蛹







 


2.

 付き合ってみれば、周りが言うほどのものでもなかった。
 こちらの言うことにいちいち素直に反応してくるし、すぐムキになる。どのあたりがクールですかしているのか、今一ぴんとこない。しかしそれで幻滅したかといえば、はっきりと『NO』。彼が以外にも子供くさいのは、初対面の時に知っていたから。
 そしてそんなところにこそ、興味を引かれたのだから。
 水野の絶妙なパスがシゲに通った試合の後から、二人は急速に仲良くなっていった。
 水野は頻繁にシゲの居候先の寺に顔を出すようになったし、その逆も多くなった。そんな中で少しずつ、お互いのカテイノジジョウというやつも知っていって。

「俺は父さんのサッカーがしたかったんじゃない。だから武蔵野森にも行かなかったんだ」
 水野がポツリとそう言ったのは、準決勝まで後一歩というところまで勝ち進んでいた試合の後、水野の家で愛犬ホームズと戯れながらだった。
「ほぉ。あの時蹴ってたんは親父にか」
 姉でも十分に通る若い水野の母から出された茶をすすりながら、シゲは水野に腹を向けるホームズを見やる。
「あの時?」
「たつぼんのスパイクが飛んできたとき」
「あれは・・・」
 ばつの悪そうな顔をする水野。彼がこんな顔をするときはたいてい図星を指されたときだと、この短期間でシゲはしっかり把握するようになっていた。
「自分を思い通りにしようとする親父は気に入らん。けどサッカーも捨てられん。難儀な奴やな」
 からかうようなその口調に、水野は眉間にしわを寄せる。
「別に父さんなんかどうでもいいよ」
 目を逸らす水野。嘘をついているとき水野は相手の目をまっすぐ見ない。
 そんなことまで把握してしまっている自分に向かって、シゲは苦笑した。しかし水野はそれを誤解したらしい。ホームズの腹をなでてやりながら、不機嫌なる。
「お前はどうなんだよ。自分から出てきたってどういうことだ?」
「俺?」
 シゲは少し驚いた。今まで水野が自分のことを聞いてきたことがなかったから。
「何、俺のことに興味出てきたん?今まで一度も聞いてこなかったんに、どういう心境の変化?」
 思わずにやつくシゲ。何故だか少し嬉しかった。
「そういうんじゃ・・。ただお前何も言わないから・・、聞かないほうがいいのかなって」
 他人に気を使うことの苦手な水野なりに、気を回していたらしい。
 シゲはコップを机に置くと、ホームズを挟んで水野の隣に腰を下ろした。
「俺な、留年してんねん」
 案の定目を丸くする水野。
「つーても別に、病気してたとかやないで?ヒッチハイクしてあちこち行っとったら、一年経ってしもうてて入学するの忘れてたんや」
「ヒッチハイク?何でまた・・」
 水野が撫でてやる手を止めると、ホームズは起き上がって水野の顎下に鼻を摺り寄せる。
「おとんに使われんのも、おかんに気ィ使わせんのもどうかと思ったから」
 ホームズを押しのけながらも、水野がまっすぐシゲの横顔を見ているのがシゲの視界の端に引っかかった。そのまま続ける。
「俺な、愛人の子やねん。父親はかなりでかい京都の料亭のおっさんでな。俺認知されてないんや。別にそれでもおかんがおったし、不自由しとらんかったんやけど、おかんが結婚することになってな。ほたら親父が突然俺んこと認知して引き取る言うてきてな・・」
 水野は黙ってシゲを見ていた。シゲはあくまでも軽い口調で話す。
「本妻さんに女の子しか生まれないらしくてな。跡取りがほしい言うて。冗談やないわ、料亭なんぞに興味無い。けど結婚相手がどこまで知っとるのか知らんけど、新婚に割り込むような野暮なことするわけにもいかへんやろ。だから出て来たんや。誰にも邪魔されたない、俺だけの人生のために」
 水野は再びホームズを抱き寄せて、視線を落とすとポツリと呟いた。
「ふぅん・・。義務教育で留年てできるんだな」
 それだけ。
 本当にそれしか思わなかったのか、わざとそれしか言わなかったのか、そんなことは分からない。ただ、その反応が無意味に嬉しかった。
 だから。・・・だから?
 シゲは水野の頬に唇で軽く触れた。
「っ!?」
 のけぞる水野。目を大きく見開いてシゲを凝視する。二人はホームズを挟んでしばらくの間硬直した。
「な・・に」
 先に水野が喉から絞り出すような声を発した。当たり前ながら、眉根を寄せて困惑した表情を浮かべている。
シゲは水野から離れて座り直して茶化すように答えた。
「愛情表現?」
「・・馬鹿かっ?」
 その様子に水野も単にからかわれただけだと判断したのだろう、ベッドの上にあった枕を投げつけてきた。うまくそれを受けて、シゲは声を立てて笑う。
「いや〜ん、たつぼんつれなぁい」
「その呼び方やめろっつってんだろ」
 水野は眉間のしわを深くして呻く。主人の怒りを敏感に感じたのか、ホームズが部屋の隅に逃げるように移動した。
「ええやん。ぼんやもん」
 逃げたホームズの尻尾を捕らえてシゲはそのまま背中をなでる。
「たつぼんも、『シゲ』て呼んで言うてるのにぃ。なーホームズ」
 犬の背に頬を吸い寄せるシゲに、水野は棘のある口調で応えてやる。
「佐藤くん、そろそろ帰らないでいいんですか。もう九時ですけど」
 そのあまりにも子供くさい行動に、シゲは笑わずにはいられない。
「・・何だよ」
ホームズの腹を抱え、肩を震わせて笑うシゲに水野はますます不機嫌になる。
「いや・・。せやな、もう帰るわ。遅くまで悪かったな」
 シゲは笑い過ぎで溢れてきた涙を拭いながら立ち上がった。開放されたホームズは、部屋を出ようとするシゲの足に体を摺り寄せてくる。まだ遊び足りないらしい。
 それをやんわりと押しのけて、シゲは玄関に向かう。水野も憮然とした表情ではあったが、玄関まで見送ってくれた。
「じゃな」
 シゲが軽く手を振って門を出ようとしたとき背後から、まだ完全には声変わりの終えていない水野の声が追ってきた。
「また明日な、佐藤」
 シゲはそれを聞きながら、本気で水野に『シゲ』と呼ばせたいと思った。





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