幸せの還る場所。(in the cheap bar)







9.陽だまりの日。(2)


 竜也とシゲは、建物を出るまで無言だった。
「うわ、寒・・・っ」
 共同玄関を出た途端に吹き付けた風に、竜也は思わず首をすくめた。
 はぁ・・と吐き出された竜也の白い息を視界に捕らえながら、シゲは空を見上げる。綺麗な青空だった。この季節、空に雲が無い晴れ渡った日ほど、寒い。
 けれど、シゲはそんな日が好きだった。澄んで冷えた空気を肺一杯に吸い込むと、大きくそれを口から吐き出した。
「お前、寒くない・・・?」
 シゲが大通りに向かって歩き始めたので、とりあえずそれに付いていきながら竜也は尋ねる。
 シゲの服装は、あまりにも寒そうに見えた。竜也だって、決して厚手のコートを羽織っているわけではなかったけれど、それでもこの季節にずっと身に着けている厚手の上着は着ていた。
 道ですれ違う人々も、それなりの服装をしているのに、シゲは明らかに夏かそれより少し寒いくらいの季節の服装のままだ。
「ん〜?別に」
 シゲは半歩後ろを歩く竜也を振り返って笑う。その頬は既に赤くなり始めている。
「もう少し日が高くなったら、日向は暖かくなるで。それに、俺寒いの嫌いやないし」
 言いながらも、シゲの両手はズボンのポケットに突っ込まれたままだ。
 竜也は少し考えた後、自分の首に巻かれたマフラーを外した。
「たつぼん?」
「その呼び方やめろって・・」
 冷たい風に撫でられる首をすくめながら、竜也は立ち止まる。シゲもつられて立ち止まり、不思議そうに竜也を見つめる。
「巻いとけよ」
 竜也は、つい先ほど将がしてくれたようにして、シゲの首にマフラーを巻こうとする。
「え。ええよ」
 シゲは伸びてきた竜也の腕に驚いて、上体を僅かに反らせるようにして逃げを打つ。
 その態度に竜也は眉間に皺を寄せた。そして、半ば強引にマフラーをシゲの首に巻きつける。
「ぐえ」
 それは、巻くというよりは締め付ける感じで、シゲは思わず呻いた。竜也は相変わらず眉間に皺を寄せたまま、しかしその乱暴な手つきとは違って綺麗にマフラーを結ぶ。
「好き嫌いに関わらず、風邪は引くもんだろーが」
 市場に店を出すために向かう人ごみの中で、男に立ち止まってマフラーを巻いてもらうなんて。
 シゲは相変わらず腰が引けていたが、それでも、竜也の冷たい指先が顎の辺りをくすぐるように行き来するのは、意外と気分が良かった。
 今のこの状況をあの少年が見たらどうするだろうと、勝手にライバル意識を強めているらしい竜也の家主の顔を思い浮かべて、シゲは知らず笑っていた。
「なんだよ」
 自分が笑われたのかと思ってますます眉間の皺を深くする竜也に、シゲは離れていく指の冷たさを惜しいと思いながらも、いいやと首を振る。
「何でもあらへんよ。けど、ホンマにええの?たつぼん寒ない?」
 あくまでも呼び方を帰る気は無いらしいシゲに竜也は小さく溜息を吐いたが、すぐにその口元にからかうような笑みを刻んで、シゲを見返した。
「俺、お前よりいいもん着てるし」
 言って、先に歩き出す竜也。
「うわ〜〜、いやみ〜」
 翻る竜也の上着の箸を掴んで、シゲはそれを引っ張る。
「わ、止めろ。馬鹿」
 人の流れに乗って歩き出しながら、竜也はシゲに掴まれた上着の裾を乱暴に取り戻す。シゲは、手を払われたことなど露ほども気に留めず、竜也の隣に立って歩き出す。
「そないな態度じゃ、友達できひんで〜、自分。豊かさを驕ったらあかんで〜」
 結ばれたマフラーを指先で少し緩めながら笑いかけると、竜也も片眉を上げて笑い返す。
「俺がボンだっつったの、お前だろ」
「あら、一本取られたわ?」
 シゲは道端に転がる小石を蹴り上げながら、上半身ではしなを作る。甲高くなったシゲの作り声に、竜也は、気持ち悪いと言って声を上げて笑う。
 男らしい太さの無い、かといって、少女のそれのように空に高く響くわけでもない竜也の笑い声は、空に舞い上がる事無くシゲの耳に直接流れ込んだ。
 昨夜とは打って変わって打ち解けた態度の竜也に、おちゃらけては見せているものの、何だかシゲの方が居心地の悪さを感じるようだ。
 それでも、おそらく初めて聞いたであろう竜也の笑い声は、シゲの耳に心地良かった。
「さて、と。どこに行きたいんや?知りたい店とかある?どこでもえーよ。大抵の店なら分かるで」
 ひとしきり竜也が笑った後で、シゲは分かれ道で立ち止まって竜也に尋ねた。
「え?と・・」
 視線を斜め上にやって、人が間が考え込むときの仕草そのものをする竜也。何てことの無いはずのその仕草。多くの人間が取るだろう仕草の一つに過ぎない。
それでも、標準よりは小ぶりの頭をやや傾げて、無防備に道に立ちながら斜め上を見上げる竜也の姿は、何だかシゲには好ましく映った。
 竜也瞳の白い部分が、やけに目に付いた。
 暫く宙を彷徨った竜也の瞳が、シゲの元に戻ってくる。そして、それを半月型に細めて竜也はシゲにリクエストした。
「本屋に行きたい」
 知り合って僅かだというのに、そのリクエストが何だか“らしい”なとシゲは思った。


 シゲは本屋に縁が深い人種とは言い難い。
 だから、竜也に言われてまず思いついたのは町で一番大きな本屋だった。
 レンガ造りで重厚な雰囲気はあるがやはり大都市に比べれば小さな店ではあるが、小さい町の本屋ながらも揃えは良いとの評判をよく耳にする。
 店に入った竜也は、ちらほらといる立ち読みをしている他の客の間を縫って奥へと進んでいく。
 シゲは、自分は特に本屋には用事が無かったので、何となくそのまま竜也に付いて行った。
「たつぼん、どんなの読むん?」
 棚を大まかに眺めながら歩を進める竜也の後ろからシゲは尋ねる。何故本屋とか図書館に入ると、声を低めてしまうのだろうと思いながら。
「ん・・、普段は推理小説とかかな・・・」
 言いながらも竜也の脚は小説の並ぶ棚ではなくて、雑誌の摘んであるところへ向かう。
「探しもの?」
 床板をみしみしと踏みしめながら、シゲはマフラーをさらに緩める。人がいる空間というのはどうしてこう、息苦しさを感じるのだろう。
 人の体温か吐き出される呼吸のせいか、店内は外よりは暖かいけれども、その熱はよどんで下に溜まる性質のもののようで、シゲは好きではない。
「ん、ちょっと・・」
 竜也は、立ち読みをしている青年の脇から手を伸ばして一冊の雑誌を手に取る。青年は少し身体をずらしたが、視線は雑誌に落ちたままだった。
 竜也もその隣に立って、手にした雑誌を開く。
 手持ち無沙汰になったシゲは、竜也の後ろにそのまま立って、店内を見渡した。
「あ」
 入り口付近に眼を移したとき、丁度入ってきた人物たちと視線が合った。
「あれ、シゲ?」
 入ってきたのは、真っ白い清潔そうなシャツの上に外套を羽織った翼と、シゲと同じような薄着の柾輝。
 翼は柾輝と共にいることが多いが、それでも、彼の生活を援助しようとかもっと上等な服を与えようとかいいう気は全く無いようで。更には自分の服装が柾輝の隣で浮くことにも全く頓着しなかった。
 見る人が見れば、立派な服装で闊歩する翼の横で明らかに貧しい格好をしている柾輝のプライドが云々・・・などと言うのであろうが、シゲは逆にそんな二人の格好が少なからず好ましかった。
「何してんの?」
「本屋に野菜買いに来るほど、阿保やないで」
 シゲは眼の端でちらりと竜也を見るが、竜也は余程集中してその雑誌を読んでいるのか、翼たちの出現に全く気付いていないようだった。
「お前なら有り得るかなって」
 翼はにっこりと笑う。その後ろで柾輝が苦笑した。
「有り得んわ、阿保・・・。お前らこそ何しに来たん?柾輝かて、本屋との縁遠さは俺とどっこいどっこいやろ」
 シゲの嫌味は翼に通じなかったのか相手にされなかったのか(99%後者だ)、翼はシゲの横の雑誌コーナーに眼をやる。
「俺が用事のあるところに柾輝がいるのは当たり前なの」
 さらりと自己中全開の答えを吐いて雑誌を物色し始めた翼は、すぐに竜也の存在に気が付いた。
「竜也?」
 声をかけられて初めて竜也は翼の存在に気付いたようだった。
「翼さん?」
 驚きに眼を丸くして、竜也は手にしていた雑誌を閉じた。
 シゲはちらりとその雑誌のタイトルに眼を走らせたが、本というものに雑誌を含めて縁遠いシゲには、それが何の雑誌であるのかは分からない。
「あぁ、竜也が本屋に用事あったんだ。それなら分かる分かる」
 うんうんと一人納得した様子の翼に、その後頭部をはたき倒してやろうかとシゲは思ったが、まるでその気配を感じたようにくるりと振り返った翼に上がりかけていた手は押さえられた。
「それにしても、何時の間に仲良くなったわけ?一昨日かえるの池で会った時は、親の敵かってくらい険悪だったと思うんだけど?」
 口元に意地の悪い笑みを浮かべながら見上げてくる翼に、シゲは同じ様な笑みを返しただけで何も言わなかった。
「ホント、変わり身と手だけは早いね」
 含みのある笑みを交し合って、翼は呆れたように嘆息すると、同意を求めるように竜也に視線を移す。竜也は、どう答えていいものか分からずにただ困ったように少し首を傾けて苦笑する。
 まるで女のようなその仕草も竜也にはやけに似合って、翼はその竜也の様子に目を細めた。
 本人も一般的な男の造形からすれば遥かに可愛らしい容貌ではあったが、翼の中身はその辺の男よりも男らしく、可愛らしいものには目が無いという一面もあったので、翼は上機嫌に竜也に問いかけた。
「今日はどうしたんだよ?こいつとデートなわけ?」
「いや、翼さん・・」
 俺、男ですよ。と困ったように笑う竜也に、翼の機嫌はますます上昇する。
 逆に、そんな笑みを翼に向けて浮かべる竜也を眺めるシゲの機嫌は急下降していく。
「おい、柾輝。お前自分の姫さんくらい、捕まえておけや」
 先ほどから我関せずという態度で適当な雑誌に眼を通していた柾輝に、シゲはその脇を突付きながら低い声音で囁く。
 柾輝は、ちらりと上機嫌な翼に眼をやってから、シゲに向かって首を振る。
「無駄」
「・・・・・やろうなぁ・・」
 どこか悟りきった柾輝の瞳に、シゲもつられて遠い眼をする。
「あ、竜也、その雑誌買う?」
 翼は、竜也の抱えていた雑誌を指して尋ねた。竜也は、一瞬その雑誌に目を落としてから首を横に振った。
「いえ、読んでただけです。金無いし・・」
 かえるの池でピアノを弾いているのだから稼ぎはあるのだが、下宿代を払ってしまえば大して手元にも残らず(将はいらないと言ってくれるが、そこまで甘えるわけにもいかない)、娯楽に使えるお金など竜也は持っていない。
 あまつさえ、今は借金も背負っているのだ。隣で何故か不機嫌そうに視線を店内に泳がせている金髪の男に。
「そう?じゃぁ、俺買いたいんだけどね、それ」
 差し出された翼の手に、竜也はその雑誌を手渡す。それを見たシゲは、不思議そうに竜也に尋ねた。
「たつぼん、本買いに来たんやないの?」
「見に来ただけ。本て案外高いんだよ」
 店内に視線を走らせて小さく溜息を吐く竜也。
「悪いな、折角案内してくれたのに立ち読みだけが目的で」
 そんなことは別に構わなかった。ただ、自分とは違ってこんなにも本屋という場所に馴染んでいる竜也が、立ち読みだけというのは、何だか切ない気がした。
「だったら、古書屋に行けば?」
 いつの間にか会計を済ませて戻ってきたらしい翼が、雑誌の入った紙袋を抱えながらそう言った。
「あるのか?」
 途端に嬉しそうになる竜也の隣で、シゲは眉根を寄せる。
「そんなんあったっけ?」
 何気無く柾輝のほうを見ると、柾輝にも心当たりは無いらしく、軽く肩をすくめてみせる。
 そんな二人のやり取りを見て、翼は大げさに溜息を吐いた。
「これだから普段読書もしない奴ってのは・・・。あるよ、少し遠いけど。行く?」
 最後の台詞は勿論竜也に向けられたもので、竜也は一瞬の躊躇いも無く頷いた。
「教えてくれるのか?」
「まさか。一緒に行こ」
 にっこりと笑うと、翼はシゲが口を開くより先に竜也の手を取って歩き出す。
「おい、こら!」
 器用に誰にもぶつかる事無くひょういひょいと店から出て行く翼と竜也を追って、シゲと柾輝も店を後にする。
 シゲは何故だかおもしろくなかった。


 その後向かった古書屋は、以外にもシゲが散々世話になっている画廊のすぐ近くで。
 今の今までそんな存在に気付きもしなかったシゲを尻目に、翼と竜也は実に楽しそうに本の話題で盛り上がっていた。
「竜也もアレ好き?ポウル・ギャりー」
「好きですよ。あとは・・・。マック・ディランとか」
「あー、『in the doll』は読んだ」
「いいですよねー。ミケルが写真撮るシーンとか大好きですよ、俺」
(人形の中って、どないな話やねん・・・)
 一人で内心突っ込みを入れながら、シゲはまだ話し続けるらしい二人に背を向けて、店を出た。
 店の入り口には柾輝がいて、誰かの擦り付けたガムの跡や煙草の焦げ跡の残るレンガの壁に背を預けて、所在なさげに煙草をふかしていた。
「俺にも分けてくれへん?」
 シゲがいささか疲れた表情で柾輝の隣に並んで立つと、柾輝は無言で残り僅かの煙草入れを差し出した。
「あー・・・」
 煙草は高いのでここしばらく吸っていなかったが、久方ぶりに導きいれた煙りに、肺が満たされるのを感じる。
「あいつら、いつまで選んどるんやろ・・」
「さぁ・・・」
 柾輝もさすがにややげんなりした表情で、短くなってきた煙草を惜しそうに地面に落とす。
 シゲもその一本を吸い終わる頃になって、二人は紙袋を抱えて店から出てきた。
 どうやら気に入った買い物ができたらしく、口元に笑みを湛えて店の扉をくぐった竜也だったが、シゲが咥えている煙草を見た途端、その眉根を寄せた。
「お前、煙草吸うんだ」
「駄目?」
 どうやら疑う余地も無く竜也は喫煙者に良い感情を抱いていないようだったが、それでシゲが慌てて煙草をもみ消すなどということはなかった。
「別に・・。ただ、お前背ぇ伸びなくなるぞ。まだ伸びるだろ?」
 今でも竜也よりはいささか身長のあるシゲだが、確かにここで成長が止まるのは早すぎる。
「そら、そーやろーけどねぇ」
「あれ、シゲって何歳?」
 ふと思い出したように翼が口を挟む。シゲは限界になった煙草を踵で踏み消しながら、石畳の意思の模様を見た。
「15」
 一応、正直に答えておく。
 煙草が完全に唯の発破の巻かれた残骸になったのを確認してシゲが顔を上げると、竜也は勿論滅多なことでは表情を変えない翼までもが少々驚いた顔してシゲを見つめていた。
「何や・・・」
 まじまじと見つめてくる翼にやや引くシゲに、翼は感心したように白い息を吐き出した。
「同い年だったんだ」
「え」
 今度はシゲが驚く番であった。
 そりゃ、同じくらいだとは思っていたけれど、まさか同い年?
 翼が酷く幼く見えるとか老けて見えるとかではないけれど、どちらかと言えば『年下の生意気な知り合い』という認識が強かったため、シゲは思わず声を上げてしまった。
「え、て。知らなかったのか?」
 酒場で会った時から既に知り合い出会った様子の二人が、互いに年齢さえ知らなかったらしいことに竜也は純粋に驚いた。
「いや、別に年齢なんて知らなくても困らないしねぇ」
 竜也が余りにもきょとんとした表情で尋ねてくるので、翼もシゲも思わず互いをちらりと視界の端に捕らえて苦笑した。
 シゲと翼が出会ってからおよそ二ヶ月経つが、二人の間で名前以外の個人的情報を暴露しあったことが無いのだ。
 だから、翼が前領主の息子だとか、シゲが画廊に時たま絵を預けに行っているとかいうことは、それぞれがそれぞれの情報網から拾ってきたことで、それをお互いに黙認し合っていた。
「じゃぁ、柾輝はいくつやねん・・・」
「14」
「え、俺と同じ?」
 柾輝の即答に、竜也が思わず自己申告する。
「・・・げ」
 シゲが深い確信を持って翼よりも落ち着きがあると言える柾輝が翼より年下で、更には世間知らずもいいところの竜也と同い年。
 柾輝が翼よりも年下だということより、竜也と同い年だというその事実の方に驚いたシゲの低い呻きを、竜也は聞き逃さなかった。
「何だよ、げ、て」
 先ほどから竜也の眉間に刻まれっぱなしの深いしわが、ますます深くなる。
「いやぁ、別に?」
 シゲは適当に笑っておいた。
 竜也は、ふん、と可愛らしく鼻を鳴らすと拗ねたようにシゲから目をそらした。
「へぇ、結構知らないもんだねぇ。それはともかくさ、ここにいたんじゃ邪魔でしょう。どっか行かない?腹減ったわ」
 ぎこちない空気の流れ始めたシゲと竜也の間に、翼の良く通る声が乱入する。
 同時に冷たい風が四人の間を滑り抜けて、竜也は首をすくめた。
 その様子を見てシゲは、自分の首に巻かれたマフラーの暖かさを少し申し訳なく思ったが、ここで返すなどと言っても彼は受け取らないだろう。それ位の性格の把握は既にできている。
 だから、マフラーを返す代わりに、シゲは風の吹いてくる側に立って竜也を促して歩き出した。
「たつぼん、腹減らん?」
 竜也はシゲの行動の意味には全く気付かぬ様子で、何冊か購入したらしい本の入っている紙袋を大事そうに抱え直して首を縦に揺らした。
「結構減った」
 その茶色い後ろ髪の隙間から、白い項が覗いた。
「どこ行きましょか?」
 当然就いて来るつもりなのであろう二人を振り返ると、翼は柾輝に荷物を渡したところだった。
「ん〜。寒いから、どっか中。公園とかは却下」
 ごく自然に荷物を受け取る柾輝に同情すら浮かばなくて、シゲはちらりと達也の様子を見た。
 案の定、竜也は視線をやや斜め上に上げて、何かを算段しているらしかった。懐の具合だろう。
「俺、店で食えるほどの金無いで。あぁ、奢ってくれんのかいな」
「誰が」
 嫌そうに顔をしかめる翼に、シゲはにっと笑う。そして、足元の砕けた葉の欠片をわざと散らして歩く。
「こないなとこに出入りする間に、根性も貧乏臭くなったんやねぇ」
 シゲのその言葉に、煽り文句だと分かってはいてもカチンと来た翼は、柾輝のお陰で自由になった手で髪を軽く払いのけて悠然と笑った。
「誰に言ってるのかな?この僕に?笑わせんなよ。いいよ、全員分奢ってやるよ」
「おおきに〜」
 軽い言葉を放って、シゲは捻っていた首を前に戻す。そして、竜也に向かってにかっと笑った。
「一食分、浮いたな」
「でも・・・」
 律儀な竜也は四人分も翼に支払わせることに抵抗を覚えるらしく、困ったようにちらりと翼を振り返る。シゲはその様子に苦笑して、竜也の耳元にこっそりと囁く。
「大丈夫やって。あれでもこの辺の未来の領主様やから」
「あれでもって、何さ」
 しっかり聞こえていたらしい翼が突っ込んでくるが、シゲはそんなことよりも竜也の瞳が大きく見開かれてシゲを見つめ、その瞳の中に満足げに笑う自分を確認して、実際とても満足した。
 満足してしまって、その理由までは考えなかった。


 竜也はその晩、前日の急な欠勤をわびてから仕事に入った。
 昼食を摂った後も散々この町を歩き回り正直言って疲れていたが、それでも気分はとても良かった。
 柾輝がいつも手品をやっている公園よりも小さな公園に行った。
 翼が旨いと絶賛するクレープも食べた。甘すぎると渋面になる柾輝とシゲを他所に、翼と二人で美味しく頂いた。
 野良猫の溜まり場でホームズそっくりの猫を見たが、近づこうとしたら見事に身を翻されて少し凹んだ。それをシゲに笑われて、更に腹が立った。
 路地裏を通り抜けるときに、喧嘩を見た。容赦無い暴力に胸が痛んだけれど、自分以外はそれに関して大した印象は受けなかったらしい。
 気の良い果物売りにも会った。そして、将の手伝っている店にも寄った。驚いたように眼を見開いていて、そこを立ち去るときにシゲが何故か機嫌良さ気だった。
「何かいいこと、あったみたいですねぇ」
 カウンターの中でグラスを磨きながら、須釜は達也の様子を微笑ましげに見つめる。
 竜也のその日の演奏は、とても素晴らしかった。相変わらず楽譜の通りなだけの演奏だったけれど、でも、竜也は弾きながら微笑んでいた。

「へぇ・・。結構ええ音出しとるやん」
 部屋で寝転びながら、シゲは階下から聞こえてくるピアノの音に頬を緩ませた。
 



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 ダブルデートですか!!爆。
シゲ水←将(黒風味)の図式が浮き彫りに・・・。これで何人引くんだろうか。怖。
ていうか。
マサツバ出すぎ。笑。