1. 帰宅への道のりが、こんなにも長いものだと感じたことはなかった。一歩進むごとに、その場に座り込みたくなる。 「畜生・・」 少し身体がなまっているのかもしれない。あんな勝負ごときで。 「せや、あの程度のこと、なんてことないわ・・・。くそ」 負けちゃいない。・・・けれど、勝ってもいない。 「はあぁ〜」 ようやく門の前に辿り着き、シゲは膝に両手をついて大きく肩で息をついた。しばらくそこで呼吸を整える。こんな状態で中に入ったら、和尚をはじめとする同居人たちになんと言われるか分かったものではない。 シゲは数回深呼吸した後、上体を起こして荷物を肩にかけなおした。 「シゲ、なんだよお前えらく疲れてんな」 「喧嘩でもして来たのかい、そんな泥だらけで」 口々に話しかけてくる同居人たちにいちいち応える気力も沸いてこなくて、シゲは自室として使わせてもらっている部屋にまっすぐ向かうと、その畳へ半ば倒れこむようにして寝転んだ。 「あー疲れた・・・」 泥まみれの汗まみれである服を着替えて、風呂に入って、布団を敷いて寝たい。 そうは思うのだが、仰向けになって投げ出した腕の指一本、動かすのが面倒くさい。 (もうこのまま寝てまおーか・・・) 天井の木目を視線でなぞって、シゲは数秒間放心した。 すぱーんっ。 「!?」 勢いよく開かれた襖に、シゲは思わず跳ね起きた。 「和尚・・・?」 そこにいたのは。見慣れた小柄な和尚。 「何やねん・・・」 和尚は真顔でシゲを見つめる。 「俺、疲れてんねん。用なら明日にしてくれ」 ひらひらと、動物か何かを追い払うように手を振るシゲに、それでも和尚は身動きしない。 「・・・?」 シゲが眉根を寄せて怪訝そうな顔をすると。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぷ」 和尚は口元に手を当てて、目をやや逸らして小さく吹き出した。 「喧嘩売っとんのかい、おのれわっ」 瞬時に額に青筋を立てて和尚に掴みかかろうとしたシゲの額に、和尚のチョップがずびしとくらわされる。 「って」 そして和尚はにんまりと笑う。 「ぼろぼろじゃな、シゲ」 「ふん・・・。大したことあらへんわ」 シゲは胡坐をかいて座り直す。 「今日はもう疲れとるんやって言うてるやろ。何の用や、笑いに来ただけかい」 「良かったのぉ」 「あ?」 和尚は一人で深く頷く。そしてシゲを見据えてにやりと笑った。 「疲れることが、できたんじゃろう?」 それだけ言うと、和尚は立ち去った。 「何のこっちゃい・・」 再び仰向けになりながら、シゲはふと考える。 何度か色々な部活の助っ人をやった。自分でも言うのは何だが、何でもそこそこに出来る性分故に、大した苦労を強いられた記憶もない。ましてや、こんな風に喋るのも億劫なくらいに疲労させられたことがあっただろうか。 汗だくになり、肺が悲鳴を上げ、筋肉がきしむような気さえした。 「水野竜也。思ったとおり、おもろそうな奴やわ」 一見クールそうなボンボンの必死の形相を思い出して、シゲは一人楽しそうに笑った。 寺の朝は早い。 「あ〜、あかん。眠い・・・」 竹箒を支えにして眠ってしまいそうになるが、ここに居候を続けたいならこの朝の務めは必須なのだ。 「ほらほら若さで乗り切れ!疲れが残る歳にゃ、まだ早ぇぞ!」 近くにいた同じ居候の一人に激しく背中を叩かれ、シゲはまったくの無防備だったために前につんのめった。 ぐぎ。 (げっ・・・) と思ったときにはもう、足首が鈍い痛みを訴えていた。 「何すんねん、この馬鹿力が」 「いやぁ悪い悪い」 豪快に笑う相手に気づかれないよう、シゲは舌打ちした。 (しゃあない。練習はサボルか適当にやるかしとくか・・・。試合に勝てばいいんやし) 甘かった。 放課後、シゲがさっさと帰ろうとしていたところを水野に見つかった。さらに引きずられるようにして連行された部活では、適当にやろうとすると、小姑のように水野が怒った。どうやら昨日、シゲがかなり上手いことを見せ付けたのが災いしたらしい。 結局、かなり当たりの強い練習もさせられて、練習後の足は立っているだけでのズキズキと痛むほどになっていた。 「シゲ、どうかしたのか?」 帰り際、荷物を持ち上げた途端にややふらついたシゲに、本間が声をかける。 「え?何でもあらへん、何でも」 笑って誤魔化すシゲに、本間は表情を曇らせた。 「怪我とかしないしないでくれよ?試合に出れなくなったら、連れて来た俺も責められるんだからな・・」 「わーかってますって。心配あらへ・・・」 再度荷物を持ち直そうとしたシゲだったが、横からそれをさらわれた。 「たつぼん?」 「持ってやるよ」 ぶっきらぼうにそう言うと、水野は部室を出て行く。 「ちょ、おい、俺のっ」 シゲもあわててその後を追った。 すぐに追いついて、二人はなんとなく無言で校門まで並んで歩く。 「どっちだ」 学校の敷地と公道の境目に立って、水野は立ち止まった。 「へ」 「お前ン家だよ」 「あ、あ。ええよたつぼん。重病人やないんやし」 手を差し出すシゲに、それでも水野は渡そうとはせずに呟いた。 「軽いな。お前教科書とか置きっぱなしだろ」 「え。いや、まあ。たつぼんは前の日の夜とかに揃えるタイプやろ」 笑って誤魔化すシゲに、水野は少し視線をはずして呟いた。 「足、調子悪かったのか?悪いな、気付かなくて・・」 その発言に、シゲは驚いて目を見張る。そして吹き出した。 「んだよっ」 途端に真っ赤になって怒る水野に、シゲは肩を震わせながら左手で謝罪のジェスチャーをする。 「いやいや・・・。ほたら、甘えさせてもらいますぅ。おおきに、たつぼん」 「たつぼんて呼ぶなって!どっちだよ!?」 乱暴な口調になる水野に、シゲは腹を押さえて寺の方向を指差した。 水野はさっさと歩き出す。シゲは大して急ぎもせずに、その後につく。 「待って〜な、たぁつぼぉん」 「うっさい、馬鹿!」 「怪我人やで、俺〜」 わざと甘えたような声を出すと、水野は心底嫌そうな口調で返してくる。 「やかましぃっ」 つい先日会ったばかりの筈なのに、この会話の心地よさは何だろう。 「ったく、ふざけた奴・・」 追いついたシゲを横目で見ながら、水野は嘆息する。けれどこうして一緒に帰ろうという気になるくらいには、彼もシゲを本気で嫌ってはいないだろう。 「たつぼんが硬すぎなんやって。あ、そこ左な」 頑なに呼び方を変えようとしないシゲに、水野もいい加減諦めてきたようで、今度は何も言わなかった。 「そういえばお前、関西出身だろ?親の転勤か何かか?」 水野にとっては何気ないその質問に、シゲは一瞬視線を泳がせた。 言ってしなおうか、誤魔化してしまおうか。 普段なら迷わず適当にあしらうその質問に。選択肢が出たことが快挙だった。しかし結局は。 「親なんか関係あらへんわ。自分で出て来たんや」 「え?」 水野が聞き返したとき丁度、二人は寺の前に差し掛かった。 「ここが俺の居候先や。ほなな。荷物ありがとさん」 「あ、あぁ・・・」 シゲは何か言いたそうな水野から荷物を受け取ると、鼻歌を歌いながら寺へと入っていく。 まだ、だ。まだ話そうとは思えない。 「あ、佐藤!足、湿布しろよ!」 我に返った水野が叫ぶと、シゲは軽く右手を振って見せた。 |