問答無用のデッドヒート







 文化祭の一日目は、夕方から始まる。前夜祭という名目手、ステージに割り振られたクラスの発表を生徒全員で鑑賞するのだが、これが結構退屈だ。
 狭い体育館に全校生徒が詰め込まれ、暗幕を下ろされた中にじっとしているのは元気が有り余っている年頃の生徒には苦痛だったりもする。
「利央のクラス、次か?」
「みたいっすね」
 準太は、隣で胡坐をかいて欠伸を噛み殺している慎吾に小声で答える。最初はきちんと学年毎クラス毎に並んでいたのだが、トイレや何やらの出入りは自由な前夜祭の為、その内友達同士や部活仲間同士で列も崩れて座るのが例年のことだ。
「お前ら、まだ喧嘩してんの?」
 ステージの上では、人魚姫をコメディにした演劇が繰り広げられており、台詞も頭に残らない程度にぼんやりと眺めていた準太は慎吾の言葉に嫌そうに眉を顰める。
「なんで知ってんすか」
 彼等三年はもう夏の終わりに引退し、新しい部長の下で体勢が整うまで余計に顔を出したりしない方がいいだろうということで、余り部活に顔を出さない。その筈なのに、慎吾は部内の事情にいつまでも明るい。
「持つべき物は人徳だよ、準太君。タケが和に相談しに来たんだってよ、長いらしいじゃねぇの今回は」
 余計なことを、と準太は口の中で毒づいた。けれど部長である青木がバッテリーの不和を心配することは当然で、心配の種になってしまっている自分がどうこう言える立場ではないことは分かっていた。
「まだっつうか・・・、あいつがステージ練習だ何だで忙しいから、まともに話す時間もネェってだけの話っすよ」
 慎吾相手に下手な誤魔化しは効かないと分かっているので、準太は正直に答える。すると彼は暗がりに慣れた目で容易に見ることのできる人の悪い笑みを浮かべた。
「なんすか」
 嫌な予感を憶えながら少し上体を慎吾から逸らせて半眼で見返すと、彼は鼻先で笑って準太君たらぁと君の悪い声を上げた。
「利央の仲良しさんに、妬いたんだろ?棗、だっけ、あの綺麗な日本人顔した奴だろ」
 本当に、この人の情報網というのはどうなっているのだろう。部活だけにとどまらない広い交友関係を持っていることは知っているが、だからといって二年も下の後輩を知っているのは尋常じゃない。
「何で、知ってるんすか、あいつのこと」
 何か生徒会でもやっていれば集会で見かける機会もあるだろうが、棗がそんなものに入っているのは準太の記憶にも無い。
「目立つんだよ、あの二人。対照的に美形だから、女子が騒いでんぞ。最近は特に、棗の方が利央にべったりだってな」
 慎吾に言わせれば、準太の方に噂やゴシップへの関心が低すぎるということだが、それでも彼には他人がどうしたこうしたという物に別段興味が沸かない性質だ。
「心配だな、ただの友情で終わるなら構わないけどなぁ?準太」
 棗が利央に対してそういう意味での好意を持っていることを、慎吾は察しているのだろう。情報網の広さと勘の良さには、どうにも勝てる気がしないと準太は諦めたように嘆息した。
「でも学際が終われば、また利央は野球漬けだし。色恋に走ってる暇なんてないでしょ」
 だから青木が心配している不和も文化祭が終われば終わると言った準太に、慎吾はそうかねぇと膝を支えに頬杖を付く。
「文化祭ってのは、男も女も無意味に盛り上がるイベントだからな。せいぜい暴走しないように見張っててやれよな」
 何を、とも誰を、とも聞かずとも理解した準太は、彼の口端に浮かんでいるにやけた笑いに、溜息で答えた。
 そんな会話をしている内に、ステージは終わっていた。いよいよ次はあの後輩のクラスだと、準太は慎吾から意識を引き剥がす。
 あれだけ熱心に練習していたステージ発表とやらがどの程度の出来栄えなのか、大したことが無かったら指を指して笑ってやると思いながら準太はライトの消えたステージを見つめた。
「間に合ったか」
 不意に背後から聞こえてきた声に振り返ると、トイレに行って来ると言って数十分姿を消していた和己が帰ってきていた。
「和サン、お帰りなさい」
 部活で会えなくなってから、余り交流する機会が無くなってしまった敬愛する先輩に、準太は利央にすら滅多に向けない柔らかな笑みを浮かべる。
「長い便所だったなぁ、和」
「ここ暑いからな、利央のステージだけ見ようと思って」
 トイレを理由に逃げ出していたと笑う和巳に、真面目そうに見えて実は結構こういう奴だよと慎吾は肩をすくめた。それでも利央のステージンだけは帰ってくる辺り、まるで運動会に引っ張り出された父親の様だなと、ハンディカメラを持ってグラウンドにいる和己を想像して、その余りの嵌りぶりに一人で可笑しくなった。
「あ・・・」
 準備が整ったのか、ステージが明るくなる。利央がどんな発表なのか、どこで出るのか全く話したがらなかった為、誰一人利央がどこに現れるのか知らなかった。だから自然、三人は無口になってステージを見つめた。

 始めに現れたのは、黒いレオタードの集団だった。女子のその姿に観客から囃し立てる声が上がる。どこかで見た格好だなと準太が思うのと同時に、聞き慣れた音楽がスピーカーから流れ出した。
「おいおい、これかよ・・・」
 隣で慎吾が呟いたとおり、それはある有名な金融会社のCMで使われている音楽だった。ありきたりと言えばありきたりだなぁと思いつつ、まさかここに男である利央が加わるわけではあるまいと、準太は後ろ手で身体を支える。
 女子のレオタード姿というだけでそれなりの盛り上がりを見せたその曲は終わり、彼女たちは散り散りにステージの裏へ消えていく。そして続いて現れたのは、女装したチアガール。
「う・・・」
 勿論無駄毛処理も何もしていない、男らしい足やら腕を晒したチアガールたちに、先ほどは打って変わって野次が飛ぶ。ちらりと視線を横に走らせると、さすがの和己も表情を強張らせて笑っていた。
 それでも、彼らのダンス自体は素人にしてはレベルが高いもので、タワーを作って頂上に人が立った瞬間は、野次が歓声に変わったりした。
「次は何だ・・ていうか、これマジで利央出るのか?」
 まさかと思ったが、今のチアガールに利央はいなかった。いたらいたで面白かっただろうけど、練習試合の後に吐くまで練習をしていたあの背中を思うとどこかそのことに安堵した。
 次はこれまた趣向ががらっと変わり、レトロなドレスに身を包んだ男女がワルツを踊りながらステージ中央に出てくる。
「へぇ・・・凝ってんなぁ」
 和己が感心した呟きを零したとおり、男はタキシード、女は裾の長い昔風のドレスという凝り様。ステップも中々堂に入ったもので、クラスメイトの誰かに社交ダンスをしている人間か、または親が教えているという人間でもいたのかもしれない。
「でも、いないよなぁ?」
 六組の男女が輪を作って踊るステージにも、利央はいない。一体いつになったら出てくるのだと若干苛立ち始めた頃に、ワルツを踊る男女の輪が乱れた。曲も、昔風のワルツにビートの利いたベースが混じる。
「すげえ編集・・・」
 このクラスはレベルが高いと、準太も認めざるを得なかった。これだけ凝った演出をするのなら、彼があれだけ必死に練習していたのも頷けてしまう。
 ワルツの輪を乱したのは、黒いマントを羽織り背の高い帽子を目深に被った二人の男。彼らに道を開けるように三組ずつステージの端に寄り、女子の方はそのままステージ裏へ、男子の方は二人のバックに一列に並んだ。
 ドンッ!
 一際大きなベース音が響き、マントがひらりとステージ上で翻る。露になった二人の姿に、体育館のあちこちから黄色い声援が上がった。
「トリかよ、やるねぇ」
 ステージでは、マントを翻した利央と棗が並んで被っていた帽子をステージ下へ放り投げた。ライトに照らされる金色の髪と漆黒の髪、ひらりとターンを一つ決めて二人はマントも脱ぎ捨てた。同時に、後ろに並んだ六人の男子も、タキシードの上着を脱ぎ捨てる。
 アップテンポのヒップホップ。タキシードを着て踊るジャンルではないが、その正装と砕けたダンスがアンバランスで面白い。
「りおーー!!」
「こっち見てーー!」
 曲に合わせて利央が髪を掻き上げる仕草をして、ステージ下から歓声が上がる。
 今更ながらあの後輩はつくづく目立つ容姿をしているものだと、準太はステージ上で踊る利央を見つめていた。
 一瞬音楽が止まったかと思うと、バックの人間が入れ替わった。タキシードの男が消えて、最初に踊ったレオタードの女子とチアガールから着替えたらしい男子が数人ずつ躍り出て、利央と棗を囲むように円を作った。
「マジで主役級だな」
 同じ動きをしているのに、正装した二人は円の中心で浮いて見える。良い意味で、目を惹いた。
「なつめー!」
 利央の派手な容貌にも引けを取らない棗にも、やはりファンはいるらしい。確かに、金と黒のコントラストは不本意ながらも綺麗だった。
 輪が崩れ、そこから二人がまた前方に出る。背後の男女はライトが当たらない位置まで下がり、利央と棗だけがリズムを刻んでいる。棗が利央の足元を払うように屈んで足を回し、利央がそれを飛んで避ける。音楽と二人の息もぴったりで、床に降り立った瞬間利央がやった、と言うように舌で唇を舐めたのが見えた。
 そして向かい合った二人が、それぞれの胸倉を掴んだかと思うと、一気にシャツを引き千切った。
「キャー!!」
「カメラー!写メ写メーー!!」
 曲が、ややスローテンポのものに変わり、奥にいた男女もステージ中央に出てくる。
 乱れたシャツで、利央と棗はステージの奥から出てきた女子の手を取った。歓声とも怒声ともつかない声が体育館の至る所から上がり、これはもう単なる発表というよりは立派なパフォーマンスだと和己が呟いたのが聞こえた。
 男女が重なり合うように向かい合い、女子がよく映画のワンシーンで観るように腰を揺らす。頭の固い教師が見たら卑猥だと騒ぎそうな位、ステージ上の男女の位置が近い。
 更に加えて、利央と棗は格好が格好だ。携帯の写メの音があちこちで聞こえてきて、フラッシュが絶える事無くステージに向けられた。
「やってくれるよ」
 慎吾が苦笑と共にそう零し、ステージ上では男の首に腕を回した女子の片脚を持ち上げて、一連のパフォーマンスが終焉を迎えていた。
 そのポーズで一瞬時が止まり、そこで終わりかと思われたが、曲はまだ止まらなかった。利央と棗はパートナーの手を離し彼女をステージの端へ突き放す動作をしてから、踵を返してステージ奥へ向かう。他の男女も最初の様に彼らの為に道を開け、逆ブイの字の様に整列した。
 そして、ステージ奥まで行った二人はそこでまた身を翻し、一拍置いた後思い切り走り出した。
「おい・・・っ」
 準太が思わず腰を浮かせた目の前で、二人はステージの端から思い切り身を躍らせて、綺麗に宙返りを決めてみせた。
 ダンッと彼らが体育館の床を踏みしめるのと同時に、曲が終わった。一瞬の沈黙の後、体育館は歓声で沸き返る。
「・・・・マジかよ・・・・」
 まさかここまでしてくれるとは、慎吾は思わず詰めていた息を吐き出した。ステージの下では肩で息を切らせた利央と棗が、抱き合って喜んでいる。それはそうだろう、何度も人間が入れ替わった中で、最初から最後まで出ずっぱりな上あんな宙返りを決めてくれた。
「凄いな、これ」
 和己もどこか放心したような声を上げて、ステージに上ってクラスメイトにもみくちゃにされている利央を見つめていた。綺麗だった、と和己は素直にそう感想を抱く。平均よりも長い手足を余すところ無く伸ばして踊る利央は、マウンドで見る彼とはまた違った綺麗さがあった。
「これなら、まぁ必死で練習するわな」
 一度大きくお辞儀をしてステージを去っていく利央とクラスメイト達に惜しみなく拍手を送りながら、慎吾は納得する。これは、そこそこの練習で出来上がるものではない。彼が必死に朝昼晩と練習していた気持ちも分かる。

 体育館内はその後しばらく興奮の嵐で、次のクラスのステージを始められるまで暫くかかった。
 その間準太はじっと黙しながら、暗くなったステージを眺めていた。
 踊れますよ、と宣言した棗。利央は踊れると、挑戦的に言い放った。悔しいが、それについては自分の負けらしい。彼がここまで、目を惹くダンスを踊れるとは全く思っていなかった。しかもあの、シャツを引き千切るシーン。そのままの乱れたシャツと、そこから覗く程よく鍛えられた胸元。黄色い歓声も上がろうものだ。
(ったく、ここまでするか・・・?)
 たかが文化祭で、文化祭の為に、ここまで。けれど、利央は楽しそうで嬉しそうだった。悔しいが、一言くらい誉めてやっても良いかなと、珍しく準太が素直に思っていると、ザワザワと落ち着きの無い視界の中で不意に目に留まった影があった。
(利央・・・?)
 それはステージ脇の更衣室、今現在は控え室に使っている場所から出てきた人影で、二つ。壁に沿うようにして早足で体育館を横切っていくその姿に、注意を払う人間はいない。距離がある為確信は無かったが、暗幕の引かれた体育館から明るい廊下へ出る一瞬、その横顔は確かに利央だった。そして、その手を引いているのは、棗。
 嫌な予感が胸をよぎり、準太は舌打ちと共に立ち上がった。
「どうした?」
 怪訝そうに訪ねて来る和巳に先ほどの彼と同じ言い訳を口にして、準太は二人を追って廊下に出た。
 明るい電気の点けられた廊下に既に二人の姿は無かったが、恐らく自分たちのクラスに行ったのだろうと予想して準太は利央のクラスへと向かう。
 そしてその予想は当たっていて、棗に手を引かれるままに利央は自分たちの教室へ戻っていた。
「どうしたんだよ、棗」
 汗をかいたシャツが気持ち悪くて、着替えたいとでも言うのかと利央は思った。事実、自分が着替えたいなと思っていたのだが、棗は明かりも点けずに窓際に真っ直ぐ向かって行って白いカーテンを乱暴に閉めた。
「棗?」
 模擬店にも使われない教室に当たった為、クラスの机と椅子は綺麗に整頓されている。その中を縫うようにして、利央は棗に近付こうと教室の真ん中辺りにまで歩を進める。
 とっくに日が落ちた外は暗く、カーテンが閉められた教室の中で棗の表情が見えない。
「楽しかったな」
 窓際から離れた彼が同じ様に利央に近付き、汗で濡れた黒い髪が額に張り付いているのが見えるくらいの距離にきて、彼はようやくそう呟いた。
「うん、上手くいって良かったよな、最後とかさ」
 練習した甲斐があったよなと快活に笑う利央に対して、棗はどこか皮肉気な笑みを唇に刻んだ。
「でも利央、お前はこれでまた野球三昧に戻っちまうんだよな。高瀬先輩の元にさ」
「棗?」
 棗の汗の匂いが鼻腔をくすぐり、利央は伸ばされた彼の腕に抱き込まれるのを認識しながら理解できなかった。まだどこかステージの興奮を引きずったような彼の声が、耳元で囁いた。
「そんなにあの先輩がいい?」
 いつもの彼ではない、利央がようやくそう判断した時には、汗に濡れたシャツが彼の手によって捲り上げられたところだった。
「棗、何!?」
 冗談にしては性質が悪いと叫んだ利央に、彼は冗談じゃないよと黒い瞳で利央を覗き込んだ。
「俺、ずっと好きだったんだよな、お前のこと」
 瞬間、利央の思考回路は一瞬停止した。利央にとって棗は友人で、大事な友人ではあるけれどもそれだけだ。彼がもしかしたら準太の事を好きなのではないかと疑ったことはあっても、自分を好きなのではないかと疑ったことは無い。
「な、つめ・・?」
 彼は感情を隠すのが上手いと言ったのは自分だ、そしてそれならお前にはあいつの何も理解できていないと笑ったのは準太。それが原因で彼らは言い合い、殴り合った。
「好きだよ、あんな先輩じゃなくて、お前が好きなんだよ、俺」
 そして棗の唇が首筋に押し当てられて、ようやく利央の思考回路が復活する。
「ちょ、棗、やめろ。シャレになんねぇ、ちょっと、おい・・!」
 彼が冗談で言っているのではないことは、忍び込んでくる掌の熱さが証明していた。けれど、それに応えてしまうわけにはいかない。棗のことは大事だけれど、自分が好きなのは準太だ。
「どんな男かと思って先輩のこと観察してたら、お前は俺が高瀬先輩のこと好きなんじゃないのかとか言い出すし。ほんと、鈍い」
 だけどそれは、棗が利央に気付かれないように隠してきたせいもある。それを棚に上げて気付いてくれなかったと利央に責任を押し付けるのは間違っているとは分かっていても、今日が終わってしまったら彼がまた準太の下へと帰ってしまうことを思うと、棗にはどうしてもやりきれない。
「棗、本当に、やめろって。オレ、お前のこと友達だと思ってんだから」
 それ以上には見られないと言外に伝える利央に、棗の胸が軋む。分かっていたが、もう遅い。自分の中ではもう、友情は愛情に転換してしまった。
「棗!」
 彼の指が、ぞわりと利央の下半身に伸びて、利央は声を荒げた。友達だから乱暴なことはしたくないが、だからといってここで受け入れるわけにもいかないのだ。しかし伸びてくる棗の指は的確に利央の下半身を刺激する。
 野球部で鍛えた筈なのに何故振りほどけないんだと歯噛みしながら、利央は何度かその腕から逃れようと暴れてみるが、肘が棗の顎を打っても彼は逆にバランスを崩した利央を床に押し倒した。
「ってぇ!」
 派手な音を立てて机が乱れ、椅子が倒れる。それでも体育館で大音量を流しているせいか、廊下は驚くほど静まり返っている。
「利央、好きなんだ」
 こんな手を使っても彼が自分のものになることは無いと知っている、けれど、ふれてしまった彼の熱は棗をどうしようもなく魅了した。
(あーっ、やばい!)
 触れられれば反応してしまう悲しい男の性で、利央の下半身は熱を帯び始めている。本当なら、準太以外の男に触れられるなんて萎えるだけのことなのだけれど、ここ最近ご無沙汰だった下半身は、刺激をくれるのなら何でもいいとばかりに貪欲に疼き始める。
(ここで流されたら、殺される・・・!)
「ふざけんなよ、てめぇ」
 脳裏に恐ろしくも大好きな準太の姿を描いたその時、幻聴にしてはやけにはっきりとした声が教室内に響き渡った。
「準、サン・・?」
 反転した視界の中に、見慣れた人影が映る。
「どけ、今すぐそいつの上からどけ。じゃねぇとその顎、蹴り砕くぞ」
 底冷えする声音で静かにそう宣言した準太に、利央の背筋の方が冷たくなる。黒い髪に黒い瞳は闇に溶けて、彼が今どんな表情をしているのかが見えない。それが余計、利央の恐怖を煽った。
「・・・随分狙ったようなタイミングですね、高瀬先輩」
 身体が軽くなったような感覚に、棗が起き上がったのが分かる。けれど利央の視線は準太に釘付けで、離れた棗がどんな表情をしているかは分からない。
「ステージは終わったんだろ、だったら失せろ。これからもこいつのダチ面してえんなら、今すぐ尻尾巻いて逃げ出しやがれ」
 見逃してやる、と言われたことに棗のプライドは酷く傷付いた。ここで殴ってでもくれれば、せめてライバルとしての土俵には上がれたのに。
「余裕って、わけですか」
 利央が棗を友人以上に見ることは無いと、自分の立場に絶対の自信を持っている。そのことがどうしようもなく悔しくて、棗は準太を睨め付ける。
「そいつの馬鹿さ加減を、知ってるだけだ。最初の刷り込みをどこまでも引きずるんだよ、この馬鹿は。友達で入ったお前が悪い」
 そうではないだろう、利央は例え棗が最初から彼に想いを告げていても、断った筈だ。準太に出会う前に遡って利央に会わないと、彼は利央の友達以上にはなりえない。そのことを、棗は悲しいかな理解していた。
「・・・・残念、折角のチャンスだったんだけどな。利央、じゃあ俺、先帰るわ」
 ふっと肩から力を抜いた棗が、床に横たわったままの利央にそう告げる。彼は今しがたの展開など忘れたかのようにぽかんと棗を見上げ、そして、あぁうん、また明日と、間の抜けた応えを返した。
 棗はそのまま教室を後にし、静かに扉を閉めた。その音を聞きながら、利央はまだ準太を見上げていた。
「いつまで寝てんだ、この馬鹿」
 準太が上履きの爪先で、利央の頭頂部を蹴り付ける。
「いったぁ!」
 ガバっと勢い良く起き上がった利央は、トイレに入る靴で人の頭を蹴るなと文句を言おうとして振り返ったが、その目の前に準太の顔があって思わず口を開いたまま硬直した。
「だからあいつがオレに憧れてるなんざ、ありえねぇっつったろ」
 そして間髪入れずに、ぽかんと開いたままの利央の口に舌を突っ込んでいきなりその呼吸も奪う勢いで深く口付けてきた。
「んん・・っ!」
 いきなりのことに目を大きく見開いた利央にはお構い無しに、縮こまっていた彼の舌を吸い上げ絡め取り、準太は好き勝手に利央の口内を蹂躙した。
「は・・・ぁ」
 唇から溢れた唾液を舌で舐め取って、そして準太は利央の汗の流れた頬を手で挟み込んだ。
「人が溜ってる時に、他の代理でおっ勃ててんじゃねぇよ」
 棗に煽られた熱はそのまままだ体内に燻っていて、身体を密着させてきた準太がそれに気付かない筈も無い。
「溜ってる・・?」
 その言葉に、利央の身体にも心にも熱が噴き出す。ステージで味わった興奮が種類を変えて頭をもたげ、利央は自分から準太の髪に指を差し入れ口付けた。
「するぞ」
 傲慢にそう宣言した準太は、今さっき棗がそうしたように千切れた利央のシャツの中に手を差し入れた。


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 ステージの描写が、難しくて・・・。動きのあるシーンを文章に起こすのが、下手ですみません・・・皆様の想像力に期待!(爆。
 そして棗君、一時退却です。お約束な展開ではあるけれど、安心して読めていいでしょ!(開き直る。
 次、裏でーす。