翌日、朝から運悪く玄関でシゲと顔を合わせてしまった竜也は、何で今日に限って朝から来てるんだと腹立たしく思ったが、それを言うわけにもいかず、更にはシゲが満面の笑みで挨拶をしてきたことで、何故自分がそんなに気まずい思いをしなければならないないのかと憤りまで感じて、一拍の間をおいた後にぶっきらぼうに、 「今日は早いな」 とだけ返した。 するとシゲは何を思ったのか、脇を通り過ぎようとする竜也の肩をガシっと掴んで己の方に向き直らせ、じっと竜也の顔を覗きこんで来た。 「な、何だよっ」 「俺、おはよ、て言うたんやけど」 顔を冷たい手で挟んで、シゲは黒い瞳で竜也を見つめてくる。 「お、はよ・・」 シゲの指先の冷たさに眉をしかめながら、竜也は小さく呟いた。途端にシゲはにかっと笑って手を離す。 「うし、朝の挨拶はきちんとせんとなー、たつぼん」 満足げに笑って手を後頭部で組みながら歩き出すシゲに促されるように、竜也もその後を追う。 「まともに間に合う方が珍しい男が、何言ってんだよ」 シゲの背中を軽くこずきながら言ってやると、シゲは大して痛くも無いくせに大げさに痛がって暴行だと騒ぐので、言われた通りにその後背中に蹴りをかましてやった。 「いったーー・・。て、そやたつぼん。今日天気ええから、昼休み屋上で遊ぼ」 自分の教室まで来ると、シゲは蹴られた背中を擦りながらそう言って教室に入っていった。 「・・は?」 中でシゲがクラスメイトに、おはよーさん、と挨拶しているのを聞きながら、竜也は言われたことを頭で反芻した。 (遊ぶって、何) シゲの言い方が子供染みていて普段なら笑えただろうが、あんな場面を見てしまった翌日にシゲと二人きりになるのは今日の竜也は勘弁願いたかった。 けれど、竜也のその願いも空しく、昼休みシゲは教室の入り口で大きな声で、 「たっつやくーん、あっそびましょー♪」 クラス中の視線と忍び笑いを浴びながら、竜也はシゲの襟首を掴んで屋上まで猛ダッシュする羽目になった。 ぜぇぜぇと肩で息をしながら膝に手を付く竜也に、シゲは少し息を乱しただけで乱れた髪を梳きながら、からかいを込めて屈んで竜也を見上げてきた。 「あんな程度で息上げてもうてー、キャプテン失格やでーー?」 「うるっさいっ!・・心労のせいだ・・っ」 心底焦って走ったから、思った以上に体力を消耗した。ところがその原因とも言える男は実に爽やかな顔で滑らかに歩き、屋上のフェンスに寄り掛かる。 「さすがに誰も居てへんなぁ」 下から吹き上げてくる風に制服の裾を払われて、入り込む風の冷たさにシゲはぞくっと背を震わせながら、金網の冷たさを指に感じた。 「そりゃ、二月も半ばだからな。いくら天気いいからってこんなとこに上着も着ないで来る馬鹿なんて、お前くらいだ」 竜也も寒そうに肩をすくませながら、シゲの隣に立って眼下に広がるグラウンドを見つめる。ちらほらとサッカーなりバレーなりをしている生徒が見受けられるが、その数は当然ながら夏の比ではない。夏は場所を取ることも大変になることもある。ただ、余りにも暑い日だと今日とさして変わりはなくなるが。 「あら、たつぼんはどうなん?」 不機嫌そうに唇を結ぶ竜也にシゲが問うと、竜也は憮然とした表情のまま、 「拉致られた」 とだけ答えた。 「えー、引っ張って来られたんはシゲちゃんやでーー?」 くすくすとおかしそうに笑うシゲを一睨みして、竜也はまたグラウンドに視線を戻してそのままシゲの方は見ずに呟いた。 「うるせぇ」 「・・・どうかしたん?」 シゲはふと笑いを収めて、竜也の横顔を見つめる。 「何が」 シゲが金網から身体を起こしたのを視界の端で捕らえて、竜也は金網に絡ませた指に力を込める。 「こっち見ぃひん」 シゲの指摘にぎくりとしたが、竜也はそのまま視線をずらさない。 どうしても、シゲの顔が見れない。見たら絶対に昨夜見た情景も思い出す。そう考えた瞬間にもう思い出していて、ますます竜也はグラウンドで走り回る知らない男子から目を離す事ができない。 「別に・・・。で、何して遊ぶって?」 これ以上突っ込まれるとぼろが出かねなかったので、竜也はまるで人を探してるんだという様なフリをしてますますフェンスにしがみつき、視線はそのままに話を変えた。 シゲも竜也が言いたくないらしいことは察せたが、ここに一緒に来てくれたのだからそれ以上は追求せず、あくまで明るい声で提案した。 「ん〜〜、せやねぇ。バレンタイン用にシゲちゃんの好きなチョコ当てとかどう?」 「はぁ?」 言い出したシゲの目的が分からず、竜也は思わずシゲに顔を向けて思い切り怪訝そうな声を上げた。 「うわ、可愛らしいお顔〜〜。やって、知っとった方がたつぼんかて悩まんでええやん?」 シゲは竜也の足元に座り込んで、一度離した金網に再度背中を預けた。 ガシャンと音を立てる金網の振動と共に、揺れた瞳で竜也はシゲの後頭部を見下ろした。 「何で俺が悩むんだ。俺がお前にやるなんて義理を勝手に作るな」 シゲは昨日、”本命チョコは一つだけ、当てのある相手に貰う”と公言した。竜也は昨日シゲが知らない女の子とキスをする場面を見た。つまり、そういうことだろう。 「へ?何言うてんのん。たつぼんのは本命やろ?くれへんの?」 それなのにシゲは、昨日竜也に見られていたことを知らないから、こんな冗談で竜也をからかおうとする。 「お前こそ、何言ってんの。昨日本命とデートだったんだろ」 人前でキスしてしまえる位、好きな相手が居るのだろうと言いかけて、それは何故だか萎縮した肺に阻まれて言えなかった。 「はい・・?」 シゲが困惑顔で竜也のほうを仰ぎ見た。その唇が、寒さのせいか青くなりかけている。 あの唇に、キスされた。それを唐突に思い出して、竜也の頬に自嘲気味な笑みが浮かんだ。 これまで竜也が何度シゲとキスをしたかなんて、問題にならない。昨日のシゲの相手は女で、こちらは男だ。どちらが本気のキスだったか、幾ら恋愛事に疎い竜也にだって瞬時に分かる。 男相手に本気のキスをする男なんか、特定の性癖の方々に限られている。そしてそのカテゴリにシゲが含まれる筈なんて無いことも、分かっている。 それなのに、何故自分の声が震えそうになるのか竜也には分からない。 「昨日俺も用事があって公園行ったんだよ。お前、人の眼位気にしてやれよ。あの子可哀想じゃねぇか」 そう、自分の中に沸いてくるこの名前の付けようの無い感情は、シゲのデリカシーの無さについて感じるものだ。 あんな晒し者になりかねない場所でキスをされるなんて、女の子が可哀想だと思って腹が立つのだ自分は。自分は優しい人間だから。 竜也の金網を握る指が白くなっていることに気付かずに、シゲはまるで悪戯を見つけられた子供のように誤魔化すような、眉尻を下げる笑みを浮かべる。 「あぁ、あれ?あれは助っ人やん、単なる」 金網で指が切れるんじゃないかという位、竜也は指を握りこんだ。そうしなければ、今すぐシゲを殴り飛ばす気がした。 「助っ人?」 「そ、あの子の元彼氏がしつこく言い寄って来るから、何とかして欲しい言われてん。やから、きっぱり諦めさす為に、付き合ってるっちゅう証拠にする為に、したん」 分からない。 何故こんなに膝が震えるのだろう。 シゲが本気でもなく女の子の唇を奪ったからか。シゲが自分のキスに値段をつけて売る様な真似をしたからか。 「何で」 今唐突にこの場で、今までシゲが自分に仕掛けてきたキスの意味が、分かってしまったからか。 「ん?何が?キスが?やって別に減るもんやないし。金貰っとる以上は、完璧に仕事はこなさへんとな」 竜也は、シゲとキスをして金を請求されたことなど無い。いつだって、竜也が頼んでいたのではなく、シゲがしたくてしてきていたのだから。 だから。 「せやから、俺の本命はたつぼん。本気のキスはたつぼんだけや」 竜也の膝は崩れ落ちた。 「たつぼんっ?」 ゴンっと鈍い音を立ててコンクリートに叩きつけられた膝が激しく痛かった。けれど、それ以上に目の前で驚愕に眼を見開く男が憎かった。 「ふざけんな!!」 竜也はズキズキと広がる痛みをもシゲへの怒りの原動力に変換し、血が通わなくなる位に握りこまれていた白く痺れる指で、シゲの胸倉を掴み上げた。 「本気のキスだ?助っ人の為だ?何でお前はそういうことが出来るんだ!」 金の為なら何とも思っていない女にキスをしてしまえるシゲが、無償で仕掛けてきていたキスは竜也への想いだと、今気付いた。 知らずにシゲは、男が男に本気でキスをしてしまえる方々の中に入ってしまっていたのだと。 けれど同時に金の為なら竜也以外にも平気でキスを切り売りできるシゲに、無性に腹が立った。 「何、怒ってるん?」 シゲは竜也の言っている意味が分からないと言う様に、胸倉を掴み上げる竜也を眉をひそめて見返す。 「たかがキス一つやん」 そんなもので、自分の竜也への想いは変わらないし揺らがないし、疑われる謂れも無い。シゲはその自信があったし、はっきり告白したわけでは無いけれど竜也にも自分の気持ちは大体伝わっていると思っていた。 それなのに、竜也はシゲが他の女とキスをしたと言って怒っている。 それはシゲにとって、自分の想いを疑われるのと同じことだった。 「たかがだっ?」 だから、一層指に力を込めてきた竜也にシゲも僅かに腹立たしさを感じた。 「たかが、やろ?気持ちの入ってないキスなんてキスやないわ。数にも入らんし、その内記憶からも抜けるしな」 「ふざけんなっ!この自己満野郎!!」 竜也はシゲの胸倉を掴み上げていた手を自ら払った。そして立ち上がってシゲに言い放つ。 「俺はお前に何も言われてない。もうお前の気持ちなんか知らねぇ。知りたくねぇ。理解できない。んな手軽に、金貰えば誰にでもキスできる奴に本気のキスとか言われたってなぁ、信じられるか、馬鹿」 怒りで熱くなった竜也の身体は、冷たい二月の風など微塵も苦痛に感じなかった。ただ、どうしても理解していないシゲの表情だけが、胸に痛い。 何かを言いかけるシゲの声すら聞きたくなくて、竜也は思わず開きかけたシゲの口を手で塞いだ。 「聞きたくない。お前には分からない。お前の気持ちなんか問題じゃないんだ。キスする方がどんな価値観持ってようとそれはそいつの勝手だけどな、キスされる方にだって想いも価値観もあんだよ」 そう言って竜也はシゲが次に何か言う前に、屋上から逃げ出した。 残されたシゲはどうしても竜也の立腹の理由が分からず、ただ自分の想いの深さを竜也は全く理解していないのだという、ことが悲しくて腹が立った。 シゲは眉をしかめたまま立ち上がり、掴まれて皺になった制服を整えて尻の埃も払ってから屋上を後にした。 校舎の戻る為に閉じた屋上への扉は、何時もよりも重い音を立ててシゲの背後で閉じた。 「あー、最悪だぁ。なぁ水野、もう制服着ちまっていいよな?」 肌に張り付く冷たいユニフォームを出来るだけ体から離そうと摘んでいる高井に、竜也は外の様子に耳を傾けて、そうだなと頷いた。 「風邪引いても困るし、今日は切り上げよう」 部活中、昼間は雲一つ無かった空に突然暗雲が立ち込めて、間も無く氷雨がサッカー部員を襲った。慌てて部室に避難したものの、部員の多くは雨足に先を越されて冷たい雨に体温を奪われてしまった。 「あー、まいったわ、ほんまに。出るんやなかった」 ぶつくさ文句を言いながら他の部員と同じ様に着替えるシゲに、高井がからかう。 「お前が出たから降ったんじゃねぇのー?」 「やかまし。ったく、小島ちゃんに引きずられたんが運の尽きやったなぁ・・」 シゲは今日の部活に出る気などさらさら無かった。それで、HRが終わった直後にさっさと帰ろうと廊下に出たのだが、そこにサッカー部マネージャーであり女子部部長でもある、今は女子を連れて校舎に逃げ込んだ小島が居た。 『シゲ、あんたまた今日水野とやりあったでしょ。それで休むなんてガキくさい真似しないでよね』 言うが早いか、小島はシゲの腕をがっちり掴んでサッカー部の部室にシゲを放り込んでしまった。 「あぁもう・・」 そこまでされては部活に出るしかないのだが、そうなると一切シゲを視界にすら入れない竜也を見なければならないわけで、今日の部活は居心地の悪いことこの上なかった。 傘があったり寝れても良いから走って行くと決めた部員が粗方帰って行く中で、シゲが視界の端で無表情で着替える竜也を見ていると、さっさと着替え終わった高井が部室にある数脚の椅子の内の一つを引っ張ってきて、そこに腰掛けてにっと笑った。 「なぁなぁ、どうせ雨が止むまで傘の無い奴はここで雨宿りだろ?だったら何かゲームでもしねぇ?」 「面白そうじゃん」 高井の提案にすぐさま乗ったのは森永だった。 「いいね、皆で待ってれば退屈しないし。水野君、駄目かな?」 部室の鍵を預かるキャプテンにお伺いを立てたのは、絶対一本くらい置き傘をしている位のマメさは持っている筈の風祭。 「え、あぁ・・・。そうだな。普段ならまだ部活してるんだし。大丈夫じゃないか?」 「じゃぁ、水野君もやろうよ」 水野もまた、置き傘をしているマメな人間の一人だったので、これ以上今日はシゲの顔を見ていたくない気分だったせいもあり、残る誰かに鍵は預けて帰ろうかと思ったのだが、無邪気な風祭の誘いに少し迷った。 「いや、俺は・・」 断りかけた竜也の斜め下から、風祭が強請るような視線で見上げてきて、竜也はそれ以上続けられなくなる。 「駄目なの?忙しいのかな?」 基本的に風祭に弱い桜上水サッカー部キャプテンは、その願いを無碍にすることなど出来なかった。 「じゃぁ、少し、な・・・・」 「ホントっ?」 目を輝かせる風祭に優しく笑い返した竜也を見て、シゲはロッカーを思い切り殴りつけてやりたくなったが、かろうじて踏みとどまった。 何時もならシゲはあそこにすぐさま割って入って二人を引き剥がすのだが、今日は竜也と気まずくなってしまっている。 邪魔することも出来ず、かと言って竜也にまとわり付く風祭を黙って見ていたくも無い。竜也が残るのなら自分は濡れてもいいから帰ろうとシゲが鞄を持ち上げたところ、突然外の雨足が強くなった。 「うわ、シゲやめておけって。肺炎になって死ぬぞ」 外に出ようとしたシゲに高井が声を掛ける。更に追い討ちを掛ける様に風祭が、 「そうですよ、シゲさん。一緒に雨宿りしていきましょうよ。それにシゲさん勝負事強いじゃないですか」 その言外に、 『逃げるんですかー?あはは、敵前逃亡ってやつですね?いいですよー、どうぞどうぞv』 そんなブラック風祭を感じ取って、元来負けず嫌いの性格がそれに反応して、シゲは部室内に向き直った。 「しゃあないなぁ。で?何のげーむなん?」 「何にしようか?」 部室の奥に引き返して、高井と同じ様に椅子を引っ張り出して座るシゲに、高井が指を立てて提案した。 「王様ゲームとか?」 「男同士でやって、何が楽しいねん」 シゲは間を置かずに高井にツッコむ。 あれは、女の子を交えて、誰が誰にキスをするだの頬を引っ叩くだのでわいわいやるのが楽しいゲームの筈だ。 「だよなぁ・・」 自分の失言に苦笑しながら机に突っ伏しそうになる高井に、竜也がぽつりと呟いた。 「王様ゲームって、何?」 部室に残っていた数人の部員たちは、思わずまじまじと竜也に視線を集中させる。 「な、なんだよ・・」 普通は知っているものなのかと思って恥ずかしくなった竜也は、一歩後ずさって視線を避けようとする。 「知らないの?水野君。あのね、何人かで番号の付いた棒とかを引くんだけど、その中に王様の印が付いてるのがあってね、それが王様になるんだけど、王様は適当な番号の人に好きな命令を出せるんだよ」 風祭の説明に高井が補足する。 「二番と四番が腕相撲〜とかな」 「三番腕立て五十回とか?」 いかにも、らしい例えをする竜也に高井はちょっと首を傾げながらも、まぁ間違ってはいないなと頷いておく。 「ふ〜ん・・・」 知らないゲームに興味が沸いたのか、竜也は深く頷いた。それを見た風祭がすかさず、 「やってみる?」 と尋ねると、竜也は微笑して頷いた。 「面白そうだな」 そんなわけで、高井が適当にノートを切ってくじを作ることになった。 適当なくじはすぐに出来、部室に残っていた六人は机の周りに集まった。ちなみにメンバーは、高井・森永・風祭・竜也・シゲ・不破の六人である。 「ふむ、このゲームは擬似的王の役目を果たすということで、人にあらかじめ備わっている虚栄心や優越感を満たすことを目的とし、更に命令を受ける人物はその屈辱をばねにして闘争心を燃やすというゲームなのだな」 相変わらず彼なりの見解を呟きつつ、最初の王様は不破だった。 「うーむ・・・。では、三番の者、遺伝子の構造を答えるか源氏物語を暗誦するか英語で赤毛のアンを朗読するか、どれかにしろ」 「できるかっ!!!」 三番を引いていた森永だけでなく、その場の全員が却下したため、森永は無難に腕立てに十回になった。 「難しい・・・。なるほど、民衆に受け入れてもらう王になるには中々の苦労が入用だということも分かるなこのゲームは。奥が深い・・」 「深くネェ・・。んじゃ次ーー」 高井がくじを回収し、二回目の王様を決める。 「あ、僕だぁ。えーとね、一番の人ー」 風祭に言われてシゲが手を挙げた。 「四番の人にしっぺ」 「あ、俺」 四番と言われて、竜也が手を挙げた。 (げ) 一瞬お互いに視線を交わして固まったものの、他のメンバーに気付かれてはまずいと思い、竜也は無言で腕を差し出した。 ぺしっ。 「シゲ〜、軽すぎねぇ??」 白い竜也の腕にすら跡の残らないしっぺをして、シゲは竜也の腕を離す。音の情けなさが不満だったのか、森永がシゲに文句を言ったが、 「阿呆、キャプテンにしっぺなんて恐れ多いことできるかい」 シゲは笑って取り合わなかった。 しかし、次の回でシゲが森永にデコピンをすることになり、その際にはシゲは森永の希望に応えて盛大な音のするデコピンをしてやった。 「シゲーーーっ!」 赤くなったおでこを押さえる森永に、シゲは西部劇のガンマンの様に人差し指に息を吹きかけて、高らかに笑った。 「思い切りやらな、怒るんやろー?」 「くっそーー・・」 「森永、次で復讐するんだっ」 「そうだよ、頑張って!」 ジンジンするおでこを押さえながら森永は次のくじを引く。雨が止むまでのほんの時間潰しの筈だったのだが、以外にも六人は盛り上がっていた。 「む、また俺か・・」 初回ぶりに不破に王様が戻って来た時、部室には緊張が走った。また何を言うのか分からない不破の命令を、皆固唾を呑んで待つ。 そして開かれた不破の口から出たのは。 「五番が二番の口にキスをする」 「・・・・はぁ!?」 素っ頓狂な声を上げたのは竜也だった。今自分の手元には五番がある。ということは、キスをするのは自分だということだ。 不破は叫んだ竜也を不思議そうに見返して、こういうものではないのか?と問うた。 「俺の記憶する王様ゲームとは、こういう命令もありだったと思うのだが」 自分の命令は先ほど酷く不評だったので、今度はスタンダードなものを言おうとした不破の気遣いの結果だったのだが、先ほどのルール説明でその様な発言が無かったために、竜也は酷く驚いた。 「まぁ、ありっちゃありやけど・・。男ばっかでやってもなぁ」 シゲが苦笑しながらさりげなく却下案を出そうとしたが、楽しいこと好きの高井と森永は乗ってきてしまう。 「男同士だからこそ、冗談で済むじゃん。その様子からすると。水野どっちかなんだろー?」 「キャプテン、逃げるのかー?」 二人に言われて、竜也はぐっと言葉に詰まる。何事も勝負と言われれば逃げたくは無い。ただ、もし相手がシゲだったらと思うと、絶対に無理だ。 「二番て誰だよ」 極力視界にシゲを入れないようにして呟くと、竜也のすぐ左隣から手が上がった。 「ごめん、僕・・・」 「え、風祭?」 途端に竜也の眉間から皺が取れる。 「水野ー、逃げんのかー?」 にやにやと笑ってくる高井にむっと睨み返して、竜也は風祭に手を挙げて謝罪する。 「ごめんな」 シゲでは無い上に、普段から弟や時には愛犬と重ねてしまうこともある風祭相手では、竜也は大して抵抗感も感じなかった。 風祭は少し恥ずかしそうに頬を染めながらも、首を横に振った。 「ゲームのルールだもん、仕方無いよねっ。大丈夫っ」 そして風祭は竜也に向き直って、少し上を向いて目を閉じた。 「おーー」 無責任な声を上げてくるのは高井。竜也はそれを無視して、風祭に顔を近づけた。 竜也が風祭の唇に触れる瞬間、ギッと軋んだ音を立てたのは竜也の椅子でも風祭の椅子でもなかった。 ちゅ、と軽く触れるだけのキスをして竜也が風祭から身体を離そうとした瞬間、風祭が体勢を崩して椅子から竜也の方に倒れこんだ。 「う、わ・・っ?」 がターンッ! 派手な音を立てて二人の椅子が倒れ、二人とも床に転がった。 「んっ・・?」 身体を起こそうとした瞬間、竜也の唇に何か暖かいものが触れた。それが一緒に倒れてしまった風祭だと気付いたのは、口内に風祭の舌らしきものが侵入してきてからだった。 「おい、大丈夫か・・っ?」 丁度竜也達の向かい側に座っていた高井と森永が、椅子から立ち上がる音がする。 けれども竜也は自分の置かれている状況を把握しかねて、咄嗟に閉じてしまった瞼をどうにも持ち上げられない。どうしていいか分からずに、ただ風祭の舌を受け入れてしまっていると、突然身体の圧迫感が無くなった。 と、同時に。 ガッ!ドサっ。 鈍い音がして、何か大きなものが倒れる倒れ込んでくる音がした。 「シゲ!?」 森永の驚愕の声に竜也が目を開けると、風祭は竜也の横に膝を付いていて、二人の正面には拳を握りこんだシゲが居た。 「何、してんの・・・・」 どうやら風祭を殴ったらしく、赤くなっているシゲの右拳を呆然と見詰めながら呟く竜也に、シゲもまた呆けたように。 「・・・・・・あれ?」 何ともとぼけた声を上げた。 |