18.「幸せの還る場所」(2) 目の前の男の顔色が瞬時に真っ赤になってから真っ青になったのを、翼は浮かれた気分で見やっていた。勿論、書状を突き出した姿にその様な様子は微塵も感じられなかったけれど。 「どういう、ことだ・・!」 「そのままの意味ですよ、叔父上。叔父上の領地は、今後西園寺玲の管轄下に入ります。事実上の領主が西園寺玲になるということで」 翼の持っている書状は正式に国王の判が押されているものだったが、普通領地の改易や減俸は領主に多大な問題がある時に行われることであって、この様な身に覚えの無い時期に突然行われることは無い筈だった。 武蔵野祭も無事に終わり、そろそろ一ヶ月が経とうとしている初夏の穏かなこの季節に、この様な爆弾が隠されているとは誰が予想できただろう。 「貴様、何をした・・!!?」 それでも、国王の判入りの書状を持ってこられては従うほか無く―逆らえば反逆罪だ―、ギリリと歯軋りをして睨みつけてくる叔父に翼は肩をすくめて見せる。 「地獄の沙汰も金次第ですね、叔父上」 その一言でこの甥がどんな手段を使ったのか叔父には察せたが、それにしても彼の領地はたった一つの小さな間町であり余分な金など残っていない筈だった。 「ところで叔父上、さすがに良い絵をお持ちでしたね。本物を集める事に奔走して居ただけありますよ。その割にご自分の目は鍛えられなかった様ですが」 「な、に・・?」 その言葉と共に目を細めて壁に掛けられた無数の絵画を眺める翼につられて周囲の絵を見渡した叔父は、ある可能性に思い至った様で顔色がますます青ざめた。 「まさか・・!!」 これ以上血の気を失ったら倒れるんじゃないかという位顔色を失った叔父に一瞥を与えて、翼は軽快な足取りで踵を返した。 「あんたがしたことをそのまま返しただけだ。親父のコレクションを売っ払って金に換えたあんたとな。あんたの絵はいい金になったよ、役人を買収してもまだ余った。そういうわけで、あんたの領主任期は終わりだよ、ご苦労さん」 そしてヒラリと書状を落として、翼は振り返らずに叔父の部屋を後にした。 残された元領主は、ヒラヒラと不規則に床に落ちていく書状を目で追いながら、つい半年前に弟の領地があの甥の領地に実質上吸収されたことを思い出した。 あの時は、あの弟が博打好きに付け込まれて愚かにも失脚したのだと思い、馬鹿な男だと笑ったが、あれは単に弟が失敗したのをあの甥が偶々付け込んできたのではなく、初めから仕組まれたことだったのだとしたら。 今更ながらに気付いた可能性に、元領主はこの世の終わりの様に視界がブラックアウトするのを感じた。 「柾輝」 馬車に寄りかかっていた柾輝が、翼の声で身体を起こし顔を上げた。 「終わったのか?」 馬車に乗り込もうとはせずに柾輝の前で立ち止まった翼に、柾輝は静かに尋ねた。翼は柾輝を見上げ、静かに短く、 「うん」 とだけ答えた。 そう、泣き出しそうな顔で笑いながら言うので、柾輝は思わず翼の頭を胸に抱きこんだ。 勿論馬車の側には執事も居たけれど、優秀な彼は主人が何か命じない限りはその場に居ない人間として振舞っていた。 「お前が居て、良かった」 回される柾輝の腕にしがみ付いて翼がくぐもった声で告げると、柾輝は一瞬瞠目して、そしてすぐに破顔した。 「あぁ、今度は信じるよ。・・・・お疲れさん、頑張ったな」 そして柾輝が髪を梳いてやると、普段なら嫌がりそうなその言葉と行動にも翼は無抵抗で、あまつさえ柾輝の胸から顔を上げて、キスを強請った。 深く重ねられる柾輝の唇に、翼は静かに熱く「勝ったんだ」と思う。父親が亡くなってから、いつか領地を全て取り返すのだと誓った。その為に必死で勉学に励み、人材を捜して柾輝を巻き込み、他人を傷付けて利用し、シゲと水野の間を引っ掻き回すような真似すらした。それでも、ようやくここまできた。 頬を撫でる柾輝の指先に自分のそれを重ねながら、翼はその頬に笑みを刻む。 これからも問題と仕事は山積みだけれど、今はただ、抱き締めて温かみをくれる柾輝の存在だけがあればいいと思った。 「柾輝、サンキューな」 「自分で選んであんたの側に居るんだ、俺は」 翼の冬が、ようやく明ける。 そろそろ夜に窓を開け放して眠らないと寝苦しくなってきた夏の夜。日付が変わる頃に、シゲの部屋に竜也が怒鳴り込んできた。 「シゲ!お前、また贋作売っただろ!!」 二階下の酒場での仕事帰り、そのまま上がってきて自分の部屋にも寄らず怒鳴り込んできた竜也に、ベッドの上に寝転んでホームズを撫でながらくつろいでいたシゲは身体を起こす。 「何やねん、やぶからぼうに」 竜也は武蔵野森を出てから働き口は元に戻ったが、住む所は変わった。店の上部のアパート、つまりはシゲと同じところに住み始めた。元々シゲと柾輝の間の一部屋が空いていたので、そこに住む事にしたのだ。 戻って来たきたことを告げた時に風祭は当然また下宿をしないかと勧めてくれたが、達也よりもシゲが強固に辞退して、竜也はシゲの隣部屋に住むはめになった。 竜也はシゲが何故そう強固に反対するのか全く分かっていなかったが、それでも一応恋人となった相手の意見は聞いておこうと、風祭に悪いと思いながらも断ったのだ。 「画廊の店主さんが来て、教えてくれた」 「あんのおっさん・・」 竜也が町に戻ってきてから、何かと酒場に顔を出しては竜也に話しかけていく画廊の主人を苦々しく思いながら、シゲはベッドの脇に置いておいた新聞を取り上げた。 「それよりたつぼん、新聞見た?武蔵野森のあるとこの領主、辞めたんやってな」 差し出された新聞を仏性面で受け取りながら、竜也は知ってると呟いた。 「そんでもって、知っとった?今回の領主のとこと、半年くらい前に博打の資金のために課税してたんがバレて領地没収になったとこ、元々翼の親父さんが一人で治めてた領地やったんやて。また翼んトコに吸収されたようなもんやし、元に戻ったって話らしいで」 「へぇ・・・」 そんな事情があったとは全く知らなかった。では、この為に翼は色々と奔走していたのだろうか。 「まぁ、どうでもええ話やけどな」 シゲにとっては、翼が何をしたくて自分を巻き込んだかなどもうどうでも良かった。そしてそれには竜也も同感らしく、 「そうだな、翼さんには翼さんの事情があるよな。で、シゲ、話逸らしてんじゃねぇぞ?」 新聞を綺麗に畳み直してから、竜也はシゲににっこり笑いかけた。 「ちっ・・・」 「お前、今月ノルマ三枚だからな」 シゲは相変わらず贋作で稼ぎ、竜也はヴァイオリンとピアノを並行して演奏して稼いでいる。そして二人は、この町に帰る前に約束をしたのだ。 シゲの贋作描きに、竜也は余程のことが無い限りは口出ししない。けれど、シゲが贋作を一枚描く毎に一枚オリジナルで絵を描くこと。それが二人の間で交わした約束だった。 そのオリジナルは画廊に持って行くこともあれば竜也の手元に残ることもあるけれど、大抵は竜也のリクエストを描く羽目になった。 「へいへい、今度は何?」 話を逸らす事に失敗したシゲは、ふて腐れたようにリクエストを受け付ける。竜也は暫く考えた後で、ホームズがいいと答えた。 「またかい。たまにはたつぼん描かせてーな」 シゲの膝の上から下りて伸びをしたホームズを視界の端に捕らえながら、三度に二度はホームズをリクエストする竜也を呆れて見上げる。 竜也はホームズを抱き上げながら、絶対嫌だときっぱり言い放った。 「自分の絵なんて貰いたかねぇよ」 竜也が強固にそう言い張るから、シゲのスケッチブックには竜也のラフ画だけがたまっていく。既にその数はスケッチブック一冊分に到達しそうなことを竜也は知らないし、知ったら真っ赤になって照れ隠しに怒るだろう。 「ちぇー、つまらん。ま、希望ポーズがありましたら承りますんでー」 「うん」 ホームズの絵なら何枚あってもいいんだと、飼い主馬鹿な発現をする竜也に向かってシゲが腕を伸ばすと、片手でホームズを支えながら竜也がその腕を取る。 「たつぼん、何か忘れてへん?」 軽く腕を揺らしながら強請るように言うと、竜也はホームズの背中を落ちないようにさせてやりながら、口元に笑みを浮かべて上体を屈めた。 そして首を伸ばすシゲの唇に軽く口付けて、間近で二人は微笑み合った。 「ただいま」 「お帰り」 これからだって、二人の意見が食い違っている部分はどこかで亀裂を生じさせるかもしれないし、それについて大喧嘩だってするかもしれないけれど、きっとその度に泣きながら怒りながら、そしてどうしようもなくぐちゃぐちゃになりながらでも、それでも、こうすることを望むだろうと二人は微笑み合いながら互いの髪に触れた。 ここが。 自分たちの「ただいま」と「お帰りなさい」の場所。 end. 終わりました。 もうこの場ではそれしか言う事はありません。彼らはそれぞれ「還る場所」を見つけました。 この話は、私がこのサイトで書いてきた中で一番長い話ですので、個人的に思うことが色々あります。なので、別ページに「あとがき」を書かせて頂きました。 どうぞ皆様、最後の最後までお付き合い頂ければ幸いです。 |