君と彼と僕







 1.

 昨夜、選抜の遠征で久々に東京に来た。そしてホテルでごろごろしてたら、意外な人物から電話があった。
『もしもしシゲちゃん?ねぇ、今東京来てるんでしょ?だったら一時間くらいウチに来なさいよ。明日は何もないでしょう?試合は明後日でしょ』
 相変わらず良く通る元気の良い声は、水野のおばである孝子だった。水野には、一応ホテルの電話番号は教えておいた。まぁ、十中八九かかってくることはないと思っていたが、まさか孝子から電話があるとは思いもよらなかった。
 そのせいで、らしくもなく焦ってしまったシゲは、とんとん拍子で翌日水野宅へ訪問することとされてしまった。

 勝手知ったる他人の家。シゲにとって水野の家はまさにそんな感じだった。ほんの四ヶ月前までは。
 シゲはインターホンの前で逡巡していた。今までそんなものを使ったことはなく、いつも勝手に開けて勝手に挨拶をして上がりこんでいたのだから。ただ、こう間が空いてしまうとどうも入りにくい。チャイムを押すか押すまいか悩んで門柱に寄りかかっていると、右手側から水野家長男が歩いてきた。
「シゲ?」
 目を見開く水野に軽く手を上げて応えながら、シゲは内心首を傾げた。水野はいつもの無表情さに磨きがかかっている上、顔色が冴えないような気がしたのだ。
「孝子さんに遊びに来い言われてな。びっくりしたわ〜。俺たつぼんに番号教えたんに」
 ちょっと恨み言を混ぜながら門柱から背を離す。水野は相変わらず無表情で、
「孝子、今日居ないけど」
 とだけ呟いた。そのあまりなぶっきらぼうさに、シゲの胸中はますます違和感で一杯になる。
 普段の水野もそんなものだと言う人間も居るだろうけれど、そんな、水野にとっての単なる友達とシゲを同レベルで見てもらっては困るのだ。シゲは誰よりも水野の素顔を見てきているという自信がある。その自信でもって、今の水野はおかしいと言い切れるのだ。いつもなら、シゲと居るときの水野はもっと表情に富んでいる。
「うわ、まじで?俺何しに来たんやろ」
 まいったな〜と苦笑するシゲに、水野は玄関の鍵を開けながらドアを見つめたまま言った。
「上がってけば」
 今まで一度たりとも言われたことのない台詞に、シゲは思わず水野を凝視する。水野はシゲの視線に眉根を寄せた。
「何だよ」
「いや、何でも。ほたら、お邪魔させてもらいますー」
 せっかくの申し出を引っ込められたらまずいと、シゲは笑ってごまかす。そして玄関に足を踏み入れながら、内鍵を閉める水野を振り返る。
「選抜だったん?」
「ああ」
 大きな荷物を玄関に下ろしながらごく短く答える水野に、シゲは
(また選抜で人間関係の壁にでも、ぶつかってるんかな・・。難儀な奴やなぁ)
 と思いつつも言葉には出さずに、水野よりも先に水野の自室に向かった。

 水野の自室は特に何も変わっていなかった。しかし、相変わらず綺麗に整えられた部屋にたった一つ、増えているものがあった。
 机の上に、愛犬ホームズの写真。
 シゲは思わず近づいて、その写真立てを手に取った。
 今までそんなものは無かった。そして今になって、玄関にホームズが主人を迎えに飛び出してこなかったことに気付く。
 ドサ。床に水野がドラムバックを置く音で我に返ったシゲは、振り返らずに尋ねた。
「病気?」
 写真立ての存在理由を聞く必要などなかった。今迄無かった物がそこにある。それはそこに置かなければならない理由ができたからだ。
「事故」
 水野もそれだけを答えるとベッドに腰を下ろしたらしく、シゲの背後でスプリングの軋む音がした。
「そっか」
 シゲは写真立てを元に戻しながら、水野の様子のおかしさに合点がいった。そして振り返って、水野の隣に腰を下ろした。
「なぁ、たつぼん」
「何」
 精細さを欠いた水野の横顔は、見ていて痛々しいのと共にシゲに複雑な心境をもたらした。それでもシゲは、痛々しく思う気持ちのほうを優先させて、優しい声音で笑いかける。
「月並みな言葉しか浮かばんで、悪いんやけどな」
 水野が視線をこちらに向ける。下手な慰めなど通じないことが窺える、何の表情もない瞳。それだけ愛犬の存在は水野にとって大きかったのだ。
 シゲは深く息を吸って、静かに告げた。





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