四の五の言わずに堕ちてくれ!











前編



 キスは嫌いじゃない。
 離れていく他人の柔らかな唇にそっと瞼を上げると、竜也の眼前には微笑むシゲが居た。
「何?」
 シゲはじっと見つめてくる竜也に笑いながら、その頬にチュ、と軽い音を立てて口付ける。
「ん、別に・・」
 こめかみをシゲの痛んだ髪が撫でて、竜也はそのくすぐったさに目を細めた。
 シゲは二度竜也の頬にキスすると、最後にもう一度唇に触れて竜也の真正面から離れた。
「もうそろそろ帰るんやろ?」
「あぁ、うん」
 シゲの居候している部屋に置いてある小さな目覚まし時計に目をやると、丁度竜也の家の夕飯の時間が近かった。
「んじゃ、またな」
 竜也は部屋の隅に置いてあった鞄を取り上げ、コートを羽織る。
 シゲも竜也と共に立ち上がって、竜也を玄関まで送ってくれた。
「明日学校でな」
 笑顔で手を振るシゲに同じ様に軽く手を挙げて応えて、竜也は踵を返した。
 放課後部活が無い日には、竜也はシゲと過ごすことが多い。シゲがサッカー部を一度辞めてからは特に交友も無くなっていたというのに、今年戻ってきてからは気付けばシゲはまた竜也の友人に戻っていた。それどころか、それまで以上に近い位置に居ると言っても良いくらいだった。
 だから、初めてシゲにキスされた時、驚いたけれど嫌悪感は無かった。まるで頭を撫でるような優しさで唇が重ねられて、ただ黙って瞳を閉じた。
 それからずっと、ふとした瞬間にシゲはキスを仕掛けてくるようになったけれど、竜也はそれを拒否したことなど一度も無い。
 ふらふらとして掴み所の無いままに部活を去ってしまったシゲに近づいているのだと思えて、くすぐったいような気分になった。


  「シゲちゃんっ」
 翌日授業が終わった後、机に突っ伏していた身体を起こして大きく伸びをしていたシゲに、一人の女子生徒が話しかけてきた。彼女は誰とでも仲良くなれるシゲと、特によく話す子だった。
「何や?睦美ちゃん」
 シゲが欠伸を噛み殺しながら机の前に立つ睦美を見上げると、睦美はにこにこと嬉しそうに笑いながら、
「バレンタイン楽しみにしといてよね」
 言われてシゲが教室の前の方に掛けてあるカレンダーを見ると、確かに今週の土曜日はバレンタインだった。
 目の前で満面の笑みを浮かべる睦美に視線を戻すと、すっかり忘れていたシゲはばつが悪そうに苦笑した。
「うわ、忘れてたわ〜〜。何、睦美ちゃんくれるん?」
 睦美は忘れていたシゲが照れくさそうに笑うのが可愛くて、ばんばんとシゲの肩を叩いた。
「当たり前じゃない」
 可愛らしく笑う睦美を好ましく思いながらも、シゲはその痛さに僅かに眉をしかめた。そしてふと、バレンタインを思い出したついでに思い出された人物の顔を思い浮かべて、シゲは叩いてくる睦美の腕を掴んだ。
「そら嬉しいけど、義理やなかったら受け取れへんよ?」
 シゲのその言葉に、腕を捕まれたことに赤面した睦美だけでなく、シゲの近くに居た女子生徒の動きがぴたりと止まった。
「はあ?何よそれーー?シゲちゃん本命なんて貰える予定があるわけぇ?」
 シゲがモテることは有名だが、彼女がいるような話は一度も噂になったことが無かったので、睦美は頬を引きつらせながらも、あくまで明るくシゲに尋ねる。
 シゲはそれに対してあっけらかんと答えた。
「失礼な子やねぇ、あるに決まっとるやん」
 その時のシゲの笑顔が余りにも嬉しそうで、その日の放課後にはシゲの学年はおろか上下の学年にまでその話しは広がり、最終的には”シゲにはかなりラブラブな彼女がいる”という話になって二年生に戻ってきた。

 余りにも女子が騒ぐので、噂というものには疎い竜也の耳にもさすがにその話は入ってきたが、噂という物の信憑性を信じていない竜也は、大して気にも留めなかった。
 だから、部活が終わった後で何時もなら竜也が日誌を書き終えるまで待っているシゲが、用事があると言って大急ぎで帰った時も、ただ寺の用事か何かだろうとしか思わなかった。
 そして相変わらず中身の無さそうな鞄を跳ねさせてシゲが部室を出て行ったのを無言で見送って、竜也はふと自分にも用事があったことを思い出し、焦った。
「高井っ」
 森永や風祭と喋りながら着替えていた高井に声を掛けると、高井は驚いた顔をしてボタンを留めかけていた手を止めた。
「な、なんだよ・・」
 何か気の障ることでもしたかと怯えを見せる高井に全く構わず、竜也は慌てた様子で荷物をまとめながら机の上の鍵を指した。
「悪いんだけど、それ職員室に返しておいてくれないか?俺、急いで帰らないとやばいんだった!」
 珍しく焦っている竜也に、高井を始め森永と風祭もびっくりした様子で、机の上の部室の鍵と鞄を肩に掛ける竜也を交互に見やる。
「いいけど・・。何かあんのか?」
 好奇心でもって尋ねた高井に、竜也は忘れ物をざっと確認してドアに手を掛けながら答えた。
「叔母さんと待ち合わせ!」
 そして竜也は勢い良く飛び出して走った。
 待ち合わせの場所は、叔母である百合子が勤めから帰ってくるのに使う最寄り駅。今からだと走ってもぎりぎりか少し遅れるくらいだろう。
 普段から待ち合わせ場所に五分前には着く様にと心掛けている竜也にとって、それは大遅刻であった。
 案の定、いくら竜也が走ったところで電車の速度は変わらないという事実により、竜也は五分ほど遅刻した。
「たっちゃん。走って来たの?別に良かったのに〜、部活で疲れたでしょ?」
 百合子は読んでいた文庫本を鞄にしまいながら笑う。
 この叔母は水野家の家系でもあるのだろうが童顔で、一緒に歩いているとよく姉弟に間違われた。
「ごめん、ちょっと忘れてて」
「あ、それはいただけないわね〜〜。罰として、腕組んでねっ」
 息を整えていた竜也の腕に、まだ竜也より背の高い百合子の腕が絡まる。帰り道のサラリーマンやOLがちらりと二人を見て、二人の関係に内心首を傾げながら足早に通り過ぎていく。
「ちょ、百合姉」
 周囲の視線など物ともせずに上機嫌で竜也を引っ張り始める百合子に、竜也は肩からずり落ちそうになる鞄を掛け直して付いて行く。
 すると何時も見慣れている筈の叔母の姿に何か違和感を感じて、竜也は斜め上を見上げる様にして上機嫌の百合子を眺める。
「あ、パーマかけた?百合姉」
 一つにまとめられている百合子の髪が、軽く波打っていたのだ。
 すると百合子は嬉しそうに笑って、
「分かる?」
「うん、似合ってんじゃね?」
 竜也としてはごく自然な感想を述べたまでだったのだけれど、百合子にはとても嬉しかったらしい。竜也に絡めた腕をますます強く絡めて、ふふふと口角を上げて笑う。
「い〜い男になって、まぁ」
 そのままでいてね、と何やら竜也には分からない理由で上機嫌になった百合子に、眉根を寄せながら竜也は大人しく頷いておいた。
「それで?どこ行くんだっけ?」
 歩く速度を合わせながら、竜也と百合子は駅に向かう人ごみと逆行して行く。
 自分とは違い天然で色素の薄い甥っ子の髪を見下ろしながら、百合子は瞳を輝かせて答えた。
「デパートのチョコレート売り場v」
「・・・・・・・・・・・・・・・・げ」
 低く呻いた竜也に全く構わずに、百合子は心なしか足の重くなった竜也を引いてデパートの地下街に足を踏み入れて行った。
 引きずられるようにして歩きながら、竜也は朝百合子の申し出を受けたことを少し後悔していた。
 朝から百合子に、会社帰りに買い物に付き合って欲しいと言われた時には、何かあるなと思ったのだ。
 甥を何かにつけて可愛がってくれる百合子相手なので、共に出かけることはそう珍しくも無いけれど、学校のある日にわざわさ誘ってきて、更には夕食まで一緒に外食して来ようなんて、裏を返せば奢ってやるから荷物を持てと同義語だった。

「何でこんなに大量に買うわけ?」
 チョコの包みが十数個入ったデパートの袋を提げながら、竜也は何か一試合終えた後の様な清々しい空気を纏う百合子に半眼で呻いた。
「義理堅いのよ、私は」
 百合子が向かったデパートの地下街は、同じ様な格好をしたOLが溢れていて、さすがにその中まで付き合う気になれなかった竜也はずっとレジの外で待っていたのだけれど、そこに立っているだけで甘ったるい匂いが漂ってくるかの様で、いくら甘いものが嫌いではないと言っても、少々食傷気味になった。
「にしたって、本命じゃないんだろ?何でまたこんな高そうなもんばっか・・」
 一緒に暮らしていれば、休みの日にはこれ幸いとばかりに寝ている百合子に今現在決まった恋人がいないのは容易に察せるので、百合子の買い占めたチョコレートたちが中々に値の張る物ばかりである事に竜也は首を傾げた。
 ところが百合子は、人ごみにもまれたせいで乱れた髪を解きながら、人差し指を横に振る。
「甘いわよ、たっちゃん。本命じゃないからこそ、高い物なのよ。そうしておけば三月は倍返しよっ!そもそも本命だったら手作りするわよ」
 にっこり笑って新しくウェーブがかかった髪を手櫛で整える百合子に、竜也は改めて女のあざとさを痛感した。
「あ、そ・・・」
 軽く嘆息して荷物を抱えなおす竜也に、百合子はお腹空いたねと可愛らしく首を傾げた。


 シゲは、日の落ちた公園のベンチで女の子と一緒という何とも美味しいシチュエーションにありながら、やや疲れた様に首を鳴らした。
 すると、シゲの隣に腰掛けていた万理絵がそれに気付けたらしく、申し訳無さそうに謝罪した。
「ごめんね、シゲちゃん。あの男が今日になって遅れるなんて言うから」
「ん〜?いや別に構へんよ。お陰で夕飯奢ってもらったんやし」
 コンクリートに足を投げ出して軽く空を仰ぐシゲの髪が、外灯の元で揺れる。その様子に万理絵は一瞬息を飲む。
 吐き出した息の白さ、少し赤くなった鼻の頭。シゲはポケットから手を出して、冷えて赤くなった指先に息を吹きかける。
 シゲは、そんな何気無い仕草が本当に様になる男だった。
「そろそろやろ?約束」
 指先を擦り合わせながら公園の時計に目をやるシゲに、万理絵ははっと我に変える。
 時刻はそろそろ午後八時。
「あ、うん・・・・。あ」
「来た?」
 時計越しに一人の男が現れたのを見て声を上げた万理絵に、シゲは立ち上がる。ベンチから少し離れた所に立ち止まった男と、それに対峙するシゲの隣に万理絵も並んで立つ。
「崇弘」
 万理絵に呼ばれた男は、シゲや万理絵よりも一つか二つ上に見えた。確か万理絵の話だと高校一年だった筈だ。
 年代的には同じくらいと言えるだろうけれど、どうしてこう高校生と中学生の間には明確なってしまう雰囲気の違いがあるのだろうと、シゲは万理絵の元彼氏を眺めた。
「万理絵、どういうことだよ」
 崇弘と呼ばれた少年は、元彼女の隣に親しげに納まるシゲに睨みつけるような視線を送ってきたが、シゲはそれに笑顔で答えた。
「どうもこうも、せやから言うてますやろ?万理絵にはもう俺っちゅう新しい彼氏が居りますねん。ええ加減こいつにちょっかい出すの止めて貰えませんか?」
 向こうから別れようと言ってきた元彼氏が最近になってまた寄りを戻そうと言ってきて、自分はもうそんなつもりは無いからとても困っている。
 そんな話を万理絵がシゲに持ちかけたのは数週間前だ。二年になってサッカー部に戻ってから、小遣い稼ぎは廃業したに近かったとは言え、目の前で可愛い女の子が困っているのを見過ごせるほど、シゲも朴念仁ではない。
 もっとも、最近は週末毎に関西の方へ行かねばならない生活の為、出す物は出して貰う訳だが。
「どういうことだよ」
 崇弘はどうあってもシゲを認める気は無いらしく、シゲの斜め後ろに隠れる様に引っ込んだ万理絵に視線を移す。
(こいつ語彙少ないなぁ・・)
 そんなことを思いながら、シゲは万理絵を庇う様にして崇弘の視界を遮る。そして一歩詰め寄って、崇弘のコートの胸倉に手を伸ばした。
「・・・やから、あんさんにはもう出番なんてあらへんよって、消えろや言うてんのが分からんの?」
 崇弘の胸倉を両手で掴み上げ、シゲは前髪の間から睨め上げる様にして崇弘に低く言い放つ。
「な・・っ」
 金の髪の合間から覗く黒曜石のような瞳の迫力に、崇弘は気圧される。
 シゲは崇弘から視線は外さずに、口元を歪ませて笑う。
「自分から手ぇ離した女、自分の都合が良くなった途端にまたほいほいケツ追っかけ回して、情けないにも程があるわ。お前みたいなブ男に万理絵は勿体無さ過ぎや」
「てめっ!」
 ガッとシゲの手首を掴み上げようとした崇弘だったが、シゲの腕は崇弘の胸倉から外される事は無く、寧ろシゲは崇弘の襟元をますます締め上げた。
 そして息がかかりそうなほどにシゲは顔を近づけて、後ろで怯えた様に立ちすくむ万理絵に聞こえるか聞こえないかの低く響く声で、一言。
「去(い)ね」
 二つ―厳密に言えば一つだが―も年下のシゲに対し、崇弘はその笑みに恐怖を感じた。目が全く笑っていない笑みという物を初めて見た。
 黙ってしまった崇弘にシゲは瞳を細めるだけで笑い、手首に掛かっていたその腕をやや乱暴に引き剥がした。そして後方で棒立ちになっていた万理絵の隣に戻り、その肩を抱いた。
「シゲちゃん・・」
 目を丸くする万理絵に今度は目元にも笑みを浮かべて、シゲは崇弘に向き直る。
「くっそ・・、てめぇ本当に万理絵と付き合ってんのかよっ?俺を断る為にフリしてんじゃねぇの?」
 引き際を知らない無粋な男らしい台詞だとは思ったが、当たっているだけにそれを悟らせるわけにはいかないのだが、ちらりと万理絵を見るとまるで図星を指されたかの様な表情を浮かべてしまっている。
 外灯が照らし出したベンチからは少し離れていたので、崇弘に万理絵の表情は見えなかっただろうが、それでもこのまま言葉だけの応酬では埒が明かない。
「フリ?何言うてまんの。自分が振られたからて、いちゃもん付けんといてもらえますー?せやったら、証拠見せましょか」
 言うなりシゲは万理絵のあごに指を掛けた。

 竜也は、上機嫌の百合子に公園を通って帰ろうと言われ、余り気は進まなかったが暗くなった公園を女である叔母一人に歩かせるわけにもいかなくて、結局は少々遠回りになる公園に足を踏み入れた。
「あー、寒いねー」
 マフラーにあごを埋めながら、解いた髪をなびかせて百合子は竜也の数歩先を歩く。
「昼間はあったかいんだけどな」
 白く息を吐き出しながら竜也は空を見上げた。都会にしては星がよく見えていて、それだけ空が澄んで寒いのだと実感する。
「うわ、ねぇねぇたっちゃん、見て見てっ」
 突然百合子が竜也の腕を引いて、竜也は上に向けていた首をがくんと揺らす羽目になった。
「って・・!何だよっ」
「しっ」
 危うく筋を痛めるところだったと文句を言おうとした竜也の口を、柔らかい毛糸で編まれた百合子の手袋が塞ぐ。
 竜也は口に毛が入って来ない様に口を閉じるしかなく、仕方なく眉をひそめるだけにしておいて、百合子の視線の行方を自分でも追った。
「あれって、修羅場?ね、ね、そうよね?」
 立ち止まりながら小声で楽しそうに言ってくる百合子の視線の先には、こちらに背を向けている一人の男と、それと向かい合う形の一組の男女。
「やーだ、あれってまだ高校生とかじゃない?生意気ーー」
 言いながら明らかに声が弾んでいる百合子に対し、竜也は他人の恋愛ごとになど全く興味が無いので、きわめて冷めた視線をその三人の人物に送ったのだが。
(シゲ・・?)
 こちらに向いている一組の男女の男の髪が、金髪に見えた。少し外灯から離れている所に立っている為定かではないが、とりあえず黒髪でないことだけは確かだ。
「ね、もちょっと近くに行ってもいい?」
「おい、百合姉っ」
 好奇心が刺激されまくるか、百合子はじりじりと彼らに近づこうとする。そして声は聞こえないまでも顔だけは見える所まで近づいて、百合子はまるで竜也とデートでもしているかのように腕を絡ませてきた。
「静かにっ」
 百合子は咄嗟に腕を引こうとした竜也の腕をぐいっと引いて小さな声で叫んだが、竜也に声を上げることなど出来なかった。
 その位、驚いた。
 こちらに背を向けている男と重なる様にしていた、もうはっきりと金髪だと分かる男が身体を話した瞬間、その顔を確認できて、それは良く見知った人物だったから。
(シゲ・・!)
 それはやはりシゲだった。驚いて引こうとした腕を百合子に掴まれて、両手に提げた紙袋がガサっと音を立てる。
「シゲちゃん・・?」
 何度も家に夕食を食べに来ているシゲの顔は当然百合子も知っていて、百合子もまさか知り合いがそんな現場に居るとは思っていなかったのか、軽く驚いた声を上げる。
「やだ、シゲちゃん彼女居たの」
 シゲの隣に立つ白いコートを着た華奢な女の子の肩を抱くシゲを見て、百合子は竜也の腕にぐぐっと力を込ながらひそひそと竜也に囁く。
「知らねぇ」
 二の腕に強い力が込められるのを感じながら、竜也は今日シゲが言っていたのはこのことかと納得した。
 そして酷く、寒気を感じた。
「・・・え、え、え・・・っ」
 デートをしているカップルのフリをして、見ていないフリをしながら百合子と竜也がしっかりシゲの行動を見ていると、シゲは何と彼女のあごに指を掛ける。
 百合子が小さく驚きの声を上げるのに合わせるかのようにシゲの顔は徐々に女の子に近づいて、そして男と竜也達の目の前でキスをした。
 竜也の紙袋を握る手に力が篭もり、紙袋が再度大きな音を立てる。
 最中のシゲの表情は頬に掛かる金髪で見えなかったけれど、酷く優しげに女の子の肩を撫でているのは見えた。
「うそー。シゲちゃん、やるーー・・・」
 食い入るように出刃亀を続ける百合子に対し、竜也は女の子を抱くシゲの手から目を逸らした。
 脳裏に蘇ったのは、つい昨日触れたシゲの唇。瞼を上げた後の優しいシゲの微笑み。
 喉の奥から言葉にならない叫び声が競り上がってきそうで、竜也は腹に力を込めて唇を噛み締めた。そして隣の百合子に気付かれないようそっと震える息を吐き出して、茶化すような口調で、
「百合姉、涎出てそう」
「・・・・・・・えっ」
 ぼそっと告げられた竜也の言葉に、身を乗り出さんばかりだった百合子は我に返って、思わず自分の口元に手を当てた。
 その行動がおかしくて、竜也は笑った、笑えたと、思った。
「物欲しそうだから、止めろよ。行こ、知り合いの痴話喧嘩の覗き見なんて趣味悪すぎる」
 痴話喧嘩。言って竜也は自分の胸が押さえつけられる様な気持ちになる。自分の言葉で自分で傷付くなんてどうかしてる。そもそも、何で傷付かなければならないんだ。
「待ってよ、たっちゃん」
 両手に提げていた紙袋を片手でまとめて持って、竜也は百合子の手を引いて踵を返した。
 思わず普通の音量で名前を呼んでしまった百合子だったが、早足で手を引いていく竜也に気を取られて気付かなかった。
 女の子に長めのキスをしていたシゲが、百合子の言葉と同時に顔を上げた事に。
 



next