お兄さんに聞いてみよう2 生憎朝から顔を見せない太陽を恋しく思いながら、すっかり秋めいた葉を惜しげもなく揺り落とす校木の銀杏並木を潜り抜けながら、柾輝は校門に寄りかかるブレザー姿を目に留めた。 「水野?」 近所とは言えないが一時間以内には移動可能な距離にある高校の制服に身を包んだ彼は、呼ばれて弾かれたように爪先に落としていた視線を上げて、柾輝に向けて安堵の笑みを零した。 「黒川さん」 茶色い髪をしているがそれは地毛で、その学校での優等生振りを体現した様にきっちりとネクタイを締めている竜也にさん付けで呼ばれると、決して教師受けの良くない柾輝は何だか居心地の悪さを感じる。 さん付けしなくてもいいと何度言っても、年上を呼び捨てには出来ないと、本来なら柾輝と同じ学年であった筈の彼氏の頭を遠慮なくどついている竜也は譲らない。 「どうかしたのか」 シゲと柾輝は別高校にしては比較的仲の良い友人同士だが、柾輝と竜也は直接的に友人というには曖昧な間柄だった。 シゲの幼馴染で片思いの相手であった竜也は、夏休み終了頃にシゲの恋人になった。それまでもシゲを介して知ってはいたが、メールアドレスを知っているわけでもなく、シゲや翼が同席した場でしか会話したことの無い柾輝を竜也が待っているというのは聊か不自然さを感じた。 寒そうに肩を縮めながら、校門から身を起こして竜也は躊躇する様に首を傾げる。 「シゲと喧嘩でもしたとか?」 それでも頼るのなら翼の方が適当だろうと思いながら、竜也が自分を訪ねるのならシゲ絡みでしか有り得ない筈だと見当をつける。 「いや、そういうわけじゃなくて・・その、ちょっと相談が」 自分達を追い越して下校する生徒達が、竜也のブレザー姿を物珍しげにちらちらと見て行く。その視線に居心地悪そうに苦笑する竜也に、柾輝は場所を変えようと促した。 「マックでもいいか?」 小遣いの少ない自分はその辺が適当だと尋ねると、竜也はまたもや躊躇する様に言い淀んでそれが、と口を開く。 「人の居るところだと、ちょっと・・・」 まずいかもしれないと続けた竜也に、一体何があったのかと訝しがりながらも友人の恋人を無碍にも出来ず、柾輝は駅に向かって歩き出す。 「じゃあ、ちょっと遠いけどウチがいいな。大丈夫、今日翼バイトだから」 え、という表情をした竜也の心配事は、自分達以外がいる場はまずいという意味かと捉えて言い添えると、彼の肩から力が抜けたのが分かって柾輝は苦笑する。 これで竜也がシゲの恋人になっていなかったら、自分のいない間に他の男を連れ込んだと後で翼に殺されていただろうなと思うとぞっとしない。もし竜也が女であった場合も同じことだろうけれど。 多くの生徒が降りる駅を乗り過ごして、柾輝はいつもの駅で降りる。後ろに続く竜也は降りた事の無い駅なのか、珍しそうに辺りに視線を彷徨わせている。 「チャリで五分だから、待っててくれ」 言い残して駅に隣接するスーパーの駐輪場から無断駐輪している自転車を取って柾輝が戻ってくると、竜也はぼんやりと行き交う人々を眺めていた。 緩く結ばれた薄い唇に長い睫毛に縁取られた瞳、整った鼻梁。耳が垣間見える柔らかそうな髪が軽く吹いた風に煽られる。 翼ほど中性的ではないにしろ、十分人目を引く容貌をしているんだなと改めて思いつつ、柾輝は竜也の目の前に自転車を停めて後ろに乗るよう促した。 荷台は付いていないので立ち乗りをするために竜也が手を置いた肩は、貧弱ではないが鍛えてもいないシゲの肩よりもがっしりとしていて、違和感を感じる自分が可笑しかった。いつの間にか、自分の手の平に馴染むのはあの男だ。 「落ちるなよー」 見下ろす襟足の短い黒髪もどこか不自然で、竜也は短く頷いてから軽く揺れた自転車の上で首を上げた。短くなった日が、空を紺色に染めていく。 そのまま特に何を話すでもなく五分ほど自転車は駅前の賑やかな通りを抜け、一軒のアパートに着いた。柾輝が自転車を停めて鍵を掛けるのを見守ってから、階段を上るその背中に付いて二階に上がる。 一番奥の部屋の表札に黒川と椎名の名字を見つけ、竜也は何だかどきりとした。 「そっち翼の部屋だから、こっちな」 同棲しているとシゲに聞いていたので部屋が分かれている事に驚いた顔をした竜也に、自室の扉を開けながら柾輝は軽く笑う。 「テスト期間とかレポート提出近い時とか、お互いに一人で集中したい時あるから」 プライバシーが欲しいときもあるし、と付け足した柾輝に、竜也は恋人同士の住まいに上がりこむ緊張感が抜けていくのを感じた。 テレビでカップルが夫婦の様にして暮らす企画物を見てる時も、いつも不思議だったのだ。そんなに四六時中同じ空間に居て、嫌になが苦痛になることは無いのかと。 それを伯母に言ったら、冷たい子ねと返されて愕然とした。いくら好きな相手と一緒にいようと、自分だけの場所というのが欲しくなる竜也にとってそれはごく普通のことだったのに、まるで自分が冷血漢の様に感じられて酷く気に掛かった時期があった。 だから、恋人同士で住んでいようと互いのスペースを保っているようなこの部屋は、竜也を酷くリラックスさせた。 「悪いな、座るとこもろくに無いんだけど」 部屋の隅に鞄を放り出した柾輝が、一旦部屋を出てグレーの座布団を携えて戻って来た。それをありがたく受け取って床にそれを敷いて座る。柾輝は床に直に胡坐をかいて学ランの上着を脱ぎ捨てる。 「で、何があったって?」 前置しようにもそんな共通の話題が無いため、いきなり核心を付く羽目になった柾輝に、竜也は床にバラバラと散らばったCDや雑誌から目を上げて一度柾輝の顔を見て、再度俯いた。 そして木目に向かって零すようにぽつりと言葉が吐かれる。 「男同士のセックス、教えてもらおうかと思って」 「・・・・・・・・あぁ?」 言われた言葉の意味を一瞬掴みかね、もう一度頭の中で言われた言葉を反芻して柾輝は盛大に困惑顔をした。その表情が予想通りだったのか、竜也は照れ隠しの様に笑って肩をすくめた。 「最近、シゲが煩くて。そろそろ付き合って三ヶ月だし、今月末俺の誕生日だし、何か企んでそうなんで。その前に知識だけでも揃えておこうかなーと」 全く予想外のことを持ち出され柾輝の意識は一時フリーズし、それを何とか解凍してから頭痛でも押える様に額を押えた。 「待て、俺に聞くより翼の方が嬉々として教えてくれると思うぞ」 下ネタはパスとか真面目ぶる気は毛頭無いが、それでも大して親しくも無い相手―しかも友人の恋人―に性生活のレクチャーをするのはさすがに躊躇われ、そういった躊躇を感じるどころか嬉々として食いついてきそうな自分の恋人を思い起こした柾輝に、竜也もそうでしょうねとあっさり応える。 「でも、嬉々としすぎてからかわれるでしょ」 それもまた最もだったので肯定するしかなく、まだ初心者なのでからかわれるのはちょっとと続けた竜也に、柾輝は諦めたように深く嘆息した。 「そう言われてもな・・、俺だって翼にレクチャー受けてヤッた形だからなぁ・・」 記憶が正しければシゲが男を相手にしたことは無かった筈で、互いに男の経験が無い場合の事の進め方など自分では分からない。 そこまで考えて、柾輝はふと恐ろしい可能性に気付いた。 「俺に聞きに来るってことは、お前がヤる側なのか?」 あのシゲが組み敷かれる方なのかと思うと、想像してみて鳥肌が立つのを否めない。目の前の男と居る時にはやたらと情けなさが増長されている友人だが、普段は女にも苦労し無さそうな位のモテるタイプの男なのだ。決して竜也が女の様だとは言わないが、シゲの暴力性や裸体も見てきた仲としては、シゲが押し倒されてよがる様というのはどうも気持ちが悪い。 まさかという一抹の不安の覚えた柾輝に、竜也はあっさりとそういうわけでも、と否定する。 その言葉にほっとした柾輝だったが、続けられた言葉に今度こそ上体を僅かに引いた。 「ヤらせてくれって煩いんだけど、俺も女じゃないしなぁとは思うんですよね」 ということはあのシゲを抱きたいとか思うのか?と、それこそ当人同士の勝手ではあるが思わず止めておけと言いたくなった柾輝だが、それを言う前に竜也が続けた言葉にそれを飲み込んだ。 「かといって、あのシゲを抱きたいと思うかって言われると、別にって。抱いても柔らかくなさそうだし、可愛いなーとは思うけど」 最後の方は、おそらく恋人にしか分からない部分が多分にあるのだろうと聞き流す事にして、だったら何を聞きにきたんだと怪訝そうに視線をやると、竜也はだからと身を乗り出してきた。 「シゲが俺をヤる場合、何に気をつけさせればいいのかってのを聞きに。後は分かれば、俺が自分でしとかなきゃいけないことってあるんですかね」 「・・・・そういう話か」 要は、自分と翼がセックスをする際、自分が何に気をつけているかということで。どうしたって受身の方の負担が大きい男同士、しかも互いに男の経験無しとくれば、挿入する側が気を使うべき部分の方が多いはずで。 「あいつ、何か普段見てると暴走しそうで。だから、誰のためって俺の為に聞いておきたくて」 そう言った竜也に、シゲがあそこまで分別無く騒ぎ立てるのは相手が竜也の場合だけだと言おうかと思ったが、そんなことは恐らく承知だろうなと考え直しそこは口にせず、柾輝は仕方無く自分と翼の性生活の一端を竜也に披露する羽目になった。 自分の最初の頃は本当に余裕が無くて何度も翼に蹴り倒されたなぁということを感慨深げに思い出しながら、くれぐれも無茶はするなと言い添えて適当に話し終えると、真剣な顔をして話を聞いていた竜也は、全て脳内にインプットし終えるまで若干時間が掛かったのか間を置いて深く頷いた。 「ありがとうございました」 律儀に頭を下げる竜也に、自分の恥を晒す様な話しかしてないしと苦笑した柾輝は、真っ直ぐと伸びた背中が階段の下に消えるまで見送って、扉を閉めた。 何日か前に、翼からシゲが男同士のセックスの仕方を聞きに来たということを聞かされていた柾輝は、同じ様な行動に出るシゲと竜也に思わず口が綻ぶ。 シゲばかりが追いかけていると思っていたカップルだが、それ相応に竜也もシゲが好きなのだなと思うと、シゲの友人として嬉しい気持ちになった柾輝だった。 next
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