7.前領主のご子息。(2) 翼が珍しくシゲを呑みに誘った次の日。つまりは約束の日の昼間。柾輝は場違いな上等な服を着て、きらびやかな装飾品で彩られた応接間に居た。 「玲、やらせてくれって!」 翼は、窓際に立つスレンダーな女性に向かって声を張り上げている。彼女は溜息を一つ吐いて振り返る。 「翼、あなたの気持ちは分かるわ、でも、彼らをはめて領地を奪うなんて・・」 「奪ったのはあいつらだ!」 諭すような玲の言葉を遮って、翼は何かを振り払うように腕を激しく振り下ろした。 「親父の死んだあの時からずっと!奪っているのはあいつらだ!!」 そして翼は一息ついて、玲に机の上を示す。 「この書類が何を示すかわかるだろ?あいつらが治めて土地が良くなってるなら、領民が幸福なら俺だって何も言わない。この町だけでも俺は構わない。でも、違う。あいつらは自分の生活のために領民が存在してると思ってる!税金を使ってあいつらは遊びほうけてる!!」 普段冷静な翼の激昂振りに、柾輝は思わず喉を鳴らす。話を持ちかけられた時は、単におもしろそうだなと思ってゲーム感覚で請け負ったのだが、今更になって翼がどれだけ真剣か目の当たりにした。 「領主のために領地と領民がいるんじゃない、領地と領民のために領主が居るんだって、親父も玲もそう言ってただろう!俺は嫌だ!これ以上あの馬鹿たちに土地を奪われたままなんて、冗談じゃねぇ!!」 今更事の重大さを実感して、柾輝はびびるどころか逆に高揚してくるのを感じた。この少年、この綺麗な少年は、どこまでやれるだろう?本当に、一回り以上違う大人を相手に、領地を奪うなんて事が出来るだろうか?そして、自分はそれにどこまで加担して成功させられるだろうか? 面白い。 初めて話を聞いただけの時よりも、倍以上に面白さを感じた。 「玲、やらせてくれよ。証拠ならある。そいつが手に入れて来た」 そこで初めて玲は柾輝に目をやった。最近翼が彼とつるんでいるのは知っていた。人を使って素性を調べさせもした。それによると、彼は公園で手品をして稼いでいる大道芸人でしかない筈だった。 「彼が何を手に入れたのかしら?」 「指輪」 柾輝は短く言って、玲のほうに指輪を投げた。玲は片手でそれを器用に受け取って、目を見張る。 「これ・・・!」 「家紋入りの指輪。賭博場で手に入れた。奴が賭博にのめりこんでる話は裏が取れてる。証人も確保してる。そして、用途不明の課税の書類。子供が騒ぎ立てるだけだ。こんなもんで十分だろ?それでもしらばっくれられるほどの度量がある奴なら、最初からこんな罠にはまらない」 玲の反応に気を良くした翼が、にっと笑う。玲は翼と柾輝を交互に見比べて、そして遂に諦めたように指輪を柾輝に投げ返した。 「分かったわ・・・」 「やりっ!サンキュ、玲!柾輝、行くぞ!!」 翼が指を鳴らして喜んで、机の上の書類をかき集めて駆け出していく。 その後を追おうとした柾輝に、玲が 「ただの手品師じゃないわけね?」 柾輝は肩越しに振り返って、口端を僅かに持ち上げる。 「手品も賭場も同じようなもんさ。種のあるイカサマをうまくやれる奴が成功する」 玲は軽く手を振って、“行け”と示した。 柾輝が扉を閉じる瞬間、玲の呟きが聞こえた。 「あの子をよろしくね」 靴音を吸収する長い絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、柾輝は指輪を握り締めた。 玲は机に向かって、目を通さねばならない書類を取り出しながら、前髪を書き上げた。その口元には、笑み。 「ですから、権利書で手を打ちましょうと言っているんですよ」 可愛らしい顔と朗らかな声で、少年はそう言った。 少年の向かいに座った男は、薄くなった額に脂汗を浮かべて薄笑いを浮かべた。 「何の話だ」 「叔父様、しらを切るのはやめてくださいませんか?貴方はこの男に見覚えがある筈でしょう?そして、この指輪にも」 男が息を呑むのが分かった。柾輝の存在だけなら、しらばっくれられたかもしれないが、実物を持ち出されては言い逃れも難しい。 「貴方の家紋ですよね?あぁ、認めてくださらなくても結構ですよ。鑑定して貰えば済む話です。この屋敷の扉にでかでかと描かれている家紋と同一のものなのかどうか、町の誰に聞いてもわかるでしょうね?でも皆さん不思議に思うでしょうね?僕のような子供が、どこでこの指輪を手に入れたんだって」 男は少年の言外の言葉を悟ったらしい、取り出したハンカチを震える手で額に当てた。 その指輪は、柾輝の暮らしている町の賭場で、柾輝が目の前の男から巻き上げたものだった。 「ねぇ、叔父様。最近こちらでは課税がなされたそうですね。国からの税率は変わっていないのに。その割には、この町の貧しい人々は豊かになったわけでもなさそうですし、道路が整備されたようでもないですね。ここに来るまでの馬車は、酷く揺れましたよ。課税されて増えた叔父様の収入は、何に使われたのですか?」 「子供には関係の無い話・・・」 「十五歳」 男を遮るようにして発せられた少年の言葉に、男は何のことか分からずに言葉に詰まる。少年はそこを見逃さずに畳み掛けるようにして言い募った。 「父が、つまりは貴方の兄がこの領地を治め始めた年ですよ。覚えているでよう?父は優秀な領主でしたよ、息子の贔屓目を抜きにしてもね。勿論、周囲の協力があってこその話でしたけれど。 僕はもうその年を越えます。父を間近で見てきたはずの貴方に、僕の年齢のことをとやかく言われたくは無いですね。大体・・」 そこで少年の瞳の色が変わった。 「そのガキにまんまと裏をかかれて、家紋入りの指輪で脅されるような間抜けが、がたがた言わないでくれる?」 突然それまでの丁寧な言葉遣いを一変させた少年に、男は目を見張り、柾輝は内心肩をすくめた。 「あんたは黙って、自分の領地権を僕に譲るって一筆書けばいいんだよ。何もここから追い出そうって言ってんじゃないさ。以前の通りに戻るだけだよ。最高権力が父から僕になるだけ。 あんたはやることなすこと一々僕にお伺いを立てればいいだけだ。税金を上げるのも、それを使って賭場通いするのも、全部僕に許可を求めてくれればいいだけだよ。前もやってただろ?親父が生きていた頃はさ」 目の前の男の顔が見る見るうちに赤くなっていくのが分かったが、彼に口を開く間を少年は与えない。 「別にいいんだよ?嫌ならさ。この家紋入りの指輪とこの男を国に差し出すだけだ。今の国王様は優秀だって有名だからね。あんたが税金を使って賭場通いした挙句に、大損をしまくってたって話をお聞かせしたら、どうなるのかな?」 途端に男の顔が一瞬で青くなった。そして身を沈めている上等のソファがギシリと大きな音を立てる。少年は口端を吊り上げて片足を組んだ。 「当然領地は没収か削減。その分の権利は、本家であるこちらに戻ってくる可能性が高い。だけど、ここであんたが僕に権利を譲るって言ってくれるのとは違って、あんたは駄目領主の判を押されて領民にもさぞかし恨まれるだろうねぇ。 僕はどちらでもいいよ?ただ、あんたが自分から譲ってくれる方が何かと手順が楽だからさ。あんただって、領民をむやみに傷つけずに済むんじゃない?」 男の返事を聞く前に、柾輝は少年の勝利を確信した。 一度聞かされただけの複雑な道のりを翼は性格に辿り、迷う事無く学長室にたどり着いた。軽くノックをすると、すぐに返事が返ってきて、翼と柾輝は静かに扉をくぐった。 「おお、君が・・・」 人の良さそうなロマンスグレーの男が翼に握手を求める。翼は満面の笑みでそれに応え、愛想の良い声で挨拶する。 「初めまして、椎名翼です。今回は玲の代理で伺わせていただきましたが、若輩者を向かわせられたと言って、お怒りにならないでいただけると良いのですが」 学長はその翼の慇懃な態度が気に入ったらしく、一層目を細めた。 「いやいや、前領主様の息子さんだろう、君は。では将来の領主様ではないか。今の方が代理ではなかったかな?従姉だと聞いているが?」 学長は、翼と柾輝に椅子を勧めてくれる。翼はゆったりとした皮のソファに腰を下ろし、柾輝もその隣にゆっくりと身を沈めた。 「いえ、彼女は正確には“はとこ”なのですが。僕よりもよっぽど領民に信頼があります。僕などまだまだ子供で・・・。ですから彼女は、僕にいろいろなことを経験させようとしてくれます。 そのまま彼女を領主にと望む声もあるのに、早く僕が領主の重責を負えるようにと、世話をしてくれます。本当に彼女には感謝しているんです・・・」 柾輝は思わず天井を仰ぎたくなった。余りにも殊勝な翼の態度に笑いそうになったからだ。 それを何とか俯くことで堪えていると、そんな柾輝に気付いたのか、翼は学長に笑みを向けたまま柾輝の足を思い切り踏む。 「その上、今うちの領地とその隣の領地で少々問題が発生しておりますので、彼女も更に忙しくて・・・」 翼が苦笑すると、学長は痛ましそうに眉をひそめた。 「あぁ、領主が博打に手を出して、あまつさえその資金に領民からの税金を使っていたと言うのだろう?全くけしからん話だ」 「あそこの領主は亡くなった父の弟で、父が亡くなった後に僕が余りにも幼く、更には代理の玲が女でしたから、少しでも僕らの負担を減らそうと、それまで父が一人で治めていた一部を請け負ってください、治めてくれていたのですが、まさかこんなことになるなんて・・。僕がもっとしっかりした大人だったら・・。 こんな身内のごたごたを王様にまでさらすことになってしまって、本当に残念でなりません・・」 心から残念そうに翼が深く溜息をつくと、学長はますます同情してくれたようだった。目尻に光るものさえ浮かべて、二人に最高級の紅茶までご馳走してくれた。 それを一口飲んで、翼はまたもや大げさに溜息を吐く。 「それに比べて、ここを収めている叔父は、本当に優秀な方で。彼もまた僕らのためにこの辺りの土地を治めてくれているのですが、彼こそは本当に信頼できる方ですね」 それを聞いて学長は、にっこりと笑った。 「そうなんだよ。彼も君の叔父上だったね?君のお父様が亡くなって、領地が実質分割された時はどうなることかと思ったが、彼は実に良い領主様だ。それまで君の父上が協力してくださっていた、武蔵野祭にも快く協力してくださる上に、毎年ご自分の屋敷を会場として解放しても下さるし」 しみじみと瞳を閉じて紅茶をすする学長の前で、翼の瞳が輝いたが、その無邪気とは言えない輝きに学長は幸か不幸か全く気付かない。 「その武蔵野祭のことで。毎年三領地での協力の下やっていたわけですが、今回はあのような問題が起きてしまいまして、ひと段落着くまであそこの領地権はウチの領地に委ねられることになりましたので、今年はあちらの領主が不在の状態になってしまうのですが、二つの領地分の協力は勿論させて頂きますので、今年もどうぞ成功させてください」 「おや、あそこには跡取りがいなかったかな?」 翼は紅茶のカップをソーサーに戻して、俯いた。 「息子が居たのですが、彼もまた父親と同じように博打に手を染めていまして・・。彼に恨まれることにはなるでしょうが、領民の暮らしを考えれば、彼に治権を委ねるのは・・・。 僕は父を尊敬しております。自分の利益よりも領民を優先した父のようになりたい。ですから、領民の暮らしがより良くなるのであれば、自分が領主になれなくても良いのです、本当は。でも、彼に任せるのは不安で・・」 翼はそして細かく肩を震わせる。その長い前髪に隠れた口元が弧を描いているのが柾輝には見えたが、正面に居る学長にそれが見えるわけが無い。 彼は柾輝の予想通りに、身を乗り出して翼の手を強く握った。 「素晴らしい!何て素晴らしいんだ君は!きっと父上のように素晴らしい領主になるだろう!!そのためには私も協力は惜しまない!頑張りたまえ!」 翼は一瞬ほうけたように学長を見つめ、そしてふいに瞳を潤ませた。 「ありがとうございます・・・!こんな素晴らしい学園で、僕ら若者の才能を伸ばしてくださる運営をなさっている学長に、そう言って頂けるなんて・・・!」 後はもう、すっかり感動しきった学長と翼が延々と歯の浮くような会話を続ける。柾輝は終始無言で、噴出さないようにするのが精一杯だった。 「いいね、音楽家ってのは気分屋で単純で感動屋だよ、実にね」 翼は武蔵野森学園を後にする馬車の中で、あざとい笑みを浮かべながらご機嫌だった。 「詐欺師・・」 柾輝は翼の向かいに座りながら、呆れた声音で呟く。翼は気にする風も無く笑う。 「イカサマ師に言われたくないね。ハメて指輪巻き上げたのはお前だろ?まぁ、命じたのは俺だけど」 けらけらと笑う翼だったが、ふいに真剣な顔に戻ったかと思うとカーテンを持ち上げて外を見る。冬のコートを着た人々が行き交う町並みを見つめて、翼はぽつりと呟いた。 「親父が死んだ時、奴らは笑って言った。“君は幼く玲くんは女だ。兄上が治めていた分全てでは手に余るだろうから、我々が協力しようじゃないか”。そして奪われた。今俺の手元にある土地は、親父の時の五分の一も無い一番貧しい町一つ。奴らが持って行った土地は、親父の時より確実に治安が悪化してる」 翼はカーテンを戻して、柾輝に向き直る。その射るような視線が柾輝は好きだった。 「もう俺はガキじゃ無い。親父が領地を継いだ年になった。取り戻すさ、何をしたって。だから柾輝、協力しろよ。元々流れてたお前に、ずっと俺の側に居ろなんて言わない。だけど事が終わるまで、武蔵野祭までには片を付けるから、それまでは側に居ろ。常にだ」 その瞳の強さに柾輝は目を細め、口元を歪ませる。そして騎士が傅(かしず)くように、胸に手を当てて頭を下げる。 「どこまでもお供しますよ」 いっそのことずっと側に居ることを命じられたいと思いながら。 next
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