聖者は愚者とダンスを踊る









 桜上水高校の二学期終業式は、クリスマスイブの日だった。
 何故そんな日に学校に行かなければならないのだと憤慨したのは佐藤成樹で、別にどうでもいいと言いながらシゲの布団をまるで己の所有物の様な顔で引き上げたのは水野竜也。
「どうでもええってお前なあ!クリスマスイブやで!?恋人同士の一大イベント!なして学校で長ったらしい校長の話なんて、聞かなあかんねん!」
 季節は十二月、いくらシゲが健康優良児といえども、半裸でベッドの上に起き上がって寒くないはずが無い。大仰に啖呵を切って見せたものの、体温を根こそぎ奪っていくような夜気にすぐに背筋を震わせて、一人で布団にくるまる竜也の肩の辺りを叩いて、入れてと強請る。
 竜也は小さく嘆息してから僅かな温度を逃すのも惜しいとばかりに少しだけ布団を持ち上げ、指先や足先の冷えてしまったシゲを迎え入れる。
「うわ、つめて。お前もっと向こう行け。寒い」
 暑さにも弱いが寒さにより弱い竜也は、滑り込んできたシゲに対して邪険に手を振って向こうへ行けという仕草をする。
「お前、恋人に対してあんまりなんやないの、それ」
 殆ど服を着ていない状態で一つのベッドに潜り込み、ほんの数十分前のこと思い出してみれば確かに二人は室内の温度を二・三度は上げそうな密度で睦み合っていた筈なのに。この余りに男前な恋人の切り替えの速さはどうだろう、とシゲは眉を顰めながらも冷えた指先で竜也に触れないように注意を払う。
「この寒いのにわざわざ起き上がるからだろ、馬鹿が」
 迷うようにシーツの上をごそごそと這い回るシゲの手を取って、竜也は体温が高いとは言えない手でシゲのそれを包む。
 突き放すような口調や冷たい声音で対応されても、彼のその仕草が何より確実にシゲを暖めてくれて、シゲは指先を擦っていく彼の細い繊細な指を暗がりで眺めていた。
「で?」
 一分も経たない内にシゲの手は解放されてしまったけれど、離れていこうとする竜也の指を絡めとっても彼は何も言わずに身体を横向きにしてシゲの瞳を覗きこんできた。
「で?て・・?」
 暗さに慣れた瞳が、くるりと瞬いたシゲの瞳を捉えて竜也は軽く嘆息する。今さっき騒いだのは自分のくせに、どうしてこの男はすぐにそれを忘れるのだろう。
 以前、まだこの男が年齢どおりに自分の一つ上の学年にいた頃は、ただただ頭の切れそうな一筋縄ではいかなそうな不良になったものだと、疎遠になってしまった安堵とも寂しさとも言えない感情でもって見ていたというのに。
 それがどうだ、高校二年になって何故だか留年していた彼と偶然同じクラスになってまた幼い頃の様に親しくするようになり、更には何だか分らない内に懸想されていつの間にかこうして半裸状態で一つのベッドに共寝するような関係にまでなってしまってからは、目の前の男はただのお気楽極楽太平楽な人物になってしまった。
 彼の昔からの友人によれば、まるで飼い慣らされた子犬状態なのは自分の前でだけで、本質は元の通り一筋縄ではいかない狡猾な不良らしいが、自分がいない時の彼を客観的に見る機会が無いので、それはどの程度真実なのか竜也には皆目見当が付かない。
 それでも、家の飼い犬を思い出させるように真っ直ぐに懐いてくる様は、まあ、可愛いと言えなくも無いと竜也はシゲの痛んだ金髪に指を伸ばした。
「クリスマスイブが終業式で、何か問題でもあんのかよ」
 竜也の言葉にシゲは自分が先ほど騒いだ原因を思い出して、また身体を起こそうとする。それを視線一つで留まらせてから、竜也はもう一度促すように、で?と繰り返した。
 一度だけ試して失敗したベッドでの情事で、既に己が受け入れる立場らしいということは竜也も納得済みであったが、それだからといって普段の二人の力関係がシゲの方に分があるということは無い。寧ろシゲは竜也の男らしいところに惚れているので、視線一つで黙らされても、あぁ男前だなあ程度にしか思わない。
 なので、今もシゲは僅かに迷うように視線を泳がせてから、照れたように苦笑しながらやってなぁと呟く。
「クリスマスイブやで?恋人と丸一日過ごしたいやんか」
 これまた何とも乙女な発言だ。竜也は半ば呆れてシゲの顔をまじまじと見やるが、彼は目元を緩ませて微笑んでいる。
 そういう、好きな相手に対しての要望や願望が素直なシゲに、竜也は時折酷く照れ臭くなる。だから、
「学校に行っても、別にクラスが同じなんだから一緒にいるだろ」
 そんな風に突き放すような言い方をしてしまうことが多々あるのだが、シゲがそれに対して怒りを露にしたことはまだ無い。
「あんなぁ・・・」
 ただ少し寂しそうに困ったように笑うので、いきなり我侭を爆発させることの無いそういう所は年上らしいなと竜也は漠然と思う。
「冗談だよ」
 好きだ一緒にいたいと言われて、自分だって同じ想いで付き合っているつもりなのだから嬉しくない筈は無い。ただ、ストレートに表現するにはいささか恥かしくて、どうしても一度はシゲのその素直さをかわしてからでないと受け入れきれないのだ。
「昼までで終わるんだから、その後遊べばいいじゃん。ついでに聞くけど、その日はおばさん休みなのか?」
 もうすぐで日付も変わろうという時間になっても、まだシゲの母親は帰宅していない。夜の仕事というわけではないが、一人で小料理屋を経営している彼女は忙しく、また夜には酒も出しているので帰りはいつも遅い。
「んー、多分仕事。泊まってく?」
 世間の休日や祭日も無関係とばかりに必死に働いて、女で一つで自分を育ててくれる母に申し訳ないとは思いつつ、親がその様な仕事だからこそ、竜也がこうして頻繁に泊まりに来てくれるのだとシゲは嬉しくなってしまう。所詮、恋人が出来た時点で高校生の優先順位など親を軽く超えて恋人を置いてしまうのだ。
「ん、そうしようかな」
 必死で働いているだろう恋人の母親を思うと何だか申し訳なくなるのは竜也も一緒だが、周囲で親が家にいるのでおいそれと彼女といちゃつけもしないと零している友人達の話を聞いていると、自分は恵まれているとやはいr思わずにはいられない。
「じゃあ、学校終わったらデートして、夜はエッチしよな」
 余りにもストレートなその提案に竜也が眉をしかめると、シゲは明日からの篭もった目で見返してくる。
「せやかて、もう一月近く経つんやで?そろそろ大丈夫やろ?」
 何が、とは聞かなくても分る。所謂本番、というやつだ。先月竜也の誕生日にチャレンジしたそれは、お互いに勉強不足経験不足で上手くいかずに、失敗に終わった。けれどそれで諦めてしまえるほどまだ枯れてはいない二人だったので、こうして時間が許す時には触れ合ったりじゃれ合ったりしている。
「あー、まあー・・・・」
 多分、最初の頃よりは今の方がシゲを受け入れられる確率は高いだろうと冷静に判断した竜也に、シゲはそうやろ、と嬉しそうに瞳を輝かせた。
「やってもう、たつぼん三本も入・・・っ」
 いくら二人きりとはいえ、生々しい下の話はごめんだとばかりにシゲの頬を張り倒し、竜也はシゲの身体から布団を奪うようにして寝返りを打つ。
「下世話な男は嫌いなんだ」
「すいませんっした」
 向けられた白い背中できっぱりと言い放たれ、シゲは間髪入れずに謝罪した。
 きっとこんな様子のシゲを友人達が見たら、竜也とはまた違う幼友達の直樹辺りは目に涙を浮かべて”変わったな”と言っただろう。
 けれどシゲはそんな竜也には弱い自分も気に入っていたし、本当に根本的に自分が変わってしまったとも思っていなかった。
 ただ、竜也のことが好きなだけだ。だから、竜也に呆れられない様に気を付けたいだけ。
「あーあ、俺って本当にたつぼん馬鹿やわ」
 独り言の様に呟いて、白い背中に摺り寄せた頬が拒否されることは無かった。


 放課後、人もまばらな図書室でシゲはカウンターの前にしゃがみこんで竜也を睨み上げていた。
「なーしーてー」
 昼休みにシゲと昼食を摂る為に、竜也は昼の図書委員の仕事を代わってもらう事が多い。その代償に放課後の担当になることが増えたが、殆ど利用者のいない放課後に一人でカウンターで本を読んでいられることは嬉しかったし、またシゲが竜也を待って図書室に来るので、静かな中で彼と二人でいられることも悪くは無かった。
 ただし、シゲ自身は本来図書室の雰囲気が苦手だったので、図書室に来ても窓辺の方で寝ていることが多かったが。
 そのシゲが、今は竜也のすぐ傍で憮然とした表情を浮かべている。竜也は新刊本から目を離さず、小声で素っ気無く仕方無いだろうと返した。
「笠井に出るだろって言われたんだよ、仕方無ぇじゃん」
 竜也は今しがた、シゲに終業式の日にクラスで催されるクリスマスパーティーに出席することにしたと告げていた。
 全員強制参加ではなかったが、彼氏彼女がいないと思われている人間は半強制参加だ。ここで竜也が”出られない”と告げれば、例え本当にその理由が面倒臭いというものだったとしても、休み明けには竜也には彼女がいると噂になっていることだろう。
「えぇやん、そんなの。サボれば」
 逆にシゲは、そんなものに出る気はサラサラないし、出なかったとしても誰も何も言わないだろう。シゲはクラスで浮いているというほどではなかったが、どこか一歩引いた位置に皆が考えていることは確かだった。シゲだけではなく、シゲが普段つるんんでいる直樹やその周辺に対しては皆そうだろう。
「そりゃ、お前はそうだろうけどな」
 竜也はちらりとシゲを一瞥してから、また本へと視線を戻してしまう。
「俺は、そういうわけにはいかないんだよ。クラスの付き合いってもんだって、あるだろ」
 シゲと竜也は付き合っているし、昼食も一緒に食べるし、普段の学校生活でも普通のクラスメイトとしても仲は良いほうに見られている。しかしそれでも竜也はシゲたちのグループではないし、シゲと付き合う前からの友人である笠井との方が一緒にいることが多い。
 故に、彼らとの遊びをおいそれと断るわけにはいかない。もしシゲが女で彼女なら、それを理由にはっきり言ってしまっても構わないが、シゲは男で彼氏だ。おいそれとばらすわけにはいかない。
「そうなんやろうけどな・・・」
 自分達の関係は内密にしなければならないことだと、シゲだって理解している。時折竜也に”好きだ””愛してる”などと叫ぶことはあるけれど、それだって周りが”あぁ冗談なんだな”と思える軽さでだ。
 それでも別に構わないと思ってきたし、自分達のことを理解してくれる友人もいるので気にしたことは無かったが、
やはりこういう時に堂々と胸を張って宣言できないのは、結構辛いものだなとシゲは染みの付いた絨毯を見下ろして深くため息を吐いた。
 その様子にページに指を挟んで顔を上げた竜也は、肩を落とすシゲに苦笑してカウンターから覗く金髪に手を伸ばした。
「少し顔出したら、すぐ抜けるから。二時位に連絡する、そしたら結構遊べるだろ?」
 だからそうあからさまに凹むなよと笑う竜也の瞳に、ほんの少しの翳りを見つけてシゲもまた顔を上げて緩く笑った。
「せやね・・・夜も遊べるしな」
 人が少ないとはいえ皆無ではないことを胸中で言い聞かせながら、竜也はシゲの髪から指を引き抜く。それを捕まえてその形の良い爪に口付けたくなる衝動を押さえながら、シゲも含ませた口調で笑う。
 瞬時に意味を理解した竜也は微かに目元を赤らめながらも、下手に言い返すわけにもいかずにただ小説に目を戻した。
 シゲはそんな微かな変化でも、自分が確かに竜也と通じているものがあると胸を満たし、立ち上がって軽く伸びをして踵を返した。
「シゲ、寝るなら携帯の音切れよ」
「いえっさー」
 言いながらシゲが制服の後ろポケットから携帯を取り出し、何かしらの操作をするのを見届けて、竜也は安心してまた小説に意識を戻した。
 


next





 時期は一応、付き合ってる時期です。ていうか、ネタがクリスマスって、クリスマスまでかかりますよと宣言しているようなものだ・・・(爆。

注:十万ヒットお礼として、クリスマスより遥かに早く書き出したものです。