かべた。
「お前は俺のものだろ?」
 何だか予想外の事が起こりすぎて咄嗟に応えられない黒川に、椎名は憮然とした表情になる。
「柾輝」
 今日初めて呼ばれた筈の自分の名前は、まるで以前からそう呼ばれていたかのように自然に耳に馴染んで、黒川は完全に白旗を揚げた。
「Yes,sir」
 そしてその綺麗な詰めの形をした爪先に、恭しく口付けた。

 黒川が隣で寝息を立て始めるのを聞いて、椎名はゆっくり身体を起こした。自分の爪跡の残る背中にそっと指を這わせて、そのぬくもりに酷く安心した。半ば無理矢理にでも、留めて良かったと溜息が漏れた。
 三週間と二日、しかも一時期は生死の合間を彷徨った晩もあって、それを越えた後からもいつ容態が悪化したとの連絡が入るかと気が気じゃなかった。
 もう誤魔化せないと鳴らない電話に安堵しつつも苛立ちつつ、どうしようもない位に黒川にはまっている自分に溜息が漏れた。
 命令して抱かせて、そして何も残さないで離れていく。その結果が今の状態なら、もう駄目だと思った。
 これで本当に黒川が死んでいたら?自分には何も残らない事に初めて気付いた。
「柾輝・・・」
 自分に聞かせる様に囁いて、椎名は柾輝の背中にぺたりと手の平を乗せる。
 愛なんて語らない。語ってしまったら、完全に部下として扱う事に迷いが出る時が来る。だからせめて、名前を呼ばせて欲しい、行為が果てても側に居て、まるで黒川も自分と同じことを望んでいるかのような錯覚に陥らせて欲しい。
 自分がこんなに弱いなんて、知らなかった。でも、前線で黒川を見た時から欲しいと思っていたのは事実で、こうなったのも仕方の無いことなのかもしれないと、椎名は自嘲気味に笑った。
 明日以降、こちらから求めずに黒川が求めてくることなどあるのだろうかと、考えても仕方の無いことを思っていると、黒川が寝返りを打ってこちらに腕を伸ばしてきた。
「大佐?眠れないんですか?」
 掠れ声で尋ねられ、椎名は頭を振る。すると、黒川は伸ばした腕を椎名の頭の下に敷いて、もう片方で椎名の体を抱きこんでしまった。
「おやすみなさい」
 そう言ってまた寝息を立て始める黒川の腕に巻かれた、椎名が巻き直した包帯の感触を素肌に感じて椎名は泣きたくなった。
 今度は、幸福だからかそうでないからかは、分からなかった。
 



end.









 ・・・・・・・え。終わってない・・・・・・・・・。
 通じ合ってないよ、二人とも!?肝心なトコで擦れ違ったままだよ!?えー!!???

 すいません、書いてる本人が一番取り乱してます。お、おかしいな、黒川さんの心情も椎名の心情も、互いに伝わってねぇ!!
 とりあえずもう椎名は命令して抱かれることはしない、てことしか変わってないがな!!!
 わーお、続編決定かい・・・・・。三つに分けておいてこれですか。
 すいません。

 お詫びといってはナンですが、この話にはとあるおまけが潜んでおります。お暇ならお探しくださいなv「その頃西は・・」て感じですか。