蛹







 


3.

 数日後には、このままだと本当に決勝まで行けるかもしれない、それどころか、優勝だって夢じゃなくなっていた。と同時に、部員たちのテンションは徐々に高まりつつあり、水野も珍しく例外ではなく、饒舌になった帰り道に会話は途切れることなく、その日足は自然にシゲの居候先に向かった。
「佐藤がサッカー部に入ってくれて、ホントに良かった」
 何かの拍子に水野がそう言った。
「このまま正部員になればいいのに」
 とも。
「何言うてんの。初めはあんなに反対したくせに」
 部活で始めて顔を合わせたときの水野の顔を思い出して、シゲは苦笑する。水野もつられて笑う。
「あん時は、まじでちゃらんぽらんだと思ったんだよ」
「うーわ、酷っ。けどそしたら今は認めてくれてるいうことやな」
 シゲが一人で頷いていると、水野はちょっと口端を上げて言い換える。
「実力のあるちゃらんぽらん、かな」
 途端にシゲはわざとらしくコケル仕草をして見せた。
「何やそれ」
「だってそうだろ、佐藤。もう少し真面目にやれば、絶対プロだって狙えるぞお前」
 本間を初めとするほかの部員にも散々言われた台詞。そして散々やってきたように、応えには肩をすくめるだけ。
「そういう奴だよな、お前って」
 水野の口調にもどこか諦めが感じられる。シゲはいつものように軽い口調で、『わかってるやん』と言いそうになって、 ふと思いとどまった。代わりにこう言ってみる。
「たつぼんが『シゲ』て呼んでくれたら考えてもええよ、正部員のほう」
「はぁ?」
 思いっきり素っ頓狂な声を上げる水野。シゲは女の子のように指を組んで、おねだりのポーズをしてみる。
「だぁってぇ、たつぼんたらいつまでも『佐藤』だなんて、つれないんやもぉん。俺らベストコンビやのにぃ」
「気持ち悪い・・」
「お願い、た〜つぼん」
 思わず後ずさる水野に、シゲは同じポーズのままにじり寄る。さらに下がる水野。
「べつにいいじゃねぇか、なんて呼んだって・・・。」
何故か腕をクロスさせる水野の反応に、シゲはますます楽しくなる。
「じゃぁええやん。呼んでくれたって」
「呼ばなくたっていいだろ」
 とん、と水野の背中が壁に当たる。いつの間にかそこまで追い詰めてしまっていた。
「そんな照れんでもぉ」
 シゲはとてつもなく楽しそうな笑みを浮かべて、水野の腕を下ろさせようとする。水野は意地になったようにそれに抵抗する。
「・・・・・。隙ありっ」
「うあっ」
 いい加減焦れたシゲはががら空きになっていた水野のわき腹をつつくと、水野の力が一瞬抜ける。そこを絶妙のタイミングで逃さなかったシゲは、あっという間に水野の腕を捕らえて、クロスさせていたそれをどけさせた。
 しかし水野も負けてはいない。クロスさせていた腕はほどけても、なんとかシゲの腕を押し返そうとしてくる。
「ほんっっっまに、照れ屋さんやなぁ、自分」
「ま・あ・なっ」
 笑みを浮かべつつも、渾身の力を込める二人。それでも、シゲのほうが上手であることには変わりなかった。
「もしかしてたつぼん、発音できないんちゃう?」
 シゲは突然至極真面目な顔になって、そう言った。
「は?」
 水野が間の抜けた声を発した瞬間、その半開きになった口にシゲのそれが重ねられた。
「・・・・!!!!」
 驚きのあまり身動きの取れなくなる水野の口腔に、シゲの舌が遠慮なく侵入してくる。そしてシゲはそこで何事か囁いた。
『シ・ゲ』
 おそらく確かにシゲの舌はそう動いた。そして彼はおもむろに水野を開放すると、実に満足げに口端を歪めた。
「ど?」
「・・・・・・っ」
 首まで真っ赤になる水野。この間の軽い頬へのキスとは明らかにわけが違う。何か言ってやりたいのに、言葉が見つからないようで、水野は口をぱくぱくさせる。そんな様子を見てシゲは、
「え〜?これでも分からなかったん?」
 じゃあもう一度・・と当然のようにまた顔を近づけてくる。
「やめろ馬鹿っ」
 やっと我に返った水野は、それ以上下がることはできないまでも、せめて体を横に滑り出させて逃げようとする。しかし、シゲが両側に腕をついたのでそれもままならない。
「じゃぁ呼んで」
 顔を逸らした水野の耳元に息がかかるくらいの至近距離で、シゲは意識して声をフラットさせる。男相手に何色気出してるんだと、どこかで冷静な自分がそう言うのだけれど。
「誰が呼ぶかっ」
 普段お目にかかれない水野の赤面した顔に、冷静な自分の言葉もあっさり無視することにして、シゲはそのまま水野の紅潮した耳たぶに軽く歯を立ててみる。
「っっっっっ!」
水野は声が上がりそうになったのか、口元を咄嗟に覆った。
「・・・んで、んなこと・・」
蚊の鳴くような声で、やっとのことで呟く水野。目の淵も真っ赤になってしまっている。
学校でどんなにモテても眉一つ動かさない彼は、当然そちら方面のことにも疎いのだろうし、ましてや、こんな状況に陥ったことなど無いに決まっている。まぁシゲとてこんなことを頻繁にやっているわけはないが、同い年の人たちよりは場数を踏んでいる自負はある。そんなシゲにとって水野の反応は楽しすぎて、その様子にどうしようもなくシゲは嗜虐的な気分になってくる。
「呼んで。な、たつぼん。ほたら離したるさかい」
 それだけを繰り返すシゲに、水野はきつく目を閉じて全身で拒否を示して無言を押し通そうとする。
「ふ〜ん」
 シゲは眉をすっと上げると、水野の顎を掴んで無理矢理自分のほうに向かせ、有無を言わせず再び口付けた。
「・・っ、うっ・・ん・・」
 必死に首を振って逃れようとする水野。追いかけて離さないシゲ。二人は自然と体制を崩してしまい、畳に倒れこむ。
 経験の少ない、というか無いだろう水野は息継ぎさえもうまくできなくて、シゲが角度を変えるときの一瞬しか息を吸うタイミングをつかめていない。あっという間に意気が上がってしまって、シゲの腕に爪を立てていたのがいつの間にか縋る格好になってしまっていた。
「ふっ・・う・・。や・・っ。・シッ・・・ゲ・・!」
 途端にシゲは口端だけで満足そうに笑うと、水野を解放した。水野は自分の発言に気づいて口を覆うが、当然後の祭りである。
「く・・そっ」
 ぱしっと乱暴にシゲの腕を振り解くと、水野はシゲの下から這うようにして逃れる。向かい合って座る形になった二人の表情は対照的で、シゲは息一つ乱さずにからかうような笑みを崩さない。
「次はこないな手間かけさせんでな」
 まるで水野に責任があるかのような言い方に、水野は半分叫ぶようにして反論する。
「お前が勝手にやって、言わせたんだろ!もう二度と言うかっ」
「あら、そないなこと言うの」
 シゲの瞳がいやな輝きを讃えて水野を見据えた。思わず身構える水野。シゲは続けてこう言った。
「次に『佐藤』て呼んだらまた実地で教えたるからな。部活中だろうが、試合中だろうが」
 シゲが本気であることは疑いようが無かった。水野は言葉に詰まり、俯いてしまう。
 本気で困っているらしい水野に、シゲは内心呆れるくらいに感心した。
呼び方一つ変えるのがなぜそんなに嫌なのだろう。キスだって、『ふざけるな』と殴ってしまえばいいのに。変なところで意地っ張りで、変なところで優しい。
水野がどう答えるのか待っていたシゲだったが、突然立ち上がった水野に少し後悔の念を覚えた。
「帰る・・」
 ところが廊下へ出る襖に手をかけて、水野は言ったのだ。
「サッカー部、残ってくれよなシゲ」
 そのまま振り返らずに出て行ってしまった水野は見ることができなかった。シゲがめずらしくも驚いた表情で一瞬目を見開いて、それから破顔したのを。

 行けると思ったんや。






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